「イヤイヤ事務をやってます」

   ぼくは社長がひとりいるだけの会社「(株)ミクロコスモス」の代表なので、年に一回、決算にまつわる事務仕事をやらなければならない。
  先週イヤイヤそれをやっていた。
  一年分の売り上げを計算し、掛かった経費を算出し、期末在庫を棚卸しする。4〜5日かかってそれらの仕事をやり終え、出た数字を税理士の先生のところへ持っていった。
  ちなみにうちは「3月決算」なので、4月1日から翌年の3月31日までを一期とし、毎年王子税務署に決算書を提出してきた。今期で33期目になる。細々と33年間も会社をやってきたってことだ。
  ミクロコスモスは平成元年、衣料品の小売販売業としてスタートし、当時、事務仕事は事務員がやり、その後いまの仕事(作家業)になってからは、家内がそれをやっていた。だがその家内も後期高齢者となり「もうやりたくない」といい出したので、近年は社長(ぼく)の仕事になっていた。だが事務仕事は大キライだし、もう歳なので、そろそろ会社をたたもうかと考えていた矢先にコロナがやってきた。そうなると法人の場合、たんまり支援金が入る。
  ま、そんな訳で、ついがんばってしまい、今季は、187万円もの支援金が入った。月次支援金と事業復活支援金だ。その上コロナのせいで、あんまり買いに出ず、したがって支出(特に材料費)が極端に少なかった。三密不可なので接待交際費も少なく、ステイホームのせいで交通費も少額で済んだ。その割に売上はそんなに悪くなかったので、けっこう良い結果が出るのかもしれない。
  いま税理士の先生がその決算書を、6ヶ月遅れで、作っている。
  (本文と下の写真はカンケーありません。)

最初に衣料品の小売業をはじめたのは1978だった。当時は本郷税務署に個人事業主として決算を提出していた。ところが売り上げが年間5000万円を超えるようになると「法人にしなさい」と税務署から言われ、1989年(平成元年)4月13日に法人組織に変更した。法人名「ミクロコスモス」は、そのころ懇意にしていたデザイナー氏(故人)がつくっていた洋服のブランド名、それをそっくりそのままいただいた。
 

「水曜グループ再開のこと」

  月1回水曜日に開催される「水曜グルーブ」というクラスで、2019年より、「ペンギン兵が立つ酒場」という作品をつくっていたが、コロナ禍になってから以降、一回も開催されていない。
  つくりかけとなってしまった作品は梱包し、倉庫にしまい、2年と6ヶ月、一度も目にしていなかった。ところが昨今、コロナが一段落したこともあって、そろそろこのクラスを再開してほしいという声があり、先週ひさしぶりに作品の梱包をほどいた。
  (下の写真)。
  すると、思っていたよりも遥かによく出来ていたのでおどろいた。自分で言うのもなんだが、斬新で、且つユニークな作品である。俄然やる気が出てしまい、思わず2〜3日、ムダにいじくり回してしまった。
  実は本作をつくるのは今回で2度目である。1度目は10年以上前、ある方からの依頼で制作したのだが、つくるのが非常に難しい作品だった。まずペンギンの絵がむずかしく、壁の造形がむずかしい。加えてドアなどの建具がすべて金属製であり、金属加工の技術がいる。等々。普通のドールハウス技法ではちょっと太刀打ちできないような作品だった。
  なんでそんな難解な作品を、わざわざこのグループの課題作に選んだのかというと、スタート時点での参加者8名のレベルがあまりにも高かったからである。8名全員がドールハウス界のスターであり、作品写真集を出版しているような方々だった。そんな方々を相手にヤワな作品のつくり方など説明できない。
  で、結局、再開スタートは、2022年10月19日午前11時から@はがスタジオと決まったが、それら8名いたスター生徒たちは2年と6ヶ月のあいだに徐々に去ってしまい、残ったスター3名での、かなりスカスカムードでの再出発となる。
  そういう訳で、ぼくのホームページに「満席につき見学できません」とあるのは間違い。当日はゆっくり見学できますので、希望者がいらっしゃればお申し出ください。見学無料です。

「ペンギン兵が立つ酒場」(未完成作品1/12)。
本文中「ある方からの依頼で…」とあるが、その方とは、むかし銀座にあったペンギングッズの専門店「ペンギンギャラリー」のオーナーM氏である。M氏からは現在別のペンギン作品も頼まれていて、そっちの作品も鋭意製作中である。従ってわたしのスタジオはいま、右を向いても左を見ても、ペンギン、アンド、ペンギン、なのだ。

