母カシクへの手紙

 石森章太郎の父親が書いた、非常にレアな手紙が存在することを知ったのは、つい最近のことだった。知らせてくれたのはフェイスブックフレンドのK 氏。K 氏は郷土史研究サークル東北昭和史談会のメンバーである。
 手紙は、当時トキワ荘に入居中だった石森章太郎を世話するために上京していた章太郎の母(カシク)に宛てた、章太郎の父(康太郎)からのもの。(下の写真)。まだ公にされていない貴重な資料だそうだが、出どころや発見日時を明記しなければ当欄に掲載してもよいという許可が得られ、以下にその全文を掲載する。

母カシクへ宛てた父からの手紙

無事安着安心しております。三河島駅の事故を見て痛く心配して居りました。電報をかけて安否を尋ねようかとも思いました。途中連れがあって心強かったでしょう。
章太郎も名古屋方面に出かけたそうですが、無事な帰着を念じられます。弘幸も変わりなく通勤しているようで結構ですね。社の人達もいいひと達らしいので、楽しく働けることでしょう。下宿代が高いのと月給が安いので仲々下宿に入れないようですね。章太郎のところに置いて貰えればいいでしょうけれども不規則な生活になることが心配されます。それも当人の心持次第でしょうけれども。赤塚さんのお母さん達にご迷惑がかかりませんか? 弘幸も入社早々の飛び石連休で心身の疲れがいくらか休められたことでしょう。早く仕事に慣れて、いい所員になることが肝要だと思います。
昨日6 日、東京の懸田きくさんが久々に来られ、お土産を頂きました。その日の夕方東京に帰ると言って居りました。章太郎のところにも訪ねて行って見たいと住所を書いて行きましたから、そのうち尋ねて行くことでしょう。早くお嫁さんを貰った方がいいでしょう、と言って居りました。もし貴方が居るうちに行ったら、そしてその話が出た時は、宜しくと言っておいた方がいいと思います。仲々親切でいい人ですし、いいところとも交際して居ると思いますから、もし世話をして下さるようなことがあれば、いい人を世話してくれるのかも知れません。
日曜日の6 日は引地の人達とレッスンに行きました。帰りには登記所に寄って遊んで来たそうです。レッスン料、今は値上げになって1000 円だそうです。今月も出費が多いことでしょう。5 日は孫助さんの米寿のお祝い。9 日には茶畑に古法事があるそうです。それから境堀の藤村文幸さんが4 日の夜、脳内出血で急死しました。行年45 歳でした。お悔やみに行って来ました。
地震見舞を、北海道の務君、仙台の春日の父さん、千葉智得さん達から貰いました。
東京は水がすくなくて困りましたね。丁度暑くなって来る季節で心配されますね。
弘幸の宿のこと、章太郎とよく相談して都合のいいように決めてください。
それでは疲れないように働いて下さい。
章太郎、弘幸にもよろしく。
5 月7 日(推定1962 年)
小野寺カシク様
——康太郎

 読み始めたとたん、一瞬のうちに当時の情景が目に浮かび、胸が熱くなった。
 内容から言って母はこの手紙を章太郎には見せなかったと思うが、彼女は捨てずに故郷へ持ち帰り、死ぬまで大切に持っていた。
 ——–発見されたのはつい最近のことだという。

石森章太郎の本名は小野寺章太郎である。
しかし父は小野寺ではなく石森と宛名書きしている。
反対していた漫画家としての息子さんを認めていることの証だろう
とK 氏は言う。


2017年6月27日