おめでとう!

 ぼくが所属している日本ドールハウス協会から会報が届いた。
 冒頭に協会副会長土屋静氏の一文があった。
 《会員各位》
 1997年に日本ドールハウス協会を起ち上げた岩瀬勝彦会長は病気療養中につき、治療に専念するため、このたび会長職を辞し、名誉会長に就くことになりました。これにあたり協会本部において役員会を開いたところ、岩瀬氏の切なる希望と役員全員の一致により、現事務局長の相澤和子氏が協会の新会長に就任することとなりました。以下略。
 以下、相澤和子氏の挨拶文です。
 会員のみなさまにおかれましては益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。平素は当協会の運営にご協力いただきまして御礼申し上げます。
 さて、前書の通り、私儀、相澤かずこは、前会長岩瀬勝彦氏の後を受け、このたび日本ドールハウス協会の会長に就任することになりました。まだまだ未熟者でございますが、力の限り尽力する覚悟でございます。前任者同様に今後ともご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
 ——-というわけで、うちのクラブ(渋谷クラフト倶楽部)のメンバーのひとり、相澤和子さんが、今年からドールハウス協会の新会長となりました。
 相澤さんおめでとう!

左が相澤さん


2014年2月8日

名前が決まりました

 写真は制作中の作品です。
 ほぼ完成しているがテントがまだついていない。
 そのテントには店の名前を書かねばならぬ。
 前作は「Carl Froceth Store」(カール・フローセス・ストアー)と書いたが、調べると、ここはストアー(店)ではなく、駅馬車の出発準備室だったということがわかった。ならば駅馬車カンパニーの「社名」を掲げるべきかではないか、いや「路線名」を記すべきだ、など、さんざん迷った。
 イギリスにご在住の英語通本田和美さんに尋ねてみたら、アメリカのことはよくわからないとおっしゃりながらも、米国における当時の社名は文末に「& Bro.(Brotherの略)」や「& Son」が付くことが多かったと教えてくれた。
 その教えを踏まえて、社名に& Broや& Sonがつくもの、Co.,LTDやInc.がつくもの、加えてアリゾナ・ルートなどの路線名のつくものを含めて、それら名称サンプル10点ほどを知り合いのふたりのアメリカ人に送り、どれがピッタリなのか、尋ねてみた。すると期せずしてふたりが選んだのはおんなじ名前、Charles Burns & Broだった。やっぱりうしろに Broがついている。
 (ちなみにCharles Burns は本田和美さんのご主人の名前です。)
 だが残念ながらCharlesという名前は7文字あって、若干字数が多いと考え、最終的にEdward(6文字)とJames(5文字)に絞って、これに対応するありとあらゆる名字を検討した。
 で、結局「EDWARD MORS & BROS」に決定!
 ちなみに次点は「JAMS NORAN & SON」でした。


2014年2月6日

ひぇ~!

 このごろめっぽういそがしい。
 それなのに老人力ばっかりが身に付いていて、なにごともちっとも進まない。
 今はとにかく目の前にある作品を一刻も早く完成させ、運送屋を手配し、箱をつくって梱包し、出荷せにゃならん。それに先立っては、作品のギャラと運送代金をもらわにゃならん。運送代だけでも100万するのだ。そのためには英文メールをいっぱい書かにゃあならん。そのあとカタールへ飛んで作品のフタを開けなきゃならん。そのとき同時に去年預かった作品を一点修理して手渡すことになっている。だからさっさと修理もせにゃならん。
 以上を2月の末までに終了させたら3月には「アートフェアー東京」に出場することになっている。これがまた大変なイベントなので全力投球で臨まにゃならんが、まだなんにもやっていない。ただひとつ準備していたのは会場で配るパンフレット。半年以上も前に王というカメラマンを呼んで沢山の写真を撮ってもらった。人生最大のパンフレットをつくろうともくろんでいたら、突如そのカメラマンが行方不明になり、撮った写真データも一緒に消えちまった。
 いっとき(いまも)かなり鬱になりました。
 しょーがないので、かっこいいパンフレットはあきらめて、地味なパンフをいま自分でデザインしている。(下の写真)。
 そうして3月を乗り切ったら4月には某百貨店で「はが展」開催(未定)、丸善でのエキシビションに出場、5月にはデザインフェスタ&静岡ホビーショー。6月には浜松町のミニチュアショー、7月にはパリのジャパンエキスポ(未定)、8月にはまたまた某百貨店でのはが展開催、エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ。
 加えて夏までに「白い石炭商人」一点を仕上げる約束になっている。
 ひえ~!


