「スゴイ人!!」

 彫刻家の山田康雄先生をはじめておみかけしたのは南宇都宮の悠日カフェだった。
 東武宇都宮線、南宇都宮駅の駅前に、大谷石で出来たふるい米蔵倉庫が7〜8棟ならんで建っている。これを利用した、アートギャラリーや、カフェや、カルチャー教室などを運営している「悠日」という会社がある。そこからの依頼で山田先生は月一回「悠日カルチャー彫刻教室」の講師を勤めたあと、東京へ帰る直前のひとときを悠日カフェで過ごしていた。
 実はわたしも何回かここで作品展を開催したことがあり、この日はなにかの打ち合わせで訪れていた。やがて午後6時を回り、そろそろ帰ろうかとギャラリーからカフェへ足を伸ばすと、そこに山田先生の姿があった。
 「はじめまして、はがいちようです」
  と、声をかけると
 「あ、はがさん、作品、見て、知ってますよ‥」
 と、会話がはじまり、先生は拙作をたいそう褒めてくれた。やがて「今から車で東京まで帰りますが、あなたも乗って行きませんか?」と親切なご提案をいただいた。電車で来ていたわたしにとって渡りに舟と思ったが、あとのはなしを聞いて諦めた。というのは、先生は大の高速嫌いで、東京まですべて一般道を走るという。よって到着が夜中の12時を回ることもしばしばある、とおっしゃったからだ。
 以上は2008年ごろのはなし。
 当時山田先生が75歳、わたしが60歳だった。
 その後大田区の南六郷にある山田先生のアトリエへ3度訪問し、うち一回は「渋谷クラフト倶楽部」のみなさんとドドッと押しかけたので、先生の顔を知っている読者(クラブ員)も多いだろう。そのころの先生は冬から早春にかけては東京のアトリエで創作し、春から秋にかけては、栃木県那須郡の山荘=木の美術館にこもり、炊事洗濯、掃除や買い物をひとりでこなし、早朝から深夜まで休みなく創作に励んでいた。
 したがってコロナ禍前までは、わたしは毎年必ず一回「木の美術館」を訪れていた。しかしコロナが始まって以降しばらく先生の顔を見ていない。なにしろ先方は90歳。SNSはやらずスマホは持たない。何回かハガキで挨拶状を出したが返事がなく、非常に心配していた。いてもたってもいられず、先週大雨の中を練馬のシゲちゃんと那須の現場まで見に行った。
 で、結局、先生は、そこにいました!!!
 突然の来客だったはずなのに、山荘=美術館の内部は、工作室を含めて、どこもかしこも掃き清められ、チリひとつ落ちていなかった。(マジです)。
 そしてサラッとこうおっしゃった。
 「コロナ禍でヒマになったので、骨壷にハマってしまい、気がついたら500個も出来てしまいましたよ」
 だそうだ。(下の写真)。

この仕事を始めてから、実際に会ったことがある人物で、すごいと思ったアーチストが2人いるが、山田康雄先生はそのうちの1人。生き方もさることながら、作品がこれまたスゴイ。だがそこは文字では伝えられないので、じかに作品を見るしかない。下が木の美術館のリンクだが、だいたいいつも閉館中らしいので、行っても入れないことが多いかも、です。https://www.asoview.com/base/153431/
 

「人力車のテント」

 コロナ前「第二次東家教室」(@自由が丘)をはじめたときからずっと考えていたのは人力車のことだった。むかし伊東屋をつくったときも店頭に人力車を置いたが、当時はサノ・キョウシロウ氏にその制作を丸投げしてしまい、わたしは何もつくらなかった。そのあと「第一次東家教室」をはじめるにあたり、はじめて自分で人力車をつくり店頭においた。しかし出来はイマイチで、サノ製には遠く及ばなかった。
 特にむずかしかったのはテント(幌)である。
 したがってこの度の東家教室においても、人力車、とりわけテントの制作が最後の難関になるだろうと最初からわかっていた。だから去年のうちから密かに準備を進め、やっと、どうにか写真のようなテントをつくることができた。
 これが結構むずかしいのだ。
 最初はテントの布地探しからはじまった。
 だがどうしても薄い布地が見つからず、結局レジ袋のような薄いビニール袋をテント地として使うことにし、骨組みには厚さ1ミリ幅2ミリの真鍮製帯金を用いた。骨組みの根元には要(かなめ)があり、要を中心にテントが開閉する。前回これを糸ノコで切り出したが、あまりにもむずかしかったので今回はエッチングによってつくった。等々。ま、そんな準備がいろいろとあって、組み立てには多数のリベットを打った。リベットといっても模型の場合細い針金(太さ0.4ミリ)なのだが、まずはそのための穴が要る。写真に見える面だけで計27個ものリベットがあるが、全面では確か60個以上のリベットが要る。てーことは細い骨の上に60個以上もの穴を開けねばならんってことだ。(その辺を考慮してのことか、カトウ・ヒトヒコ氏が「穴あけの極意」みたいなことを、前回当欄で述べてくれた。)
 ——–こうして最後の難関=テントをなんとかクリアーすることができ、今は非常にホッとしている。テントが終われば人力車もそろそろ終わる。てーことは、長かった東家教室もそろそろ終了に近づいているのか…。

