石の家が展示されます

 先ほどフジテレビの担当者から連絡があり、近々「石の家」を展示するという知らせが入りましたのでお知らせいたします。

 場所: ㈱フジテレビ(東京都港区台場2-4-8)
     24階コリドール
 期間: 2005年2月22日(火)より当分のあいだ。
 時間: 午前10時~午後8時(月曜日休み)
 見学: 無料

 フジテレビに到着したら、まず一般見学者用チューブ型エスカレーターに乗って7階まで行ってください。ここは正面大階段を上りきった所と同じ場所で、7階庭園と言います。ここで24階行きのエレベーターに乗り換えて24階まで行きますと、「石の家」は降りたエレベーターと反対側の廊下に置いてあるはずです。
どうぞよろしく。

撮影・三宅隆雄


2005年2月15日

ご来場ありがとうございました

 大盛況だった有楽町交通会館での「芳賀一洋&渋谷クラフトクラブ作品展」だったが、先週の土曜日、無事終了した。
 ご来場いただきました皆様には厚く御礼を申し上げます。
 そもそもこの展覧会は、私の工作教室にご参加いただいている生徒諸氏と、過去生徒だったことがある方々(OB諸氏)の作品発表の場として毎年一回づつ開催することを目指して、平成12年の夏に、第一回目がスタートした。だから初回から3回目までは単に「渋谷クラフトクラブ作品展」という名称で、芳賀の名前はどこにも入っていなかった。生徒さんたちが、自分たちの積み立てたお金で15坪程度のギャラリーを借りて、毎年各氏各様の作品をそこに陳列し、各人がそれぞれの親戚知人などにDMを配り、彼らが自分で客を呼んできていた。従ってそのころの芳賀は、この展とはあんまり関係がなかった。生徒諸氏が自主的にやっている催しに自分がしゃしゃり出て行くのもどうかと思い、私は、むしろできるだけ会場には出かけないようにしていたくらいだったのだ。しかしその後、生徒作品展と芳賀作品展をジョイントしてしまおうという計画に発展し、前回と今回は、拙作をまじえての大合同展となったのである。
 こうなれば当然規模が大きくなる。
 今回は、生徒諸氏の出品点数が25点と、そして私の作品が約20点で、計45点もの作品が広々とした会場(135㎡)に、一堂に会することとなり、お客様からみれば見るものが多く、たいへんに結構なことだと思う。その上今回は、生徒諸氏の作品の質が高かったことに加えて、(株)伊東屋さんのご好意によって、昨年納入した「伊東屋作品」(正式題名/初代・伊藤勝太郎の店)を拝借し、陳列することができたことや、鉄道模型界の名物男・伊藤誠一氏のスペシャル・レイアウト(題名/品川営林署・井戸川林道)が展示されたことなど、内容的にもかなり充実していたと思う。
 一体何人の来客があったのか、カウントしたわけではないので数は不明だが、客足は決してとぎれることなく期間中ずっと続き、会場は常に混雑していた。とりわけ初日に開催したオープニングパーティーの時間帯と、最終日の午後は、会場に客が入りきらないと言っても決して過言ではないほどの大盛況ぶりだった。
 私は今回の催しのため、東急ハンズで100枚の名刺を刷って初日の朝、会場のテーブルの上に置いた。そしたら2日目の夕方には、あらかた無くなってしまったので、あわてた。仕方がないので3日目の朝、今年の年賀状の残り(伊東屋作品の写真が絵柄になっているもの)を、約200枚自宅から運び、テーブルの上に置いた。
 「これ、年賀状の残りですが、私の住所が書いてありますので‥」
 と、急遽名刺代わりに使ったのだ。
 ところが、その伊東屋の年賀状も2日でなくなってしまい、四日目の朝には、今度は去年の年賀状の残り(ニューヨークでみんなと乾杯している図柄のもの)を、やっぱり200枚ほど持参して机の上に置いた。さすがにこれまで無くなることはなかったが、それにしてもたった6日のあいだに計400枚近くのアドレスカード(名刺やハガキ)が消えてなくなったのは、過去最高だったかも知れない。
 会場で客に声をかけるときには  「こちらからの案内状が届きましたでしょうか?」
 と、質問することが多かった。
 なにを見て、どこで情報を得て、ご来場いただいたのかを知りたいがためである。
 「たまたま会場の前を通りかかって‥」と答える客、「知り合いから聞いて来ました」という人、あるいは「イエローサブマリン(模型屋)に案内が出ていましたので‥」など、反応はいろいろだが、私がもっとも驚いたのは「芳賀さんのホームページを見て駆けつけました」という人が、なんと5名以上もいらしたこと、だ。
 「え、私のホームページなんて、見てるひと、いるんですか‥‥」
 思わずそう聞き返してしまった。
 もちろん客の全員に対してその質問をしたわけではなく、来場の理由を尋ねたのはごく一部の方々に対してだけ、である。それなのに、ホームページと答えた人が5名もいたということは、もしかすると50名や100名の方々が、このホームページを見て、有楽町にやってきたのかも知れない。しかし遠方の方々は有楽町には来れない訳であるから、それよりも更に多くの方々がこのサイトを見ているということなのか‥‥?
 私は、自分の教室の生徒など、ごく限られた10名や20名の方々が、しょっちゅうこのサイトを覗いていることは承知している。しかしそんなに多くの、不特定多数の方々にまでご愛顧いただいているとは、とても信じられないのだ。でもまあ、この「トークス」も、ある程度の読者がいらっしゃるのかも知れないと考え、せいぜいまじめに取り組まねばならぬと、改めて考えてしまった一週間であった。
―――今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

