やすらぎの刻(とき)~道

我が渋谷クラフト倶楽部がテレ朝系昼ドラマ「やすらぎの刻(とき)~道」の内装、美術に協力し、いくつかの作品を提供することになった。「刻(とき)~道」は、おととし制作され、やはり我がクラブが作品を提供した「やすらぎの郷(さと)」の完全なる続編で、役者も内装もまったく同じ状態の、そのつづきの物語である。したがって貸し出す作品も前回使ったのと同じものを準備した。

 遠藤大樹作品「コモリ時計店」(1/12) 一点
 遠藤大樹作品「ガソリンスタンド」(1/12) 一点
 杉山武司作品「赤いトタン屋根の家」(1/24) 一点
 井岸一臣作品「時計仕掛けのリストウォッチ」(ノースケール) 一点
 井岸一臣作品「時計仕掛けの万年筆」(ノースケール) 一点
 関根裕子作品「木造機関庫」(1/80) 一点
 はがいちよう作品「ベランダのムード」(1/12) 一点
 はがいちよう作品「THE KID」(1/12) 一点
 はがいちよう作品「ル・マタン・ブロン(白い朝)」(1/12) 一点
 はがいちよう作品「赤いテントのタマゴ屋」(1/12) 一点

 上の10作品とイーゼルや、各種付属品一式を先日局のトラックが回収していった。返却は1年後だそうだ。ちなみに番組の放送開始は本年4月で、終了が2020年3月とのこと。毎日放送され、かつ1年も続く連ドラなんて聞いたことがない。これに前作「やすらぎの郷」が加算されれば、間違いなくギネス級の超ロングドラマとなるだろう。「郷(さと)」「刻(とき)」ともに脚本はあの倉本聰である。
 この壮大な番組の美術担当者である荒川淳彦氏は、こうして、ときどき私の作品を使ってくれるので、いつも大感謝している。最初は2014年のキムタクの「HERO」で、そしてこの度のやすらぎシリーズでは2回も使ってくれた。その荒川さん、19日の午後10時から日テレでスタートする新番組「イノセンス冤罪弁護士」の美術も担当しているそうなので、よかったらこちらもぜひご覧になってください。

やすらぎへ出発する作品たち

2019年1月13日

年賀状

 デジタル時代を反映してか、このごろ紙の年賀状がめっきり減ってきた。しかしまだ送ってくださる方もいらっしゃるので、こっちも一応印刷した年賀状を毎年用意し、必ず返信している。
 下が今年の紙年賀の文面だ。
 あけましておめでとうございます。
 写真(下の写真)は昨年制作した「ル・アトリエ・デ・イチヨウ」という作品(1/12)です。つまりこれはわたしの作業場です。
 むかしと比べて作業時間はだいぶん減りましたが、わたしはいまも、こんな風な仕事場で、毎日なにかをつくっています。
 みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
 と、今年の場合は、上の文面になにかひとこと手書きで添えて、だいたい150枚ぐらい投函した。ここ数年、それら返信作業はかならず元日に行い、ほぼ夕方までかかる。そして夕方になると、新松戸に住んでいる妹夫婦がやってきて、加えてうちの子供達や、孫を含めた総勢9名での新年会がはじまる。と、まあ、だいたいどこのご家庭でも似たようなものだろう。別段なにも変わったことがないということが平和なんだと思う。
 晴天にも恵まれ、よいお正月でした。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年の年賀状の写真


2019年1月6日

良いお年を‥

 おととし、テレ朝系で放送された連続ドラマ「やすらぎの郷」のインテリア装飾品として拙作4点と我がクラブ員たちの作品7点が使われた。そして来年、シチュエーションは前作とまったくおなじで、その続編を放送するそうだ。したがって前回貸し出した作品とまったくおなじものを、新年早々に、再度貸し出しすることになっている。
 ちなみに続編は「やすらぎの刻(とき)」というタイトルで、もうすでに一部の撮影がはじまっているそうだ。そのためこの暮れは貸し出し予定の作品をいろいろと手直ししている。
 下の写真はそのうちのひとつ「ル・マタン・ブロン」(白い朝)という作品だが、ちよっと修理のつもりが、だんだんとエスカレートし、半分つくり直しのような様相を呈してしまった。この調子でいくと今年の除夜の鐘はこの泥沼の修理地獄(極楽か?)のなかで聴くことになりそうだ。
 みなさんどうか良いお年を‥。

「ル・マタン・ブロン」(1/12)


2018年12月29日

Hang(ハン)さんがやってきた

 台湾のHank Chengさんをご存知だろうか。フェイスブックで5000、インスタグラムで8万人のフォロワーを誇る、いま売り出し中の有名ミニチュアリストである。
 夏の北海道のショーで、ぼくの隣のテープルがHangさんだったが、彼の顔があまりにも怖かったので、そのときにはあんまり話をしなかった。そしたら今月になって、突然彼からメールがあり、月末に東京へ遊びに行くので、ぼくのギャラリーを是非見学したいという。いくら顔がこわいからと言って国際親善上断るわけにもいかず、おそるおそるOKした。
 そして22日の土曜日、羽田から直行でわたしのスタジオを訪れた彼は、とりあえずはギャラリーを見学し、教室を見学し、そのあとは、この日の生徒氏らと一緒に、例のお好み焼き屋・テケテケへと繰り出した。
 テケテケでの彼は決してこわいお兄さんではなく、イメージとはまったく違う生粋のベジタリアンだった。肉もイカもまったく口にせず、ただ野菜のみを食べ、流暢な日本語を笑顔でしゃべった。日本が大好きだという彼は、むかし4年間高円寺に住んでいたことがあるという。そんなHang氏のはなしを聞いているうちに、最初の怖さは徐々に消え失せ、いつの間にかわれわれは彼の大ファンになってしまった。
 Hangさん、もう怖くありませんので、また遊びに来てくださいね。
(彼の作品はHang Chengで検索すれば、山ほど見ることができます)

