おめでとう!!!

  ずっと自粛つづきだったブーランジェリー制作教室が、先日の日曜日にぼくのスタジオで久しぶりに開催された。このグループは去年の秋に結成され、直後に数回集まった記憶があるが、その後はずっと自粛がつづいていて、こんかいは実に7ヶ月ぶりでの開催だった。

  参加者は男性2名。女性6名。うち新婚女性がふたりいる。となると近い将来出産も考えられるわけで、あまりにも自粛が多いと彼女らの出産までに作品がしあがらない恐れがある。どうか菅総理、そのへんのこともご考慮に入れて、宣言の発令をお願いいたします。と、そのことを教室の冒頭でしゃべろうと思っていた。が、セクハラになるとマズイと考え実際には口にしなかった。

  そしたらである、放課後の居酒屋で、新婚女性のうちのひとりが、懐妊していることをポロっと告白した。秋に出産予定だという。
  「おめでとう!!!」
 ぼくの教室で、現役生徒のおめでたニュースを聞くのは多分これがはじめて。その場に居合わせた3人が威勢良くチアーズと叫んで、持っていたジョッキを宙に掲げた。(写真がなくてすいません)。彼女の名前はSさん。杭州市出身の中国人だ。8年前に来日し、千葉大を卒業し、いまは日立の正社員としてガンバッテいる。日本語のほかにロシア語も堪能だそうだ。当教室の場合、先生はバカだが生徒は利口ものばっかりなのである。
 ま、そういうわけで、彼女の出産までに、なんとか花屋(ブーランジェリー)の外回りだけでも仕上がるよう、少しピッチをあげんといかんなあと思った。
 たのんまっせ菅(すが)さん。
 ——–と、ここまで書いたのが水曜日(7日)だった。そしたらきのうまた菅(すが)さんがよからぬ会見を開いたと聞いた。バッカじゃないのか。

このグループは現在写真の段階までできあがっている。次は着色だがいつになることやら。
ところであした(7月10日)とあさって(7月11日)の二日間、東京ドールハウスミニチュアショウに拙作を数点出品いたします。わたしは不在がちですがよかったらお出かけください。
https://www.dollshouse.co.jp/dollhouseshow/

トキワ荘講演終了

 心の底からおびえていた千早会館での「トキワ荘講演」が、とうとう始まってしまい、そして二時間後に、終わった。危惧していたスピーチは意外や意外、割と好評だった。終了後、何人もの客がぼくのテーブルを取り巻き、口々に「面白かった」と感想を述べ、ツーショットでの写真撮影や、著作本へのサインを求められた。キツネにつままれたような気分である。
 むかしから自分は「はなしベタ」と固く信じ込んでいる。そのうえ声も悪いので人前でしゃべるのは死ぬほどイヤだ。なので有料講演の開催などという大それたことを自分から言いだすわけがない。まったく別の案件をお断りするために千早を訪れたとき、トキワ荘のことをしゃべってもらえるかと問われ
 「それなら、少しぐらい‥。」
 と、答えたのが運の尽き。
 少しぐらい‥が、だんだんと大きなはなしになっていった。
 しゃべることへの恐怖から講演前夜はけっこう酒を飲んだ。だが頭は冴える一方で、いつまでたっても眠れず、夜が明けるのが怖かった。しかし無情にも朝になり、刻一刻とその時が迫ってきた。処刑台はもう目の前だ、ジタバタしたってはじまらない。そのころになってやっと開き直りの心境が芽生え、失敗したって別段死ぬわきゃないという気になった。そうして極力気楽にしゃべったのがよかったみたいだ。
 ご来場いただいたみなさんありがとうございました。
 千早会館のみなさんたいへんお世話になりました。
 いまはただただホッとしてます。

 本講演の正式タイトルは「立体画家/はがいちようが語るトキワ荘のイマージュ、小さな世界に込められたノスタルジー」です。そして千早会館とは「豊島区千早地域文化創造館」のことです。いただいたリストによると当初聴衆者は31名だったが、当日更に数名増えたように思う。コロナでなければもっとたくさんの椅子を並べられたのにと担当者は残念がった。

「消防署をつくる」

 朝起きると、ぼくの机の上にミクロコスモスという会社が発行している表題の本が置いてあった。なんじゃらほいと手にとって開けてみたら、模型の消防署のつくりかたを説明したマニュアル本だった。それならアタマに「1/80」をくっつけて「1/80消防署をつくる」としたらもっとよかったのに、な〜んて思った。
 さてその中身だが、全編ヘビがのたうったような愚生のハンドライティングのオンパレードである。ぐじゃぐじゃダラダラと180ページにわたって、非常にボロい消防署の制作技法が述べてある。世にも稀な珍本だ。ヘタクソな字に加えてヘタウマ(?)な図が少なくとも100枚は掲載され、写真も50枚以上載っている。これからつくろうってひとにとっては良い手引きとなるであろう。
 こんなヘンな本がたったの5000円(消費税込/送料別)で手に入るという。朗報である。購入希望者はただちに連絡をください。何冊あるのか知りませんが、早い者勝ちです。