第五回・芳賀一洋&渋谷クラフトクラブ作品展
撮影・渡邊格


2005年2月14日

石の家完成

 昨年秋から今年にかけてキビシイ作業が続いていた「石の家」制作だったが、先日やっと完成した。本日はその完成写真一枚を下に掲載するが、後日WORKSのコーナーには新しい項目を設けて、たくさんの写真を掲載する予定である。
 元々この作品は(株)フジテレビ様からのご依頼によって制作した作品だった。(詳しくは2004年8月23日付けのトークスを参照のこと。)従って完成作品は、先日フジテレビ本社(東京都港区台場)に運び、すでに仮展示されている。このあと展示台やガラスケースなどを作ってからの本格展示は少し先になるが、詳しい情報がわかり次第、このコーナーでもお知らせするつもりだ。
 ま、そんなわけで、お陰さまで石の家の仕事は終わった。そして今は、月末から始まる「芳賀一洋と渋谷クラフトクラブ展」の準備に追われている。
 日程は以下です。

 タイトル: 芳賀一洋&渋谷クラフトクラブ作品展
 場所: 有楽町駅前 東京交通会館 地下一階 ゴールドサロン
 電話: 03-3215-7933(直通)
 会期: 2005年1月30日(日)~2月5日(土)
 時間: 午前11時~午後7時(初日30日のみ午後1時開場)
 入場無料
 ―――初日1月30日午後6時より、会場にてオープニングパーティーがあります。どなたでも参加できますので多数ご来場ください。

