「今週末はデザフェスです‼︎」

 てっきりデザフェス(正式名称:デザイン・フェスタ)と、静岡ホビーショーは同じ日程でやるものと思っていた。毎年そうだった。だからこのふたつのショーは一括で宣伝すりゃいいとタカを括っていたところ、すでにホビーショーは先週終わったという。
 「えーっ!? そうなの‥」
  ——それは悪かった。
 静岡へは行きもせず、宣伝もせず、誠に申し訳ありませんでした、(ホビーショーには「全国モデラーズクラブ合同作品展」という名物コーナーがあって、うちは、2011年から、「はがいちようと渋谷クラフト倶楽部」という名称で、毎回この合同展に参加しているのです)。
 今回はうっかりそのことの告知もせず、本当にごめんなさい。
 まあ、詫びはこのへんにして、さて「デザフェス」ですが、こちらは間違いなく今週末に開催されます。

 タイトル: デザイン・フェスタvol.59
 日時: 2024年5月18日(土)~19日(日) 10:00~18:00
 場所: 東京ビックサイト 西&南ホール全館
 入場料: 1000円

 われわれのブースは西館4Fの、西3ホールという「暗いエリア」にあります。ブースNo.は、J-162からJ-165までの4ブロック。
 2008年から当イベントには毎年出場してきたのですが、コロナ禍で何回か間が空いてしまい、今回がコロナ明け後初出場です。わたしはだいたい会場に詰めるつもりですので、よかったら声がけしてください、

デザフェス会場のはがブース(2019年5月)

「キャフェ・ル・マルソワン」

 「壁掛け式の、立体的な、絵のような作品をつくれませんか、遠くからでも目を引く、立体画のような、なにかパッとした作品を…」
 1996年9月の下旬、新宿伊勢丹の美術部担当者から、だいたいは上のような趣旨の提案を受け「わかりました。なにか考えます‥」と答えた。が、その場ではなんのアイデアも持っていなかった。実はその年の暮れの12月25日から30日までの6日間、新宿伊勢丹で「はが展」開催が決まっていた。冒頭の言葉は、その打ち合わせの場で飛び出した伊勢丹側の発言だ。
 当時わたしがつくっていた作品は、SLを収納するための木造の機関庫や、線路の保線事務所や給水塔など、鉄道関連のジオラマ作品ばかり。そういった作品は通常台の上に乗せて展示するものなので、それだとギャラリーの壁がガランと空いてしまう。
 「12月の繁忙期にガラ空きの壁はマズイんです…」
 と、担当者から懇願され、仕方なくわたしは「立体的な絵」を追加で20点つくることをその場でお約束し、その日の会合はお開きに。
 お開きのあと、電卓を叩いて愕然とした。9月の下旬から搬入日までは95日。95日を作品点数の20で割ると、なんと4.75日。立体画一点を4日半強でつくらねばならぬ計算なのだ。
 翌日からは、そうか、壁が空くのか、壁があく…と、丸一日ぶつぶつギャラリーの壁ばっかりを考えた。壁。壁。壁。すると突然「壁と言ったらユトリロだ !」と閃いた。もうグダグタ言っている猶予はない。この際はユトリロのような、パリの壁を中心とした作品ばっかりを大至急つくるっきゃないと腹を決めた。
 で、結局、約束の20点には及ばなかったものの、拙展当日のギャラリーの壁には、小作品も含めて計16点もの立体画を並べることができた。その16点の中には本日のお題である「キャフェ・ル・マルソワン」の姿(?)もあった。
 5月9日発売の「トーキングヘッズ叢書No.98号」(アトリエサード刊)における「はがいちようの世界《第44回》」では、その「キャフェ・ル・マルソワン」を紹介させていただきました。

「午後の鹿骨」完成!

 2023年7月20日付の小欄に、教室課題として再び「午後の鹿骨」(ボロい工場の作品)をつくりはじめたと書いた。その工場が今週やっと完成した。下の写真。縮尺1/80。
 そのときの記事でも触れたが、これをつくるのは、これで4回目である。仕事とはいえ、おなじものを4回もつくるのはかなり苦痛だ。しかも、これは超ややっこしいムズカシモノなので、はじめるのが億劫で仕方がなかった。だが完成が近づくにつれて徐々に苦痛はやわらぎ、少しは制作を楽しめるようにもなっていた。そして最後はルンルン気分で一気にゴールイン。
 バンザーイ! バンザーイ!! バンザーイ!!! である。
 残念ながら、(幸いにも、と言うべきか)、過去の3作品はすでに手元になく、比べることはできないが、今作が、間違いなくベストワンの出来であると自負している。というのは、このシリーズではじめて、本作では少しばかりの電飾を試み、事務所の内部と工場の内部とにLED照明を点けたことによって、それが絶妙なエンタメ効果を発揮していると思うからだ。(どうせならもっと多くの照明があった方が良いという声もあったが、こんなボロ建造物に多くの明かりがピカピカ光っているのもどうかと思い、わたしは2個で充分と考えている。)
 以前だったら作品が完成した場合はただちにイエサブへ持っていき、ちょっと手が出ないくらいの値段をつけて、自分の棚に並べたものだが、「イエサブの棚」は、今はもうない。
 すると「さかつう」さんかなあ。
 もし、さかつうの若(ワカ)がOKしてくれたら、近日中にさかつうへ持って行き、はがコーナーに陳列する予定だ。よかったら、見てやってください。

