「ヒヤヒヤです」

 わたしが最初に工作教室の講師になったのは1997年の7月だった。当時渋谷パルコ・パートIIの8階にあった「パルコ毎日新聞カルチャーシティ」から講師のお声がかかり、それから27年、その時々で教室の場所は変わったものの、ほぼ毎週のように、必ずどこかで教室を開催してきた。
 それがこのたびの脊椎の手術のおかげで一ヶ月半もの長きにわたり教室を休んでしまった。コロナ禍の折にも単発的な不開催はあったが、こんなに長く休んだのは今回がはじめてだ。
 8月末に手術があって、9月6日に退院したが、その後は安静を常とされ、要は寝たきりの状態で過ごしているわけだが、一体いつになったら起き上がって通常通りの仕事ができるようになるのか、医者に聞いてもはっきり答えてくれない。若けりゃすぐに治るのだろうが、なにしろこっちは後期高齢者、一概には答えられないのだろうと理解した。
 しょうがないので出来るだけゴロゴロしているが、すると寝癖がついてしまい一日中眠い。とても工作などする気も起こらず、もう一ヶ月以上なにもやっていない。
 そんななか22日に久しぶりにブーランジェリーの教室があった。
 おかげさまで股関節の痛みは改善し、いつも通りなに食わぬ顔でことなきを得たが、うまくできるかどうか、当初は心配で心配で仕方がなかった。
 次は29日にまた教室がある。
 相変わらずヒヤヒヤの状態だ。

渋谷パルコ時代の生徒氏らと

「今度は股関節が‥」

 8月29日に受けた脊椎の手術のあと順調に回復していると前回書いた。ところがどういうわけか4〜5日前から急に左の股関節が猛烈に痛みだし、とうとうまったく歩けなくなってしまった。この現象が、受けた手術と関係があるのかないのか、きょう病院で診てもらったが、その因果関係について、医者にもよくわからないようだった。
 このため、ふつうにいけば9月下旬には手術の傷も癒えるだろうと、予定を組んでいた9月22日の「ブーランジェリー制作教室」が開催できるのかどうか、悩みに悩んだ。悩んだ末、やっぱり予定通り22日に開催する旨のメールをさっき参加者に宛てて打ったところである。これは、歩けないからって別段教室にはカンケーあるまいと開き直ったヤケクソの発想だ。
 というわけで、まずは3日後に迫った22日の教室をクリアーせねばならぬ。それまでに少しは歩けるようになっているのかどうか。

ブーランジェリー制作教室

「ひとりでトイレへ行けます」

 いくらか涼しくなってまいりました。
 前回の書き込みのあと、数名の読者から励ましのメールをいただきましたこと、御礼申しあげます。
 大変お騒がせしましたが、きょうで術後ちょうど2週間となります。
おかげさまで7日に退院し、いまは自宅で傷の回復を待っている状態です。ほぼ寝たきりですが、痛みはだいぶん和らぎましたので、確実に回復していると思われます。
 手術による傷の痛みが和らぐとともに、重くシコリのように元からあったガンコな脊椎の痛みも一緒に消えてしまったように感じられ、更なる今後の推移に期待しているところです。

 術後2週間で‥
 ①ひとりでトイレへ行くことができるようになりました。
 ②ひとりでシャワーを浴びることができるようになりました。
 ③ひとりで着替えができるようになりました。
 ④いいちこを毎日300ccばかり飲めるようになりました。
 ⑤寝転がってUチューブ(総裁選情報)ばっかり見ています。

 出来ることといえば、まだ上のようなものですが、次の1週間では、そろそろ工作関係の仕事ができるよう、少しずつそんなこともやってみるつもりです。
 (下の映像と本文は関係ありません)

「腰が痛ーい!」

 腰が痛くて痛くて、居ても立っても居られない。
 しょーがないので、先週近所の脊椎専門病院で腰の骨の手術を受けた。
 ぼくの場合は「椎間板ヘルニア」と「脊椎管狭窄症」の両方を同時に患っているらしく、且つ全体的に骨格(骨の形状)が悪いので、2017年に東大病院で手術を断られ、2021年の春、やっと品川の脊椎専門病院で一回目の手術を受けることができた。それから3年。これといった改善の効果が見られなかったので、仕方なく先月の29日、今度は田端の脊椎専門病院で再手術を受けることに。
 脊椎と脊椎のあいだにチタンの金属プレートを差し込んでそれらをボルトで止めるという荒治療で、オペに5時間を要した。
 もちろん全身麻酔だが、オペ終了後ただちに麻酔が切れる。
 ストレッチャーでわたしのからだがオペ室から自分の病室まで運ばれ、ドサっとベットに投げ出された瞬間
「ギャーッッ!」
 気狂いのように叫んだ。
 あんなに痛かったのは生まれて初めてのことでした。

