火事のこと

 すべての作品を北区田端にある「マルイケハウス」というボロアパートに保管していた一時期があった。エキシビション際には生徒氏らに手伝ってもらい、よくそこから出し入れをしたものだ。またこの建物の見学ツアーみたいなことをやったこともあるので、ご存知のむきも多いと思う。
 そのマルイケハウスが火事になった。
 ひとびとが参院選の開票速報に見入っていたであろう7月11日の午後9時半のこと、住人が出かけて留守だったアパート2階の無人の部屋から煙が昇り、やがてメラメラッと燃えあがった。ただちに消防車20台がかけつけて、けんめいの消火活動に及ぶが、なにしろ下町の密集地帯、またたくまに炎は隣家の軒下にも飛び火し、燃えつづけ、完全に鎮火したのは日付のかわった午前1時のことだった。結局このアパートの2階部分と、隣家の屋根が燃え、けが人はいなかった。
 小雨まじりの風が舞う、むしあつい晩だった。
 にもかかわらず現場には、ものすごい数の野次馬があふれ、わたしもその中のひとりとしてそこに立っていた。やがて警察官から「オーナーの方ですか?」と声をかけられ、近所の交番まで来るようにいわれた。
 正確にいえばこのアパートの所有者はわたしの家内である。が交番ではわたしもいろいろと尋ねられた。まずはアパートの住人ひとりひとりの生存確認からはじまって、出火原因のこと、焼け出された人々へのケアーのことなどを訊かれ、未明までそれらの対応に追われた。そして翌日は現場検証への立会いだ。それが終わったらこんどはご近所の方々へのお詫び行脚(あんぎゃ)である。等々、次からつぎへとやることがあって、まだまだ、まだまだ、問題山積。
 おかげで「アジェのパリ」は、その後あんまり進んでいない。
 ———–検証の結果、出火の原因は、2階留守部屋のタコ足配線と判明。

燃えた部屋


2010年7月19日