あけましておめでとうございます

 毎年1月1日の夕刻になると妹の一家がやってくる。
 私の妹洋子とご主人伸一郎氏と長女絢子ちゃんの三人だ。
 伸一郎氏はむかしから写真が趣味なので毎年元旦には我々の集合写真を撮ってくれていて、もう30年ちかくも続いている。その2005年版が下だが、右から丹羽伸一郎氏、丹羽洋子、丹羽絢子ちゃん、いちよう、長女千尋、母上、長男貴行、そして家内芳賀敏子の計8人が「石の家」の前で笑っている。
 この日わたしは朝6時から仕事をしていた。
 そしたら午後5時に妹一家が訪れたのでそこでいったん仕事を中断し、
「先に、写真を撮っちゃいましょう‥」
ということでゾロゾロっとみんなが作品のうしろにならび、まずは下の写真を撮ったのだった。例年は食事のあとに写真を撮っていたが、それだと顔がだらけると思い今年は食事前(酒前)にした。わっはっはと笑っているのは、少しでも明るい年にしようと念じてのことで、この笑いを世界平和に役立てようという深い思惑があってのことだ。そして石の家の作品はご覧のような状態で、完成にはまだ若干の時間がかかりそうである。
 以前のトークスでは2004年年末完成予定とお伝えしたが、その後テレビ局の人から1月中旬以降に納入してほしいと言われ、ガタンとペースが落ちたのだ。でも月末には拙展(生徒諸氏との合同展)がひとつ控えているので、なんとか1月15日までには完成させ、即納入したいと思っている。今回の作品はかなりデカイので、これが置いてあるあいだは他の仕事がまったく出来ないからだ。
―――本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2005年元旦
撮影:丹羽伸一郎


2005年1月4日

プロモデラーの金子さん

 現在、テレビドラマ「北の国から」に登場する石の家と、それにまつわる情景を制作中である。(石の家に関しては8月23日と11月16日のトークスにも記載があります。)
 大雑把に言うと、この作品を完成させるためには

 ①丸太で組み上げられた巨大な風車を作らねばならない。
 ②流木で形成された大きなテラスを作らねばならない。
 ③石の家の壁である石を彫らねばならない。
 ④家の内部や、建具や室内調度品を作って、屋根を張らねばならない。
 ⑤建造物全体を配置するための地面や、草木などを作らねばならない。
 ⑥作品のベースと台枠を作らねばならない。

 上の6つをすべてクリアーせねばならぬ。
 だが、すべての制作の元になるのは制作図面で、これはスタートと同時に、あるコンピューターの専門化に依頼していた。しかし図面の作成が遅れに遅れ、やっと届いたのが10月20日ごろのことだった。もともとこの家は、ドラマの主人公である黒板五郎(田中邦衛)氏が自分で建てたという設定なので本職の大工が建てたものではない。従って建物全体が微妙に曲がっていて、そこが大きな魅力となっている。その上すべての建造物には石だの流木だのといった不定形な自然素材がふんだんに使われているため、コンピューターで作図するのには難しい対象物が多かったからだ。
 しかし当初から納期は年末と決まっていたため、私はあせった。
 仕方がないので図面が到着した直後から可及的速やかに作業を進められるようにと、私はふたりのプロにヘルプを依頼した。すなわち建物全体を覆っている石の彫刻は金子辰也(かねこ・たつや)氏に、そして家の内部に使う机や椅子や台所用品といった室内調度品は「よしだ・ともひこ」氏に、それぞれの制作を依頼し、彼らがそれらを作っているあいだに私は風車やベランダや地面や、作品の台枠といったその他の部分を作るという共同作戦を立てたのだ。そうこうするうちに、新聞紙を広げたよりもまだ大きいという豪華大型図面が数十枚、バサッと到着し、やっとこの「プロジェクトX」が動き出した。しかし今度は、金子氏の分担である石の彫刻が、またもや遅れに遅れ、ここ数週間はヤケクソ気分におちいっていた。
 しかしである。
 やっと先週、待ちに待った金子氏による石の芸術品が到着したので、下にお見せすることにする。

 石の家というよりは、これはまるで「アラモの砦」である。
 すばらしい出来栄えだ。
 さすがプロ!

