ゆるゆるアートインボツクス

 前回のトークスは秋葉原のイエローサブマリンにある「芳賀コーナー」の宣伝だった。記事に使った写真は我がクラフトクラブの一員である渡邊格(わたなべ・いたる)氏に頼んだものである。頼んでから数日がたった土曜日の夕方、彼はグッドな写真を携えて私の作業場まで届けてくれた。この日はちょうど、この7月期から始まったばかりのゆるゆるの(かんたんな)アートインボックス製作クラスの真最中で、彼はしばらくのあいだ手持無沙汰な様子でわれわれの作業を見ていた。が、やがて、ついでにこれも撮っちゃえと彼はまたパチパチと、今度は教室の様子を撮りはじめた。そしたらそれがまたかなりいい写真だったので、急遽ここに掲載することにした。
 下がその中の一枚だ。
 彼はプロではないがよい写真を撮るのでいつも感心している。フレーミングがグッドで、被写体に対する構図がさりげなく、アカぬけている。本日ここに使った写真も、おのおのの人物配置が絶妙で、いかにも真剣そうな各氏の表情が的確に捕らえられていている。加えてレンブラントのような色調にこくがあり、どうしてなかなかプロ級の名ショットだと思うのだが‥、ちょっとホメ過ぎだろうか。
 ところでこのゆるゆるクラスだが、以前一度、セーヌ・フルールに似た花屋を作るつもりであるとこのトークスで紹介したことがあった。その後計画が変わり、花屋ではなくパン屋になった。現在4人のみなさんが鋭意製作中である。

 追伸。
 秋葉原のイエローサブマリンに行ったら是非看板(芳賀一洋のミニチュアコレクションという看板)を見てほしい。どうやって取り付けたらよいかを悩みまくり、書体やら色やらにも散々悩み、作るのに丸一日かかったという代物である。文字の部分を微妙な2色づかいでレタリングしたのが成功だったらしく「作品」といったカンジの看板に仕上がり、結構気に入っている。

写真:渡邊 格


2005年8月2日

芳賀一洋のミニチュアコレクション

 いつのまにか私のキャビネットにはたくさんのミニチュアパーツがたまっていた。手元にあると便利なので少しずつ買いためていたが、なにしろ細かい品物である。次第になにがどこにあるのかがわからなくなってきた。棚でもつくってきちんと並べておけばよいことはわかっている。しかしつい小さな箱にしまいこんでしまうため、使うときに探せずに往生する。加えて先日、かねてよりアメリカの業者に発注していたミニチュアパーツ一式が到着した。その整理整頓には丸一日かかったが、そしていよいよ収納が困難になってきたと感じた。これはやっぱりどこかに専用の棚でも設けるしかあるまいと、せまい作業場の壁をにらみながらあれこれ考えた。棚をつくるのは簡単だ。が常に部屋中におがくずが舞うという埃っぽい環境ゆえ、むき出しのままではたちまち埃にまみれてしまうことは目に見えている。するとガラスキャビネットのような陳列ケースが一台必要となり、大袈裟だし、ジャマだし、カネもかかる。そこまで考えたときにハタと名案ひらめいた。
「そうだ、ぜんぶをイエローサブマリンに持っていってしまおう!」

 すでにご存知の方もいらっしゃるだろう。秋葉原のイエローサブマリン(有名ホビーショップ)には「芳賀一洋作品展」という看板のかかった地味なコーナーがあって、ガラスケースの中に納まった3~4枚の棚の上には小さな作品ばっかりがいろいろと並べて置いてある。私はそのことをすっかり忘れていた。緊急にこの棚を整理して、たまっているミニチュアパーツ類をズラッとそこに並べたらさぞかしわかりやすいだろうとひらめいたのだ。秋葉原までは自転車で約30分。なにかが必要になったときにはヒラリと自転車にまたがって自分の棚を見に行けばよい。運動にもなるし、ごちゃごちゃ家で探しているよりはよっぽど便利で、気分もよかろうと考えた。
 そんなわけで私のミニチュアパーツ類は、ただいま一通りの値段をつけて秋葉原のイエローサブマリンまで逐次移動をしている最中である。しかしそれらの値段付けにはかなりの手間と時間がかかっている。なにしろ一個が100円~200円といったちまちまとしたもののうえ数が多いからだ。
 下に写真を掲載したが、今回陳列したものは主に12分の1スケールの、いわゆるドールハウス・ミニチュアパーツと呼ばれているものばかりである。棚の上には「芳賀製パーツ」も「非・芳賀製パーツ」も一緒くたに並べた。まだまだ追加するつもりではあるが、現段階でほぼ半数以上がでそろったと思われるので、本日ここに紹介することにした。コーナータイトルは「芳賀一洋のミニチュアコレクション」とし、棚の中央には以下のようなキャプションを掲げた。