「マガラさんの偉業」

  以前「消防署をつくる」という拙著をここで宣伝したことがあった。(7/21日付け小欄)。この本は、ぼくの工作教室で配っていたマニュアル書(作り方説明書)を、ヘタクソな手書き文字のまま一冊に綴じたレアもので、読んだからといってつくれるわけではありませんと但し書きを入れてあるにもかかわらず、ときどき売れる。
  それを元生徒のマガラさんが一冊買ったことは知っていた。その後マガラさんから、当該作品をつくる上での必要部品の注文があって、それらを送ったことも覚えている。だが、それでもなお、実のところ、まさか本当に彼が、つくるとは思っていなかった。
  ところがである。あるとき彼は自分のフェイスブックページに下のような写真を掲載し、小生のドキモを抜いてくれた。外壁の色や二階の散らかり具合など、どこもかしこもまるで拙作そっくりではないか。(下の写真はマガラさんの作品です。わたしのではありません)。
  ——-マガラ氏恐るべし、である。
  作品は、このあとトタン屋根の制作へと進むが、そのための材料もすでにお送りしたので、早晩きっと目を見張るような、立派な屋根が出来あがることだろう。
  というわけで、拙著を読めば作品がつくれるという事実が、図らずもマガラ氏の偉業によって立証されたことになり、著者としてこの上ない喜びに浸っている。ただし窓わく等の部品は絶対必要なので、この記事を読んで、マジでつくろうとお考えの諸兄は、どうか遠慮なくドシドシそれらをご注文ください。まだ幾らかの在庫がありますので。

写真はマガラ・ヤストシさんの作品(1/80)だ。(氏のフェイスブックページより無断で掲載いたしました。ごめんなさい)。1998年か99年ごろ、ぼくの教室にマガラ・アキヒロという生徒がいらっしゃった。そのアキヒロさんのお兄いさんがヤストシさんだ。アキヒロさんは小泉政権時に竹中平蔵大臣の秘書官に任命され、確か、それが理由で教室を辞めた。それから20年、アキヒロさんの紹介でやってきたのが兄のヤストシさんだった。しかしすぐにコロナがはじまってしまい、ヤストシさんのクラスはいつのまにか解散状態に。やや消化不良のままお別れしなければならなかったことが、今回の「作りたい欲求」につながっているのか…。
 

「新・デカルト通り48番地」

  写真は、2019年9月にスタートした「デカルト通り48番地」制作講座においてつくりつづけてきた作品だ。途中にコロナがあったりして、予想以上の時間がかかったが、やっと完成させることができた。
  19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したウジェーヌ・アジェという写真家がいる。レトロな時代のパリ街並みを撮った風景写真を数多く残している。彼は自分が撮った写真のすべてに撮影場所の地名を記録していて「デカルト通り48番地」と記した写真には古ぼけた小さなパン屋が映っている。その写真を気に入ったわたしは、2011年、アジェが記した地名と同題のアートインボックス作品をつくった。オリジナルの写真はもちろんモノクロなので、色はわからず、この時はそれをブルーの作品として仕上げた。(当サイト作品ギャラリーに写真があります)。それから8年経って、ある生徒氏からリクエストがあり、そのアジェ作品を工作教室のテーマとして取り上げて欲しいと言われ、もう一度つくることになった。しかしおんなじ作品が2個出来あがってもしょうがない。
  という訳で、こんどはブルーではなく、ピンクのデカルト通りに挑戦することになった。
  教室での実技指導はすべてピンクで行ったが、生徒のみなさんは以前つくった拙作のようなブルーを目指すという、ちょっとややっこしい展開に。そして、あたりまえだが、わたしの見本作はピンクとして完成!
  色が違うとまるで違った作品に見える。
  さて、題名はどうするか‥。

上がピンク色の「デカルト通り48番地」。今回フレームの色にちょいとこだわり、うすいわさび色っぽい新色を使ってみたが、うーん、よくわからない。違和感はないのだが、地味過ぎたか。

「山脇展へ行ってきた」

   うちのクラブ(渋谷クラフト倶楽部)でもっとも活躍しているアーチストのひとり、ゴジラ作家山脇隆さんの作品展へ行ってきた。
   といっても今回ゴジラは一点もなく、かわりに不思議な形状のクリーチャーたちがわんさかディスプレーされ、アブノーマルな祭りでも繰り広げられているようだった。フィギュアでもなく、ゴジラでも怪獣でもなく、虫でもトカゲでもなく骸骨でもない、まさに「山脇ワールド」としか言いようのない造形作品たち。それらをたっぷり堪能することができます。
   おススメです。
   まだやってますので、是非!

