スモールワールズへ行ってきた

 4月のはずだったオープンが、コロナ禍で6月にずれ込んでしまった「スモールワールズ」へ、おととい行ってきた。チケットはすべて予約制だ。一定の時間帯に客が密集しないよう配慮され、行けばすぐ入れるってわけじゃないのでめんどうくさい。入口での検温もしっかりやっていた。
 https://www.smallworlds.jp
 実はここがまだ工事中だった2月に一回見ているのでこれが2度目である。だいたいの内容はわかっていたのでそんなに驚きはしなかったが、はじめて来た人はきっとびっくりするだろう。8,000平米の広さにずらっとミニチュアの街並みが広がり、家々(ビルビル?)の窓には明かりが灯って、薄暗い会場にキラキラと輝いてみえる。この薄暗いってところがミソで「ギャラリーICHIYOH」にちと似ている。
 入り口を入ってすぐ、客はロケットの打ち上げに遭遇するが「あれ? このロケット台、確かまゆみちゃん(元生徒)が、2月つくっていたよな」などと思っていたら、そこにご本人が登場、彼女のうしろをナベちゃん(元生徒)が通り過ぎてゆく。まるで渋谷クラフト倶楽部の忘年会のようだ。
 ロケットから少し行くとブレードランナーっぽい街並みがあって、その制作者である亮さん(FBフレンド)がそこに居た。ほんの数分間彼とおしゃべりをしてから右へ進むと今度は飛行場だ。飛んで行く旅客機を眺めていたら金子辰也氏(友人)がやってきて久しぶりのご対面、彼は施設全体の設計者である。等々、等々、いろんな人と出会ったが、奥のエリアの担当者であるラルカちゃん(元生徒)とは、この日彼女がお休みだったせいで、会えなかった。
 でっかい装置に入って、愚生のボディーをオールスキャンし、3Dプリンターによって「いちようフィギュア」をつくってくれるという親切な申し出があり、スキャンしてきた。
 そのうちフィギュアが家に届くらしい。
 楽しみにしている。

スモールワールズにて。キツネのマスクを首からぶら下げているのは元人形作家の上野シゲユキさん。彼は常に時間的余裕があるので、こういうときにいつもご一緒している。

ふるってご入札を!!

   倉庫に小さなアートインボックスがいっぱいある。教室で教えるためにつくった簡単な作品ばっかりで、めったに展示することはないが、捨てるのももったいないのでとってある。
 「ヤフオクにでも出してみるか‥」
 コロナ騒動でヒマな小生は、ある日そう考えた。ただちに元生徒のフジイヒロミさんに電話していろいろとアドバイスをいただき、このたびめでたくヤフオクデビューを果たすことができた。
 ヒロミさんありがとう!!
 写真がその出品作だ。
 これを最初につくったのは1998年。ところが直後に開催された作品展で売れてしまい、その現場を目撃していた女性が「私もあれとおなじものを作りたい」とおっしゃったので、彼女はぼくの一日教室の生徒となり、確か一年半ぐらいは通ってきていた。そのときに、つくりかたを示すためのサンプルとしてつくったのが、この作品だ。
 10万円以上で売れればオンの字だが、せめてその半分でも‥と期待している。
 最初一万円から始まったオークション、これを書いている段階ではまだ27,500円の値段しかついていない。締め切りは6月23日22時22分。
 ——どうかふるってご入札を!!!
https://l.facebook.com/l.php?u=https%3A%2F%2Fpage.auctions.yahoo.co.jp%2Fjp%2Fauction%2Fh481141499%3Ffbclid%3DIwAR05M_ozTjFn0AiuIfE0Km08XhSOi61sOrO6yYDbzlXAvvhGAocMz9xtGHI&h=AT0aYFfXLzhJ0ZzF9dPD563aT7jaOdcr25bXjMllOEj8x8yiMlBoEkGuMWVeuuXO_5fpcDlU7jmlDL6XnDh1GIFPi9NfylJmjGLyK8TaR0VrV6qYTfHgyKsm8ToD5p7d_yxyHEYTSW-34toEYv0i-sQCpAg8Yq3hbvoYiRU

1999年制作
題名: サウンド・オブ・サイレンス
高さ450×幅230×奥行170mm
縮尺1/12

医療従事者よありがとう!!!

