「誕生日」

  きょうは小生の75歳の誕生日。本日を持ちまして無事後期高齢者の仲間入りをはたすことができました。ちっとも嬉しくありませんが、SNSを含め多くの方々から祝辞が届いています。祝ってくれた方々には感謝の意をj表したいと思います。
  今年の誕生日はちょうど運転免許証の更新に当たっておりましたので、過日鮫洲の試験場まで出かけたところ、意外にスルッと、新しい免許証をゲットすることができ、誕生日がらみで言えばこれが一番うれしい出来事でした。
  なにしろ昨今は高齢ドライバーを社会から締め出そうとする空気が充満しているわけでして、そんなところにわたしのようなヨボヨボがノコノコ出かけて行っても、やれ耳が遠いだの動作がノロいだのと難癖をつけられ、門前払いを食わされるのではないかと密かに危惧しておりました。
  はじまりは去年の10月。認知症機能検査に来いというハガキが届き、近所の検査場まで出かけ、約6000円を支払って検査を受けさせられました。次は12月。運転技能の検査に来いというハガキが届き、近所の自動車学校まで出かけ、約4000円支払って検査を受けさせられました。更に今年の2月、視力検査をするから来いというハガキが届き、やはり近所の自動車学校まで出かけ、約3000円支払って検査を受けさせられました。どれもたいした検査ではありませんが、往復の時間に待たされタイムが加算されての半日仕事。運転技能と視力の検査などはおなじ自動車学校でヤルのですから、おなじ日にまとめてやったらよさそうなものを、なぜ日を分けるのか、意味がわかりません。
  以上3つの関所を通過した証である3枚の検査修了証を持って、旅の終わりである最後の難関、警視庁運転免許本部・鮫洲運転免許試験場へと出向いた。
  鮫洲の門をくぐってからは、ああ言われたらこう答える。できるだけ俊敏に動く、等々、いろいろと考えながら身構えていたところ、担当官が
 「ここでは検査はありませんから…」
  と、あっさりお答えになり
 「ガーン!!!!!!!」である。
  鮫洲では検査も実技も講習もなんにもなく、小一時間もしないうちに、新免許証が交付となった。次の更新日は2026年の誕生日だそうだ。
  そのときわたしは78歳。
  微妙だなあ。

ぼくが16歳のとき手にした最初の免許証もここ鮫洲で交付されました。黒い革表紙の薄っぺらい手帳のような免許証で、氏名などの記載事項はすべてインクとペンで手書きされていました。当時試験場の建物は木造四階建てで、ギシギシと音を立てて階段を登ったものです。その後鉄筋コンクリートのビルに生まれ変わり、そして近年、更にもう一度建て直されたのが写真の現庁舎です。
 

「ブーランジェリー教室のこと」

  去年11月7日に抽選会を行い、新ブーランジェリー制作教室への8名の参加者が決まり、すでに教室がはじまっています。しかしこの日の抽選にハズレた方々がいます。そして、ハズレた方々のうしろに、更に新たな参加希望者がならぶようになり、少しややこしくなってます。
  そんなわけで本日は、この教室への現時点での参加希望者の名前を、受け付けた順番に、記載させていただきます。1番から4番までが抽選会でハズレた方々です。彼女らは優先的に若い番号が振られています。そして5番目以降は、そのあと参加を申し出た方々です。
  次回は抽選をやらず、単に受付順で参加者を決めるつもりですので、辞退者が出ない限り8番までが次回(いつになるかわかりませんが)の新しい参加メンバーです。そして9番以降は次次回のメンバーです。

  1: カガミ・ヒロコさん
  2: ムラタ・ミホさん
  3: イノウエ・エリさん (カガワ・エリさん)
  4: タカハシ・トモミさん
  5: ナガタ・ナホコさん
  6: ハヤシ・ユミさん
  7: ゴトウ・トモコさん
  8: アオキ・マリコさん
  9: オカモト・ミキさん
  10: トウダテ・リナさん
  11: ナカジマ・ユウさん
  12: ナカコ・ユキコさん
  13: オウ・コクさん

  上にお名前がある方々のうち参加を辞退したいとお思いの方や、逆に、自分もリストに加わりたいとお考えの諸兄がいらっしゃれば、お申し出ください。
  (写真は「ブーランジェリー」1/12)

  作業場が狭いため一回に8名の生徒しか受け入れられません。どこか広いスペースでやればよいのですが、その場合、いろいろな道具や材料を毎回そこまで運ばねばならず、現実的に無理です。ですから前回は、公平を期すために抽選で参加者を決めさせていただきましたが、次回は受付順にするつもりです。ご理解ください。