 今回は(株)伊東屋さまのご好意によって「伊東屋作品」(題名・初代伊藤勝太郎の店)も展示いたしますので、ぜひお出かけください。
 私は大体会場にいます。

撮影・神尾幸一


2005年1月24日

あけましておめでとうございます

 毎年1月1日の夕刻になると妹の一家がやってくる。
 私の妹洋子とご主人伸一郎氏と長女絢子ちゃんの三人だ。
 伸一郎氏はむかしから写真が趣味なので毎年元旦には我々の集合写真を撮ってくれていて、もう30年ちかくも続いている。その2005年版が下だが、右から丹羽伸一郎氏、丹羽洋子、丹羽絢子ちゃん、いちよう、長女千尋、母上、長男貴行、そして家内芳賀敏子の計8人が「石の家」の前で笑っている。
 この日わたしは朝6時から仕事をしていた。
 そしたら午後5時に妹一家が訪れたのでそこでいったん仕事を中断し、
「先に、写真を撮っちゃいましょう‥」
ということでゾロゾロっとみんなが作品のうしろにならび、まずは下の写真を撮ったのだった。例年は食事のあとに写真を撮っていたが、それだと顔がだらけると思い今年は食事前(酒前)にした。わっはっはと笑っているのは、少しでも明るい年にしようと念じてのことで、この笑いを世界平和に役立てようという深い思惑があってのことだ。そして石の家の作品はご覧のような状態で、完成にはまだ若干の時間がかかりそうである。
 以前のトークスでは2004年年末完成予定とお伝えしたが、その後テレビ局の人から1月中旬以降に納入してほしいと言われ、ガタンとペースが落ちたのだ。でも月末には拙展(生徒諸氏との合同展)がひとつ控えているので、なんとか1月15日までには完成させ、即納入したいと思っている。今回の作品はかなりデカイので、これが置いてあるあいだは他の仕事がまったく出来ないからだ。
―――本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2005年元旦
撮影:丹羽伸一郎


2005年1月4日

プロモデラーの金子さん

 現在、テレビドラマ「北の国から」に登場する石の家と、それにまつわる情景を制作中である。(石の家に関しては8月23日と11月16日のトークスにも記載があります。)
 大雑把に言うと、この作品を完成させるためには

 ①丸太で組み上げられた巨大な風車を作らねばならない。
 ②流木で形成された大きなテラスを作らねばならない。
 ③石の家の壁である石を彫らねばならない。
 ④家の内部や、建具や室内調度品を作って、屋根を張らねばならない。
 ⑤建造物全体を配置するための地面や、草木などを作らねばならない。
 ⑥作品のベースと台枠を作らねばならない。

 上の6つをすべてクリアーせねばならぬ。
 だが、すべての制作の元になるのは制作図面で、これはスタートと同時に、あるコンピューターの専門化に依頼していた。しかし図面の作成が遅れに遅れ、やっと届いたのが10月20日ごろのことだった。もともとこの家は、ドラマの主人公である黒板五郎(田中邦衛)氏が自分で建てたという設定なので本職の大工が建てたものではない。従って建物全体が微妙に曲がっていて、そこが大きな魅力となっている。その上すべての建造物には石だの流木だのといった不定形な自然素材がふんだんに使われているため、コンピューターで作図するのには難しい対象物が多かったからだ。
 しかし当初から納期は年末と決まっていたため、私はあせった。
 仕方がないので図面が到着した直後から可及的速やかに作業を進められるようにと、私はふたりのプロにヘルプを依頼した。すなわち建物全体を覆っている石の彫刻は金子辰也(かねこ・たつや)氏に、そして家の内部に使う机や椅子や台所用品といった室内調度品は「よしだ・ともひこ」氏に、それぞれの制作を依頼し、彼らがそれらを作っているあいだに私は風車やベランダや地面や、作品の台枠といったその他の部分を作るという共同作戦を立てたのだ。そうこうするうちに、新聞紙を広げたよりもまだ大きいという豪華大型図面が数十枚、バサッと到着し、やっとこの「プロジェクトX」が動き出した。しかし今度は、金子氏の分担である石の彫刻が、またもや遅れに遅れ、ここ数週間はヤケクソ気分におちいっていた。
 しかしである。
 やっと先週、待ちに待った金子氏による石の芸術品が到着したので、下にお見せすることにする。

 石の家というよりは、これはまるで「アラモの砦」である。
 すばらしい出来栄えだ。
 さすがプロ!

 金子辰也というひとは「月刊アーマーモデリング」誌や「ホビージャパン」誌など、有名模型雑誌各誌に毎月「マル秘・製作技法」を掲載しているという名うてのプロモデラー。きっとご存知の方も多いだろう。ちょっと「よんさま」に似たやさしい雰囲気で、女性にはかなり人気があるんじゃないかと思う。

 まあそんなわけで、模型界のヨンさまのご活躍をもって、一番上に掲げた6つのノルマのうち、5つまでを無事クリアーすることができた。これで石の家もなんとか最終コーナーを回り、いよいよラストスパートになだれ込んだと言えそうだ。 現在は、金子氏が届けてくれた壁(建物)の内側を制作中だが、さっき言ったように室内調度品の類は「よしだ・ともひこ」氏がごちゃごちゃといろいろ作ってくれているので、そうは難しくなさそうだ。しかも地面や風車など、その他の部分は既に終わっている。無事室内が終わり、屋根を張り、煙突を立てれば、それでおしまい。ぴったり年末にはゴールインできそうである。

