半日教室をはじめます

    生徒さんの都合のよい日に丸一日マンツーマンでご指導するというコンセプトで、朝から晩までヤル教室を「1日教室」と言っていた。台湾のヤンさんや、ほかに数名の受講者がいたが、彼らは一般の生徒たちとはほとんど合流しなかったので、ヤンさん以外、あまり知られていない。
 20年前にはじめたこの一日教室だったが「長い昼寝」が必要な年頃となってから以降は、かなり運営がしんどくなっていた。したがって、致し方なく、このたびこれを廃止することにいたします。代わって本日からは「半日教室」を始めますので、どうかご贔屓のほど、よろしくお願い申し上げます。
  以下詳細です。

 単発式「半日教室」個人レッスン
 会場:はがいちようの駒込スタジオ
 開催時間:午後1時30分〜午後5時30分。
 開催日:受講者とHAGAの都合が合えば開催日はいつでもOKです。
     一回ぽっきりの受講も可。ずっと続けるも可です。
 課題:作るもの(制作課題)は、なんでもOKです。
 道具:道具や材料はすべて工房にありますのでなにも持ってこなくて構いません。
 費用:参加費半日11,000円(税・材料費込み)。
 支払い:参加者は開催日までに上記金額を指定の銀行口座までお振込みください。
 ——希望者はお申し出ください。

台湾の楊(ヤン)さん。
一度来日すると「一日教室」をたて続けに2〜3回受けて、あとは一ヶ月ぐらい毎日自習に通って来てなにかを作っていた。しかしこのコロナ禍で今年はまだ一度も来ていない。代わりに台湾からマスクをたくさん贈ってくれる。
 

「ねじ式」の背景

 4/25日付け当欄「人が来た」に才谷遼という人物が登場する。この方は中堅出版社の社長で、かつ「ラピュタ阿佐ヶ谷」のオーナーで、なおかつ映画監督だ。かつて彼が制作した「セシウムと少女」という映画では、依頼されて、劇中で使う「靜(しず)の部屋」という作品(1/12)を制作し提供したことがあった。また「ニッポニアニッポン/フクシマ狂詩曲」という映画では、わたし自身が一瞬出演するなど、なにかと手伝わされている。そして彼は、今度はつげ義春の古典的名作「ねじ式」を人形アニメ作品として撮ろうとしている。実は彼は阿佐ヶ谷にそれ系の学校「アートアニメーションの小さな学校」も持っていて、今作はそっちで撮影するつもりらしい。
 ちなみに彼の人形アニメは昔ながらのコマ撮りで行われ、CGは一切使わない。すると背景がけっこう重要になる。背景とはつまり模型のようなものなので、そこでわたしに白羽の矢が立ち「ねじ式」のために一肌脱いでくれないかという、ややこしいはなしになっている。ところがこっちは寄る年波のせいで、もう長いこと頼まれ仕事はやっていない。ましてやこれは重大任務。とてもよぼよぼ爺さんに務まるような仕事ではない。そう言ってお断りしている。
 その才谷氏御一行がこの暑いさなかに今週またお見えになった。例によって小一時間ほどギャラリーを見物したあと、そろそろ一杯いきますかと声をかけると
 「うん、そのために来たんだから‥」
 と、彼がうなずき、一同駒込の飲み屋へ。
 席に着くなり才谷氏は、「どうしてもはがさんがダメならば、はがさんの教室のどなたかに、いませんか、背景を任せて、仕切ってくれるようなひと? ぜひ紹介してほしいのですが‥」と、真顔でおっしゃるのだ。
 そこでお尋ねします。ぼくの教室の生徒さんか、あるいは元生徒さんで、彼の仕事を手伝える元気のいいひと、いませんか?
 いたら至急連絡をください!
 仕事の詳細や待遇等については会ったときにご説明します。
 質問も受け付けます。

右が才谷さん。
つげ義春は哲学的でアート性の強い作品ばかりを発表しているマンガ家。作品は講談社の「つげ義春大全」などで読むことができる。代表作「ねじ式」は1998年に浅野忠信主演で一度映画化されたが、原作には遠く及ばぬ凡作だったと、わたしは理解している。