「最新作」

 「アートインボックスの教室をやってください」
  ある実力者から強く進言され、2018年の春、実力者をふくめた計8名の生徒たちと「ペンギン兵が立つ酒場」という作品(1/12)をつくりはじめた。(ちなみにこの教室は水曜日に開催されていたので「水曜グループ」と呼ばれていた。)
  なぜ「ペンギン兵‥」だったかというと、同作は、2013年に、某ペンギン愛好家からの依頼で一回つくったことがあり、制作途中を含む写真や図面がたくさん残っていたこと。加えてかなりむずかしい作品だったこともポイントだ。まずペンギンの絵がむずかしい。ドアなどの建具がすべて金属でできているため金属加工の技術が要る。壁の崩れを大胆に表現するための表現力が要るし、バーカウンターや、エスプレッソマシーンをつくるのがむずかしい。等々。敢えてむずかしい課題を選んだのは、8人の生徒全員が今をときめくドールハウス界レジェンドたち、だったからだ。ちんたらケチなものをつくってお茶を濁していたらきっと舐められてしまうだろう
  そうして月1のペースで20回ほどの教室を開催し、そろそろ完成が見えてきたといった矢先に突然コロナが襲ってきた。以後教室は開かれなくなり、それから3年の月日が 流れ、去年の12月、コロナの沈静化に伴い、ひさしぶりに教室を開いたところ、8人いたレジェンド生徒は3人に減り、スタート時に69才だった講師(自分)は75才となり、ヨボヨボ・ガタガタに。それでも、なんとか今年の2月には、残った3人の生徒と供に、ほぼ「完成」と言ってよい状態にまで漕ぎ着けることができた。
  バンザーイ!!!
  いまのところ、これが「最新作」です。

最初いた8名の生徒とは、(以下順不同で)。①マサカゲ・トモコさん(米ビショップ・ショーのディーラー)  ②ミウラ・コズエさん(TVチャンピョン出場のHearty Mom’s☆)  ③N・originalさん(ボーグ学園・講師)  ④カノウ・フミコさん(謎の女)  ⑤ちいさなしあわせさん(インスタフォロワー10万人)  ⑥イッシキ・ミヨコさん(ノエカフェ・オーナー)  ⑦ナカコ・ユキコさん(ナナハンライダー)  ⑧ロージーさん(クラフト著作本多数)。彼女らのうち一体だれが「完成」まで辿りついたのか ? そして実力者ってだれ ?

「こころめぐり逢い」

  テレビの取材を受けたことを以前当蘭(2/9日付)でお伝えした。
  その番組「こころめぐり逢い/二胡と匠の旅」が、こんどの日曜日(3/26日)午前11時半〜同54分までBS-TBSで放送されます。下のリンクを開くと今週いっぱいはぼくの写真が出ていますので、よかったらご覧になってください。
  https://bs.tbs.co.jp/music/kokoromeguriai/

  これの取材日が1月31日だった。
  その前々日の晩、いつものようにアルコールで朦朧とした状態でベッドに横になり、顔の上にiPadをかざして、ボーッとUチューブを見ていた。そしたら突然iPadが手元から滑って顔の上に落ちてきた。ギャーっと悲鳴をあげ、しばらくは顔面を抑えたまま動けなかった。タブレットの角が丁度左目の下の頬骨を直撃し、皮膚を削り、血まで出ていた。一瞬救急車を呼ぼうかと思ったがグッとこらえ、とりあえずは湿布で冷やして夜を耐えた。
  翌朝カガミを見ると血は止まっていたが、当たったところが腫れて青あざになっている。よりによって取材の直前にこんなことになるなんて。取材を断るか、それとも眼帯でも着けて誤魔化すか、当日の朝まで悩んだ。
  しかしまあ、結局は、取材をお受けし、番組はなんとか成立したようである。さいわい取材班にはメイクの担当者が帯同していて、傷をほとんど目立たなくしてくれた。しかし朝まで悩んでいたせいで、カメラの前で語るべき言葉をほとんど準備しておらず、ろくなことをしゃべっていない。おまけに当日は腰の具合が悪く、立っているのがやっとという状態だった。
  テレビには何回か出たことがあるが、今回はまったく自身がない。
  見るのがコワイです。

二胡奏者のジャー・パンファンさん(写真右)、ギタリストの中村圭之介さん(写真左)、写真には写っていませんが(株)フォックス・ワンの近藤弘志さん、マネージャーの森本麻莉さん、カメラマンや照明さん、メイキャップの担当者、その他大勢のスタッフのみなさん、このたびは色々とありがとうございました。

