「笑福楽」

  スタジオの近所に飲食店が一軒もない。
  教室のあとや夕方客が見えたときなど、アルコール補給のために駅前まで歩かねばならぬのは、高齢の身にはちと辛い。
  10年前までは、スタジオのむかいに「ビッグワン」という焼肉屋があって、この店が30年も続いたことは幸せなことだった。教室が終わるとただちにみんなでしけこみ、来客があればすぐにこちらに移動できた。ところがある日店のママとマスターが大喧嘩し、怒ったママがプイと店を出てしまい、あっけなく潰れてしまった。
  それから10年。
  いろいろなオーナーがビッグワンの後釜に入ったが、どの店も長続きせず、ほんの3ヶ月ほどで撤退した。最後に入った「舟ちゃん」(居酒屋)だけは一昨年の4月にオープンしてから今年の5月まで、2年以上続いた計算だが、その間ずっとコロナ。コロナとコロナのあいまに、たまーに店を開けるって状態だったので、やっぱ、通算100日ぐらいしかやっていないと思う。
  舟ちゃんの灯が消えて3ヶ月。
  我がスタジオは陸の孤島と化し、かといってコロナはまだまだ続いているので、舟ちゃんの後釜は当分現れないだろうとあきらめていた。そしたらである。先週突然舟ちゃんの入り口が開き、工事人らしき面々が店内の備品を大量に撤去している姿を見た。なんだこりゃあ! 飲食店での家賃収入に見切りをつけた家主が、事務所か、店舗へと、店内造作を改めるための工事をおっぱじめたのかと、わたしはそう理解した。
  それからは毎日見に行った。すると舟ちゃん時代の造作をぜんぶ取っ払ったあと、こんどは内装工事が始まり、アレレ、どうもまた飲み屋っぽくなってきた。
  そして、とうとう下の写真を撮った。
  写真のあと、外にいたおじさんに訊いてみた。
  「なにになるんですか?」
  「居酒屋らしいよ…」
  だって。
  バンザーイ!!!!!!!!!!!!!!!!!

ぼくが30代のころ、この場所で「焼肉のビッグワン」がオープンし、それから30年、店は最後まで流行っていた。常連客に恵まれ、家族連れが多く、土日はほぼ満席状態だった。これはひとえに愛嬌のあるママの器量の賜物だろう。決してマスターの包丁技ではなかったはずだ。(いまだにママの顔を覚えている読者は多いと思うが、マスターの顔となると、どうだろう…)。いずれにせよ、こんな辺鄙な場所でも、過去に大繁盛していた店が、事実あったのだから、「笑楽福」さんも、おおいに頑張っていただきたい。

「京王ドールハウス展」

   きのうの最終日、午後2時ごろ、新宿の京王百貨店で開催中の「ドールハウス展」に、滑り込みセーフで顔を出すことができた。ここ数年ずっとコロナだったし、その前は同時期開催の「北海道ミニチュアショー」のほうに出演したりして、京王に来たのはずいぶんひさしぶりのことだった。
   最終日なので、さぞかしヒマだろうと予想していたら、あにはからんや、そこそこ客がいたので驚いた。聞くと大盛況だったようで、な、なんと、売り上げが2,000万円を超えた(全体で)という。その数字がスゴいのかスゴくないのかよくわからんが、展の成否を売上ではかるあたりはさすがデパート。浅草のショウでは常に入場者数を競っていた。
   すこっつぐれいさんや、シックパパさん、浅井(亥辰舎)さん、箪笥の古市さん、バンビさんや、河合(厨房庵)さん、その他いろいろな方々とお会いすることができた。

主催者の河合さん(ミニ厨房庵さん)と。
われわれの真ん中の作品は河合さん作による中世の田舎家。いつもの厨房風景とは違い、そこかしこに槍や剣が置いてあり、どうも戦いの場面のようだ。彼がこういうものをつくるとは知らなかった。(※注: わたしの足元に落ちているのはわたしのマスクです)。

「自習の薦め」

   このごろ教室でつくる作品は12分の1スケールのものばっかりになり、(むかしは80分の1の方が多かったのだが)、すると、かなりぶ厚い木材を切らねばならず、(80分の1ならデザインナイフで済むところを)、12分の1となると、どうしても丸ノコなどの電動工具に頼らざるを得ない。ところが丸ノコでの切断はガーガー騒音がともなう上に大量のおがくずが舞い、ふつうの人の家庭での作業には不向きである。もちろん東急ハンズで切ってもらうことも可能だろうが、現物あわせで、自分で切りたい場合もある。
   まあそういったことをいろいろと斟酌し、作業場を持たない生徒諸氏への便宜を図るという意味で、わたしのスタジオを解放することを考えた。