ブツが上がったら「さあ写真だ!」とばかりに、むかしは必死になって写真を撮った。しかし小生のカメラはスデにバッテリーがダメになり、低性能レンズのスマホぐらいしか、今は持っていない。それよりも何よりも、自作の写真を撮ること自体にすっかり飽きてしまい、つゆとも意欲が湧いてこないのだ。どこかに「よし、オレが撮ってやる!」ってひと、いませんかねぇ、ポランティアで‥。

「フェリー旅」

 以前「東家(あづまや)海を渡る」という見出しの記事を書いたことがあったが、このたび4月20日に、本当に東家(旧東屋)が、はるばる海を渡り、北海道は滝川市の「杉山アトリエ」へと辿り着いた。(写真は杉山アトリエ。後方はスギちゃん)。
 夏の「ドールハウスショウショウin札幌」への出演のため持ち込んだ本作だったが、どうやってそれを運ぶのかが今回の一番の問題だった。宅急便じゃ壊れるし、現地まで車で届けるのはチトつらい。で、結局フェリーを使うことに。
 元生徒ユウさんの協力で19日の午後、ブツ(旧東屋)を彼のメルセデスへ積み込み、そのまま水戸大洗の埠頭まで走り、車ごとフェリー「サンフラワー号」の船内へ。やがて午後7時半、出航するやいなや、船は真っ暗な太平洋をグイグイ進み、やがて日付が変わり、20日の朝となり、昼となり、午後となり、結局午後の1時半、北海道南部の港町苫小牧港に到着。
 ここから目的地滝川まで高速で約2時間の距離だが、実は旭川に、私用で一件立ち寄らねばならぬ先があり、そっちを先に回ったため「杉山アトリエ」への到着が夕方の5時になってしまった。
 ユウさんにとってそのアトリエは、初めて目にする夢のパラダイス。
 作品を降ろしたあとはスタジオの内外や、2階の監禁(?)部屋や、人気のHものフィギュアが並んだショールームなど、などを、目を皿のようにして見物したあと、近所のイタメシ屋へと移動。
 そしてワインとイタメシで大いに酔っ払い、そのまま美人ママのいるスナックへとなだれ込んだ…と、書きたかった、が、しかし実際はそうならなかった。
 というのは、実はこの日の深夜、21日未明に、われわれは再び東京方面行きのフェリーに乗らねばならず、後ろ髪を引かれる思いでイタメシ屋を引き上げ、わたしとユウさんは再びまた苫小牧港へ向かって走り出した。
 ちなみに駒込を出たのは19日午後3時で、帰宅は21日午後10時だった。
 カモメやトビウオはまったく見なかったが、なぜかサンダル履きのトラックドライバーたちがヤケに目に付く、いたって地味な船旅だった。

スギちゃん(杉山武司氏)は2000年代のはじめに一時期東京に住んでいたことがあって、そのころはぼくの教室に通っていた。しかし2008年ごろに、彼は郷里の滝川に戻り、現地での制作の拠点となる「杉山アトリエ」を建設。現在「男のドオルハウス」の作者として多方面で活躍している。

「さかつうのはがコーナー」

 先日久しぶりに巣鴨の「さかつうギャラリー」さんへおじゃましたら、レジ下のガラスケースの中に、ちょっとした「はがグッズのコーナー」ができていた。まったく予期していなかったので一瞬目が点になった。
 去年の暮れにイエサブの棚「はがいちようのミニチュアコレクション」がなくなってしまい、棚にならんでいた品物(小作品)の行き場がなくなり困っていたときに、その一部をさかつうさんが引き取ってくれ、レジ下の棚に、ひとまとめにならべてくれたのだ。
「11万のショーケースと、2万9千円の陳列台が売れましたよ‥」
 レジ下を見つめていたぼくに、店主である「ワカ」(坂本氏)からそんな声がかかり
「え〜っ!?」
 と、思わずからだがのけぞった。(11万円のショーケースも、2.9万円の陳列台も。もちろん小生がつくった作品である)。
 ちなみに、さかつうさんとの縁はふるく、初めて店へ行ったのは1977年の秋だった。うちの長男が生まれた年なので年号まではっきりと覚えている。いまの場所からは少し離れたところに店舗があり、当時はワカの父親がひとりで店を切り盛りしていた。そこへ当時無職だったぼくが毎日のように出かけ、ろくにモノは買わず、ただヒマつぶしに店内をうろついていたのだから、ワカの父親からはそうとうイヤがられていたと思う。
 それから47年。そのさかつうさんで、初めてぼくの品物が売れたのだ。これは事件である。少々からだがのけぞるぐらいは仕方がない。そのほかにも、オイルステインや染め液(黒染め液)などもチョロチョロ売れているという。
 ——-本日は以上です。
 巣鴨へお出かけの折にはぜひさかつうさんにお立ち寄りいただき「はがコーナー」(下の写真)を覗いてみてください。
さかつうギャラリー: https://sakatsu.jp

