「目のこと」

 白内障の治療のため先週左目の手術をした。といっても日帰り手術だったので、朝9時に病院へ行って、11時にはもう家へ戻っていた。帰りはもちろん眼帯で。
 手術時間は全体で約30分。まずは特殊な椅子に座らされ、短い説明があり、そのあと目の部分だけに穴の空いた白い布を顔に被せられ、麻酔の液をぶっかけられ、等々の準備時間を差し引くと、正味、実際のオペは15分ぐらいだった。まったく痛くはなかったが、赤い玉や緑の玉がうごめく様が眼中に見えて、薄気味悪かった。
 以前から人間ドックの折などに、たびたび目のことは指摘されていたので、いつかやらなきゃならんことはわかっていた。もともと人間は70や80まで生きられるように設計されておらず、この年になれば、自然に、目や、歯や、耳がイカれてくる。
 術後約一週間が経ったが、経過が良好かどうかと問われれば、まだよくわからない。加えて近々右目もやらねばならぬ。そのあとは、しばらくの回復期間をみなければならぬだろう。
 そんなわけで、この月はほとんど仕事を入れていない。
 東家教室やその他の教室の皆さんにとっては迷惑なことでしょうが、よろしくご理解のほどお願い申し上げます。(自習に来て部屋を使うことはぜんぜん構いません。ですがお相手はできないかもしれません。)

写真は手術した部屋ではないが、待ち時間にパチリと撮った眼科の処置室。これをFacebookに投稿したところ、想像をはるかに超えるリアクションがあった。こんな地味な写真に354件のいいねと、なんと120件以上もの励ましのメッセージが、世界中から届いたのには驚いた。癒されました。

「ミヤケさんからのメール」

「石の家」って知ってますよね、フジテレビの「北の国から」というドラマの中で田中邦衛が暮らしていた富良野(北海道)の家だ。2004年、その家の模型展示物を制作してほしいとフジから依頼され、作品は翌年の春、完成した。(縮尺15分の1)。
 完成後、作品はただちにお台場のフジテレビ本社の25階にある球体の中へと運ばれ、約6ヶ月、そこに展示された。その後同社の「湾岸スタジオ」へと移され、こんどはそちらの1階展示場で約1年間展示されていた。しかしその後、社内の配置転換によって展示スペースがなくなってしまい、作品はどこかに仕舞い込まれ、あとは、なにかのイベントの折に顔を見せる程度で、ふだん見ることはなくなっていた。
 本作を制作した当時、フジ側の担当者は同番組の美術監督を務めたU氏であったが、10年ほど前にU氏が定年退職されてから以降、フジとは特にパイプがなく、作品がどうなっているのか、さっぱりわからなかった。
 そしたらである。先週元生徒ミヤケ・タカオ氏から下のような内容のメールが届いた。(ミヤケ氏はU氏と仲が良い。)
 「本日U氏から驚くべき情報がもたらされました。北海道でU氏が定宿にしている富良野のLA VISTAホテルへ泊まりに行ったところ、一階ロビーに石の家の模型展示物が置いてあってびっくりしたそうです。はがさんにも伝えてほしい、とのことでした。」
 このメールには数枚の写真が添付されていて、見ると正にわたしがつくった作品だった。
 U氏はさぞびっくりしたことだろう。本作を制作中だった18年前、彼はわたしのスタジオを訪れて制作の過程を見ているし、完成後、それをスタジオから運び出し、車でお台場まで運んだのも彼だった。だからこの作品はU氏にとって極めて見慣れたものだったハズ。それが、いつも行く馴染みのホテルのロビーに、ひょっこり置いてあったのだから…。
 ミヤケ・メールによるとLA VISTAは「北の国から」の資料館があったところに建てられたホテルだそうで、「あるべきところに戻って来たかって感じです‼︎」と、結ばれていた。

U氏が撮ったと思われる「石の家」の写真。
天然温泉・紫雲の湯/LA VISTA/富良野ヒルズ1階ロビーにて。
〒076-0026北海道富良野市朝日町5-14
電話: 0167-23-8666
https://www.hotespa.net/hotels/furano/
 

「作品展めぐり」

 コロナが一段落したせいもあってか作品展ラッシュが起こっている。知らない人の展ならスルーもいいが、義理ある人たちの作品展へは何をおいても行かねばならず、このところ駆けずり回っている。
 23日の金曜日には文京区のシビックホールまで出かけ「東京ソリッドモデルクラブ」の、オールハンドメイドの飛行機模型を鑑賞。クラブの重鎮手柴さんらの歓迎を受けた。
 翌週の月曜日(25日)には宇都宮でマンタムさんたちの「DECADENCE展」を鑑賞。マンタムさんに義理はないが、本展を開催した「悠日ギャラリー」には多大な恩義があり、ここで開催するひさびさの美術展とあって、わざわざ出かけた。ギャラリーオーナーの柏崎健次氏は数年前に軽い脳梗塞を発症し、以後元気がないと聞き、当初は非常に心配だった。ところがお会いしてみると以前とあまり変わりのない様子に一安心。(下の写真)。
 おなじ日に宇都宮から有楽町へと移動。東京交通会館の一階ギャラリーで開催中の「2023自動車アート7人展」会場ヘとすべり込んだ。本展のクオリティーの高さは毎度のことながらコロナ禍のため今回は5年ぶりの開催だとの説明を受け、主催者のひとり大内画伯から歓迎を受けた。(10/1日まで開催)。
 以上までが先週末からの行動だったが、まだ始まっていない下の3展にも顔出しする予定なのでしばらくは結構忙しい。