   ①わたしの作業場を勝手に使って構いません。
   ②わたしの道具も使って構いません。
   ③昼でも夜でもいつ使っても構いません。
   ④丸一日使おうと一時間だけ使おうと自由です。
   ⑤来る前にあらかじめ連絡をください。

   以後、わたしの作業場を使って勝手に作業することを「自習」と称する。自習は消費税込み一回1,000円。一時間だろうと丸一日だろうと一回1,000円いただきます。自習はあくまで自習であり補講ではないので、基本的にわたしはなにも説明しません。
   自習とはそんなことである。ドシドシわたしの作業場を使って、どんどん各自の作品を仕上げてほしい。どんなものをつくってもかまわず、現役生でなくても、顔を知っている方ならば利用OKです。
   希望者は連絡をください。
   自習制度については以前にも一度お伝えしたことがありましたが、ご存じでない方も多いと考え、再度ご説明いたしました。

ちょっと木を切らせてほしいのですが—–なんて、顔見知りの方が、ぼくのスタジオへやってきて、丸ノコを使って小一時間作業して帰るというケースが、以前からたまにあった。もちろん歓迎はするが、困るのは、彼らが、彼女らが、必ずなにかの手土産を持ってくるということ。頼んで使わせてもらう立場となれば、それもやむなしとは思うが、そういうウェットなことをいちいち考えずに済むように「一回1,000円」というドライな制度を考えた。どうか手土産なしでいらしてください。
 

「トーキングヘッズ叢書」

   1月13日付の当欄で、自由が丘の「創の実(そうのみ)」という施設を紹介したことがあった。この施設の1階に元生徒マツモト・ノゾミさんが経営する「Up Far Field Dollhouse Salon」というニチュアショップがあり、そこに「ル・マタン・ブロン」という拙作一点が展示されていたからだ。その後展示作を入れ替え、いまは「ジュール通りのガラクタ置き場」に変わったが、そのことも別の日の小欄(3月11日付)に書いた。そしてこのたびは現在発売中の「トーキングヘッズ叢書/第91号」の連載コラム「はがいちようの世界」の中で、改めてそのことを紹介させていただいた。(下の写真)。
   みなさん一度ぜひ自由が丘の「Dollhouse Salon」へお出かけください。そして拙作をご覧ください。1月13日の記事では「7月中旬まで営業」と書きましたが、その後状況が変わり、今年いっぱいやっているそうですので。
   創の実: 目黒区自由が丘2-17-6
   それと、よかったら「トーキングヘッズ叢書」も、ぜひお買い求めください。かなりマニアックな雑誌ですが、読むところ満載で、へんな蘊蓄(うんちく)がメキメキと身に付き、いつのまにか「美術うるさ型人間」に大変身できます。今号の特集は「夜、来たるもの」です。
   アマゾンで買えます。

「トーキングヘッズ叢書」(アトリエサード刊)のS編集長にはたいへんお世話になっている。もう9年以上にわたり、拙文でのコラムを書かせていただき、拙著「錠前屋のルネはレジスタンスの仲間」の出版に際しては絶大なるご尽力をいただいた。さらには今年の2月有楽町で開催した拙展をも取材していただき「extrART」という雑誌に12ページもの記事を掲載し、宣伝してくれたのもS氏である。暑く御礼を申し上げます。
 

「Gallery ICHIYOH」

     きょうはだいぶん涼しいが、きのうまではムチャクチャ暑かった。むかしっから夏は大キライだ。なんにもやる気が起こらず、ただぼーっと過ごしている。そんな中、身近に続々とコロナ感染者が出始め、そろそろ自分の番かと心配しているが、いまのところなんの兆候もない。とっくに4回目の接種は済ませているので、この調子で無事にこの7波も乗り切りたいものだ。
     ところで、先月の「浅草ショウ」のためにしばらく閉めていた「gallery ICHIYOH」ですが、スデに営業を再開していますので、涼しくなったら一度ぜひお出かけください。

     名称: Gallery ICHIYOH
     住所: 東京都北区中里3-23-22
     営業時間: 午前10時〜午後6時
     入場料: 大人一人100円
     ——予めご連絡の上ご来場ください。

     はじめての方のために説明いたしますと、ぼくの駒込作業場のすぐ隣に、(作業場とは別棟に)、作品展示場があります。いわゆるプライベートギャラリーですが、なにか名前をつけねばならず「Gallery ICHIYOH」と命名、常に20点以上の作品が常設展示されています。(下の写真)。そしてギャラリーを見終わったらぼくのおんボロスタジオを見ることもできます。
     たいがいぼくはそこで仕事をしていますが、ときには買い物などで外出することもあり、ご来場の折には予めのご連絡をお願いしております。
     どうぞよろしくお願いいたします。