ぼくの隣の黒シャツがHangさん
Hangさんの隣は彼のガールフレンド


2018年12月24日

忘年会

 16日の夕刻、我々のクラブ「渋谷クラフト倶楽部」の忘年会が開かれた。
 会場は、このところずっと駒込の居酒屋だったが、たまには気分を変えようと、今回は池袋のもんじゃ焼の店「Na味」(なみ)に変更。
 https://www.google.co.jp/amp/s/s.tabelog.com/tokyo/A1305/A130501/13003939/top_amp/
 「Na味」は古くからの生徒イッシキさん(ノエカフェのオーナー)のご主人が経営している店で、彼女の次女もここで働いている。そしてその次女もうちの教室の生徒という、わたしにとっては誠に因縁深い店だ。そんなに広くはないスペースにぎゅーぎゅー詰めの42名が参加し、となりの人の尻が密着する中、鉄板の熱気に煽られて、アチチのもんじゃを頬張っているうちに大汗をかいてしまった。
 なんといってもサプライズは、あのシライシ・カズヨシさん(元生徒)が、車椅子姿ながら久しぶりに顔を見せてくれたこと。彼は一昨年脳溢血で倒れ、半身不随、寝たきりの身となったが、それから2年、過酷なリハビリーを経て、とうとう飲み会にまで姿を現したのだ。テーブルを挟んでわたしの目の前に座ったが、周囲の話し声に遮られ、あんまり会話できなかったことが、少し残念だった。

手前のVサイン氏がシライシさん


2018年12月18日

映画初出演

 大丸須磨展の準備に追われていた11/3日、拙作「靜(しず)の部屋」の所有者である「(株)ふゅーじょんぷろだくと」から電話があり、いま制作中の映画にワンカットだけ、この私に、出演してほしいという依頼があった。ちょうどその時は須磨会場での「靜の部屋」展示を計画中で、近々そのことをふゅーじょんさんにお願いに上がらねばならぬと思っていた矢先だった。そんなタイミングでの向こうからのご依頼である。内容にたじろいだものの、キッパリ断ることができず、つい、わかりましたと答えてしまった。
 撮影は3日後の11/6日(火)。午後3時。阿佐ヶ谷で。時代設定は明治後期。衣装は自前。ギャラなし。わたしの役は汽車の乗客だそうだ。
 ひゃ~、めんどくさい、電話を切ったあと、はじめてことの重大さに気がついた。そもそもわたしは着物を持っていない。ならば弟(義弟)に頼んでしまおうと画策していると、そこにひょっこりシブいおっさんが顔を出した。本郷にお住いの現役生徒フジシタ・ケンジさん(69歳)である。
 「フジシタさん、着物、持ってる?」
 わたしはすぐ彼にそう尋ねた。すると「持ってるよ…」と、言いながら、フジシタさんはスマホをかざし、着物姿の自撮り写真を見せ、ニヤッとした。「おお! これはいい!! フジシタさん、火曜日の午後にちょっとだけ映画に出てくれない? ぼくが責任を持って現場までお連れしますので‥」
 これでキマッタと思った。フジシタ氏はたのまれて雑誌のモデルをやったことがあるほどの熟年グッドルッキングである。
 ところが…
 「ダメ、ダメ、火曜日は、第九の合唱の練習がある日なの」
 「第九なんて、断りゃいいじゃん」
 「いや、ダメ、ダメ、」
 結局フジシタさんには断られ、義弟にも断られ、仕方なく愚生がはじめてムービーカメラの前に身を晒した。着物はフジシタさんからの借りものだ。着るのが超めんどうくさかった。おかげで須磨の会場には計画通り「靜の部屋」が並び、下の写真はフェイスブックで538いいねが付いた。

映画題名: ニッポニアニッポン
いつ公開されるか知りません


2018年12月9日

拙展は終了いたしました

 ご来場ありがとうございました。大丸須磨店で開催しておりました拙展は先日無事に終了いたしました。
 おかげさまで客足が絶えることはなく、終始盛況でしたので、今回の拙展は大ヒットだったと思います。このような催しを企画立案してくださった大丸百貨店のみなさまに御礼を申し上げます。
 閉幕が26日(月曜日)の午後5時で、それから撤収を開始し、午後7時には全ての作品と什器を「4トントラック・ワイド・ロング便」に積み込むことができました。そして翌27日(火曜日)の午後には、東京の私のスタジオ、&ギャラリー、&倉庫に、それら大量の荷を降ろし、翌28日(水曜日)は、朝から荷物のあと片付け。
 ご近所の方から
 「引越しですか?」
と、訊かれた。
 翌29日(木曜日)も、30日(金曜日)も、一日中脇目も振らず片付けをつづけた甲斐がありまして、土曜日(12/1)の夕方には、やっとのことで、自宅ギャラリーを、元どおりに修復することができました。
 従いまして「Gallery ICHIYOH」は、本日より、すでに通常営業に戻っておりますので、お近くにお出かけの節はぜひお立ち寄りください。
 最後になりましたが、26日の撤収作業をボランティアで手伝ってくださった、タニさん、山田みのるさん、チセさん、モリタトシアキさんの4名に心より感謝し、御礼を申し上げます。

最終日に会場で

2018年12月2日