●芳賀一洋のミニチュアコレクション
 知らないうちに私のキャビネットにはたくさんのミニチュアパーツがたまっていた。いつか使おうとおもい買いためていたが、次第に量が増えてきて、だんだんとわからなくなってきた。そこでその一部をここに並べることにした。海外から仕入れたものや、各地のミニチュアショーで調達したものなどいろいろだが、もちろん私のオリジナルパーツや、私の作品もこの中には含まれている。仕入品にかんしては色やディティールなど手をほどこしてあるものも多い。安いものや高いもの、私の作品やら私のパーツなどが種々雑多に集合した、ここは私のミニチュアコレクションである。
――はが・いちよう

 知る限り東京には現在これといったミニチュアパーツの店がなく、急に何かが必要になったとき、わざわざ海外から取り寄せるのでは不便である。それで私もこんなに溜め込んでしまったわけだが、みなさんとて同様と思うので、なにかが必要になったときにはぜひ一度この棚をご覧になっていただきたい。
 ――場所は、秋葉原ラジオ会館7階「イエローサブマリン・スケールショップ」(tel.03-3526-3071)の中です。なおラジオ会館は、秋葉原電気街口を出てすぐお向かいにあり、「世界のラジオ会館」という巨大なネオン看板が目印です。

イエローサブマリンの芳賀コーナー
撮影:渡邊 格


2005年7月24日

人力車のこと

 先月「人力車」をつくった。
 以前つくった伊東屋(正式題名/初代・伊藤勝太郎の店)の店頭にも一台の人力車が置いてあったが、あれは佐野匡四郎(さの・きょうしろう)という、われわれのクラフトクラブの重鎮がつくったもので、私がつくったものとしてはこれが初めて。伊東屋製作中は常に時間に追われていたため、つい佐野氏に制作をお願いしてしまったが、今回「あづまや」をつくるにあたって、どうしてもまた一台の人力車が必要となり、仕方なく今回は私がつくったというわけだ。
 ところで佐野匡四郎という方は昭和10年のお生まれというから、私よりはひとまわり以上も年長である。国立大学のご出身。工作技術の衰えはいまだに微塵もみせず、現在も毎朝きっかり9時には自宅の工作室に入り、夕方までみっちりと趣味のクラフトにはげんでいるという、なんともうらやましい境遇の持ち主である。氏は真ちゅうの板一枚から、糸鋸をつかって、すべての部品を切り出し、動力の伝達装置や、もちろん電気配線にいたるまでをオールハンドメイドによって、とうとう自走可能な模型の機関車(縮尺80分の1)にまでしあげてしまうという、アンビリーバブルな技術の持ち主である。その機関車の正確無比な仕上がりたるや正に神業で、口ではちょっと説明ができない。最近は客車にも凝っていて、ついこのあいだは7~8両編成の旧型国電(戦前型)を全車両自作してしまった。そのうえその電車は、駅のホームに着くとすべての車両のドアーがいっせいに開閉するという仕組みなのだ。もちろん自動的に、である。ドアーといったってなにしろ80分の1のサイズなのだから、幅約1センチ・高さがせいぜい2センチぐらいのもの。それらが実車とほぼおんなじような按配に、いっせいに(片側に何枚の扉がついているのかは知らないが‥)さーっと開くのである。車両の両側ともに開閉する仕組みだそうで、ホームの向きによってはドアーの開く方向が異なるそうである。そういった複雑怪奇な仕組みはすべて氏が自分で考案し、自分で図面を引き、オール・ハンドメイドによってつくっているという。鉄道模型の世界ではかなり有名な方なので、氏の作品はしょっちゅう、その手の雑誌に紹介されている。佐野氏のこととなるとおもわず熱が入ってしまい、つい説明が長引いてしまった。
 幸運にもそのような名人が身近にいるおかげで、ちょっとむずかしい作り物にでくわすとつい彼に頼んでしまうという悪い癖がある。ふるくはトキワ荘のときの「ガスメーター」(玄関横に設置)や、石ノ森正太郎氏の机の上においてある「電気スタンド」や、直径6ミリの「墨汁の缶」など、すべて佐野氏に頼んだものだった。だから伊東屋をつくるにあたって、人力車だけはどうしても氏にお願いするしかないと考え、製作開始と同時に必死で頼み込んだ。ほどなくびっくりするような品物を届けてくれた。このときに氏がつくってくれた人力車は、当サイト「Works」のなかの「ITO-YA」セクションで、たくさんの写真を見ることができる。
 そして今回、伊東屋と非常に良く似た作品「あづまや」を制作中であることは、2005年5月10日付けの、このトークスでご説明したとおりである。そして伊東屋と同様に、これも明治期を想定した作品である。しかし当初、この作品の店頭には「人力車に代わる別の何か」を配置することによって、人力車製作の苦労からは逃れようと考えていた。そのつもりで明治期に似つかわしい配置物をあれこれ模索したが、結局「人力車にまさる何か」はみつからず、仕方なく重い腰を上げ、こんどは私がつくることにしたのだった。
 下に写真を一枚掲載したが、車輪のホイール部分は直径9センチ・肉厚3ミリの真ちゅう製パイプを高速カッターで薄くスライスして製造した。車輪のスポークや車体ボディー、引き手や、幌の桟など、ほとんどすべてを真ちゅうでつくった。佐野氏の人力車も、おなじくオール真ちゅう製だったので、造りや構造は私のものとほとんどおなじである。ただ私のものは、佐野さんのものと比べると、かなり幌が低い。その幌だが、氏は薄い布地を縫って(!)つくったそうだ。私はそれに見事失敗! 小さな布地を正確に、非常に細かいミシン目で縫うことができなかったのだ。次善の策として仕方なく薄いビニールを探してきて、それをのりで桟にくっつけて、どうにか幌らしく仕上げた。
 制作に当たっての資料は、東京浅草にある㈱時代屋の人力車資料館で、ほとんどすべてを入手することができた。
 ―――時代屋 http://www.asakusa-e.com/jidaiya/jidaiya.htm
 上のサイトを開いていただければ一目瞭然。
 時代屋は、こんにちの浅草を舞台として人力車による観光サービスを提供したり、明治大正期の衣装や風俗を紹介するなど、レトロものなんでもござれの会社である。何回か足を運ぶうちにオーナーの藤原さんと親しくなり、店(人力車資料館)の壁にはってあった「人力車製作図面」のコピーをいただくことができた。これがとりわけ役に立った。またここにはさん然とかがやく「実物・人力車」も一台展示されている。しかし、あいにくそれは比較的最近つくられたものだそうで、車輪にはほば自転車に似たゴムタイヤにスポークがつかわれている。明治期のものには木でできた荷車のわだち(幌馬車のわだち)の如き形状をした車輪が使ってあったとのことで、それら木製わだちの現物も店の天井に、ちゃんと飾ってあった。
 余談になるが、「たそがれ清兵衛」という映画が大好きだ。なにからなにまでシビレたが、ただひとつ、最後にでてくる人力車だけがどうしてもいただけない。時代は明治に変わり、岸恵子扮する主人公が亡き父・清兵衛の墓前に墓参りをするというのがこの映画のラストシーンである。そのあと一台の人力車が、どういうわけかゴムタイヤで登場し、スポークの車輪をきらきらと輝かせながら、岸恵子を乗せて、銀幕のかなたへと、すたこらさっさと走り去ってゆくのである‥。
 「馬鹿野郎!!! 明治だっつーのに、なんで、車輪のスポークがキラキラと光らなきゃなんないんだ!」
 と、おもわず劇場で叫びたくなった。
 映画にはとりわけうるさい「実物・石の家」をつくったというフジテレビの美術担当プロデューサー氏によると、そもそもあのラストシーン(墓参り)は完全なる蛇足だそうで
「あのシーンのおかげでアカデミー外国映画賞を逃したんだよね‥」
と、おっしゃっていた。
 同感である。
 それら人力車に関してのうんちくや、数々の資料をご提供いただいた㈱時代屋の女将・藤原裕三子氏にはこの場を借りて、改めて御礼を申しあげたい。