   タイトル: 山脇隆個展〜無響渓谷よりの使者〜
   会場: SPAN ART GALLERY
      中央区京橋2-5-22キムラヤビル3F
      電話:03-5524-3060
   日程: 2022/9/3sat〜13tue 11:00〜19:00
      (最終日は17時閉場)
   URL: https://span-art.com

左が山脇さん。真ん中が彼の作品「サイレント・バレー」。
彼は2008年の1月にぼくの教室に初参加し、それから5年ぐらい在籍していた。そのころは年がら年じゅう彼と顔を合わせ酒を飲んでいたが、その後山脇さんはフルスピードでアーチストへの変身を果たし、銀座での個展もこれで7回目になる。

「笑福楽」

  スタジオの近所に飲食店が一軒もない。
  教室のあとや夕方客が見えたときなど、アルコール補給のために駅前まで歩かねばならぬのは、高齢の身にはちと辛い。
  10年前までは、スタジオのむかいに「ビッグワン」という焼肉屋があって、この店が30年も続いたことは幸せなことだった。教室が終わるとただちにみんなでしけこみ、来客があればすぐにこちらに移動できた。ところがある日店のママとマスターが大喧嘩し、怒ったママがプイと店を出てしまい、あっけなく潰れてしまった。
  それから10年。
  いろいろなオーナーがビッグワンの後釜に入ったが、どの店も長続きせず、ほんの3ヶ月ほどで撤退した。最後に入った「舟ちゃん」(居酒屋)だけは一昨年の4月にオープンしてから今年の5月まで、2年以上続いた計算だが、その間ずっとコロナ。コロナとコロナのあいまに、たまーに店を開けるって状態だったので、やっぱ、通算100日ぐらいしかやっていないと思う。
  舟ちゃんの灯が消えて3ヶ月。
  我がスタジオは陸の孤島と化し、かといってコロナはまだまだ続いているので、舟ちゃんの後釜は当分現れないだろうとあきらめていた。そしたらである。先週突然舟ちゃんの入り口が開き、工事人らしき面々が店内の備品を大量に撤去している姿を見た。なんだこりゃあ! 飲食店での家賃収入に見切りをつけた家主が、事務所か、店舗へと、店内造作を改めるための工事をおっぱじめたのかと、わたしはそう理解した。
  それからは毎日見に行った。すると舟ちゃん時代の造作をぜんぶ取っ払ったあと、こんどは内装工事が始まり、アレレ、どうもまた飲み屋っぽくなってきた。
  そして、とうとう下の写真を撮った。
  写真のあと、外にいたおじさんに訊いてみた。
  「なにになるんですか?」
  「居酒屋らしいよ…」
  だって。
  バンザーイ!!!!!!!!!!!!!!!!!

ぼくが30代のころ、この場所で「焼肉のビッグワン」がオープンし、それから30年、店は最後まで流行っていた。常連客に恵まれ、家族連れが多く、土日はほぼ満席状態だった。これはひとえに愛嬌のあるママの器量の賜物だろう。決してマスターの包丁技ではなかったはずだ。(いまだにママの顔を覚えている読者は多いと思うが、マスターの顔となると、どうだろう…)。いずれにせよ、こんな辺鄙な場所でも、過去に大繁盛していた店が、事実あったのだから、「笑楽福」さんも、おおいに頑張っていただきたい。

「京王ドールハウス展」

   きのうの最終日、午後2時ごろ、新宿の京王百貨店で開催中の「ドールハウス展」に、滑り込みセーフで顔を出すことができた。ここ数年ずっとコロナだったし、その前は同時期開催の「北海道ミニチュアショー」のほうに出演したりして、京王に来たのはずいぶんひさしぶりのことだった。
   最終日なので、さぞかしヒマだろうと予想していたら、あにはからんや、そこそこ客がいたので驚いた。聞くと大盛況だったようで、な、なんと、売り上げが2,000万円を超えた(全体で)という。その数字がスゴいのかスゴくないのかよくわからんが、展の成否を売上ではかるあたりはさすがデパート。浅草のショウでは常に入場者数を競っていた。
   すこっつぐれいさんや、シックパパさん、浅井(亥辰舎)さん、箪笥の古市さん、バンビさんや、河合(厨房庵)さん、その他いろいろな方々とお会いすることができた。

主催者の河合さん(ミニ厨房庵さん)と。
われわれの真ん中の作品は河合さん作による中世の田舎家。いつもの厨房風景とは違い、そこかしこに槍や剣が置いてあり、どうも戦いの場面のようだ。彼がこういうものをつくるとは知らなかった。(※注: わたしの足元に落ちているのはわたしのマスクです)。