「次回生徒展のこと」

  ぼくの教室の現役生とOB諸氏らの集まり「渋谷クラフト倶楽部」では一年半おきに有楽町の交通会館ゴールドサロンに於いて、われわれの作品展を開催して参りました。ところがここ数年、コロナ禍のために開催のペースが乱れておりまして、次回は、前回開催から2年後の、2024年の2月に、今度で通算17回目になる「渋谷クラフト倶楽部作品展」を開催することが決まりました。(2024年2月25日から3月2日まで)。
  当クラブの初代世話役氏が一年半おきにと決めたのは、良作をつくるにはそれぐらいの時間がかかるという趣旨からであり、その意味から言うと今回は2年もの間があるので、数多くの良作が揃うことが期待されます。
  期待通りに生徒たちによる作品点数が多かった場合、会場全体を生徒作品で埋め尽くすべきとわたしは考えています。しかしそうでなかった場合は、いつものように、わたしの作品展と生徒作品展との合同展になるかもしれません。生徒単独展なのか合同展なのか、まだ決まっていません。
  生徒のみなさんの発奮を期待いたします。
  ちなみに、最近わたしの教室に入った生徒のみなさんの中で、自分もクラブに入りたいとおっしゃる方がいらっしゃれば、当クラブ会長・山野順一朗氏まで連絡をください。作品展の開催や、懇親会(要は飲み会)や、勉強会や、各種イベント(浜松ホビーショー)への出場など、コロナでなければ、いろいろと活動しています。会費は年3,000円です。
  山野会長: yamano11ro@gmail.com

2022年2月に開催された第16回展のようす。このときは生徒展と拙展との合同開催でしたので、手前の暗い部分が芳賀作品のスペースで、奥に見える明るい箇所が生徒作品のスペースでした。

「作家展終了」

  以前ここでアナウンスさせていただいた「JDAミニチュア・ドールハウス作家展vol.3」に、拙作一点(デカルト通りのブーランジェリー)を出品し、展は、おとといの夕刻無事に終了いたしました。(下の写真)。
  JDA(Japan Dollshouse Association)が主催する催しには、前会長の時代からもう20年以上、毎年続けて出品してきましたが、今回は少し間が空いての出場でした。そのあいだに、会場である「東京都立産業貿易センタービル浜松町館」は近代的なハイテクビルへと生まれ変わり、周辺を含めた想像以上の変貌ぶりには非常に驚きました。。
  むかし洋服の商売をやっていたころ、アパレル各社がよく展示会場としてこのビルを使っていたので、旧ビルには特段の馴染みがあり、JR浜松町駅から歩5分の道のりを何回も歩いたものでした。いまの仕事に転じてからは、今度はJDAがこのビルでショウを開催するようになり、そんなわけで、わたしの浜松町通いは、もう40年以上になる。
  その歩き慣れた駅からの道が、今回行ってみると、途中から空中の道へとつながり、道は10メートル以上の高さをキープしたまま、直接貿易センタービルへと接続している。道は更にゆりかもめ竹芝駅の改札口へもつながり、そのまた先にまで伸びている。なんたることか。浦島太郎になった気分であった。
  そんなわけで、道やビルは新しくなったが、ショー(作家展)の中身はむかしと変わらず、広さ300坪ほど(もっとか?)の会場に50組(?)ほどのディーラーがテーブルをならべ、フードや草花や食器などのミニチュアグッズを販売するお馴染みのスタイルで、作家展と名乗る割にはその名にふさわしい作品はほとんど見かけなかった。だが想像していたよりもはるかに混んでいて、会場は常に100名以上の客で満たされていた。

右がぼくで左が元生徒スギちゃん(60歳)。
スギちゃんは現在北海道滝川市にアトリエを構え「男のドォルハウス」のキャッチフレーズでさまざまなドールハウス活動を行なっている。我がクラブ(渋谷クラフト倶楽部)の会員であり、なおかつ「札幌クラフト倶楽部」の主宰者でもある。コロナ禍が長かったので、会うのはずいぶんひさしぶりだったが、ちょっと見ぬまにグッと貫禄がつき、バッチリかっこよくなっていた。

「オカダさんが…」

  ニコ生、ユーチューブ界で今やその名を知らぬ者のない、オタキングで知られるユーチューバー、岡田斗司夫さんが、お仲間一名を伴って、先日風のように現れた。実はオカダさんはむかし、有楽町での拙展の折に一度顔を見せてくれたことがあり、まったくの初対面ではなかったが、あの迫力満点のキャラを目の当たりにすると、やっぱり、改めて驚いた。
  プライベートギャラリーを拝見したいという用件だったので「オカダさんが、好きそうなものは、あんまり置いてないかも知れませんが…」と、言いながら、さっそくギャラリーへとご案内し
 「ご自由にお好きなだけご覧ください。」
  ひとこと述べて、わたしは隣の作業小屋へと引っ込んだ。
  彼は数日前のメールで「昭和33年/江戸川区鹿骨」(1/80)を見たいとおっしゃった。さすがに言うことがシブイ。しかしご指名の作品は展示しておらず、置いてあるのはいわゆる「パリもの」と呼ばれるアートインボックスばっかりだ。どう考えても彼の好みに合うとは思えず、10分もすればたちまち戻ってくるだろうと時計を見ていた。そしたらである。あにはからんや、なんと30分もご覧になり、また風のように去っていった。
  (写真: キシモト・ユウ)

常々オカダファンを公言しているユウさんに「一応お知らせします」と、事前にオカダさんが見えることを伝えたところ、当日彼は、わざわざ仕事を休んで、はるばる自宅の沼津(静岡県)からかけつけ、上の写真を撮った。