「トキワ荘の時代」

  1995年に公開された「トキワ荘の青春」(監督:市川準)という映画がある。20年前に最初のトキワ荘をつくったとき資料としてDVDを渡され10回以上みたが、何回みても見飽きることのない素晴らしい作品だった。
  その映画がいま、初公開から25年のときを経て、デジタルリマスター版に修復され、全国の映画館でリバイバル上映されている。わがねじ式チームのボスが営む「モーク阿佐ヶ谷」でも先月上映されていたので、わたしの教室からも数名が見に行き、大感動した旨をSNSに綴っていた。また9/15日にはブルーレイディスクも発売されるそうで、こちらの映画がいま静かなブームになっていることは間違いなさそうだ。
  そしてこの映画のヒントになった「トキワ荘の時代」という本がある。
  梶井純というマンガ史研究家が、当時のトキワ荘の様子を克明に調べ、マンガ家ひとりひとりの心のヒダまでを丹念に読み解いたトキワ荘ファン必携のドキュメンタリー本である。1993年に初版が発行されたが、その後いつしか絶版となり、忘れ去られていた。しかし去年、トキワ荘ブームの追い風を受けて、27年ぶりにリバイバル出版されることになった。
  その2ヶ月前。
「小社の刊行物の表紙に芳賀さまの作品の写真を使用させて頂きたく、お願い方々ご連絡させていただきました」
 というたいへん丁寧なメールが筑摩書房から届いた。再出版するにあたって表紙のデザインを一新することになり、拙作に白羽の矢が立った。そして2020年2月に、めでたく写真のような本が出来あがった。表紙は拙作トキワ荘より石ノ森章太郎の部屋が使われている。ページをめくるとたちまち昭和の時代がよみがえり、そこであなたはトキワ荘のテラさんと会うことができる。素晴らしい本である。映画に感動したら是非こちらの本もお読みになってください。もちろんアマゾンで買えます。(なお本書については2020/2/7日付けの当欄にも記事があります)。

表紙の写真は宮城県石巻市の「石ノ森萬画館」に展示中のトキワ荘より「石ノ森章太郎の部屋」。撮影SATOFOTO。縮尺1/15。奥のふすま絵は水野英子先生がお描きになり、書籍はままやさんがつくり、電気スタンドは佐野さん、右手の火鉢はサブローさんなど、いろいろな方々の協力を得て制作された。2001年制作。

「スカルファー作品修理完了」

 前々回ちらっと書いた故デビッド・スカルファー氏の作品修理(タマ切れ電球の交換)は、予想したとおり、カンタンな仕事ではなかった。
 今回二作品お預かりし、タマ切れはぜんぶで9箇所あった。
 クルクルっと回して切れたタマを取り外し、新品と入れ替えるだけのことだが、なにしろ手がまったく入らない箇所での交換である。ときには作品をバラしなから、悪くいえばぶっ壊しながら取り組むしかなく、非常に神経をつかう仕事だった。また、街灯のような照明の場合、まずは四角い街灯カバーを外さぬと電球がとりだせないのだが、つくってからの年月がたった作品ゆえ、まったくカバーが外れない。仕方がないので街灯の真裏に小さな穴を開け、極小のLED照明をその穴に突っ込み、切れた電球の裏側から光らせた、等々、等々、臨機応変にそんなことをやりながら、最終的にはぜんぶの明かりを灯すことができた。
 ちなみにスカルファー氏の娘Hanaさん=この作品の所有者=からは、どんな風に電球を取り替えるのかひと目見たいというご要望があり、作品を引き取りに見えた日に、ひとつの作品を分解し、試しに一個のタマ切れ電球を、交換して見せてあげた。(下の写真)。いつか自分の手でも直せるようになりたいという一心から、そんなことを言い出したのだろう。そのときのためのミニチュア電球のタマを、彼女は自分でちゃんと持っていた。
 下の写真のあとHanaさんは修理済みの作品2点を車に積んで、自宅のある国分寺へと引き上げて行った。

上はスカルファー氏の作品(修理済み)。
フェイスブックフレンドの佐藤與市さんによると、デビッド・スカルファー氏は1932年イギリスに生まれ、舞台装置家としてロイヤル・オペラハウスなどで活躍、このとき実舞台の検証用にミニチュアの舞台をたくさんつくったそうだ。そののち彼はオランダのアムステルダムで、今度は本格的にミニチュア作品をつくりはじめた。没年についてはよくわからぬが、2010年ごろと推定される。

