かわいそうな舟ちゃん

 4月3日、通りのはす向いに「舟ちゃん」という居酒屋がオープンした。志村けんが飲み屋で感染しコロナで亡くなってからいくらも経たないころで、最悪のタイミングだ。
 その居酒屋は、以前は焼き肉屋「ビッグワン」だった所にあり、人通りはほとんどない。それでもビッグワンの時代にはママの愛嬌に支えられ、近所の家族連れで常に賑わっていた。放課後によく出かけたので知っている読者も多いだろう。ところがある日ママがマスター(旦那)と喧嘩して店を出て行ってしまい、以後客足が途絶え、まもなくつぶれた。(当欄2013年11月23日付けの「近況②」に「馬鹿なマスター」と題する記事があります)。ビッグワンが去ったあと、おなじ場所に別の焼き肉屋がオープンしたがこの店もすぐにつぶれ、それ以降このへんには店がなくなってしまい、非常に困っていた。そしたらである。今年の正月に、ビッグワンの店跡に張り紙を発見。「品川の店をたたんで、4月の初旬に、この場所で新しく居酒屋をオープンします。どうぞよろしく。舟ちゃん。」と書いてあった。
 「うわっ! やっと近くに店ができる!!!」
 一番よろこんだのは多分ぼくだろう。
 それなのに、それなのに、このままじゃきっと舟ちゃんはつぶれてしまう。
 1月に外装を、2月に内装をいじっていた舟ちゃん。3月には大方の準備が済んで、予告通り4月に店を開けたんだろうが、いつ見ても客がまったくいない。それでも舟ちゃんは毎日店を開けつづけている。はやくみんなで出かけて行って焼酎の一杯も飲んであげたいが、いまはこっちの教室も自粛中、ああ舟ちゃん、かわいそうでしょうがない。

昼ごろ開店し7時に閉店。密閉にならぬためだろう、常に入り口の扉を開けている。
ふたたびまた飲み屋に客が訪れる日がくるのだろうか。

風呂屋をリペアーしました

   当ホームページ「Works」のセクションを改造し、作品ごとに、まとまった量の写真を鑑賞していただけるよう、ただいま写真の整理整頓にはげんでいる——-と、以前ここに書いた。
   それにしても写真の量がハンパじゃなく、砂山で一粒の砂を探すがごとき地道な作業がいまもつづいている。それでも、どうしてもよい写真がみつからなかった場合は仕方がない。倉庫(荒川区)まで出かけて行って、作品を回収して撮り直すしかない。背丈を越える作品の山(木箱の山)の中から一点を見つけだし、スタジオに運び、木箱のフタをあける。そうしてめでたく写真が撮れればよい。だがどこかが壊れていたりすると面倒だ。例えば歩道に塗ったパテの皮膜が剥がれていたり、ペランダの手すりが曲がっているなど、よくある。だが根本的欠陥がある作品だったりすると修理のしようがなく、撮影ができない。そんなときには思い切って直すのだ。といってもできるだけ大改造にはならぬよう、極力最小限の処置で、可能な限り写真映えのする作品に直す。
 砂山での写真さがしがいつのまにか作品のオーバーホールへと発展し、かくしてステイホームの日々は、倉庫への行ったり来たりや、ステイマイスタジオでの直しの思案に明け暮れて、サラサラと静かに過ぎていく。
   下はリフォーム後に撮った一枚。最初は内部がまっ暗で奥行き感がほとんど感じられなかったが、そこにランプシェード一個とLEDライト3個を取り付け、更に作品の裏側2か所に窓を開けた。これらの処置によってそれまで暗かった内部が、だいぶん明るくなった。

1999年制作の「BAINS/2月のパリ」(1/12)
BAIN(発音バン)は浴槽の意。Sは複数形。風呂屋(銭湯)である。

人が来た!

 22日の午後、今月はじめて来客があった。その客才谷遼氏は、本当は10日に訪れる予定だったが、その直前に小生が発熱してしまいこれがドタキャンになっていた。それから10日ほどがたったころ、体調が良ければ是非お会いしたいという再度の連絡があったので、それならばとおいでいただくことになった。当日は部屋をキレイに掃除して、余分な箱やガラクタを片づけて、できるだけ互いの距離が保てるように椅子をならべ、消毒用アルコールを用意した。
 才谷さんは中堅出版社の名物社長で、同時にラピタ阿佐ヶ谷のオーナーであり、なおかつ映画監督である。コロナごときにビビったりするキャラではない。当日はノーマスク、ユージング山の手線で、二人の若手社員を従えて堂々とわがボロスタジオに入ってきた。天気の良い日だったので部屋の扉は開けっ放しだ。
 最初は一同行儀よく一定の距離を保って座っていたが、そのうちはなしが盛り上がると、いつしか才谷氏は椅子から立ち上がり、わたしの目の前でじゃんじゃんしゃべった。で、しゃべったことの内容は「とりあえず㊙︎です」とのことなので今ここではお伝えできない。しかしこの一ヶ月、だれかと会ってなにかをしゃべるなんてことはまったくなかっただけに、なんとも記憶に残る、特殊な一日となった。
 ちなみにであるが、小生は9日の午後から夜にかけて37.2度の微熱が出たが、パブロンといいちことマイスリーを一緒にまぜて飲んで寝たところ、翌日は平熱に戻り、以後きょうまでなんの異変もない。
 なおPCR検査は受けていません。

