不思議な部屋

 このあいだアパートの二階から火が出たとき、駆けつけた消防隊員は真っ先にすべての部屋のドアを開けた。カギがかかっていた部屋はぶっ壊してでも開け、逃げ遅れたひとがいないかを調べた。
 写真は、そうして開けられてしまったドアーのひとつ。
 ここは一階なので、さいわい炎はまわっていない。
 この一室の住人であるMさんは26歳で沖縄から上京し、すぐにこの部屋に入居した、知的でもの静かな青年だった。それから30猶予年。彼はずっとここに住み、いつしかこのぼろアパートの壁や柱と同化してしまったかのような、目立たぬ存在となった。しかし、どういうわけか年々ゴミを溜め込み、そのため最近ではゴミと天井とのちょっとした隙間で暮らしていたらしい。そして廊下に人がいないのを見計らって、こっそりとドアを開け、ひょいと飛び降りるようにして外出していたそうである。そうやって部屋から出てくるMさんと、ばったり出くわしたことがあるというむかいの部屋の住人は
 「そりゃあ、最初はびっくりしましたよ、でもそのうち慣れちゃいました」
 と言って、ワッハッハッハーッ、と豪快に笑った。
 だがどうやって部屋に入るのか、よくわからない。もしかしたらキャタツのようなものを使ったのか。
 不思議な部屋である。

驚きの表情を浮かべる隣の部屋の住人


2010年8月13日

森さんの作品

 自由が丘教室の森加代子という生徒さんが、ぼくの工房へやってきたときのことである。結束という別の生徒から彼女の作品について聞いていたぼくは、かる~くこう尋ねた。
 「結束ちゃんから聞いたんだけど、森さんの作品って、すごいんだって?」
 すると森さんは
 「アッチャー! チクッタのか! あいつめ!」
 と、うめいて、自分のあたまをパーンと手で叩いた。
 「作品の写真、見せてよ…」
 と言うと、イヤイヤでもするように身をよじり、どうも、かくしたいようだった。だが、かくされると、ますます見たくなるのが人情である。この日森さんと一緒に来ていたふたりの生徒らが、わー!見たい!見たい!と声をあげた。
 それで仕方なくしぶしぶ彼女はカバンの中から下の写真を取りだし、見せてくれた。
 見たとたん、ぼくを含めた計3名が「おー!スゴイ!」と一斉に叫んだものだから、もうたいへん。森さんは一躍スターのようになっちまったのである。ブログもあるっちうこつやけん、開いてみよるに、そきゃーにも、またぎょーうさんの写真が。
 ——森さん、なんしてそないに、かくすんじゃい?
 森ブログ:http://mucha7.exblog.jp/

森加代子作:靴屋
縮尺:1/12


2010年8月7日

コーヒーブレイクに

 先月ここでアジェの写真集を紹介した。それはドイツのタッシェン社から出版されたものだった。そのタッシェン社から、こないだぼく宛にタッシェンのカタログ本がとどいた。
 ひょんなことからその会社の社員がこのブログを見て、アジェが取り上げられていることを知り、とても喜んでいるそうだ。そのことを加藤裕一という生徒が知らせてくれ、社員氏から預かったというメッセージとともに、なんともゴージャスなカタログ本3冊を、わざわざ家まで届けてくれた。この暑いさなかにである。
 ——タッシェン社の社員氏と加藤裕一氏に御礼を申し上げます。
 その加藤氏には山桁丈三という別の名前がある。
 その名を名乗り、もっぱら熟年オタクらのアクティビティーやその集いにスポットをあててレポートし、現在彼が所属している倶楽部のホームページに紹介するという、裏の仕事をやっている。
 そういうわけで、加藤氏がカタログ本を届けてくれた日には、同時に彼は、ぼくのおんぼろ工房でパチパチいっぱい写真を撮って帰った。そして、それらの写真が下記ホームページ、「コーヒーブレイク」というセクションに、すでにアップされている(7月24日付)。
 まことに地味な内容ではありますが、御用とお急ぎでない方は、あとでちらっと覗いてやっておくんなせえ。
 http://www.ne.jp/asahi/tsmc/net/

