東京オリンピック

 昭和39年の東京オリンピックのときは16歳だった。はるかむかしのことながら少しは覚えている。
 はじまりは工事だった。来る日も来る日も工事がつづき、東京中どこもかしこも工事現場だった。そんなことが3〜4年つづいた。おなじころ三波春夫の「東京五輪音頭」が町じゅうに流れていた。テレビラジオは無論のこと、盆踊りの会場や小中学校の校庭や、パチンコ屋や、八百屋の軒先からも常にこの歌が聞こえた。
 その反面、事前の宣伝報道はあんまり多くなかったように思う。今回とおんなじで、はじまる前はあんまり盛り上がっていなかったのだ。
 では、はじまってからはどうだったか。
 途中までは割と低調だった。
 突然のフィーバーに変わったのは、最終日かその前日あたりのアベベのマラソンと、決定的だったのは女子バレーボールの決勝戦だ。我が家でもテレビにかじりついてこの一戦を見守った。この日を境にして、東京オリンピックが大成功を収めたイベントとして認識されるようになったんだと思う。閉幕後には洪水のようにオリンピック関連番組が放送された。
 何日目だったか忘れたが、当時ぼくは代々木の旧国立競技場まで女子の陸上競技を見にいった。薄暗い裏通路をしばらく歩いてから、一歩スタジアムに足を踏み入れたとたん、いきなり太陽がカーッと襲ってきて、風邪で帽子が吹っ飛ばされたことを覚えている。席は聖火台の近くだったので、風に煽られた聖火が発する、ババッ、ババッという音が、ときどき聞こえた。
 それから57年、批判の嵐の中ではじまった今大会だが、ステイホームも手伝ってか、予想以上の盛り上がりを見せている。
 ——写真は16歳のとき。

陸上の切符は、クジに当たったので持っていた。誰と行ったのかは思い出せない。しかし女子陸上300メートル障害レーススタート直前に、依田郁子選手がおこなった奇行、逆立ちや、宙返りを、ちゃんとこの目で見ている。彼女はそれから30年後の1983年に、わずか45歳の若さで、なぜか自らの命を絶っている。