 金子辰也というひとは「月刊アーマーモデリング」誌や「ホビージャパン」誌など、有名模型雑誌各誌に毎月「マル秘・製作技法」を掲載しているという名うてのプロモデラー。きっとご存知の方も多いだろう。ちょっと「よんさま」に似たやさしい雰囲気で、女性にはかなり人気があるんじゃないかと思う。

 まあそんなわけで、模型界のヨンさまのご活躍をもって、一番上に掲げた6つのノルマのうち、5つまでを無事クリアーすることができた。これで石の家もなんとか最終コーナーを回り、いよいよラストスパートになだれ込んだと言えそうだ。 現在は、金子氏が届けてくれた壁(建物)の内側を制作中だが、さっき言ったように室内調度品の類は「よしだ・ともひこ」氏がごちゃごちゃといろいろ作ってくれているので、そうは難しくなさそうだ。しかも地面や風車など、その他の部分は既に終わっている。無事室内が終わり、屋根を張り、煙突を立てれば、それでおしまい。ぴったり年末にはゴールインできそうである。

写真右が金子辰也氏
撮影:三宅隆雄


2004年12月14日

伊豆新聞

以前お伝えした伊豆の「ドールガーデン」だが、(11月2日付けトークス参照)先日「伊豆新聞」が、なかなかよい記事にしてくれた。拙展をもう一回宣伝する意味で、下に紹介することにした。
――以下新聞記事より。

「立体絵画の企画展」
 建造物と同質素材を画材に
 伊豆高原ドールガーデン

 伊東市八幡野の伊豆高原ドールガーデンで来年4月30日まで、東京都北区中里にアトリエを構える立体画家の芳賀一洋さん(56)の「セピア色の風景-立体絵画の世界」が開かれている。
 芳賀さんの立体絵画は、絵の具のかわりに木版や金属、布など現実の建造物とほぼ同質の素材を画材として使い、壁や窓枠などを半立体的に作りこむ表現形式で、どこか懐かしく、憂いを漂わせた風景を描いている。
 今回の作品展には額の中に1930年から40年代のフランス・パリの街角の風景を封じ込めた立体絵画5点と、昭和初期に長野県軽井沢町にあった「軽石興業」の建物や周囲の情景を表現した立体作品1点が並ぶ。
 芳賀さんは1996年から作家活動を開始。97年には栃木県真岡市からの依頼で「昭和初期の真岡駅」を、2001年には宮城県石巻市の依頼でマンガ・アパート「トキワ荘」を、今年は東京銀座の老舗文具店「伊東屋」の依頼で創業時(明治37年)のミニチュアを制作している。
 芳賀さんは「よく、『こういうものは生まれて初めて見ました』と言われます。めずらしく面白い作品ですから、ぜひこの機会に見てもらいたい」と話す。
 問い合わせは同美術館「電0465(22)4604」へ。
――以上、伊豆新聞-2004年11月7日付より。

 私の記事が「秋竜山」のマンガの隣だったのが気に入った。こういうものは生まれて初めて見ました‥のフレーズは、インタビューの最中に記者から「作家からお客様へのメッセージを文末に掲載したいのですが‥」と言われ、そのときは即答できず、一晩考えてから翌朝ファックスで送ったものだ。
 なお文中、計6点を展示しているように書かれているが、現在は計10点が展示されているはずである。

伊豆新聞
2004年11月7日付より


2004年11月29日

風車

ただいま「北の国から」(フジテレビ)に登場する通称「石の家」といわれる建造物と、それにまつわる情景を制作中である。(このことについては以前一度お伝えしたことがあり、2004年8月23日付けのトークスに詳しい。)この家のバックヤードには電力発電(多分)のための大きな風車があって、テレビ局のひとたちが「GIANTS(米国映画の題名)の風車」と呼んでいるものだ。作品が完成した場合、もっとも目立つ存在になるであろうと思われる部分なので一番最初につくり始め、この部分だけは先月のうちに完成していた。
 先日わたしの生徒が写真を撮ってくれたので、下にお見せすることにする。
 やぐらを組むための柱はすべて特殊なパテによって自作し、風車部分、羽根の根元には極小のベアリングが4個入っている。風を送ることによってクルクル回る仕組みだ。もっともむずかしかったのは樽(たる)で、東京にはすでに樽職人は在住しておらず、仕方がないので作り方は一から自分で研究するしかなかった。特にこの樽の場合、天地に箍(たが)が回っているという本格的なもので、そんじょそこいらではお目にかかれないという代物である。ま、それでもどうにか樽らしいものが出来上がりほっとしている。

