拙著の宣伝

 教室のほうには最近また数人の新入生が入りましたので、本日は拙著の宣伝をさせていただきます。
 当サイト・インフォメーションのところには10冊程度の拙著がラインアップされておりますが、これらの書籍はご連絡いただければ後日郵送させていただきます。しかし電子書籍本「しぶ~い木造機関庫をつくる」は郵送の必要がなく、ご自分のパソコンにダウンロードすることによってただちに読むことが出来ますので、ぜひお読みになってください。
 630円(消費税込み)です。
 買い方ですが、まずhttp://www.10daysbook.com/にアクセスいただきまして、画面最上段にある検索窓に「しぶ~い木造機関庫をつくる」と記入すれば、本を見つけることが出来ます。あとは画面の指示に従って購入(クレジットカード)すれば、すぐさま自分のパソコンで読むことが出来るのです。当サイトでは見ることが出来ない写真もたくさん入っております。
 本日この書き込みによりまして、せめて5~6名の方々にお買い上げいただければ幸いと思い宣伝をさせていただいた次第です。
 どうぞよろしくお願いいたします。
 余談になりますが、本の表紙(下の写真)は、ときたま当トークスにも登場するグラフィックデザイナーの「ほうとう・ひろし」氏の手によるものです。どうってことのないデザインではありますが、わたしは非常に気に入っております。こういうなんでもないようなもののデザインって意外とむずかしいものなのです。

芳賀一洋・著
「しぶ~い木造機関庫をつくる」


2004年10月19日

クレアーさんとケリーさん

 9月末のこと、オーストラリアからチャーミングなレディーがふたりやってきた。下の写真で金髪の女性がクレアー・ブラク(Claire Brach)さんで、クレアーさんの後ろにいる黒髪の女性がケリー・ケイト(Kelli Cato)さんだ。ふたりはシドニーの南方、車で約40分のところにある町に住んでいるお隣同士で、一緒にミニチュア関係の仕事をしているとのこと。そしてケリーさんは彼女が15歳のころ、交換留学生として大宮に一年間住んでいたことがあるという日本通で、現在シドニーの学校で日本語教師も勤めているそうだ。
 来日の10日ほど前のこと。「月末に日本に行くのですが、東京にあるミニチュアのお店を教えてほしい」という趣旨のひらがなメールが、ケリーさんから届いた。しかしあいにく東京には、これといったミニチュアの店はなく、はるばるお越しいただいても、見せるべきものはなにも思いつかなかった。仕方がないので伊東屋さんに頼んで社長室に展示してある「伊東屋作品」をお見せすることにした。当初は10分程度の見物ができればありがたいと考えて出かけたが、伊藤社長は小一時間にもわたってわれわれの相手してくださり、大変なお世話になってしまった。
 ――御礼を申し上げます。
 そのときまで知らなかったが、社長は実に英語が達者なのである。私の作品についての説明を、直接彼女らに、流暢な英語で語ってくれたのには驚いた。そして帰りには、あるひとつの箱を見せてくださった。それは拙作を収納するために最近伊東屋さんが作ってくれた箱なのだが、あまりにもゴージャスだったので、これまたびっくり。見たとたんクレアーさんは
「まるで銀行の金庫みたい!」
と、叫んだ。まさにそんなカンジだった。かなり高かったんだろうと余計な心配までしてしまうほどの威厳があった。(英文トークスには箱の写真が掲載されています。)(株)伊東屋では10月14日、帝国ホテルにおいて創業100年祭のイベントが計画されているので、拙作をそこまで運ぶための箱なのだろうと思う。
 銀座のあと、来客のお二人には私のおんぼろ工房へもお越しいただき、そのあとは近所のレストランで一緒に食事をした。
「ところで、どこで、私のサイトアドレスを知ったのですか?」
と、お尋ねしたところ、オーストラリアのミニチュア・ファンのあいだではICHIYOHのサイトはポピュラーなので誰でもが知っていると、信じられない答えが返ってきた。またシドニーを発つ前には「今から東京に行ってICHIYOHに会い、作品を見せてもらう」というメールを、彼女のアメリカの友人10名程度に送信したそうだが、アメリカン・ピープルの10人が「それは、スゴイ!」とびっくりしたというのだ。どこまで本当なのかよくわからない。
 まあ、上のはなしはお世辞がほとんどであろうが、それにしても最近はポチポチと海外のファンも増えつつあるよな気がして、嬉しい限りの一日だった。これもひとえに当サイトを作ってくれて、おまけに管理までやってくれている優秀なるウェブマスター氏のお陰と思い、心より感謝を申し上げる次第です。

クレアーさんとケリーさん


2004年10月7日

伊東屋の写真掲載!

