アキモトさんサトコウさんありがとう!

 インバウンドが消え、中国人たちが来なくなって約一年、わたしの棚もイエサブもパタッと売れなくなった。仕方がないので家賃の安い「秋葉原スーパービル」へと引っ越した。(2/17日付けの当欄に記事があります)。駅からいくぶん遠くなったせいか、客足はさらに遠のいた。
 「おれももう歳だし、そろそろ店じまいを考える時期かもしれん‥」
 などとひとり物思いにふけっていると、そのイエサブから驚きのメールがとどいた。
 「さっき作品が6点、計160万売れました!」
 「ええっー!!」
 おったまげたのは言うまでもない。聞くとお客さまは日本人で、おひとりで、全部をまとめて買われたそうだ。このコロナ禍にだ。
 久しぶりの大慶事である。
 慶事には違いないが、棚からいっぺんに6個もの作品が抜けちゃうと、至急その穴埋めをしなけりゃならず、急に忙しくなった。今回抜けちゃったもののひとつに「午後の鹿骨」というわりと大きな作品があり、その空き地がひときわ目立っている。かと言って、もう一個おんなじものをつくる元気は、もうない。
 ま、そんな事情があって、ぼくのクラフト教室の生徒である「サトコウ」さんに急遽お願いし、彼が以前教室でつくったサトコウ版「午後の鹿骨」を借りてきて、売れちゃった拙作の跡地に堂々と展示してしまった。下から2段目の棚に置いてありますので、ぜひ見てやってください。
 サトコウさんありがとう!
 (下はサトコウさんの作品です)。

今回たくさん買っていただいたお客さまと後日わたしのショーケースの前でバッタリ鉢合わせしたことがあった。そのときに礼を述べたが、本日改めて、お買い上げくださったお客さま(アキモトさん)に対して、こころより御礼を申し上げます。こんどはぜひ駒込の自宅ギャラリーへも遊びにきてください。

ゆうさんの鍍金工場

 ねじ式美術部芳賀一洋チームについて前回書いた。そして、うちのクラブ(渋谷クラフト倶楽部)のヤマジュン会長がチームの一員としてでっかいSLを完成させ、納入したことも書いた。そのはなしを聞いて非常にあせったもうひとりのチーム員がいる。ゆうさんだ。
 ゆうさんはヤマジュン会長のSLとほぼ同時期に、つまり半年前に、実は小さな鍍金工場をつくりはじめている。それからというもの寝る間も惜しみ、家族サービスも棒に振り、ときには会社を休んでまで、狂ったように制作にはげんだ。その間、仲間のチーム員たち、例えば練馬のシゲちゃんはさっさと「熊のドクロ」を完成させるし、小生の「大石天狗堂」や、テッシーの「DC-3」や、そしてとうとうヤマジュンのSLまでもが完成してしまった。ところが彼の工場だけはいまだに仕上がっていないのだ。
 そんな折、「途中経過を一度拝見したい」というメールが、ねじ式総監督の側から届いた。
 「うわあ、たいへんだ〜!」
 ってんで、ゆうさんは先週の土曜日に、つくっていた作品を大至急分解して車に積み込み、自宅のある沼津からここ駒込のスタジオまでぶっ飛んできた。そして日曜日に、才谷ねじ式監督らがやってきて、ふたたび組み立てられた作品を、彼らは穴のあくほど覗き込んだ。(下の写真)。
 明らかに検査である。
 翌月曜日、才谷監督は自身のフェイスブックページに、ゆうさんの作品を写真入りで掲載し〝予想以上の出来〟と感想を述べた。
 「ヤッター!!!」
 どうにか検査には合格したらしい。
 だが作品(鍍金工場)はまだ完成しておらず、ゆうさんのあせりは当分つづくことになる。

ゆうさん作による「鍍金工場」を覗き込む黄色いジヤンバーの才谷監督、手前の女性は建築士の赤ちゃん/3月28日駒込スタジオで。撮影はゆうさん、彼はぼくの教室の現役生徒である。なお映画のシーンでは、この建物の正面入り口付近だけしか映らないため、屋根や、地面など、余分なものはつくりません。縮尺1/7。

ねじ式のSL

 ねじ式のはなしはもう何回もしているが、このごろでは「ねじ式美術部芳賀一洋チーム」なるものまであるらしくけっこうヤバイのだ。

 ①熊の髑髏(どくろ): 2020/10/23日付当欄で紹介
 ②大石天狗堂の壁: 2021/1/15日付当欄で紹介
 ③ダグラスDC-3: 2021/2/26日付当欄で紹介

