「パルコ時代の仲間と」

  1997年の5月に、調布のパルコで「芳賀一洋作品展」を開催した。このとき会場の片隅に、同年7月からスタートする予定の、パルコ毎日新聞カルチャーシティにおける「芳賀一洋の木造ストラクチャー制作教室」という黄色いチラシが置いてあった。チラシを手に取ったハラダという男性が、まず最初に教室への参加を申し出て、その後セキネという女性も申し出てくれた。結局調布ではこの二人しか参加者を得られなかったが、教室は4人以上の生徒によって構成されるという決まりがあったので、別展で懇意になったイワクラという男性に連絡したところ、彼も参加してくれるという。更にはパルコの担当者の実の父親がサクラ(?)として一名加わってくださり、やっとギリギリ4人になった。そうして予定通り、1997年の7月から、渋谷パルコのパートII・7階において、わたしの教室がスタートすることになった。その後生徒数は次第に増加し、2005年にパルコを辞めるころには確か20名ほどになっていた。
  パルコでのわたしの教室は、土曜の午後6時半から2時間、月二回開催され、終了後は必ずみんなでどこかへ飲みに出かけた。ロケーションがなにしろ渋谷である。当時わたしはまだ40代で、生徒は20代から30代が多かった。だからみんなよく飲んだ。飲むためだけに来ているような生徒もいた。
  そんな渋谷時代の誰かが、パルコの仲間たちとまた飲みたいと言い出し、11月5日の夕刻、ひさしぶりに当時のメンバーが顔を揃えた。
  (下の写真)
  当時30代だった生徒たちも、いまやほとんど50代。むかしだったら当然あった二次会も、この日はなかったという。

左列手前から、のぞみちゃん、みきちゃん、エリちゃん、なべちゃん、イナバちゃん。右列手前から、みつぴー、はが、マッキー、まゆみちゃん。@駒込の居酒屋にて。