「クラフト本第二弾!」

「一冊も売れないんじゃないの‥」
 担当者にはそう告げ、以前ここで「消防署をつくる」(ミクロコスモス刊)という拙著を宣伝したことがあった。(6/26日付け当欄)。ところがギッチョン、掲載した直後に、な、なんと3冊!もの注文がはいり、その後は奪い合いの様相を呈している(ウソです)。
「めちゃくちゃよかったです!」
「ぜひシリーズ化してほしい!!」
「次は『午後の鹿骨』をお願いいたします!!!」
 などという読者からの熱い感想文までもが届き(これは本当です)気を良くした担当者は蛮勇をふるい、とうとうやっちゃいました。ババーン!!! だ、だ、第二弾は、「午後の鹿骨」だぁ〜っ★!(◎_◎;)。
 内容は、以前紹介した消防署本とほとんどおんなじだが、ハンドライティングの下手さにおいては本書がはるかに勝る。解説における説明図の幼稚性や、全体にみなぎる脱力感なども、明らかに本書が上だ。しかもこちらは全編モノクロで印刷され、あえて粗雑な紙をもちいて製本するなど、随所に光るチープな演出が冴えて、まるで終戦直後に発行された出版物を紐解くような、究極の貧しさが味わえる。それでいて値段は一冊たったの5000円(消費税込/送料別)。朗報である。購入希望者はただちに連絡をください。
 何冊あるか知りませんが、早い者勝ちです。

芳賀一洋著「1/80午後の鹿骨」。
全150ページ。A4版。格調高い毛筆体による惚れ惚れするような表紙のデザインにシビれ、思わずページをめくりたくなるだろう。微に入り細に渡っての説明に加えて工作用図面が実物大で収録されるなど、これからつくろうというひとにとっては、またとない手引書となるであろう。

「デビッド・スカルファーの作品」

  2005年ごろ惜しくもお亡くなりになった、デビッド・スカルファー(David Sculpher)というミニチュア作家(イギリス人)をご存知だろうか。この春横浜で開催された「灯りの魔法」と題するドールハウス展では氏の作品がメインに展示されていた。
  そのデビッド氏の娘であるハナ(Hana Sculpher)さんから先月メールが届いた。
「父の作品の電球の球が切れてしまい困っています。直せるひとを紹介していただきたいのですが‥‥」
  と、いわれても、デビッド氏の作品は、なにしろ「灯りの魔法」といわれるほど沢山の電球で彩られている。誰を紹介したらよいか、わからなかった。
  そんなひと知りませんと断ってしまえば良いものを
「どんな電球が切れたのか、写真を撮って送っていただけますか」
  などと返信しているうちにだんだんと深みにハマってしまい、とうとうおとといの晩、ミニチュア電球のタマ数十個と道具一式を車に積んで、ハナさんの住んでいる国分寺まで出かけることになった。首尾よくその場で直せたらラッキーだが、最悪の場合、作品を持ち帰って修理しようという、月光仮面的な(?)心意気である。
  ま、そういうわけで、いまわたしの横には、たいへん貴重なデビッドさんの作品が2点置いてある。かんたんに引き受けてしまったが、これは非常にむずかしい仕事になりそうだ。来月末までには直してさしあげると約束したものの、はたして大丈夫か、少し心配になってきた。
  写真の中央が作品で左がハナさん。
  (当日ご同行いただいたK氏に御礼を申し上げます。)

もう10年以上も前のこと、あるドールハウスショーの会場で、デビット・スカルファーさんのご子息であるダンカン・スカルファーというひとから声をかけられた。なんとダンカンさんは拙作のファンで、東京に住んでいるという。このたびメールをくださったのはその妹さんだと思う。なんでスカルファー兄弟が日本に住んでいるのかわからぬが、とにかくハナさんはいま、国分寺で「ライトハウス」という洋風居酒屋(上の写真)を営んでいる。

怖がってます

 8日に豊島区の広報テレビ「としま情報スクエアー」に生出演いたします。この日はオリンピックの最終日に当たってますが、よかったら「としまテレビ」のほうもご覧になってください。

 *出演番組:「としま情報スクエアー」(20分番組)
 *放送日: 2021年8月8日(日)午前11:00〜11:20
 *出演コーナー:「立体作家はがいちようが語るトキワ荘のオマージュ」

 担当者からいただいたメールによりますと、
「プライベートギャラリーでのVTR(撮影済み)を見ながら、芳賀作品の魅力を紹介し、本編で、トキワ荘の制作秘話を語っていただくという流れにしたいと思っております。女性MCがお相手し、彼女の質問に答えていくスタイルになります。進行台本が出来あがりましたらお送りいたしますので、よろしくお願いいたします——。」
 だ、そうです。
【放送チャンネル】地上111ch(リモコン11ch)です。
 https://www.city.toshima.lg.jp/011/kuse/koho/channel/index.html
 テレビ生出演なんて何年ぶりだろう。
 ———かなり怖がってます。

