大惨事の半年後、わたしはグラウンドゼロに立っていた。
ニューヨークには学生時代の友人(石橋君康くん)が住んでいて、日本山妙法寺という寺の住職をやっている。その彼からグラウンドゼロの模型をつくってくれ言われ、ニューヨークを訪れたのだ。彼はそれを鎮魂のシンボルにしたいと考えていたらしい。
といっても倒壊したツインタワーは高さ417メートルもあり、もし400分の1の模型でつくったとして、高さ1メートル以上になる。それが砕け散った状態がグラウンドゼロなのだから、ベースは最低でも2メートル四方は必要だろう。よしんばつくったとして、それをどうやって運ぶのか。
とても自分の手に負える代物ではないと判断し断ったが、とにかく一度現場を見てくれと非常に強く促され、この日そこへ行ったのだ。
その前夜、彼の寺の祭壇に供えられていたジャガイモほどの大きさの、片側が熱で溶けたガラスの塊(かたまり)を3個見せられた。その日の朝、空から降ってきた窓ガラスの破片である。手にとるとドスンと強い衝撃を受け、瞬時にそのときの映像がよみがえった。自分も一個ほしいとおもったが、さすがにそれは言い出せなかった。
そんなことを考えながらわたしは現場に立っていた。
そこには正にグラウンドゼロといった風な、巨大な凹みがあり、その日掘り起こされた残土が目の前まで運ばれてきて、高く積み上がっていた。
「あの土の中に絶対ガラスが混ざっている!」
そう確信したわたしは、見張りがそっぽを向いているすきに素早く残土に近づき、両手いっぱいに掴み取り、ポケットにしまった。案の定土の中には消しゴム大ほどのガラスの破片が混ざっていたので、大切に持ち帰り、仏壇の引き出しにしまった。
——–と、ここまで書いて、写真を撮るために、あらためて仏壇を探したら、ガラスがない! あせってあちこち探したが、やっぱりない。仕方がないので20年前の石橋くんの写真を掲載する。(下)。