 今年の春、文具店「伊東屋」のミニチュア作品をつくったというはなしは再三にわたってこのコーナーでお伝えしてきた。しかし作品の写真については長らくお待たせしていた。しかしつい最近、「Works」のコーナーにたくさんの写真をアップすることができたので、あとでぜひチェックしてほしい。しかしスライドショーでの説明はいまのところ英語オンリーなので、下にその和訳を掲載することにした。日本語とすればちょっとヘンなのだが、ご勘弁いただきたい。

Special Model ITO-YA
2004年、私は古い文房具店をつくった

「2004年の伊東屋」
伊東屋は、わが国ではたいへんに良く知られた文房具店である。この店の原稿用紙は非常に優れているので、日本における偉大な作家たちからも長く愛されてきた。
開店は1904年、今からちょうど100年前(1904年)で場所は銀座だった。銀座は東京の中心で、伊東屋本店は現在にいたるまでずっと銀座にある。

「1904年の伊東屋」
この写真は開店当時の伊東屋を写したものだ。2004年に開催する同店の開店百年祭のイベントに陳列するために、この写真を模型化することを求められた私は、2003年の10月よりその準備にとりかかった。そして同年の12月20日から本格的に制作をはじめた。

「完成」
そして2004年の4月20日にはほとんど完成した。ちょうど桜の花が満開のころのことだった。

「看板」
看板の文字は:上段/店の名前(漢字で伊東屋と書いてある)。中段/和漢洋文房具、和洋諸帳簿、学校用品類、電話新橋2616番(新橋は東京の地名)。
ところで「ITO-YA」だが、”ITO”とはこの店のオーナーの姓で、”YA”とは、日本語で”店”という意味である。

「メイキング伊東屋」
当初担当者から古いモノクロの写真を一枚いただいたが、写真からは店内の様子は一切うかがい知ることができなかった。私は非常に困ったが、この店の現社長である伊藤高之(いとう・たかゆき)氏は「店内はあなたの創造力(想像力)で作ってください‥」とおっしゃり、そうするしかなかった。

「メイキング伊東屋」
なにしろ伊東屋は文具店なので、おびただしい量の文房具が必要だった。当初わたしはトムビショップ氏のミニチュアショーやインターネットなどを使って、世界中からミニチュア文具を調達するつもりだった。しかし私が求めているようなものは見つからず、結局ほとんどすべての文房具を自分で作ることになった。いくつかのショーケースや、万年筆やインク瓶、絵の具のチューブや画筆、パレットナイフに画材カバン、金銭登録機にいたるまで、すべて木や金属で自作した。

「人力車」
当時は非常に忙しかったので、人力車の製作は私の生徒・佐野匡司郎(さの・きょうしろう)氏にお任せしたが、彼は真鍮でそれを作ってくれた。また別の生徒・田山まゆみさんにはノートや絵葉書といった「紙もの」を大量につくっていただいた。そして店の入り口に貼ってあるタイルは、米国のナンシー・フローゼスさんに特注した。彼女は「トム・ビショップショー」のディーラーのひとりである。

「色」
制作においてもっとも難しかったのは色である。特に看板の字の色が難しかった。最初私は濃いグリーンのオイルステインで着色し、あとでほんの少しの赤を加えた。以上はオイルステインでの着色だったが、更にその上に、今度は油絵の具で、少量のゴールド(金)を加えて仕上げた。色は、ディティールよりも遥かに重要だとおもう。それと、全体のかたち(フレームやベースなど)も非常に重要である。

「ミュージック」
ひとつ仕掛けがある。ショーケースの後ろに小さなスピーカーを2個取りつけてあるので、店の内部から音楽が流れてくる仕組みなのだ。聞こえてくるのは古い日本の曲だが、お聞かせすることができないのが残念である。

「伊東屋ギャラリーにて」
2004年の4月に作品は完成したが、社長(伊東屋の伊藤高之社長)が気に入るかどうかが心配だった。幸いたいへん気に入ってくださり、さっそく作品は「あの時代の文房具」というイベント会場の入り口に展示されることになった。このイベントは伊東屋百年祭の催しのひとつで、2004年の6月に伊東屋ギャラリーで開催された。そして作品は現在、伊東屋の社長室に飾られている。