あるルーキーの偉業

 東屋(あづまや)作品(1/12)の制作講座を去年から自由が丘教室でやっている。こっちがビクつくほど難易度が高く、当教室に7〜8年通って、あらゆるものをつくり尽くしてしまった御仁のために、いわば卒業制作のつもりではじめた。
 2019年4月に第一回目の講座があり、以後月一づつやって、7回目を終えた頃、つまり去年の秋ごろに、ヘンなルーキーが現れた。
 当教室へは初参加だというそのルーキーは、無謀にも「自分も東屋(あづまや)の講座に参加したい」とおっしゃるのだ。もちろんヤメろと3回言ったが彼は聞かない。お願いします、お願いしますの一点張りだ。その情熱(しつこさ?)に負けて、8回目からの初参加を許可し、彼は晴れて東屋グループの一員となった。その男の名前はKato Hitohiko。フルタイムジョブを真面目にこなすれっきとしたおっさんだ。それ以後Kato氏は今年3月の11回目まで出席。(あとはコロナ禍で教室自体が開かれていない)。そのKato氏から「東屋グループ秘密のページ」宛に先週投稿があった。
 「7回遅れで参加させていただきましたが、なんとか追いつくことができました(中略)。いろいろご指摘はあろうかと存じますが、できればやさしめでお願いいたします(後略)——-。」
 という余裕の一文に加えて、ジャーン、写真(下)がそえてあった。
 ———ほぼ完璧に追いついているではないか。
 彼のクラスメートたちはさぞ驚いたことだろう。わたしの見たところこのグループの2/3以上の方々がまだぜんぜん追いついていない。それを後から来たルーキーが軽々と抜いちゃったのだからアッパレだ。
 ちなみに、この偉業達成にはちょっとしたわけがある。
 実はこの講座は、第一回目から最近まで、わたしの手元と講座全体を100%ビデオに記録してあり、Kato氏はその映像を見てつくったのだ。彼が未参加だった回(1回目〜7回目)についての補講は特にやっていないし、自習に来たこともない。なにかの質問を受けたこともないので、すべてビデオ映像の賜物(たまもの)である。
 (ビデオは講座の参加者なら誰でも見ることができます)

上がKato氏の作品。彼は東屋講座のほかにもデカルト通り48番地の制作講座や、孤独の世界制作講座にも掛け持ち的に同時参加している上に、将来開催する予定のブーランジェリー制作講座へも絶対的に参加することを、すでに表明している。こんな熱心なひと初めてだ。

フィギュアが好評

 写真は3Dスキャンでつくった愚生のフィギュア。縮尺1/35。身長約5センチ。素材は多分レジンだろう。先月有明のスモールワールズへ出かけた折に「記念にフィギュアをつくりませんか‥」と、知り合いの女性スタッフから声をかけられ、図々しくもお言葉に甘えたところ、先日家に届いた。
 見たとたん「おお!これはウケる!!」と直感し、すぐにSNSに投稿したところ、現時点(24日)でもう555件のいいねがついている。小生におけるいいね数としては本年度最高である(フェイスブック)。
 ちなみに全身を3Dスキャンしたなんて今回がはじめて。
 直径1.8メートルほどの円筒形のステージに入ってポーズをとると、その瞬間に、筒の周囲と天井にならんでいるたくさんのカメラが一斉にシャッターを切り、瞬時にスキャンが完了。あとはそのデータをもとにセコセコとマシーンが人のカタチに整形したのだろう(見ちゃあいないが‥)。色もどうやらマシーンがつけたらしい。
 届いたフィギュアに添えてあったメッセージには「今回のデータを元に後日1/12のフィギュアも出力してお届けするつもりです」なんて書いてあった。12分の1ならだいぶん大きくなるので顔もハッキリするはず。葬式のときに遺影の横に置くとか、仏壇の位牌の隣に並べるのにピッタリではないか。
 はやくほしいなあ。

このフィギュア、実は1/80サイズも今回同時につくったらしい。そっちはすでにスモールワールズ内の「麻布十番エリア」にある、とある建物(1/80)の二階のステージに置いてあるそうだ。

三谷さんは元気だ!

 三谷毅さんをご存知だろうか、むかし銀座にあったペンギングッズ専門店のオーナーだ。おととしの暮れに、作品が壊れちゃったので修理してほしいという電話があり、そのとき銀座でお会いし、壊れた作品を回収したっきり会っていなかった。
 その三谷さんから、「頼んでいた修理品の回収に伺いたい」と先週ひさしぶりに連絡があり、さっそくやってきて、ギャラリーの入り口に飾ってあった修理済みの人気作「ペンギン・ギャラリー」(1/12)を持ち帰った。彼はまた「ペンギン兵が立つ店」という、これまた超人気作も所有し、そのほかにもいくつかの小さな作品を持っているというリッチな方だが、前回会ったときには、近々店をたたむ予定だとか、しばらく静養したいなど、疲れた系の発言が多く心配だった。ところが今回はまったく違っていた。曰く「こんど福井県にある古民家風の物件を使って、またペンギングッズの店をはじめます。はがさんの作品は店のキャッチに使わせていただきますので、オープンしたらぜひ見に来てください‥」などと目を輝かせておっしゃるのだ。ぼくより2〜3才も年長だというのに、である。
 なにかよいクスリでも飲んでいるんだろうか?
 教えてもらいたいものである。

