腰のマッサージを受けるため、調布の「多摩川住宅」と呼ばれる古い団地まで、月に1〜2回通っている。そこにマッサージの先生が住んでいて、先生のご自宅である団地の一室で施術を受ける。
行くのはいつも夕方で、夕暮れの甲州街道をしばらく下ってから、布田のあたりで左折。ほどなく京王線のガードをくぐり、更に7〜8分走ると、突然ガラッとあたりの空気が変わる。どこかからトトロが現れても不思議ではないような静かな一角にたどり着く。そこが多摩川住宅だ。木立が多く、人影がまばらで、歩道は必要最小限度の街灯で照らされ、物音がしない。わたしにとって今や馴染みの場所である。
実はその場所がマンガ家つげ義春ゆかりの地だったことを、今回つげ展のパンフレットで知り、非常に驚いた。
つげ氏が41歳のとき、家族3人で、念願の多摩川住宅に入居。代表作「石を売る」や「鳥師」を発表して、作品の中に団地の情景を描き込んだ。また「つげ義春日記」では団地での暮らしぶりを文字で綴っている。ちなみにさっき述べた京王線のガードも「散歩の日々」という作品の中に描かれている。(以上パンフレットより)。
—–いやあ驚いた。
以前ある方からの依頼で、つげ作品を映画化するため、立体作品としての背景を数点つくったことがあった。山野会長が機関車を、ゆうさんが鍍金工場を、ウエノ氏が髑髏を、クラバヤシ氏がボートを、テシバ氏が飛行機を、そしてわたしがちょっとした「天狗の壁」をつくった。そのため当時は目をさらのようにしてつげマンガを見つめた。また自分の作品「青春の北池袋」における卓袱台の上には、ちゃっかりつげ原稿(コピー)をディスプレーするほどの、わたしは大のつげファンである。だから先生が調布に住んでいることぐらいは知っていた。しかしまさか多摩川住宅だったとは。
マッサージの先生(74歳)は、最初っからそこに住んでいるとおっしゃったので、もしかしたらつげ氏のことをご存知かも。
こんど行ったら聞いてみよう…。