左が才谷さん。
キョリが微妙であるが‥。
机の上、手前にあるのはアルコール消毒液。

家で工作をするのが一番

 前回の文末に「こんなときには家でのんびり工作をするのが一番」と書いた。うちの教室の生徒のみなさんも多分そう思っていることだろう。しかし東急ハンズや世界堂、ラジオ会館やさかつうギャラリーなど、工作にまつわる馴染みの店が続々と自粛休業をはじめてしまい、材料の調達にはけっこう苦労していると聞いた。
 まあたいがいのものはネットで買えると思うが、イエサブのぼくの棚(ラジオ会館)にならべてあった「教室で使う部品」や、オイルステインや、パテの粉、1ミリ厚のシナベニヤなど、どこで買ったらよいかわからないようなものもいろいろあるハズだ。そういうことでお困りなら遠慮なく連絡をください。上記の品目以外にも、各種の部品材料道具の類はあるていどの余分を持っていますので、アベノマスクよりも迅速にお届けすることができます。さいわい運送と郵便は止まっていません。こんなときですので、せいぜいみなさんのお役に立ちたいと考えています。工作上の質問等もどしどしお寄せください。

「さかつう」は現在休業中だが「エコーモデル」はいまのところ通常営業をしています。

緊急事態宣言

 志村けんが亡くなったあたりからわれわれの意識が変わったと思う。東京都の感染者数がうなぎのぼりに増えはじめ、若者の感染も激増した。そこへもってきて慶應病院での院内感染のニュースが覆いかぶさり、ひたひたと迫りくる恐怖がいやおうなしに高まってきたタイミングでの緊急事態宣言の発令だった。遅すぎたという論調が多いが、わたしはグッドタイミングだったと思っている。
 もっと早い時期だったら、どれだけの人が真剣に受け止めただろうか、発令後もズルズルと感染の輪が広がって行ったような気がする。なにしろ強制力を伴わない宣言である。人々が真っ青になって、おびえていていればいるほど「不要な外出はするな!」という言葉の自覚力が高まる。まさにそのタイミングでの発令だった。
 かかる事態を受けて、4月に開催予定だった工作教室はすべて自粛することにいたします。緊急事態の終了後、つまり5月7日以降の講座につきましては、そのときの状況を見て改めてお伝えします。
 こんなときは家でのんびり工作をするのが一番。
 余裕の工作ライフを楽しんでください。

わざわざ新聞屋まで行って写真を撮りました。
(我が家は「毎日」ではありません)

余裕の日々

 毎年4月には米シカゴで大規模なミニチュアショーが開催されるため、いつもこの月にはほとんど教室の予定を入れていない。加えていくつかの教室が自粛中のため、わたしの余裕ライフ(暇ライフ)は、この月になっても、依然として続いている。
 47歳のとき、アパレル系の商売をやめて最後の店をたたんだとき、からだ中の血管から酸素の泡ががふわ〜っと湧き上がってくるような、爽快な安堵感に満たされた。しばらくのあいだ何もしなくてもよいという自由も嬉しかった。しかしそのあとの24年間、すきなことをやっているとはいうものの、常に時間に追われていた。刻々と納期が迫るなか、寝る間をおしんで作品を仕上げ、常に教室の準備に追われ、催事、催事と、あちこちの催事場をかけめぐっていた。ほとんど休んだことのない24年間だった。
 それがこのコロナ騒動のおかげで、ほんとうにゆっくりとした日々を、久しぶりに満喫している。外出するなと言われても家でやることは山ほどあり、まったく退屈しない。前回、写真の整理をしているとお伝えしたが、そればっかりではアキるので、今週は「東屋」(1/12)の店内を組み立ててみた。(下の写真)。おとといフェイスブックに掲載したところ、すでに500越えのいいねがついている。
 余裕ライフはまだまだ当分つづくことになりそうだ。

写真は自由が丘教室の制作課題である「東屋」の一部。

泥沼に足を踏み入れる

   当ホームページ「Works(作品写真集)」のセクションを、もっと見やすくするために、なんらかの改造をしたいと、以前から考えている。セクション全体を一旦整理して、新たなデザインで、作品ごとにまとまった量の写真を見られるようにしたい。そのためには写真を選びなおさねばならぬが、写真の量がハンパじゃない。どれを使ってどれを捨てるか、どんな順序で並べるか、等々、一旦手をつけたら泥沼だ。
 以前写真集を出したとき、毎日パソコンにかじりついての写真えらびが祟(たた)って、ついにはまったく背骨が立たなくなってしまい(つまり曲がったまま)ストレッチャーで近所の整体治療院に担ぎ込まれたことがあった。
 ついそんな記憶がよみがえり非常に気が重いが、外出自粛じゃしょーがない。きのうから、その泥沼に足を踏み入れた。いつ抜けられるかわからんが、今年中にはなんとか脱出したいものである。
 なおWorksの改造は、すべての写真データの蓄積が完了したときに、一気にドカーンとやってしまう予定。
 まだ先のはなしだが、乞うご期待を!

まずは「錠前屋のルネはレジスタンスの仲間」から。