タッシェン社のカタログ本


2010年8月1日

近況①「鉄道物語」

 ひさしぶりにきょうは近況報告三本立てだ。
 三本とも拙作にかんする掲載誌の紹介である。
 最初は「Railway Art 鉄道物語」という鉄道写真満載の写真集のこと。この写真集の第二部に、鉄道絵画や模型作品も掲載されていて、そこに拙作「真岡駅」が紹介されている。
 まことに素晴らしい写真集である。ちょっと高いが(定価3000円)てっちゃんたちには絶対おすすめの一冊、しびれるような写真がいっぱい載っている。

「Railway Art 鉄道物語」より
発売:㈱ARTBOX

近況②「月刊『悠+』(はるかプラス)8月号」

 今月の「月刊・はるかプラス」での掲載作品は「白い石炭商人」。
 —–以下記事より。
 上はおととし完成したアートインボックス作品(縮尺12分の1)である。1945年にフランスで発売された写真集から、左の写真をもとに制作した。
 看板に「AU BOUGNAT BLANC」とあるが、これを直訳すると「白い石炭商人」という意味になる。しかしなんでそれが店の看板になっているのか、たまにファンメールをくれるフランス人にたずねて、やっとその答えがわかった。
当時は石炭の時代である。多くの石炭商人たちが町を闊歩していた。概して彼らは大酒のみで、リカー酒に白ワインを混ぜて飲んだ。転じてその酒が「白い石炭商人」と呼ばれるようになったのだそうだ。
 つまり看板に「清酒・白鶴」と書いてあるようなものである。

 以上、この連載ページでは、3回つづけてアートインボックス作品を紹介したので、次回9月号では、すこし目先をかえて「石の家」でも取りあげようとおもう。

「悠+」(はるかプラス)8月号より
発行:㈱ぎょうせい

近況③「悠日2号」

 雑誌「悠日」の第2号が発売された。今号では拙作「ニコレットの居酒屋」が紹介され、この作品を説明するために、毎度お馴染みの制作秘話を、改めてまた書いた。はじめて読む方もいらっしゃると考え、少し長いが下にその全文を掲載する。
 以下本文。
 2006年10月20日、禁煙グッズ「ニコレット」の新しいテレビCMを制作中という方から連絡があった。
「今度のCMでは背景に居酒屋を使う予定だが、それをミニチュアでつくりたいのです…」
 聞くと撮影は11月9日と決まっていて、これは変更できない。すると制作には最大でも18日しかかけられない。ミニチュアが無理ならば実物大のセットを組むつもりだという。四の五のを言っているひまはないようだ。無謀にもOKしてしまった。
 ニコレットのテレビCMのことはご存知だろう。不気味な顔をしたタバコのお化けが登場するあのCMだ。このとき制作を試みていた新バージョンは、背広姿のサラリーマンが昼食を終えたあと一服したくなり、そこにタバコのお化けがあらわれ、誘惑するというストーリー。したがってこのとき依頼されたのは、居酒屋ではあるが昼は定食サービスもやっている、庶民的、大衆的飲食店の内部造作をつくることだった。大きさや、かたちなど、すべてまかせるとのこと。
 さっそく行きつけの飲み屋へと走り、店内のディティールを調査し、あっさりとした絵を書いた。そんなことに貴重な数日を費やしたあと、その絵に似た、やや小ぎれいな店を目指して制作をスタートする。まずは30個ほどのイスがいるので、それからつくりはじめた。
 その直後、CM監督がお気に入りだという墨田区森下町にある「山利喜」(やまりき)というもつ焼き屋の内部写真がとどいた。なんとも殺伐とした店の雰囲気である。なら早く言ってくれよと思ったが仕方がない。急遽小ぎれいムードから殺伐ムードへと路線を変更し、以後、不眠不休の突貫作業を経て、作品は撮影当日の朝5時に完成、ただちに二子玉川の撮影スタジオへと運ばれた。
 上がその居酒屋である。
 イスやテーブル、床、壁、天井や、カウンター席や、食器収納用の戸棚や、業務用冷蔵庫や、旧式のエアコンなど、基本部分はぜんぶぼくがつくった。しかし、なにしろ時間がない。食品や、調味料や、皿や、箸や、どんぶりといった小物類は、同業者・よしだともひこ氏に制作を依頼、目の覚めるような値書きビラもよしだ氏の作である。
 —–実際のCM映像は、実写撮影による人物との合成によって制作され、06年年末から07年年始にかけてしきりにオンエアーされた。