銀座伊東屋本店11階に拙作「伊東屋」が常設展示されています。この作品には目の覚めるような「サノ製人力車」が置いてあります。ぜひご覧あれ。

「ボール盤のこと」

 嬉しいことに「カトウ・ヒトヒコ」(推定60歳)という男性生徒が、小欄におけるトークスを一本無料で執筆してくれました。なので、さっそく本日はその「カトウ版トークス」をお目にかけることにいたします。
 —–以下カトウ文。(原文のまま)。

 先日、私の生徒の一人からメールで次のような質問を受けた。
「穴あけについて質問があります。今まではピンバイスを使って手もみで穴を開けていました。これだと中々時間がかかるうえ、穴を開けるものが木材の場合は良いのですが、真鍮などの金属の場合は時間をかけても開かない場合があったり、真っすぐ開かなかったりして困っていました。そこで、これらの問題を解決しようと先生がご使用になられているのと同じキラのボール盤を購入しました。これで容易に穴あけができると思っていたのですが、0.3mmや0.5mmの穴あけをする場合に、やはりなかなか穴あけが出来ず(ドリルは回転しているのですが、入っていきません。ドリルは新品で、切削油も使用しています。)、挙句のはてにドリルがすぐに折れてしまいます。先生の作業を拝見しているといとも簡単に穴あけができているのですが、なにかコツがあるのでしょうか?それとも私のやり方にどこか間違いがあるのでしょうか?教えていただけると助かります。」
 このメールを読んでピンときた。ボール盤で穴あけをする場合は、まず穴あけにあたっての意識が重要なのだ。ボール盤を使っているのだから穴が開いて当たり前、早く穴が開けられて当たり前と思って作業をすると失敗する。特に細い径のドリルを使用する場合、ドリルは折れるものだという意識を持って最新の注意を払ってドリルと相手の材料との感触を確かめながら慎重に進めていく必要がある。この生徒はたぶんボール盤だからといってドリルは折れないもの、穴は早く開くものという意識でグイグイ進めているに違いない。
 そこで次に会ったときに私のアトリエで実際に細い径の穴あけをしながらその旨説明した。それからは何も言ってこないのでたぶん順調に穴あけができているのだろう。

写真は私が使用しているボール盤です。周りに色々な径のドリルを張り付けてすぐに使えるようにしています。ボール盤は使用にあたっての心構えさえ間違わなければこれほど便利な機械はありません。工作をされる方は中古でよいので準備することをお勧めします。(と、以上は、すべてカトウさんが書いた一文でした。カトウさんありがとう!)
 
 

「スギちゃんのこと」

 元生徒スギちゃん(推定60歳)は北海道滝川市の出身だ。家業の材木屋をたたんで、奥さんとふたりで東京へ出てきたのは2004年ごろのことだった。茅場町のマンションに居を構え、しばらくぶらぶらしていたが、やがてぼくの教室へ通うようになり、2009年ごろまで、生徒だった。
 東京へ来て数年たったころ、彼のマンションの一角の、ちょっとしたスペースで、手持ちのフィギュアを捌くため「カヤバ」というオモチャ屋を開業し、国へ帰るまでつづけた。だが店を始めるまではヒマだったので、いろんなことを手伝ってくれた。2004年には「伊豆ドールガーデン」で開催した拙展の搬入搬出を手伝ってくれたし、またある年には米ニューパルツでの拙展を手伝ってくれた。そしてあるときはNYの友人宅に保管してあった作品をシカゴのビショップショー会場まで、一緒に車で運んだこともあった。等々。
 そんな彼だったが、2009年に教室を辞めたあとは地元へ帰り、滝川市の外れに40坪ほどのアトリエを建て、そこを拠点に、「男のドォルハウス」の作者として、いまは多方面で活躍している。その一環として2018年には、北海道初となる「北海道ドールハウス展」を、滝川のお隣りの砂川市で開催し、誰も来ないだろうとタカを括っていたところ、なんと3000人もの客が押し寄せ、ど肝を抜かれた。そして今年9月にも「砂川ミニチュア・ドールハウスショー」を開催するそうだ。本来ならわたしも出場せねばならぬところだが、急に行けなくなり「申し訳ない」と伝えると
 「なら、宣伝してよ‥」
 と言われ、せめて宣伝だけでもさせていただきます。
 下のポスターをご覧ください、スギちゃんのドールハウスショーです。
 ——是非ぜひお出かけください!!!
 9月の北海道はいいですよ。台風がこないので‥。

ぼくの教室の生徒とOBの集まりを「渋谷クラフト倶楽部」という。スギちゃんも「渋クラ」会員だが、国へ帰ったあと、彼は札幌でクラフト教室の講師を始め、現地でも「倶楽部」を立ち上げたいとおっしゃった。そこで本家「渋クラ」会長の許可を得て「札幌クラフト倶楽部」が結成された。よってスギちゃんは「渋クラ」と「札クラ」の両方をかけもつ、ただひとりの元生徒である。