「最終ページ」
以上が伊東屋作品についてのはなしだった。
そのあと、この作品の製作技法を、生徒のみなさんに指導するため、もう一つ別の文房具店(伊東屋に良く似た文房具店)を作り始めたところである。完成は2005年の年末ごろになると思うが、出来上がったらお見せするつもりだ。

 以上がスライドショーのページにある英文の翻訳である。
 ところで私は、自分では一切写真を撮らないし一台のカメラも持っていない。だから出来上がった作品はいつも知り合いのカメラマンに撮ってもらっている。現在5人のカメラマンがいるが、伊東屋はそのうちの3人、神尾幸一、佐藤紀幸、伊藤誠一の各氏に撮影してもらった。
 以下、彼らの紹介。

 神尾幸一(かみお・こういち)
 神尾氏は私の友人のひとりで、プロ・カメラマンである。若いころはファッションカメラマンをやっていたこともあったそうだが、現在は物撮り(ブツドリ)が主で、普段はシチズン(時計)のカタログ写真等の撮影に多くの時間を使っている。そのせいかディティールを撮ると実にセンスが良い。
 氏は吉田大朋(よしだ・だいほう)というわが国の写真界においては草分け的存在の写真家の正式な弟子の一人として師事したことがあるそうだ。現在彼は独身だが、アメリカのコーネル大学に通っているチャーミングな息子さんがひとり居て、ご子息(神尾大悟・かみおだいご君)は、ニューヨーク州の北方に位置する「Ithaca」(イサカ)という町に住んでいる。

 佐藤紀幸(さとう・のりゆき)
 佐藤氏もプロ・カメラマンである。若いが売れっ子で、普段は全日空やモスバーガーといった企業のコマーシャルフォトを撮っている。もう5~6年前のこと、京王プラザホテルで開催した拙展会場に偶然やってきた彼は拙作をたいへん気に入ってくれ、「ぜひ写真を撮らせてほしい」と申し出た。じゃあ、ということで撮ってもらうと、すばらしい出来栄えだったので驚いた。このときの写真「風に吹かれて」や「日本軽石興業」は、某写真コンテストにおいて見事「銀賞」を受賞したのだが、それら受賞写真のいくつかは私のパンフレットや当サイトにも使わせていただいている。www.satofoto.net

 伊藤誠一(いとう・せいいち)
 伊藤氏はプロではないが、ミニチュアの写真を撮らせるとスゴイ。数年前、彼はいっとき私の教室の生徒だったこともあったが、現在鉄道模型のプロモデラーである。と同時に、その分野ではちょっとした有名人でもある。そんなことから伊藤君に模型の写真を撮らせると玄人はだしの腕前なのだ。若干ラフで、多少茶色すぎる写真なのだがパワフルで、独特のオーラが感じられる写真を撮る。
 上の3人には改めて御礼を申し上げます。彼らの尽力なくして伊東屋のウェブページは決して作れませんでした。

写真家・神尾幸一


2004年9月17日

オリンピックとクラブ旅行との関係

 昨今、スポーツがたいへんな盛り上がりを見せているという事情は理解している。また私は高校のころテニス部に所属していたこともあったのだが、子供のころから運動(スポーツ)の類は、どうも好きにはなれなかった。運動会にもまったく興味がなく、その日になるといつもずる休みを繰り返していた記憶がある。従ってオリンピック中継なども、どこがおもしろいのか意味がわからず、若いころはほとんど見なかった。
 先日、ちょうどアテネオリンピックの最中に、私の教室の生徒数人と歓談する機会があったが、みなさん興味ナシといった風情で、我が意を得たりと思ったものだ。だいたいからして模型をやる方々は、なにしろオタクと呼ばれる方々ばっかりなので、たいがいはアンチ・スポーツ派なものだ。私の推察によると当クラフトクラブに所属するみなさんのうちほぼ全員がそうだと思われる。つまり体育会系のひとたちは、はじめっから模型などやらないのである。もちろん何事にも例外はあるが、模型を作ったり、絵を描いたり、作曲をしたり、小説を書いたりといった仕事には、非・体育会系キャラのほうが明らかに向いているようである。
 かく言う私ではあるが、オリンピックについてはたったひとつだけ自慢がある。どうして私がそこに行ったのかが不可解だが、私は代々木のオリンピックスタジアムにおいて東京オリンピックの女子陸上を、ライブで見物しているのだ。私の席は聖火側の中段に位置していたので、振り返って仰ぎ見ると、すぐ近くにオレンジ色の炎がめらめらと揺れているのが見えた。秋晴れの空に映える聖火と、鮮やかなレンガ色のフィールド、スタンドを埋め尽くしていた大観衆7万人(多分)のどよめきなど、まことに非日常的な体験だったので、いまでも強烈な印象として残っている。しかしそれとて学校から無理やり行けと強制されて、多分数名の生徒がいやいや出かけて行ったんじゃないかと‥‥いま考えれば、そんな気もするのだ。
 ま、そんなわけで、アテネオリンピックが最終盤を迎えていた8月28日(土)と29日(日)の両日、我がクラフトクラブでは「オリンピックとはなんの関係もない」小旅行に出かけ、男子マラソンも閉会式も見物せずに、ただのドンチャン騒ぎに興じていたのである。長時間にわたるアルコール摂取には若干の疲れを感じるようになっていた私は、今回は不参加だったが、特にドーピングの検査などがあるわけでもなく、みなさんすこぶるゴキゲンだったとの報告を、さっき受けたところだ。
 ――このたびの「オリンピックとはなんの関係もない」アルコール摂取競技へのエントリーメンバーは以下の方々でした。