  2018年6月19日付けの当欄に「入院してました」という記事がある。ある日突然心臓に激痛が走り、それが日に数回あったので、あわてて病院に駆け込んだところ、即入院させられてしまったというはなしだ。
  そのときほどではないが、似たような痛みを、4月の下旬ごろから、ときどき胸に感じるようになり、これはヤバいと思ってはいた。しかし当時は(いまでもそうだが)できるだけ病院には近づきたくなという心理があってしばらく放っておいた。そしたらだんだんと痛む頻度と強度がエスカレートしてきて、もうそうなるとコロナどころじゃない。このままじゃ心臓が破裂しちゃうと思い、とうとう病院へ駆け込んだら、やっぱりまた入院だった。
  金曜日(11日)に入院し、さっき(13日の昼)退院してきた。
  今回も2018年のときとおんなじで心臓の血管に問題があり、一部の血管が極端に細くなって血流が悪化していたのだ。対応処置として当該箇所にはステントと呼ばれる金属のパイブ(太さ2.5ミリ長さ18ミリ)を埋め込んで無事修理(?)完了。
  おかげで当分死ぬことはなさそうだ。
  医療従事者のみなさんありがとう!!!!

病名は「不安定性狭心症」だそうだ。結果的にそれほどヤバくはなかった。しかし前回2018年のときは、やや心筋梗塞に近く(虚血性心臓疾患)、放っておいたらヤバかった、らしい。

棚の位置が少し変わりました

 しばらく自粛休業していた秋葉原のラジオ会館が6月1日から全館再オープンしています。当欄の読者ならご存知と思いますが、このビル6階のホビーショップ・イエローサブマリンの中に「はがいちようのミニチュアコレクション」というショーケース(通称:イエサブの棚)があり、ここに小さな作品や、海外で買い集めたミニチュアパーツなどがドッサリつまっています。(もちろん全品値段付きで‥)。
 おととい、再オープン後にはじめてようすを見にいったところ、な、なんとわたしのショーケースが、向かって右手の方向に、5メートルばかり移動しているではありませんか。休館中にスタッフが重いショーケースを、中身はまったくいじらずに、ソロ〜っと引きずって動かしたとのこと。
 おかげさまで以前よりは良い位置になり、嬉しい驚きでしたが、みなさんが現場に行って迷わないか、心配です。元の場所のすぐ近所ですので少しキョロキョロしてみてください。すぐに見つかると思いますので‥。
 どうぞよろしく。

イエサブの棚の前で。
以前このビルは外国人客(特に中国人)で常に大混雑していましたが、この日は閑散としていました。

わりといいでしょ?

 お陰さまで(?)例の宣言が解除されたこともあり、ギャラリー見物や、教室で習いたいとかの理由で、たまにはお客さんが見えるようになった。そして、はなしはいつのまにかコロナのこととなり
 「先生、机のまわりにビニールシートでも垂らしたらどうですか?」
 きのう来た客にそう言われた。
 「おお、それはいい!!!」
 突然落雷にでも打たれたようにビクッと反応し、さっそくハンズに走り、材料を調達して、本日たったの1日で「感染防止ビニールバリア付き超絶(?)いちようデスク」が完成した。
 *塩化ビニール0.25t×3メートル—-4,356円
 *ナイロンバネクリップ8個—–2,446円
 *ホワイトウッド18×40×2000mm×4本——-¥1,311円
 しめて8,113円。
 ——–わりといいでしょ?