ぼくの教室で「孤独の世界」(1/80)という作品ををつくったことのあるひとならば十分に内容が理解できるはずです。A5判、全180ページ、オールカラー、(と言っても文字ページは原稿の汚れがそのままカラーで表現されているだけのことですが‥。)
 

いつでも嫁に

 「あるマンガ家の住居」(略して「あるマン」)がまたひとつ完成したということを前々回書いた。(5/27日付当欄)。わたしはこの作品を過去3回つくったが、最初の2作はすでに嫁に行き、3作目を現在展示用として使っている。
 「どの作品が好きですか?」
 などとエキシビションの会場で尋ねると、たいがいの客は「東屋」(あづまや)と答え、その次が「ニコレットの居酒屋」か、あるいは「あるマン」だ。ここ10年ほどこれは変わらない。
 先日もぼくのギャラリーで、ある客が「あるマン」を眺めながら「わたし、これ、好きなの‥」と言った。みなさんそうおっしゃいますよ、と悠長にお答えしたところ、なんと彼女は、それを「買いたい」という。
 「えええ〜っ!!!」
 客の目はマジそのもの。相当びっくりしたが買うという客に売らぬとは言えない。だが展示中の「あるマン」は、客の目線にあわせるため、台(ペース)を異常に高くつくってあり、自宅に置くには邪魔だろうと申し上げ、幸いつくりかけのもうひとつの「あるマン」が倉庫にあるので、それに低いベースを取り付けて、至急仕上げることを約束した。かくしてこのところ人生4作目の「あるまん」に挑んでいた。が、なにしろコロナ禍である。ほとんどの教室が自粛に追い込まれたこともあって、思ったよりもスイスイ進み、おかげで予定よりも早く完成した。
 もういつでも嫁に行けます。
 (下の写真)

 そういうわけで「あるまん」は過去4回つくったが、マンガアパート・トキワ荘は5回もつくっている。月末には「トキワ荘講演」も控えていて(5/1日付記事あり)このところ仕事はみんなマンガがらみ。更にいえば「あるマン」の室内に散らばっているマンガの原稿は、1作目からずっとつげ義春の「腹話術師」を使っている。つげと言えばいま映画化が進んでいる「ねじ式」の原作者だ。どういうわけか小生はその映画の背景も手伝っていて、本日この日も夕方そのことで映像監督が打ち合わせに見えることになっている、等々、等々、やることなすことすべてマンガがらみの今日このごろである。

ドールハウスミニチュアショウのこと

 前回(2020年)は自粛を余儀なくされた「ドールハウスミニチュアショウ」だったが、今年は万全のコロナ対策を施した上で、下記要綱により実施されます。

 タイトル: 第23回「東京ドールハウスミニチュアショウ」
 会場: 東京都立産業貿易センター台東館7階展示室
    住所: 東京都台東区花川戸2-6-5
 日程: 2021年7月10日(土)/午前12:00〜午後5:00
    (10日は前売券をお持ちの方のみ入場できます。)
 日程: 2021年7月11日(日)/午前10:00〜午後4:00
    (11日は当日券、入場券、前売券をお持ちの方が入場できます。)
 主催: ドールハウスギャラリーミシール
 入場料: 当日券1,500円/会場入口にて販売
 お問合せ: 03-3816-6977(ミシール)
  http://dollshouse.co.jp

 コロナ禍ゆえ、入場にあたってはマスク、消毒、体温チェックなどを行い、混雑を避けるための入場制限や、ときには入場者の入れ替えなどを行うことがあります。
 わたしは今回、ほんの1〜2点しか展示しませんが、全国から60を超えるディーラーたちが様々なミニチュアグッズを展示販売いたしますので、是非お出かけください。なお希望者には7月11日(日)のみ入場できる「入場券」(下の写真)を差し上げますのでご連絡ください。
 ただし先着順です。

むかし「トゥナイト2」という深夜の情報番組があった。1997年の秋、この番組でわたしの作品が紹介され、それを見た「日本ドールハウス協会」の岩瀬勝彦前会長がベスパに乗って(後ろのシートに渡辺智美ちゃんを乗せて)ぶっ飛んできた。岩瀬氏とも、智美ちゃんとも、このときが初対面。その翌年、同協会によって開催された第一回ドールハウスミニチュアショウに10点ほどの拙作を展示、以後今回まで、ずっと作品を出し続けている。その岩瀬氏が数年前にお亡くなりになり、いまは、あのときベスパの後ろに乗っていた渡辺智美氏が代表を務める「ドールハウスギャラリーミシール」がこのショウの主催者である。