写真は「トキワ荘」(1/15)です。
最近になって、なんだかトキワ荘がらみのはなしが多いですね。むかし書いたトキワ荘本の校正も、いまちょうどやっているところなので、そのうち本の紹介も‥。

東京オリンピック

 昭和39年の東京オリンピックのときは16歳だった。はるかむかしのことながら少しは覚えている。
 はじまりは工事だった。来る日も来る日も工事がつづき、東京中どこもかしこも工事現場だった。そんなことが3〜4年つづいた。おなじころ三波春夫の「東京五輪音頭」が町じゅうに流れていた。テレビラジオは無論のこと、盆踊りの会場や小中学校の校庭や、パチンコ屋や、八百屋の軒先からも常にこの歌が聞こえた。
 その反面、事前の宣伝報道はあんまり多くなかったように思う。今回とおんなじで、はじまる前はあんまり盛り上がっていなかったのだ。
 では、はじまってからはどうだったか。
 途中までは割と低調だった。
 突然のフィーバーに変わったのは、最終日かその前日あたりのアベベのマラソンと、決定的だったのは女子バレーボールの決勝戦だ。我が家でもテレビにかじりついてこの一戦を見守った。この日を境にして、東京オリンピックが大成功を収めたイベントとして認識されるようになったんだと思う。閉幕後には洪水のようにオリンピック関連番組が放送された。
 何日目だったか忘れたが、当時ぼくは代々木の旧国立競技場まで女子の陸上競技を見にいった。薄暗い裏通路をしばらく歩いてから、一歩スタジアムに足を踏み入れたとたん、いきなり太陽がカーッと襲ってきて、風邪で帽子が吹っ飛ばされたことを覚えている。席は聖火台の近くだったので、風に煽られた聖火が発する、ババッ、ババッという音が、ときどき聞こえた。
 それから57年、批判の嵐の中ではじまった今大会だが、ステイホームも手伝ってか、予想以上の盛り上がりを見せている。
 ——写真は16歳のとき。

陸上の切符は、クジに当たったので持っていた。誰と行ったのかは思い出せない。しかし女子陸上300メートル障害レーススタート直前に、依田郁子選手がおこなった奇行、逆立ちや、宙返りを、ちゃんとこの目で見ている。彼女はそれから30年後の1983年に、わずか45歳の若さで、なぜか自らの命を絶っている。

ひび割れの壁

 下の写真は「デカルト通り48番地」という作品の壁(1/12)である。
 二年ほど前に、この作品の制作教室をはじめたが、自粛自粛ばっかりで、まだ10回も開催していない。それでも作品はそれなりに進んでいて、最初にこの大きな壁をつくり、次は正面の店舗ファサード、そして歩道や、雨といなど、もう半分ちかくが出来上がっている。そんなグループに、今ごろのんきに、途中から参加したいという御仁があらわれた。
 となると、ほかのみんなとの歩調をあわせるために、何回かの補講を受けてもらう必要がある。忙しいときなら困ったが、なにしろこちとらコロナヒマ。お受けすることにした。
 かくして御仁に対して、もう一回壁からはじめることなったが、それを聞きつけたこのグループのひとりの生徒嬢が「わたしも見たい!」と駆けつけ、けっきょくお二人に対して、壁のつくり方を、もういっぺん最初からご説明することになった。当該作品の成否は、なんといってもこのひび割れの壁にかかっている。
 要はベニヤ壁の上に二重にパテを塗り、あとから塗ったパテに自然なひび割れを発生させるのだが、それには最初のパテが100パーセント固まってしまう直前の段階で2層目のパテを塗る必要があり、これがなかなかむずかしい。少しでもタイミングがズレるとヒビはまったく発生せず、せっかくつくった壁がパーになる。だからわたしは小さなサンプル片で二重パテ塗りの予行演習を何度も繰り返し、この日の本番に備えた。
 さて、そうして出来上がった「ひび割れの壁」ではあるが、お二人への補講/説明が終わった今はもう無用の長物だ。どなたかほしい方がいらっしゃれば1万円(税込/送料別)でお譲りしますのでご連絡をください。おひとりさま限り。先着順です。

19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したウジェーヌ・アッジェという写真家がいる。甲板式写真機の時代だった。彼は重たい機材一式を担いでパリの街角に出かけては毎日写真を撮った。それらの写真のすべてに撮った場所の地番が記されている。この作品はアッジェが「デカルト通り48番地」と記した写真を参考にして制作している。