むかしの蚊帳(カヤ)に入っているみたいで、なかなか落ち着く。いまのところ気分は悪くない。

白いダノンをリフォームしました

 むかしつくった作品をいま見ると、気に入らない箇所ばっかりが目につき、無性に直したくなる。ふだんはぐっとこらえているが、こんな時期なので、思い切って「白いダノン」(アートインボックス作品1/12)をリフォームした。
 本作を制作した1997年ごろは、壁掛け式という用途を満たすため、アートインボックス作品はできるだけ薄くつくるよう心がけていた。当時の作品はどれも厚さ130ミリ(舗道部分を含めて)しかない。したがって店の中が覗かれぬよう、どの作品もウィンドウにはブラインドが下がっている。ところが本作はブラインドの隙間からけっこう内部が見えていて、まず第一にそこが気に入らなかった。
 よって今回は、内部に奥行き感をもたらすため、店の裏側をうしろに7センチ出っ張らせ、店内を増床した。おかげでブラインドのスキマから覗いた景色がだいぶんよくなった。ついでに二階の窓の内部も増床し室内に電灯を点けた。そのためカーテンがほんのりピンク色に輝いて見える。(下の写真)。
 前回言及した「緑色のダノン」も数年前に店内を増床している。「錠前屋のルネ」も「炭酸入りのレモネード」も、その他いくつかのふるい作品はヒマなときに増床し、みんな一軍に上がった。ところが本作の場合は、肝心かなめの絵(店頭の絵)がダメなのでまだまだ二軍だ。そのうちコロナの第二波でもくれば、そのときには絵も直してあげたい。

リフォーム後の写真「白いダノン」。
正式題名「ル・マタン・ブロン(白い朝)」

DANONE(ダノン)三部作

 ショーウィンドウに食品メーカー「DANONE」のプレートがあるアートインボックスを、過去に3種類つくっている。看板には、BEURRE(バター)、OEFS(卵)、FROMAGES(チーズ)の文字がならんでいる。そこまでは3作おんなじ。だがそれぞれの作品によって店の色が違う。最初につくったのが黄色い店で、次は緑、その次は白だった。アイデアが枯渇したとき、そうして色違いの作品をつくって点数を稼いできた。
 新宿伊勢丹の小冊子、1996年の12月号に、最初につくった黄色い店(黄色いダノン)が載っている。これががすぐに売れ、直後に手がけたのが緑のダノンだ。緑もなかなかの人気で「DANONE 1944年夏」というタイトルをつけて、おなじものを過去に4点つくった。3点は売れ、最後の4作目を、現在自宅ギャラリーに展示している。
 黄色の初作と緑の初作はともに1996年に制作し、両方伊勢丹で売れた。
 これに味をしめて翌1997年に、ほとんどおなじアイデアの、今度は白いダノンをつくった。ところがこれがうんざりするほどの駄作で、実はずーっと隠してきた。ところが2年前、「やすらぎの郷」なるTVドラマの撮影に4〜5点貸してほしいといわれ、わたしは「二軍でよければ」と答えた。貸し出し期間が超ロングわたるため一軍に去られてはちと困るのだ。そこである日、二軍ばっかりを集めて担当者に見てもらった。すると彼は出場者のひとりに白いダノンを選んだ。
 「ひゃ〜、こんなものがテレビに映るのはたまらん!!」
 恥ずかしさのあまり貸し出す直前にあわてて小リフォームを施した。
 直されて少しはマシになった作品たちは、そのあと長いお勤めに出て、ことしの一月に全員そろって戻ってきた。しかし彼らの顔をマトモに見る間もなくこのコロナ騒動である。
 一方こちらはにわかにヒマになり、もういっぺん白いダノンに手をかけて、さらにマトモな姿に直したいと、ついに作品の蓋をあけてしまった。
 以下次号——。

緑のダノン。正式題名「 DANONE 1944年夏」。1944年春にノルマンジー上陸作戦があり、夏にパリが解放された。したがって題名は「解放された夏」とでもいう意味。