まいとし暮れになると、京都に暮らす長男夫婦が里帰りのため、ふたりの孫を連れて戻ってくる。せまいわが家はたちまちギューギューになり、テレビのある部屋はしばらく彼らに占領される。だから紅白歌合戦などの年末年始特別番組は最近まったく見ていない。
そんなわけで大晦日の晩は、夕食のあと、自分の寝室にこもり、動画配信などをいろいろ物色したのちに、睡眠導入剤一錠と、腰痛緩和のためのロキソニン2錠を服用し、深夜の3時ごろ就眠。
元旦は朝9時に起きた。
朝めしは食わず、一階へ降りて郵便ポストを覗くと70通ほどの年賀状が届いていた。当節の現状から見れば、これでも多い方かも知れないが、最盛期元旦には200通以上届いていたような気がする。当時は12月になると、こちらからも4〜500通は投函したものだが、だんだんと出す範囲がわからなくなってきて、それで最近は、いただいた賀状には速攻でお返事するものの、年末にこちらからお出しすることはなくなっていた。
したがって元旦の朝は、いただいた賀状への返信作業だ。
この日いただいた70通のうち約20通は家内宛だったので、小生が書かなきゃならんのは残りの50通。もちろん印刷済みの賀状は用意してあるが、それに何かひとこと添えるのにアタマを使う。やれ住所が変わっただとか、名前が変わったとか、たまにわからない字があったりすると、いちいちパソコンを出さなきゃならん。なんだかんだでぜんぶ書き終えたのが午後1時。切手をはって投函し、家に戻ったら、また20通ばかり追加で賀状が届いていた。
——–バカヤーロー! ぜんぶ一緒に配れよ!!
しょーがないので、この20通にも返事を書いた。
ところで、わたしには2歳年下の妹がいる。
妹はオフクロが生きていた頃から毎年元旦には千葉の松戸から夫婦連れで挨拶にやってくる。また文京区で暮らす長女夫妻も、生まれたての赤ん坊を連れて、はじめて挨拶にやってくる。加えてわれわれ老夫婦と長男一家4人の計11名が、午後3時から、我が家でメシを食うという。そんなスペースあるわきゃないので、急遽一階のギャラリーを「芳賀一家新年大宴会&お年玉贈呈式」の式典会場とすることに‥。
以上が小生の年明けでした。
みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
——-本年もどうぞよろしくお願いいたします。