これってヤバくない⁉︎

 このところ「トキワ荘講演」(5/1日付記事あり)のことで頭がいっぱいだ。企画書を見ると講演時間2時間となっている。金を払って聴きに来た客を、しゃべりで2時間ももたせるなんて尋常なことじゃない。しかも今回はテレビも入るという。
 あまりにも不安なので、先日車で、講演会場「豊島区千早地域文化創造館」まで打ち合わせに出かけた。午後2時、駐車場に車を止め、ふと前を見ると
 「おおおおおぉ〜 鍍金工場だぁぁぁぁ!!!」
 小さな鍍金工場が午後の陽光を浴び、半開きの扉の中で工員たちがうごめいている。こりゃー写真を撮らねばならんとただちに車から降りてスマホを構えたちょうどそのとき、佐川急便の4トントラックがやってきて建物の真ん前に路上駐車。
 「な〜んだよ〜まいったな〜」
 工場はまったく見えなくなり、イライラしながら約5分待ったが一向に去ろうとしない。マズイ、これ以上待つと遅刻になる。やむなくわたしはその場を離れ、打ち合わせへ。そして帰りに、ふたたび駐車場に戻ると、さすがにもうトラックの影はなく、かなり西に傾いた日差しが、工場の上半分だけを照らした、なんとも“つげ的な”シュールな写真が撮れた。
 つげ義春は中学校卒業と同時に地元の鍍金工場に勤めるが、仕事がイヤで、マンガを描き始め、1973年には「大場電気鍍金工業所」という傑作を残している。先月ゆうさんが完成させたのも「鍍金工場」だ。その鍍金工場が(当節めったにお目にかかることのない鍍金工場が)このたびの講演会場の目の前にあったなんて、これって、ヤバくない⁉︎

手前の石畳が千早文化創造館の駐車場。車が7〜8台止められる。その駐車場の手前がこのたびの講演会場である「千早地区文化創造館」だ。つげワールドが正にその目の前にあった。
 

あるまんのこと

 またひとつあるまんが完成した。
 ご存知だと思うが「あるマンガ家の住居」(1/15)というタイトルの作品を略して我々はただ「あるまん」と呼んでいる。非常にボロい三畳ひと間の作品である。「また」と書いたのは、つくったのがこれで4回目だからだ。
 最初は2002年の春、前年に制作した「15分の1トキワ荘」の瓦が大量にあまったため、それらを有効利用するためにつくりはじめ、勝手口(実はこの家の玄関だが)の横に「ひったくりに御用心—-肩掛け、前カゴ、暗い道—–池袋警察署」という標語をワープロで打って貼りつけて完成。作品題名を「庚申塚の借家」とした。庚申塚(こうしんづか)とは豊島区に存在する地名で、トキワ荘が豊島区だったので、おなじ区から響きのいい地名を選んだ。なかなか良い題名だとおもったが二作目以降は使えなくなる。
 「はがさん、こういう張り紙は、ワープロ打ちじゃダメですよ、やっぱり手書きでなけりゃ」
 と、あるうるさ方氏からご指摘を受けて、同年後期にクラフト教室の課題作として制作したもうひとつの同型作品では、「この土地と家屋は絶対に売りません、賃貸しもお断りです!」という手書きの文字にチェンジした。これが受けた。うるさ方氏にも大受けしたが「売らない」と主張する家が「借家」というタイトルには矛盾があり、2作目の題名は「あるマンガ家の住居」とした。
 更に2011年に、やはり教室の制作課題として、またまたあるまんを制作することになる。前二作は嫁に行ってしまったので、三作目はもっぱら展示用として使うために、台(ベース)をうんと高くして、題名を、より文学的な「青春の北池袋」へと改めた。(展示会でいつもお目にかけているのはこの作品だ)。
 ところがである。そのあと2014年から、今度は自由が丘の教室で、みたびあるまんを取り上げることになり2016年の9月まで続いた。終了時には完成一歩手前のところまで出来上がっていたが、おなじ作品がふたつあってもしょうがない。長らく未完のまま倉庫の片隅に眠っていた。
 以後次回——。

完成間近のあるまん。最新作だ。勝手口手前の張り紙の文字が読み取れるだろうか。最初にこれを書いた当時、ネットはまだ未発達で、近所の図書館や池袋のジュンク堂書店に毎日通って昭和の写真集を漁り、やっとこの文言に出会えた。そしてそれを手書きの文字に変換するなど、なんだかんだで一週間はかかった記憶がある。