*与偶人形作品展(死神の唸り、牙を剥く)
 @銀座ヴァニラ画廊(9/28から10/9)

*歌田年&矢沢俊吾 2人展
 @新宿の「Bar十月」にて(10/2から10/13)

*第14回ドールハウス共同作品展
 @池袋オレンジギャラリー(10/9から10/8日)

《追記》本当は元生徒山脇隆氏の個展「冥界の隣人」へ真っ先に行くつもりだったのだが、ついうっかり忘れているうちに終了してしまった。山脇さんごめんなさい。

そういえば、長いこと作品をつくっていなかったジオラマ界の巨匠・金子辰也氏も、ひさしぶりに個展開催を目指して、鋭意新作を製作中との情報がある。これもぜひ見にいかねばなりません。

「お知らせ」

 今度の日曜日(9/24日)に「第6次・ブーランジェリー制作教室」の初回講座が開催されます。

 カガミヒロコさん
 ムラタミホさん
 イノウエエリさん
 ナガタナオコさん
 ハヤシユミさん
 オカモトミキさん
 トウダテリナさん
 ナカジマユウさん
 (準不同)

 今のところ上の8名の参加が予定されていますが、この中で、何らかの事情で急に来れなくなったという方がいらっしゃれば至急連絡をください。
 特に問題がなければ、上のみなさんは、当日(24日)の午後1時半に、はがいちようの駒込スタジオにお集まりください。(できるだけラフな服装で、道具や材料など、なにも持って来なくてかまいません。)
 質問があれば遠慮なくどうぞ。
 下の写真は、このグループの制作課題「ブーランジェリー」(縮尺: 12分の1)です。

ちなみに、将来は自分もこの教室に参加したい…とお考えの諸兄がいらっしゃれば、連絡をください。

「スゴイ人!!」

 彫刻家の山田康雄先生をはじめておみかけしたのは南宇都宮の悠日カフェだった。
 東武宇都宮線、南宇都宮駅の駅前に、大谷石で出来たふるい米蔵倉庫が7〜8棟ならんで建っている。これを利用した、アートギャラリーや、カフェや、カルチャー教室などを運営している「悠日」という会社がある。そこからの依頼で山田先生は月一回「悠日カルチャー彫刻教室」の講師を勤めたあと、東京へ帰る直前のひとときを悠日カフェで過ごしていた。
 実はわたしも何回かここで作品展を開催したことがあり、この日はなにかの打ち合わせで訪れていた。やがて午後6時を回り、そろそろ帰ろうかとギャラリーからカフェへ足を伸ばすと、そこに山田先生の姿があった。
 「はじめまして、はがいちようです」
  と、声をかけると
 「あ、はがさん、作品、見て、知ってますよ‥」
 と、会話がはじまり、先生は拙作をたいそう褒めてくれた。やがて「今から車で東京まで帰りますが、あなたも乗って行きませんか?」と親切なご提案をいただいた。電車で来ていたわたしにとって渡りに舟と思ったが、あとのはなしを聞いて諦めた。というのは、先生は大の高速嫌いで、東京まですべて一般道を走るという。よって到着が夜中の12時を回ることもしばしばある、とおっしゃったからだ。
 以上は2008年ごろのはなし。
 当時山田先生が75歳、わたしが60歳だった。
 その後大田区の南六郷にある山田先生のアトリエへ3度訪問し、うち一回は「渋谷クラフト倶楽部」のみなさんとドドッと押しかけたので、先生の顔を知っている読者(クラブ員)も多いだろう。そのころの先生は冬から早春にかけては東京のアトリエで創作し、春から秋にかけては、栃木県那須郡の山荘=木の美術館にこもり、炊事洗濯、掃除や買い物をひとりでこなし、早朝から深夜まで休みなく創作に励んでいた。
 したがってコロナ禍前までは、わたしは毎年必ず一回「木の美術館」を訪れていた。しかしコロナが始まって以降しばらく先生の顔を見ていない。なにしろ先方は90歳。SNSはやらずスマホは持たない。何回かハガキで挨拶状を出したが返事がなく、非常に心配していた。いてもたってもいられず、先週大雨の中を練馬のシゲちゃんと那須の現場まで見に行った。
 で、結局、先生は、そこにいました!!!
 突然の来客だったはずなのに、山荘=美術館の内部は、工作室を含めて、どこもかしこも掃き清められ、チリひとつ落ちていなかった。(マジです)。
 そしてサラッとこうおっしゃった。
 「コロナ禍でヒマになったので、骨壷にハマってしまい、気がついたら500個も出来てしまいましたよ」
 だそうだ。(下の写真)。