 今回お見せした風車のほかにも、建物の手前には流木で出来たかなり大きなテラスが出っ張っていて、その部分も非常に目立つと思われるが、すでにつくってしまった。そのうち機会があれば、またお見せするつもりだ。

風車
撮影:植田晃男


2004年11月16日

ミニチュアコレクター

 7月23日付けのこの欄で「ドールハウスミニチュア」(Dollhouse Miniature)という米国の雑誌で私の作品が取り上げられたことをお伝えした。そして今回は「ミニチュアコレクター」(Miniature Collector)という雑誌についてお伝えしたい。
 米国では現在、上記2誌を含めて計4誌程度のミニチュア系マガジンが発行されているらしい。中でもドールハウスミニチュアはビギナー向けの記事が多く、比較的初心者向きの雑誌といえる。対してミニチュアコレクターは上級者向きの雑誌で、私の知る限り米国ではもっともクオリティーが高い。この雑誌で最初に私の作品が取り上げられたのは2000年の春、シカゴのミニチュアショーに参加したときのことだった。2日目の夕刻、客がまばらになったころを見計らったように、ツカツカと大柄な女性が私のブースにやってきた。真っ黒なパンタロンスーツに身を包んだ彼女は、陳列してあった「サウンドオブサイレンス」という題の拙作を威厳十分な態度で指差し、「ちょっと貸してくれ」と言って、どこかに持っていってしまった。
「一体なんだろう?」
と思っていたら、それがミニチュアコレクターのひとだった。
 数ヵ月後、片面1ページを使って私の作品を紹介してくれた。
 その後、去年ニューヨークのショーに参加したときにも、やはり彼らは私の作品を気に入ってくれて、このときは確か2回にわたり数点の拙作を取り上げてくれた。彼らは私に対しては常に結構親切なのである。そして今回、2004年の7月号と11月号の二度にわたり、ふたたび私の作品を取り上げてくれた。そこまではいいのだが、自分の作品が掲載された雑誌を入手するのには毎回苦労している。日本なら掲載誌は必ず雑誌社から一冊タダで送ってくれる。しかし外国の雑誌社はヨーロッパも含めてそういう習慣がないらしく、だいたいからして掲載されたのかどうかさえもわからないというのが現状である。(あるいは私が日本在住だから連絡してくれないのか?)今回の11月号のときも、拙作が掲載されているという情報はアメリカの友人(ルーシー・マローニー)さんから聞き、はじめて「え、そうなの?」という具合だった。掲載されたと聞けば見たいのが人情。とりあえず私は国内のミニチュア屋での取り扱いがないかどうかを尋ねてみた。しかし「扱っていない」という返事だった。しょうがないのでルーシーさんに頼んだところ、先日エアメールで送ってくれた。
 下に写真を掲載したが、写真に見える見開きページの裏側にもいくつかの作品がとりあげられていて、計3ページにわたっての扱いだったので、なかなか悪くないと思う。
 しかし問題がひとつあって、私のサイトアドレスが掲載されていなかった。もちろんエディターに対しては毎回そのことをお願いしているのだが、彼らは一回も私のサイトアドレスを掲載してくれたことがないのだ。不思議に思ってルーシーさんに尋ねてみた。
 「なにかの決まりがあって、サイトのアドレスは掲載できないのでしょうか?」
 彼女は、ただちに返事をくれた。
 「すでに編集者に対しては問い合わせのメールを打ちましたので、なんらかの返事があればお知らせします。しかし最近あなたの名前はこちらで良く知られています。またこちらのインターネットでは、ICHIYOHの名前からあなたのウェブサイトを探すことも簡単に出来ますので、心配することはありません‥‥」
 ま、そんな趣旨の返事があり、お説のようにあんまり心配しないことにした。