写真右が金子辰也氏
撮影:三宅隆雄


2004年12月14日

伊豆新聞

以前お伝えした伊豆の「ドールガーデン」だが、(11月2日付けトークス参照)先日「伊豆新聞」が、なかなかよい記事にしてくれた。拙展をもう一回宣伝する意味で、下に紹介することにした。
――以下新聞記事より。

「立体絵画の企画展」
 建造物と同質素材を画材に
 伊豆高原ドールガーデン

 伊東市八幡野の伊豆高原ドールガーデンで来年4月30日まで、東京都北区中里にアトリエを構える立体画家の芳賀一洋さん(56)の「セピア色の風景-立体絵画の世界」が開かれている。
 芳賀さんの立体絵画は、絵の具のかわりに木版や金属、布など現実の建造物とほぼ同質の素材を画材として使い、壁や窓枠などを半立体的に作りこむ表現形式で、どこか懐かしく、憂いを漂わせた風景を描いている。
 今回の作品展には額の中に1930年から40年代のフランス・パリの街角の風景を封じ込めた立体絵画5点と、昭和初期に長野県軽井沢町にあった「軽石興業」の建物や周囲の情景を表現した立体作品1点が並ぶ。
 芳賀さんは1996年から作家活動を開始。97年には栃木県真岡市からの依頼で「昭和初期の真岡駅」を、2001年には宮城県石巻市の依頼でマンガ・アパート「トキワ荘」を、今年は東京銀座の老舗文具店「伊東屋」の依頼で創業時(明治37年)のミニチュアを制作している。
 芳賀さんは「よく、『こういうものは生まれて初めて見ました』と言われます。めずらしく面白い作品ですから、ぜひこの機会に見てもらいたい」と話す。
 問い合わせは同美術館「電0465(22)4604」へ。
――以上、伊豆新聞-2004年11月7日付より。

 私の記事が「秋竜山」のマンガの隣だったのが気に入った。こういうものは生まれて初めて見ました‥のフレーズは、インタビューの最中に記者から「作家からお客様へのメッセージを文末に掲載したいのですが‥」と言われ、そのときは即答できず、一晩考えてから翌朝ファックスで送ったものだ。
 なお文中、計6点を展示しているように書かれているが、現在は計10点が展示されているはずである。

伊豆新聞
2004年11月7日付より


2004年11月29日

風車

ただいま「北の国から」(フジテレビ)に登場する通称「石の家」といわれる建造物と、それにまつわる情景を制作中である。(このことについては以前一度お伝えしたことがあり、2004年8月23日付けのトークスに詳しい。)この家のバックヤードには電力発電(多分)のための大きな風車があって、テレビ局のひとたちが「GIANTS(米国映画の題名)の風車」と呼んでいるものだ。作品が完成した場合、もっとも目立つ存在になるであろうと思われる部分なので一番最初につくり始め、この部分だけは先月のうちに完成していた。
 先日わたしの生徒が写真を撮ってくれたので、下にお見せすることにする。
 やぐらを組むための柱はすべて特殊なパテによって自作し、風車部分、羽根の根元には極小のベアリングが4個入っている。風を送ることによってクルクル回る仕組みだ。もっともむずかしかったのは樽(たる)で、東京にはすでに樽職人は在住しておらず、仕方がないので作り方は一から自分で研究するしかなかった。特にこの樽の場合、天地に箍(たが)が回っているという本格的なもので、そんじょそこいらではお目にかかれないという代物である。ま、それでもどうにか樽らしいものが出来上がりほっとしている。

 今回お見せした風車のほかにも、建物の手前には流木で出来たかなり大きなテラスが出っ張っていて、その部分も非常に目立つと思われるが、すでにつくってしまった。そのうち機会があれば、またお見せするつもりだ。

風車
撮影:植田晃男


2004年11月16日