この仕事を始めてから、実際に会ったことがある人物で、すごいと思ったアーチストが2人いるが、山田康雄先生はそのうちの1人。生き方もさることながら、作品がこれまたスゴイ。だがそこは文字では伝えられないので、じかに作品を見るしかない。下が木の美術館のリンクだが、だいたいいつも閉館中らしいので、行っても入れないことが多いかも、です。https://www.asoview.com/base/153431/
 

「人力車のテント」

 コロナ前「第二次東家教室」(@自由が丘)をはじめたときからずっと考えていたのは人力車のことだった。むかし伊東屋をつくったときも店頭に人力車を置いたが、当時はサノ・キョウシロウ氏にその制作を丸投げしてしまい、わたしは何もつくらなかった。そのあと「第一次東家教室」をはじめるにあたり、はじめて自分で人力車をつくり店頭においた。しかし出来はイマイチで、サノ製には遠く及ばなかった。
 特にむずかしかったのはテント(幌)である。
 したがってこの度の東家教室においても、人力車、とりわけテントの制作が最後の難関になるだろうと最初からわかっていた。だから去年のうちから密かに準備を進め、やっと、どうにか写真のようなテントをつくることができた。
 これが結構むずかしいのだ。
 最初はテントの布地探しからはじまった。
 だがどうしても薄い布地が見つからず、結局レジ袋のような薄いビニール袋をテント地として使うことにし、骨組みには厚さ1ミリ幅2ミリの真鍮製帯金を用いた。骨組みの根元には要(かなめ)があり、要を中心にテントが開閉する。前回これを糸ノコで切り出したが、あまりにもむずかしかったので今回はエッチングによってつくった。等々。ま、そんな準備がいろいろとあって、組み立てには多数のリベットを打った。リベットといっても模型の場合細い針金(太さ0.4ミリ)なのだが、まずはそのための穴が要る。写真に見える面だけで計27個ものリベットがあるが、全面では確か60個以上のリベットが要る。てーことは細い骨の上に60個以上もの穴を開けねばならんってことだ。(その辺を考慮してのことか、カトウ・ヒトヒコ氏が「穴あけの極意」みたいなことを、前回当欄で述べてくれた。)
 ——–こうして最後の難関=テントをなんとかクリアーすることができ、今は非常にホッとしている。テントが終われば人力車もそろそろ終わる。てーことは、長かった東家教室もそろそろ終了に近づいているのか…。

銀座伊東屋本店11階に拙作「伊東屋」が常設展示されています。この作品には目の覚めるような「サノ製人力車」が置いてあります。ぜひご覧あれ。

「ボール盤のこと」

 嬉しいことに「カトウ・ヒトヒコ」(推定60歳)という男性生徒が、小欄におけるトークスを一本無料で執筆してくれました。なので、さっそく本日はその「カトウ版トークス」をお目にかけることにいたします。
 —–以下カトウ文。(原文のまま)。

 先日、私の生徒の一人からメールで次のような質問を受けた。
「穴あけについて質問があります。今まではピンバイスを使って手もみで穴を開けていました。これだと中々時間がかかるうえ、穴を開けるものが木材の場合は良いのですが、真鍮などの金属の場合は時間をかけても開かない場合があったり、真っすぐ開かなかったりして困っていました。そこで、これらの問題を解決しようと先生がご使用になられているのと同じキラのボール盤を購入しました。これで容易に穴あけができると思っていたのですが、0.3mmや0.5mmの穴あけをする場合に、やはりなかなか穴あけが出来ず(ドリルは回転しているのですが、入っていきません。ドリルは新品で、切削油も使用しています。)、挙句のはてにドリルがすぐに折れてしまいます。先生の作業を拝見しているといとも簡単に穴あけができているのですが、なにかコツがあるのでしょうか?それとも私のやり方にどこか間違いがあるのでしょうか?教えていただけると助かります。」
 このメールを読んでピンときた。ボール盤で穴あけをする場合は、まず穴あけにあたっての意識が重要なのだ。ボール盤を使っているのだから穴が開いて当たり前、早く穴が開けられて当たり前と思って作業をすると失敗する。特に細い径のドリルを使用する場合、ドリルは折れるものだという意識を持って最新の注意を払ってドリルと相手の材料との感触を確かめながら慎重に進めていく必要がある。この生徒はたぶんボール盤だからといってドリルは折れないもの、穴は早く開くものという意識でグイグイ進めているに違いない。
 そこで次に会ったときに私のアトリエで実際に細い径の穴あけをしながらその旨説明した。それからは何も言ってこないのでたぶん順調に穴あけができているのだろう。

写真は私が使用しているボール盤です。周りに色々な径のドリルを張り付けてすぐに使えるようにしています。ボール盤は使用にあたっての心構えさえ間違わなければこれほど便利な機械はありません。工作をされる方は中古でよいので準備することをお勧めします。(と、以上は、すべてカトウさんが書いた一文でした。カトウさんありがとう!)