 いまのところ日本ではミニチュア系の雑誌は一誌も発行されておらず、仕方がないのでせいぜい米国の雑誌で点数を稼いでいるわけだが、お陰でこのごろ少しずつ知名度がでてきたようで、大変に喜んでいる。

ミニチュアコレクター誌より
2004年11月号


2004年11月12日

ジョンとキャロル

 ことしの8月ごろ、東京在住の米国人・ジョン・ロブソン(John Robson)氏から一通の英文メールを受け取った。
「この秋に私の母が東京を訪れます。彼女はあなたのファンです。どこかであなたの作品を見られる場所がありますか?あなたのサイトをチェックし、エキシビジヨンの項目を見ましたが、来年の1月までは展覧会がないようなのですが‥」
 当時は「ドールガーデン」での展示は予定しておらず、仕方がないので
「もしよろしければ、わたしの工房にご案内することができますが、いかがでしようか‥‥」
と、お答えした。
 結局、ジョンの母親は10月の21日に来日し、11月5日まで日本に滞在する予定となった。しかし10月24日からは京都旅行にでかけるため、できれば10月23日に工房を拝見したいと言ってきた。そうして当日の午後3時、ジョンと彼の母親キャロル(Carole)が私のおんぼろ工房にやってきた。この日は土曜日だったので運良く(か、どうかはわからぬが‥)私の工作教室が開催されていた。またこの日は、アメリカからの来客のほかにも2名の見物人がいらっしゃり、それでなくとも狭苦しい作業場には来客を含めて計10名ものおとながひしめくこととなり、ちょっとしたカルチャーショックを与えてしまったかもしれぬと考え、かなり心配になった。でも私のメイキング・パフォーマンスなどを見ることができたので、それなりに喜んでいただけたのではないか。
 びっくりしたことに、ジョンはアメリカ大使館員で、しかも米軍関係の部署のチーフをしているとのこと。あまりにもグレートすぎる肩書きに対しては、わたしの工房があんまりにもおんぼろすぎるので、最初は若干たじろいた。だがしょうがない。ひるんだ様子は極力顔に出さぬことにした。
 彼は東京に来てから3年になるそうだ。そのまえは韓国に6年間駐在していたとのことで、米大使館員のなかでは「アジア通」としてとおっているそうだ。そして今回、はじめて彼の母親・キャロルが、故郷ミシガンから東京にやってきた。
「どこで、私の名前を知ったのですか?」
と、キャロルさんに尋ねたところ、ドールハウスミニチュアマガジンで知り、東京在住の息子さんに「見たい」というメールを打ったのだそうだ。
 工房見物のあとは、来客のふたりを含めて、私の生徒や家内などとともにJR・駒込駅近くのレストランで一緒に食事をした。しかし、席について30分ほどしたときのこと、われわれはいきなりグラグラっと激しい揺れに襲われた。
 例の新潟県中越地震が発生したのだ。
 ウェーターが「調理用の火はすべて消したのでご心配なく‥」と、真っ青な顔で告げにきた。楽しいはずの国際親善の場が一瞬にしてかなり怖い場面へと変わった。地震など私は慣れっこだが、キャロルさんはさぞかし怖かっただろうと思う。なにしろミシガンでは地震は皆無なのだ。
 一通りの揺れがおさまったころ、ジョンが言った。
「もしこれとおなじものがイランで起こったならば、たちまち大災害へと発展したことだろう。土と石で出来たイランの家は間違いなくすべてが倒壊してしまったはずだ。しかし日本の家は壊れない。」
この話は、当夜同席していた私の生徒・山下健二氏に対して向けられたもので、直前に山下氏を「建築家」として紹介したばかりだったからだ。
 続けてジョンは
「これほどの地震にも耐えうる建物をつくるというのは、あなた方の技術が大変に立派だからです‥」
 山下氏の顔を見つめながら、もちろんジョンは英語でしゃべった。しかし山下氏は発言の意味が飲み込めず、どうにか理解した私からの説明を受けたあと
「サンキュー!」
と、ただひとこと、すっとんきょうな声を発した。
 この、サンキューのお陰で、場にはふたたびまた和やかな空気が戻り、駒込の飲み屋(レストラン?)での国際親善大会は、いたって明るい雰囲気のうちにおひらきとなったのだった。