 上の3点を、いままでに納入してきたが、加えて今回は、うちのクラブ(渋谷クラフト倶楽部)のヤマジュン会長が、ねじ式チームの一員として、でっかいSLを完成させ、先日ぶじに納品をはたした。(下の写真)。
 写真のSLは台湾の阿里山でむかし活躍していたシェイ式という特殊な蒸気機関車で、それがどういうわけか1960年代の日本の千葉に登場するという摩訶不思議なねじ式の世界、さいわい適当な大きさの既製品(縮尺20分の1)があったのでそれをベースにして原作にあわせてあちこち改造し、塗装をやり直して、このたびやっと完成に漕ぎ着けることができた。
 才谷監督はこれをとても気に入り、思わず「10メーターぐらい走らせたい」とのたもうたそうである。

機関車を抱きかかえるヤマジュン会長と長女さえちゃん。才谷監督の阿佐ヶ谷事務所で3/23日に撮影された。なお機関車には走行用モーターが内蔵されている。

入選作の発表

 昨年オープンした有明のミニチュアワールズで、一般から作品を募集してミニチュアコンテストを行い、3/13日に入選作を発表し、表彰式を行うというということを、1月にここに書いた。(1/22日付け当欄)。しかしその後緊急事態宣言が延長されたため、表彰式が中止となり、入選作は3/15日以降にスモールワールズのホームページ上で発表されることになった。
 ——-もう既に発表されていますので、下のリンクを開いて、みなさんも是非ご鑑賞下さい。
 https://www.smallworlds.jp/miniature_contest/2020_01/result01/

 はずかしながら小生はこのコンテストの審査員のひとりである。
 気楽に引き受けたところ、数日後に応募作品全84点の写真データがドカッと送られてきて、おったまげた。前よこ後ろといった具合に一作品につき4〜5枚のカットがあるので写真の数がはんぱでない。戦車ジオラマあり、フィギュアあり、鉄道模型レイアウトあり、ドールハウスあり、ブラモあり、建築模型あり、粘土造形あり、サンゴ礁あり、鍾乳洞あり、湿地帯あり、地形あり、動物あり、船あり、宇宙ものあり、段ボールアートあり、木彫りの人形あり、エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ、作品たちがおもいっきりバラエティーに富んでいるので選ぶのが容易じゃなかった。
 コロナ禍のため、ほとんどの審査員が、写真データによる選考を行ったらしいが、風合いやディティールがいまいち伝わってこず歯がゆいおもいをした。もし次回があるのならば、やはり現物が見たい。
 ——下の写真は芳賀一洋賞を受賞した「苔」(こけ)という作品です。

 ぼくの教室の元生徒の2名がこのコンテストに応募し、うちひとりの作品には「はが教室に通いながらつくりました」ということがコメント欄に書いてあった。わたしの名前を出してくれて、大変ありがたいことではあるが、公平を旨とする審査員としての立場上、すんなりと彼の作品を推すことができなかった。Aさんゴメンなさい。
m(_ _)m

3.11のこと

 3.11から10年だそうだ。
 その日わたしは自分のスタジオで普段どおり仕事をしていた。やがて午後2時半過ぎ、とつぜんユサユサッと尋常ならざる揺れがきて、鴨居(梁?)の上にならべてあったものたちがバラバラッと床に落下した。あと、書き出せばきりがない。ラジオはつけっぱなしだったが、夕方までたいした情報は入らず、その後のんきに山手線で買い物に出かけ、池袋の駅を降りたとたんに目を見張った。
 駅前は群衆で埋め尽くされ、歩道も車道もひと人ひとである。要するに西武線が全線ストップしてしまい、(あるいは東上線や有楽町線や丸ノ内線もだったのか?)それに乗車できない人々が、時間とともに駅前で膨張しているのだ。
 「ヤバイ、山手線が止まったらオレも帰れなくなる!」
 慌てて電車に飛び乗って家へもどると、東京中に帰宅難民者があふれている様子をテレビで中継していた。そのころからだんだんと現地情報が入るようになり、次第に大惨事の惨状をまのあたりにすることになる。まずは東北だとわかり、沿岸各都市の名前が連呼され、そのなかに石巻という地名もあった。そうこうするうちに午後7時ごろ固定電話が鳴り、出るとザーザーという雑音とともに
 「先生!萬画館の○○です。電話はすぐに切らねばなりません。先生の作品は無事でした。ツナミは2階まで達しませんでしたので。わたしたちも無事です。それだけをお伝えします。」
 「わかった、ありがとう!」
 そう答えると、すぐに電話は切れた。
 ツナミに襲われ、停電で真っ暗な「石ノ森萬画館」(宮城県石巻市)の中で、通じないはずの電話で、わざわざ作品(1/15トキワ荘)の無事を伝えてくれたキュレーターの○○さんだ。館は海岸からわずか数百メートルの距離にあり、地震発生当時は営業中だったにもかかわらず、ひとりもけが人が出ず、彼女も、わたしのトキワ荘も無事だった。
 それから10年、犠牲になられた多くの方々のご冥福をお祈りいたします。