さかつうの小さな「はがコーナー」。「孤独の世界」や「WC物語」などが下段に並び、上段左側はシカゴで調達した油絵。(本物です)。油絵の右側にあるソファーは小生のオールハンドメイド。柄はすべて筆書きです。ぜひ見て欲しいなあ。

「きょうは誕生日」

 きょう4月13日はわたしの誕生日、満76歳になりました。
 ついこのあいだ70歳になったばっかりだと思っていたら、70代もすでに後半となってしまい、ヤバイことです。
 おかげさまで命にかかわるほどの病いは患ってないが、心臓に2個のステントが入っているし、頻尿だし、耳は遠くなったし、加えてこのごろ急に目の具合が悪くなり、作業中常に複数のメガネが必要となってきた。など、など、急に老化が始まっているらしい。グチを言い出したらキリがない。
 特にわたしの場合は脊椎が問題だ。脊椎管狭窄症であり、なおかつ椎間板ヘルニアなので、そのため一年中腰が痛いし、少し歩くと足がつる。更には足のツマ先がシビレて、毎晩眠れないほど痛む、
 コレに関しては10年ほど前、東大病院での手術を希望し、検査入院まで受けたことがあったが見事に断られ、代わりに2020年に品川の病院でカテーテル治療(背中に穴を開け脊椎管を削る)を受けた。しかし術後4年経っても症状はほとんど改善せず、むしろ悪化の一途をたどっているように思う。
 で、最近は、近所の脊椎専門病院で診てもらっている。そこの先生は、脊椎と脊椎のスキマに金属板を挟み込むことによって痛みはかなり改善するだろうとおっしゃり、いま、その手術を勧められている。
 「決意はもう固まりましたか‥?」
 と、おとといも、そんな風に尋ねられ、悩んでいる。
 ま、そんなわけで、とてもパッピーな気分にはなれないが、それでも誕生日は毎年必ず来てしまい、確実に毎年歳をとる。SNSには何百通もの祝福のメッセージが寄せられているが、それらメーセージを送ってくれたいたすべての人々に「ありがとう、なんとか生きてます‼︎」と伝えたい。

さっき娘が巣鴨の寿司屋でご馳走してくれました。

「東屋海を渡る」

 2019年の春から自由が丘教室での課題として取り組んできた「東屋」=「12分の1/あづまや」が先月完成した。そのことは前々回ここに書いたが、完成作品の写真はまだ見せていなかったので、本日下に掲載した。手前の作品がこのたび完成した新・東屋で、奥にあるのが旧東屋だ。(東屋とは伊東屋作品の小型版で、明治時代の文房具屋のことである)。
 調べてみると、新東屋の元になった旧東屋は、やはり教室の課題作として、2004年の夏につくり始めているのだが、2004年と言ったら5月に伊東屋作品が完成した年である。その年の夏にもう東屋をつくり始め、そして翌年の年末には完成している。そのころは月2回のペースで教室を開いていたので、今よりも進行が早かったとは言え、それにしても早い。当時はそれほどのスタミナがあったということだ。
 そしてその旧東屋の元になったのが、その直前まで制作していた伊東屋だ。伊東屋作品の場合は「新装開店したばかりの店」という体裁だったので、新装のイメージを壊さぬよう、できるだけキレイな店になるよう、常に注意を払っていた。それは一種のストレスでもあったので、旧東屋の制作においては一気にそのタガが外れ、思いっきり汚らしくしてしまえとばかりに、こってりウェザリングを施した、かなりダーティーな作品に仕上がっている。
 それにくらべ、このたびの新東屋はわりとキレイだ。
 こうして新旧の2作品を並べて見ると、そのへんの違いか一目瞭然。
 ちなみにその旧東屋のことだが、むかし世話になった北海道のスギちゃん(元生徒)が、夏に札幌で「ドールハウスショー」の開催を企画している。それに出演するため、今月フェリーで北海道へ渡ります。

みなさんはどうか知らないが、わたしの場合は、新作が完成したときには、必ずそれを収納するための頑丈な箱を一個つくらねばならない。箱がなけりゃ倉庫にしまえないし、催事にも出かけられない。しかし、これが結構たいへんな仕事で、東屋のように特殊な形状ではなおさらだ。というわけで、今週は箱作りに3日かかりました。(むかしだったら2日でできたのに‥。)