ギャラリーは約20坪。ここは以前われわれ一家(といっても子供たちはもう家を出ていましたが)の住居でした。ところが2013年に、2階に住んでいた母が亡くなり、2階部分が空き家に。もったいないのでわれわれが2階へ引っ越し、空になった一階をご覧のようなギャラリーに改装いたしました。ぜひお出かけください。

「むかしつくった作品」

   先日のドールハウスショウのとき
  「むかしお預かりした写真をお返しに参りました」
   と、おっしゃるお客さまから、封筒に入った一冊のフォトブックを手渡された。
   そのフォトブックには「文明の砦」と題するストラクチャー作品が、多角度的に捉えられた、11枚の紙焼き写真が収まっていた。
   見たとたん
  「うわぁ〜 確にこんな作品、むかしつくったことがあるなぁ〜」
   と、すっかり忘れていたその作品の、つくったときの光景までもが、鮮明によみがえった。
   そのお客さまは、1996年に開催された渋谷パルコでの拙展会場で、それらの写真を、わたしから預かったとおっしゃったが、なぜ彼女が写真を預かったのか、そして一体誰が撮った写真なのか、当時デジカメはまだなく、わたしはカメラを持っていなかった。従ってわたしが撮った写真でないことは確かである。
   それらの疑問を尋ねようとしたとき、もうその客はいなかった。
   受け取った封筒には、写真のほかに、わたし宛の短いメッセージと、コンビニの商品券が同封されていたが、住所もメアドも記されていなかった。
   そのお客さま・岡村治子さんに、この場を借りてお礼を申し上げます。
   26年ものあいだ、わたしの大切な作品の写真をお預かりいただきましたこと、誠にありがとうございました。
   下が岡村さんからご返却いただいた写真です。
   大変なつかしい、ひさしぶりに見るわたしの作品です。
   記念に掲載させていただきました。

 1995年制作の「文明の砦」(1/80)。
本作は渋谷パルコでの拙展の折に展示したあと伊勢丹展でも展示したが、その翌年、1997年に開催した仙台展の会場で売れてしまい、いまはもうない。その後渋谷パルコの自分の教室で、これと似たような作品をもう一度つくったことがあったが、それもどこかで売れてしまった。いま見ても見劣りのしない作品であるが、それは、その後まったく進歩しなかったことの裏返しでもある。

「拙著: 1/80 消防署をつくる」

   いままで幾つこのボロい消防署をつくったことか。
   1996年に新宿伊勢丹で開催された「芳賀一洋作品展」に展示するためにつくったのが第一号だった。その後大作「ワンス・アポン・ア・タイム」における中心的建造物としてふたたびつくり、渋谷パルコの自分の教室でもつくり、自宅教室や、千石教室でもつくり、自由が丘教室でもつくった。自由が丘や、千石や、自宅では複数個つくった覚えがあるので、少なくても過去に10個以上は確実につくっている。最もつくり慣れた作品のひとつである。
   教室で取り上げて制作する場合は、逐一つくり方を説明しながら、少しずつ仕あげていくわけだが、毎回必ず1〜2名の欠席者がでる。すると後日「補講」と称して、彼らに、おんなじことをもういっぺん説明しなけりゃならず、それが、非常に面倒くさかった。そのため毎回教室のあと、その日に説明したことの内容を、できるだけ詳細に記したマニュアルを書くことにし、休んだ生徒氏らには補講をやらず、マニュアルを送って済ませることにした。当時はひとつの課題作に対して月二回の講座を実施していたので、マニュアルはどんどん溜まり、やがて分厚い束になった。
   本書は2009年、当時文京区の千石にあったわたしの教室で、三たび、(だか五たびだか)、このボロい消防署を取り上げて、つくり方教室を行った際に、わたしが書いたマニュアルの原本だ。全編ヘタクソな手書き文字で綴られ、図や写真も入っている。
   オールカラー・A5判・148頁で、値段は一冊7,480円(税込/送料別)。 お求めになりたい方がいらしたらご連絡ください。
   アマゾンでは売っていませんので。

ゆうさんという生徒がいる。ある日ぼくのスタジオで、彼と酒を飲んでいるときに、ひょいと手書きのマニュアルの束を見せた。すると彼はそれを異常に気に入り、このままのヘタクソ文字で本にしたらどうかというはなしになった。かくして、編集やデザインはすべてゆうさんがおこない、出来上がったのが本書である。ほとんど売れない本なので、値段が高いのはしょーがない。