「ドールハウス展」のこと

 あしたから東京新宿の京王百貨店において毎年恒例の「ドールハウス展」が開催されます。

 タイトル: 12分の1の世界「ドールハウス展」
 会場: 京王百貨店・新宿店・7階大催事場
 日程: 2023年8月17日(木)〜8月22日(火)
 営業時間: 午前10時〜午後8時 (最終日は午後5時閉場)
 入場: 無料

 今回わたしは出場いたしませんが、いつもお世話になっているミニ厨房庵の河合さんや、バンビさん、本澤敏夫さんなどなど、お馴染みのメンバーが多数顔を揃えます。元生徒のUpFarfield(アップ・ファー・フィールド)さんは、今回は商品だけの出場とのこと。それと、毎回わたしの自由が丘教室へ密着取材にみえている(株)亥辰舎の浅井さんも、わざわざ京都からやってきて、泊まりがけで連日会場に詰める予定だそうです。亥辰舎さんは、彼らが出版しているドールハウス関連の書籍販売用のブースを毎年会場にならべているからです。
 コロナの影響がない久しぶりの京王ドールハウス展です。
 ぜひお出かけください。

ちなみに今週末の土曜日の夕刻には、浅井さんは、京王の会場からそのまま自由が丘グリーンホールへと移動し、わたしの東家教室を取材することになっています。

「お疲れさまでした」

 2020年の11月に小生の駒込スタジオでスタートした第4次「ブーランジェリー制作教室」が、先週の日曜日(7/30日)にめでたく最終回を迎えた。

  *参加メンバー
  イッシキ・ミヨコさん
  イッシキ・ノエさん
  カトウ・ヒトヒコさん
  カノウ・フミコさん
  ケッソク・ミズホさん
  タカハシ・ケイコさん
  マツウラ・ショウゴさん
  以上の7名でした。

 初回から最終回まで2年と10カ月、月一開催なので、本来ならば計34講座が開かれた計算だ。しかし実際はそうではなかった。この講座が始まった2020年はコロナの年であり、自粛、自粛で、まともに講座をひらけないことが多く、ぼくの手帳はめちゃくちゃだった。開催と書いた日の上にあとで自粛のバツ印が記入され、やったのかやらなかったのか、いまとなってはよくわからない講座もある。そこを、わからぬなりに紐解いて、開催日を数えると、どうも19回あったようだ。そうして完成まで漕ぎ着けた。
 3年ものあいだ、コロナのなかを、ひとりも欠けることなく、だまって付いてきてくれた7名の生徒のみなさん、ほんとうにお疲れさまでした。
—–(下の写真はこの講座のため、サンプルとして制作したわたしの作品です。題名「ブーランジェリー/B」。縮尺12分の1。)

さて、というわけで、「第4次・ブーランジェリー制作教室」は無事に終わったが、第5次の教室はただいま絶賛開催中です。そしてその次の教室「第6次教室」に是非参加したいという方々がすでに待機しているので、秋からまた新しいグループを立ち上げる予定です。待機中のみなさまには近々そのことで連絡いたしますので、いましばらくお待ちください。また「自分もこの講座の順番待ちに加わりたい‥」とお思いの諸兄がいらっしゃれば、Hagaまでご連絡ください。

「トーキングヘッズ叢書」

 「THトーキングヘッズ叢書」(アトリエサード刊)という雑誌(季刊誌)に、もう10年以上にわたって「はがいちようの世界」という連載ページを持っている。今回で連載41回目になる。その最新号、TH誌第95号「Sweet Poison〜甘美な毒」が8月10日に発売になる。
 今号の特集は「毒」。
 「ある存在には平気なものが、他の存在には毒だったりする。危険だからこそ惹き付ける毒。それは同時に価値観を問い直すものでもあるのだ。そうしたことを踏まえて毒を甘美な誘惑として捉え、アート、文学、映画、音楽などなど、多様な観点から紐解きました。ご高覧いただき、ぜひ諸媒体・SNS等でご紹介いただけると幸いです‥」
 だ、そうだ。
 もちろんアマゾンでも買えます。
 A5判/全208ページ/本体1444円+税。
 むかしよく「渋クラ」(渋谷クラフト倶楽部)の会合に顔を出してくれた人形作家の与偶(よぐ)さんや、三浦悦子さん(おなじく人形作家でやはりクラブの会合に来てくれたことがある)らも、それぞれ連載ページを持っています。
 ぜひご購入ください。

写真3枚と短い文章で構成された片面たった1ページの、今号におけるわたしのページである。回を重ねてくると、どの作品を紹介し、どれを紹介しなかったのか‥や、過去にどんな説明をしてきたのか、なとが、ごっちゃになり、だんだんわからなくなってくる。以前一度書いたはなしを二度しちゃならんし、できるだけ新鮮なネタを考えねはならぬ。短文ながら結構アイデアが要るのだ。写真を選び、記事を書き終えるまで、いつも1日かかる。