 稲葉美智子
 牧野幸文
 中村幸司
 坂田真一
 赤松義彦
 伊藤昭亜
 坂井恵理
 渡邉格
 三宅隆雄

 そしてメダル獲得者は、多分上記名簿における上位3名の方々であったと推定されるが、ひょっとすると坂井恵理氏あたりがかなり上位に食い込んでいたのかも知れない。
 下に写真を一枚掲載したが、当日は折からの台風16号の接近によって、あいにくの雨だったため、まじめな集合写真を撮るチャンスを逸し、残念ながら競技中の写真のみしか残っていないとのことだった。
 写っていない方々にはお詫び申し上げます。

第四回・渋谷クラフトクラブ・クラブ旅行
静岡県伊東市の宿泊施設「マリンウッドの冒険」にて
写真手前が坂井恵理選手


2004年8月31日

石の家のこと

 三宅隆雄(みやけ・たかお)という生徒がいる。
 わたしの工作教室の面々は、私を含めてちょっと変わった御仁が多く、まともといえる人材は意外と少ないような気がする。そんな中にあって、まことにまともなキャラの持ち主である三宅氏の存在は、我が教室の中では逆に異色といえるのかもしれない。あの心温まる名作テレビドラマ「北の国から」の大ファンであるというのも、なんだかうなずけるような気がするのだ。
 そんなことからある日彼は、北の国からの番組制作者に宛ててファンレターを書いたのだそうだ。信じられないことに、彼の手紙はフジテレビのグレートプロデューサーの目にとまり、以後両者は親交を結ぶまでになった。当該番組の美術担当プロデューサー(撮影に使う家や背景や小道具などを手配する仕事)である梅田正則氏は「手紙の字がすごくよかったので、すぐに返事を書かなければと、直感的に感じました‥‥」と、後日わたしに語ってくれた。いまどきいい字を書くというのも、極めて異色だと思う。三宅氏は「筆字」も抜群にうまいのである。
 ま、そういったわけで、芳賀教室の生徒のひとりである三宅隆雄氏の紹介によって、私は「北の国から」の美術製作部門のご担当である梅田プロデュサーとの知遇を得、このたび番組の主人公・黒板五郎氏(田中邦衛)が最後に住む家――通称「石の家」――の模型展示物を制作するという大変に栄誉のある仕事を任せられることになった。石の家のほかにも「踊る大捜査線」の湾岸署や「ドクターコトー診療所」など、フジテレビが誇る名物番組に登場する建造物の数々をミニチュア化して、改めて世間にアピールする計画だそうだ。しかし芳賀の作風には「湾岸署」は向かないので、北の国からあたりが適当であろうとの判断から、今回この仕事の担当に選ばれたのだろうと思う。