 以下余談になるが、当日使った飲み屋は6月にナンシー・フローゼス(Nancy Froseth)さんご夫妻がおいでになったときにも使った「かまどか」という店で、まことにうらさびれた駒込の「アゼリア通り商店街」という通りの一角にある。(ナンシーさんは伊東屋のタイルを作った方です。)その日のわれわれは、まず銀座に立ち寄り、その後秋葉原へと移動し、そして最後に駒込にたどり着いたので、歩くのが大のニガ手というナンシーさんのご主人・ケント氏はもうふらふらの状態だった。しかし都合200メートルばかり、どうしてもこの商店街を歩かねばならぬハメにおちいり、「もう一歩も歩きたくない!」というケント氏とともに、私は、この場末感あふるる商店街の夕暮れどきをゆっくりと歩いたことがある。約20メートルほど歩いたときのこと、周囲を見渡しながら、ぼんやりと
「ファンタステック!」
と、独り言を、突然ケント氏がつぶやいた。
 彼は、銀座には、まったく興味がなさそうだった。
 秋葉原も、すぐに帰ろうとした。
 しかし駒込の、雑然とした景観を目の当たりにしたときにはじめて、心からの感動を覚えたようなのだ。それからの彼はいきなり元気になってしまい、「かまどか」も大変に気に入った様子で、店では終始ゴキゲンだった。
 外人(特に白人)に対しては、駒込のような場末も、決して悪いものでもないようだ。多分、そこに「アジア」を感じるのだと思う。

ジョンとキャロル
撮影: 山下健二


2004年11月5日

ドールガーデン

 静岡県の伊豆高原一帯にはたくさんのミュージアムが密集して存在していることをご存知ですか? ドールハウスミュージアム、ねこの博物館、少年少女奇怪グッズ博物館、ガラス工芸品美術館、ロウ人形館、木工クラフト展示館、等々、その数は大小合わせて50軒にものぼるという。
 そんな中のひとつに「ドールガーデン」という、庭と人形のための美しいミュージアムがある。ここには「はとバス」がとまるという情報を、私の生徒のひとりがビックリまなこで知らせてくれた。(本当かどうかはわかりません。)しかし著名な外国人作家による人形や、辻村寿三郎(つじむらじゅさぶろう)、ムットーニ、恋月姫、因間リカ氏など、そうそうたる日本人・人形師たちの手による人形までもが多数陳列されていることに加えて、四季折々の花々が咲き乱れる本格的西洋庭園や、シャレたコーヒーショップ(レストラン)など、すばらしい設備・内容が備わっていることは確かである。
 詳細については下のサイトによってご確認いただきたい。
http://dollgarden.co.jp

 昨日わたしは数点(約10点)の拙作を持参して伊豆高原まで出向き、そのミュージアム「ドールガーデン」のエントランスホールにビシッと陳列してきた。今年の10月から来年の4月までという長期にわたり、こじんまりとした「芳賀作品展」を開催してくださるというはなしがまとまったからだ。
 ――ドールガーデンの鮎川館長ならびに学芸員の吉岡由起子氏に対しては、厚く御礼を申し上げます。

 タイトル: セピア色の風景/芳賀一洋「立体絵画」の世界
 場所: 伊豆高原「トールガーデン」
 住所: 静岡県伊東市八幡野1118-2
 電話: 0557-54-5515
 期間: 2004年10月28日(木)~2005年4月30日(土)
 時間: 9:30~17:30(年中無休)
 アクセス: 電車→伊豆急行「伊豆高原駅」から徒歩20分
      車→国道135号線、伊豆高原駅手前海側(東京方面からの場合)

 かなりの長期にわたる展示なので、そのときどきによって展示の方法や、展示数量などが多少変化するかもしれません。しかし常にある程度の点数は見られるはずです。伊豆方面に行かれることがあれば、ぜひ足を運んでみてください。伊豆は、なにしろ風光明媚なこと申し分なく、ドライブに最適な環境であることはいうまでもありません。

ドールガーデンにて
撮影・渡邊格


2004年10月29日