 以上がぼくのページだが、「彫刻家山田康雄の木の美術館を訪ねて」という巻頭特集や、「古民家で味わうイタリア料理のこと」など、栃木で悠々と暮らす自遊人たちの和題満載の雑誌「悠日2号」は、ギャラリー悠日が制作している。東京ではなかなか手に入らないと思うので、ほしい方は直接Hagaまでご連絡ください。

雑誌「悠日2号」より
発売:ギャラリー悠日


2010年7月25日

火事のこと

 すべての作品を北区田端にある「マルイケハウス」というボロアパートに保管していた一時期があった。エキシビション際には生徒氏らに手伝ってもらい、よくそこから出し入れをしたものだ。またこの建物の見学ツアーみたいなことをやったこともあるので、ご存知のむきも多いと思う。
 そのマルイケハウスが火事になった。
 ひとびとが参院選の開票速報に見入っていたであろう7月11日の午後9時半のこと、住人が出かけて留守だったアパート2階の無人の部屋から煙が昇り、やがてメラメラッと燃えあがった。ただちに消防車20台がかけつけて、けんめいの消火活動に及ぶが、なにしろ下町の密集地帯、またたくまに炎は隣家の軒下にも飛び火し、燃えつづけ、完全に鎮火したのは日付のかわった午前1時のことだった。結局このアパートの2階部分と、隣家の屋根が燃え、けが人はいなかった。
 小雨まじりの風が舞う、むしあつい晩だった。
 にもかかわらず現場には、ものすごい数の野次馬があふれ、わたしもその中のひとりとしてそこに立っていた。やがて警察官から「オーナーの方ですか?」と声をかけられ、近所の交番まで来るようにいわれた。
 正確にいえばこのアパートの所有者はわたしの家内である。が交番ではわたしもいろいろと尋ねられた。まずはアパートの住人ひとりひとりの生存確認からはじまって、出火原因のこと、焼け出された人々へのケアーのことなどを訊かれ、未明までそれらの対応に追われた。そして翌日は現場検証への立会いだ。それが終わったらこんどはご近所の方々へのお詫び行脚(あんぎゃ)である。等々、次からつぎへとやることがあって、まだまだ、まだまだ、問題山積。
 おかげで「アジェのパリ」は、その後あんまり進んでいない。
 ———–検証の結果、出火の原因は、2階留守部屋のタコ足配線と判明。

燃えた部屋


2010年7月19日

アジェ的作品

 アジェ的作品の制作計画について前々回ここに書いた。雑誌社からのリクエストとはいうものの、自分の作品としての新作を手がけるのはほぼ三年ぶりのことである。なのでこの際は、似たようなコンセプトで2個同時につくってしまおうと考えている。うち一個についてはすでに制作を開始していて、現在下のようになっている。
 まあ、古い倉庫ってところか…。
 まだはじめたばっかりではあるが、さいわいこの作品に限っていえば、この先フィニッシュまでのイメージは、だいたいぜんぶぼくの頭の中にできているので、もう完成したのとおなじこと、あとはただつくるだけである。

タイトルは未定


2010年7月11日

悠+(はるか・プラス)

 月刊「悠+」(はるか・プラス)での連載4回目、7月号が発売されている。
 写真にそえて毎回たった300字という制約のなかで、短い記事も自分で書いているが、これがなかなかむずかしい。字数との関係で多くのことはとても語れず、すると、いきおい、あるひとつの切り口をみつけて、そこを突くしかない。前回は“アートインボックス作品の由来”とでもいった切り口から、「錠前屋のルネはレジスタンスの仲間」という短文を書き、そして今回はそのつづきといった流れで、こんどは“立体絵画”という視点から、下のような一文を書いてみた。
 ——-以下本文。
 「炭酸入りのレモネード」
 前号の作品(アートインボックス)は荻須高徳という画家の絵を立体化したものだった。今回もおなじ画家の作品集より、こんどは「がらくた屋」という絵を立体化した作品をご覧にいれる(縮尺12分の1)。画家はこのがらくた屋の左側路上にキャンバスを置き、店を左方向から見た絵として描いた。それをまっすぐの視点に直し、立体化し、つくりあげた作品を上から撮ったのがこの写真である。
 絵の具のかわりに木と金属と、布と漆喰と、プラスチックとガラスと紙を用い、筆のかわりにペンチとノコギリと半田のコテと、やすりとハサミとカッターナイフを使って描いた、これは、いわば立体絵画である。

『悠+』(はるか・プラス)7月号
発行:㈱ぎょうせい


2010年7月3日