写真を撮るのを忘れてしまったので上は7年前のもの。左が三谷さん。当時彼は軽井沢へ引っ越して写真の場所でペンギングッズの店をやっていた。その後ふたたび銀座へもどったが、そこも去年の春閉店し、その後どうしているのか心配していた。

ひさしぶりの教室

 きのう4ヶ月ぶりにあるひとつの教室が再開した。参加者はたったの4名だったが、なぜかみんな嬉しそうにしていた。「次の課題作にも挑戦したいです」なんて、はやばやと次期講座への参加表明まで飛び出し、おもっていたよりも明るい雰囲気で再出発することができて喜んでいる。
 むかし、渋谷パルコの6階にあった「パルコ毎日新聞カルチャーシティ」で、はじめて工作教室を開いたときの、最初の受講者も4名だった。ここでは1クラス最低4人と決まっていて、3人以下だと廃止となる。だからぼくのクラスに4人の生徒が集まったと聞いたときには飛び上がってよろこんだ。原田健一、関根裕子、荒川晴雄、いわくらともくにの各氏4名だ。この4名を迎えての最初の講座が1997年6月7日の夕方6時からだった。それから23年たった昨夕は、また4人からの再出発の日となり、ついむかしを思いだしてしまった。
 放課後、通りの向かいに新しくできた居酒屋「かわいそうな舟ちゃん」へ繰り出した。すると、あの舟ちゃんが、な、なんと、超満員で、入店できない。
 他人事ながらめっちゃ嬉しかった。

このときの生徒4名のうち一名はすでに鬼籍に入られたが、残りの3名は現在もお元気だ。確か3人とも渋谷クラフト倶楽部の現役会員で、作品展の折にはいまもときどき作品を出している。なお、経歴に書いてある「渡仏」はウソです。フランスへ行ったことがあると述べたところ、当時世話になっていたあるアートディーラー氏から、是非「渡仏」と書いてほしいと言われ、しばらくその肩書きを使ってました。お許しください。m(_ _)m

トキワ荘へ行ってきた

  トキワ荘マンガミュージアムが7日にやっとオープンする。
  本来なら3月22日にオープンするはずだったが、このコロナ禍で、こんな時期となってしまった。これに先立ち、先月の28日に開かれた内覧会に呼ばれ、一足先に行ってきた。
 土砂降りの日曜日、予定の時刻になってもあんまり人が来ていない。きっとほんの少ししか呼んでいないのだろう、狭いアパートに大勢押しかけたら「密」になる。
 入場の順番を待ちながら、改めて見上げるトキワ荘はとにかくデカイ。模型ばっかり見てきたせいか特にそう感じる。が、ひとたび二階へ上がると、写真でよく知っているお馴染みの光景がひろがり、今度はそう広くは感じなかった。この二階の表現、再現はとてもよくできていて、ほんの数ヶ月しかお住いにならなかった女流マンガ家・水野英子先生の部屋もしっかりつくってあった。当人はさぞかしお喜びのことだろう。
 元々は、その水野先生が、模型の作者としてわたしを指名してくれ、2001年にはじめて「萬画館」(石森章太郎のミュージアム)のために、15分の1のトキワ荘をつくる機会を得た。これを含めて過去にわたしは5回トキワ荘をつくったが、その原点が水野先生である。彼女がこのアパートにお住いになっていなかったら、わたしがトキワ荘をつくることはなかったはずだ。
 廊下の右奥が水野部屋で、その隣にエレベーターがあり、一階へ降りるとそこはミュージアムだ。マンガ本はもちろん、当時の写真や、グッズなどがところ狭しと並んでいる。作家別のコーナーもあり、その一角に、もちろん水野コーナーもあった。
 密をさけるため完全予約制だ。
 ネットで予約を取って、みなさんもぜひお出かけください。

二階の共同炊事場。
真夏の夜中に物音に気ずいた赤塚不二夫が炊事場をのぞくと、奥の流しに石ノ森章太郎が寝転がって水浴びをしていたという逸話が残っている。