貧乏性の自分の場合はひとり部屋だと広すぎて落ち着かず、今回はふたり部屋にしてみた。

「Thank you Ms.イッシキ!」

 「東家(あづまや)」(1/12)を見本にして制作する「東家教室」が3月に終了した。講師としてわたしもひとつ作っていたので、終了後、東家が1点ふえた。そこでふるいほうの東家をフェリーで北海道へ運び、滝川のスギちゃんに預けた。と、ここまでは、以前ここに書いた。
 そのあと作品(東家)は、現地滝川の美術自然史館で開かれた「のぞいてみよう!模型の世界」というイベント展の会場に、6/29日から8/25日までのあいだ展示されていた。
 その最終日の25日、ノエカフェの、イッシキ・ミヨコオーナーが、はるばる東京から陸路ワンボックスワゴンをころがして滝川に現れ「東家」を回収し、車に積んで帰った。(と、スギちゃんから知らされた)。
 Ms.イッシキは、わたしの教室の渋谷時代からの生徒であると同時にドールハウスミュージアム「ノエカフェ」のオーナーであり、且つ稀代のドールハウスコレクターだ。しかも彼女は「東家教室」のメンバーでもあったので、教室の終了後2点にふえちゃった東家のふるいほうを買わないかと尋ねた。
 すると
「買う!」
 という。
「実は、作品はいま北海道なんだけど、自分で回収してくれますか‥?」
 恐る恐る尋ねると
 「はい、自分で取りに行きます!」
 と、こころよく応じてくれたのだった。
 ——–そういうわけで、すでに作品(東家)は東京に到着しているはずなので、たぶん数日以内に練馬のノエカフェで見られると思います。みなさんも一度ぜひご覧になってください。

左がMs.イッシキさん、右がスギちゃん、車に積んである茶色い箱が「東家」@滝川市美術自然史館前で。この写真はスギちゃんが送ってくれました。

「再募集のこと」

 6月に当欄で、この秋にスタートする予定の「火の見やぐら/制作教室」への参加者を募集いたしましたところ、いまのところ以下6名の方々にお申し出いただいています。(下の方々には開催日が決まり次第ご連絡いたします。もう少しお待ちください。)

 マガラ・ヤストシさん
 オウ・コクさん
 スズキ・カツヤさん
 ナカジマ・ユウさん
 カトウ・ヒトヒコさん
 サトウ・キョウコさん

 *講座内容は以下です。
 制作課題: 「火の見やぐら&手押し式消防ポンプ」(1/80)
 開催場所: はがいちようの駒込スタジオ
 住所: 東京都北区中里3-23-22
 開催日: 原則月一回土日祭日の午後
   (初回講座終了後に次の開催日を決めます)
 参加料: 一回11,000円(材料費別)

 本作は80分の1スケールにおける「日本の情景シリーズ」に欠かせないアイテムとして、むかしから何回も教室で取り上げてまいりました。ところが最近の教室ではドールハウス的作品が人気で、日本的なものはめっきりやらなくなってしまいました。そんなわけで、もしかするとこれが最後の火の見やぐらになるかもしれません。
 ——-まだ席に若干の余裕がありますので、参加希望者は、はがまでメール(ichiyoh@jcom.zaq.ne.jp)をください。質問等も受け付けています。

 少々しむずかしい課題ですが、守備よくこれを完成させることが出来れば、半田(ハンダ)の技術がバッチリ身に付きます。

「暑中見舞い」

 いやあとにかく暑い。
 それしか言いようのない日々がつづいている。
 毎年この時期には、ほんの数枚ではあるが暑中見舞いのハガキを出している。年賀状とは違い、去年出したから今年も出さなきゃマズいとか、そういうことは一切考えず、いたっていい加減なチョイスで投函している。7月から8月、立秋を過ぎた9月にも、今度は残暑見舞いとして出すこともある。
 これを読んでいる方ならば多分ご存知であろう渋谷クラフト倶楽部の佐野匡司郎氏と白石和良さんから、その返事が届いた。
 佐野氏からのハガキには、非常に苦しい体調面での近況がとつとつ述べられ、ご子息に支えられながらのご自宅での日常が目に浮かぶような内容だった。
 白石さんからは、なんと便箋5枚に、独特の白石文字で、びっしりと、こと細かにリハビリの様子が書き連ねられ、ひさしぶりの〝白石節〟に圧倒された。
 佐野さんは御年88歳になるはずで、いまは腰椎圧迫骨折に苦しんでいる。
 白石さんは67歳ながら数年前に脳溢血を患い、いまは半身が不自由な身だ。そんなお二人もこの暑さに耐えながら必死に生きている。そのご様子が文面からヒシヒシと伝わってきた。
 かく言うこのわたしも、今月の末に、ちょっとしたヤバイことがあるので、ご両人からの便りがとりわけこころに刺さった。

アートと言ってよいレベルの白石さんからのお便り。わざと遠くに置いて、できるだけ読めないように撮りました。