2014年1月28日

まだ完成していません②

《前回の続き》
 以前本作の正面部分のみをアートインボックス作品(半立体作品)として制作したことがある。特にそうつくれと言われたわけではないが、屋根や両サイドや、建物の裏側にはこれといったディティールがなく、ほかにつくりようがなかったからだ。しかし今回は建物全体をつくってほしいと言われ、再トライしている。そしてあるていど出来上がってから、改めて作品を眺めてみると、やっぱりおもしろくないのだ。正面以外の方向が実につまらない作品に見えて、ずっと悩んでいた。
 色も気に入らなかった。
 当時の建物は無塗装の木製にきまっている。それが風雨にさらされた、いわば流木のような薄いグレーに着色したが、その結果、建物全体がぼやっと見えて、どうもパッとしない。
 だがそのあとで、地面にいくつかの物品を置いたり、いく通りかの色の草を植え、外壁の色に変化を加えたりと、数々の対策を講じたおかげで、ダメななりにもだいぶんよくなってきた。そしたらである。こんどは台座の塗装面に複数のひび割れを発見。これはかなり深刻だ。
 次から次へといろんな問題が発生する。
 そんなわけで、作品はまだ完成していませんが、それでも先日大勢の生徒のみなさんが見物にやってきました。

写真:米田楽留花


2014年1月19日

まだ完成していません

 写真はいまつくっている馬具店の内部です。
 床にたくさんの旅行カバンが積み重なり、天井にはズラッと馬の首輪がならんでいる。壁にぶらさがっているものは馬のベルトです。
 内部の様子は以前制作した「カール・フローセス・ストアー」の依頼主からいただいた古い写真をもとにしている。しかし今回は、そのときの写真には写っていなかったストーブを部屋の真ん中に置いた。
 前作同様馬具類は当クラブの山野順一朗氏が制作を担当。旅行カバンは田山まゆみさん、ストーブの炎は山口貞彦氏が、それぞれ制作を担当。
 前作「カール・フローセス・ストアー」の依頼主だった米ナンシー・フローセスさんは、この店をずっと馬具店と呼んでいた。ところがアメリカで調べると、ここは馬具店ではなく、駅馬車の出発準備室だとわかった。
 映画「駅馬車」(J・フォード監督)は8頭の馬で引っ張られていた。
 てーことは、駅馬車一車を仕立てるには首輪8個にベルト8本が要る。乗客は一車6人だったので、一車出るたびにトランク6個が消えていく。そう考えると駅馬車準備室説はまことに理にかなっているが、ナンシーさんに準じ、今まではずっと馬具店で通してきた。しかし今回の依頼人はカタール人である。そろそろ本当のことを言ったほうがいいように思い、以後できるだけ本作を「駅馬車ステーション」と呼ぶことにする。
 もうほとんど完成しているように見えるだろうが、現在あることに悩んでいて、まだまだ、まだまだ、先は長そうだ。


2014年1月11日

喪中です

 本来ならば新年の祝辞を述べねばならぬところですが、昨年4月に92歳の母が亡くなり、我が家はただいま喪中です。その後8月には長男一家に初孫が誕生していますので、そんなに悲しい気分ではありませんが、喪中ハガキきを出した本人が、自分のブログで「おめでとう」と言うのもへんなので、ここではそれを言わないことにします。
 かれこれ40年近く前に、父が亡くなったときにも喪中ハガキを出しました。当時はそれで十分に用が足りましたので正月に誰もおめでとうとは言ってきませんでした。ところが今回はメールやソーシャルネットワークを通じて大勢の方々から「Happy New Year!」との祝辞が届き、説明が面倒なのでついそのまま同じ文言を返しています。
 なし崩し的喪中崩壊現象です。
 こうして日本の文化や伝統が少しずつ崩れていくんですね。門松はめっきり見かけなくなり、凧揚げも、羽根つきも誰もやりません。子供たちはスマホでゲームでもやっているのでしょう。年賀状の売り上げも年々減っていると聞きます。
 近所の悪ガキと竹馬でかけっこをやったころの正月が懐かしいです。
 ——-本年もどうぞよろしく。


2014年1月4日

屋根のこと

 再々お伝えしている馬具店だが、いま屋根をやっている。
 屋根といったらエントツだ。T字型やらH型など、日本だとそんなかたちだが、果たしてアメリカではどうなのか。調べると、あっちじゃあそんなのは見当たらない。じゃあどうするのかと困っているときに、ちょうどイギリスへと旅立った。行って驚いた。むこうの建物には100%エントツが立っている。エントツ、エントツ、エントツである。おかげですっかりエントツ通になり、帰国後、ただちに写真のようなエントツをつくった。
 エントツができたら次は屋根を葺(ふ)かねばならぬ。
 この時代には木のかけら—-木端(こっぱ)を瓦代わりに屋根を葺(ふ)いていたが、木端は瓦のように整然と並んでいるのではなく、たいがい微妙に(あるいはズルズルに)曲がっていた。素材の厚みや大きさが不均一だったことに加えて、必ずしもまっすぐに並べる必要もなかったからそうなったのだろう。決してわざと曲げたわけではない。
 実は最初にやった屋根は見事に失敗だった。あまりにもびろびろに曲がりすぎていて、まるでわざとやったようなムードだったのだ。しょうがないのでいったんぜんぶ削り取って、やり直したのが写真の屋根である。
 ——–みなさん良いお年を!


2013年12月29日