 その2ヶ月後、無事だったというトキワ荘を視察するために、石巻の萬画館を訪れた。当時館はまだ休館中で電気も来ていない状態だったが、懐中電灯で照らして作品の無事を確かめた。そのときの写真がどうしても見当たらず、代わりに上は、帰りに立ち寄った南三陸町での写真。人物はわたしです。

ル・マタン・ブロン

 1998年制作の「ル・マタン・ブロン」という作品を少しずつリフォームしている。この作品の店頭には大きなタイル絵「アルルの乳搾り女」が掲げてあるが、これもついでにリフォームしたいとおもい、このたび改めて描きなおしたのが下の絵だ。(同様の絵を使った作品はほかにもあり、過去何回かこれを描いている)。
 厚さ1ミリのベークライトにミッチャクロンをスプレーしてからジェッソで全体を白く塗りつぶし、その上に油絵の具で絵を描いた。油は乾燥に時間がかかるため、ちょっと描いては2〜3日乾かし、またちょっと描いては2〜3日乾かしを繰り返せねばならず、時間がかかる。去年の春描き始めて、終わったのが秋だった。
 それから更に数ヶ月放っておいた。
 冒頭にも書いたようにこの絵はタイル絵なのでタイルのための溝を、このあと、絵の上から彫って、彫った溝には目地を埋めねばならぬ。そういった荒治療を施すためには、絵の具が完全に乾いている必要があり、しばらく放っておいたのだ。
 そうして出来たタイル絵は、その作品、ル・マタン・ブロンの店頭にとりつけて、やっとリフォームが完成した。作品はすでにWorks Galleryに掲載済みですので、あとで是非ご覧になってください。
 Works Gallery→ https://ichiyoh-haga.com/works.html
  (かなり下の方に掲載されています)

非常に細い筆の先に、微量の絵の具を掬(すく)って、絵を描こうとするときに、水彩絵の具だとたちまち筆先の絵の具が乾燥して固まってしまい、うまく描けない。だから油絵の具を使っている。油だとなかなか固まらないし、伸びがいい、失敗したら拭き取って消してしまえるなど、いろいろと利点がある。

DC-3のその後

 「DC-3はNGだった」という記事を、去年の秋に書いた。(11/9日付)。
 自信満々で持って行った飛行機(DC-3)を「重量感がない」と却下され、それから3ヶ月が経った。
 前回持参したのは縮尺72分の1という比較的小さな機体だった。そのため、重量感が足りない、おもちゃみたいだ、などと批判され、あえなくNGとなってしまった。よって今回はその二倍以上の大きさ(縮尺1/32)の英国製キットを入手して、わたしの友人であるテッシー氏とキッパラ氏が制作にあたっていた。機体のすべてに薄いアルミの板を貼り、表面を無数のリベットでおおうなど、さまざまな超絶加工をほどこした上、エンジン内部にはモーターを組み込み、実際にブロペラが回転する仕組みだ。
 それがなかなか完成せず、やっと出来たと連絡があったのは今月初旬だった。さっそく監督に見せたいのでいっしょに来て欲しいと言われ、テッシー、キッパラとわたしの三人が新しいDC-3を携えて監督の事務所へとお邪魔した。
 写真は新しいDC-3を眺める才谷監督。こんどはバッチリ重量感が感じられ、ご満悦の様子である。アルミの表面がテラテラと輝いて金属感満点の仕上がりだ。
 ここまではよかった。
 このあと、この機体をどう着色するのか、どうウェザリングするのかの段になり、さまざまな意見が飛び交い、収集がつかなくなった。やがて監督が「そうだ! マリリンモンローのイラストを機体に描いてしまおう!」などと突然言いだし一同騒然となった。午後5時から始まった議論は7時までつづくも、明確な結論が出ぬままお開きに。
 DC-3騒動はだんだんと長期戦の様相を呈してきた。

つげ義春の名作マンガ「ねじ式」をストップモーションアニメで映像化する動きがあり、その背景を手伝っている。このマンガのファーストシーンに大きな飛行機が登場する。そのため飛行機の専門家であるT氏とK氏が機体を制作中だがなかなかOKが出ない。なお「ねじ式」に関しては2020/10/23、11/9、12/11、2021/1/15日付けなどに先行記事がありますので、よかったらそちもお読みください。