 もう一年も前のことになってしまったが、今般のはなしが発生した直後に、(株)フジテレビ様からのご招待によって、梅田氏と三宅氏と私の三人が、ドラマのロケ地である北海道は富良野まで視察に出向いたことがあった。(2003年12月24日付のトークスを参照のこと。)
 一般客の場合「石の家」の現物は、はるか遠くに位置する展望ステージから遠景を眺めるしか方法がないのだが、そこはテレビ局の特別フリーパスなので我々はズカズカと建造物の内部にまで入り込み、数百枚にも及ぶ貴重な写真を撮ることができた。またその前夜にはドラマの原作者である倉本聰(くらもと・そう)氏が所有するという森林の中にある「秘密クラブ的・高級サロン」でご馳走になるなどしたが、当夜となりのカウンターでは本当に倉本先生が酒を飲んでいた。そして「石の家」視察のあとでは、主演の田中邦衛氏が撮影の合間にちょくちょく利用したという「絶景の露天温泉」に漬からせていただくなど、㈱フジテレビ様にはすっかりお世話になってしまい、お礼の言葉もない。
 ――(株)フジテレビ美術製作局の河井實之助局長ならびに美術開発部部長・梅田正則氏には、この場を借りて厚く御礼申し上げます。そしてもちろん三宅隆雄氏にも、心より御礼を申し上げる次第です。

 経緯は、ざっと以上のようなことだったのだが、こちとらとすると、大変なプレッシャーである。なにしろ梅田プロデューサーは当該建造物を制作した張本人なのだ。ひとつ一つの石ころを河原からみんなと一緒に運んできて、それらを取捨選択し「ここには、これ。あっちには、この石‥‥」という具合に、ひと一つを積んで、彼が自分で作った家だというのだから、その張本人の目の前でヘンな仕事は出来ない。
 9月の初旬のあたりから制作を開始して、年末までには完成させる予定だが、現在はポチポチと準備にかかったところ。 今年の秋は忙しくなりそうだ。
 だらけている場合ではない。

石の家の前に立つ不肖・芳賀一洋
撮影:三宅隆雄


2004年8月23日

“ルル”

 以前はリリーという名前の雌ネコを飼っていた。彼女はペルシャとの混血だったので、やわらかくて実にシャレた色合いのグレーの毛並みをしていた。そして常に、餅のように人間にしがみつくというやっかいな特徴があった。しかしある雨の晩に、とつぜん彼女は病気で死んでしまい、翌日玄関脇の植え込みの傍に穴を掘って埋めた。土砂降りの雨が降りしきる日曜日の朝のことだった。
 それからしばらくはネコ・ナシだったが、家のネズミがだんだんとふえてきて、夜中に枕元をかけずりまわるまでになっていた。そんなある日、うちの娘が道端で、メスの子猫を拾ってきた。けっこうかわいい顔をしていたので、ネズミ退治にと考え、飼うことにした。
 名前は「ルル」。
 下に写真を掲載したが、これは一ヶ月以上も前に撮った写真なので、いまはもっと大きくなっている。しかし、あいにくまだ一匹のネズミも捕っていないので、おふくろや愚妻がしきりに文句を言っている。

「ルル」
撮影: 伊藤誠一


2004年8月17日

樋口一葉の井戸を見る会

 BBSのほうにはチラッと予告を出しておりましたが、先日7月31日(土)に「樋口一葉の井戸を見る会」という「飲みネタ」が開催されました。私のクラフトクラブの面々が、まずは本郷にある東大赤門前に集合し、そこから徒歩10分のところにある樋口一葉の井戸を拝み、ついでに数箇所の歴史的建造物を見物するなど、ほんの少しだけ本郷界隈の散策を楽しみ、そのあとはただちにトラディショナルなジャパニーズ・レストランに直行して、いたって優雅な雰囲気の中でビールを飲んだのでした。今回はネタが高級だったため、それほど多くの参加者は予測しておらず、当初は5~6名でゆっくり酒でも飲み、一葉文学にについてを語ろうかと思い計画した事案でした。しかし予想を上回る参加者がいらっしゃったため、ときならぬ宴会のようになってしまい、ややイメージが違ったと言えなくもないようです。
——参加者は以下の通りでした。

 坂井恵理
 中村幸司
 佐野匡司郎
 坂田真一
 山下健二
 宮田いづみ
 杉山武司
 山下浩
 田上妙子
 神尾幸一
 松本希美
 松本美教
 渡邉格
 稲葉美智子
 田山まゆみ
 小川美樹
 芳賀敏子
 芳賀一洋

 ジャパニーズ・レストランでの一次会のあと数名の有志が二次会に繰り出しました。しかし今回は、酒豪で鳴らすMa氏がいらっしゃらなかったため、幸い朝まで飲むにはいたらなかったとの報告を、さっき受けたところです。

東大赤門前にて
写真のあと参加者が増えて計18名になりました
撮影・渡邉 格


2004年8月2日