 「ところで、制作には何日かかりました?」
 以前佐野氏にお伺いしたところ
 「毎日やって、2週間ですか‥」
 と、余裕の微笑みをたたえながら、確か、そんなふうにお答えになったと記憶する。
 やってみたら私もほぼ同様で、制作には約10日がかかった。私の場合、すでに優れた佐野製見本があったことに加えて、佐野氏と比べると塗装がザツな(というか、ほとんどやっていない)ぶん、制作日数を若干短縮することができた。したがって実質的製作日数はほぼおなじとみてよさそうだ。ただ「出来がどうか?」となると、残念ながら、もちろん佐野製のほうが格段と上、みたいである。

 このたび当サイト「プラスチックモデルス」のセクションの、オートバイがいっぱいならんでいるところの最終ページに、特別コーナーを設けて、たくさんの「芳賀製人力車」の写真を掲載したので、ぜひごらんになっていただきたい。そして「佐野製人力車」をごらんになりたい方は「ITO-YA」セクションで、じっくりと‥。ね。

 ――以下、付録。
 以上、人力車にかんしては私のクラフト教室の「アートインボックス制作教室」で課題として取り上げ、生徒のみなさんは現在制作の途上にある。すでに車輪の製造はおわり、ただ今は「板バネ」(車輪を支えるためのもの)制作の工程にさしかかっている。したがってかなり難しい工作を進行中といえる。しかしこれとは別に、かんたんなアートインボックスをつくりたいという希望が以前からあり、7月期より、ゆるゆるの(かんたんな)クラスをひとつ、新しく開始することにした。初回に取り上げる課題は「花屋」(SEINE FLEURS/セーヌ・フルール)に似たもの、を計画中である。そしてその第一回目を、2005年7月16日(土)午後1時30分からと予定しているのだが、スタートまでにはまだ少し間があるので、参加希望者は当サイト・ウェブマスターまで連絡してほしい。スペースには限りがあり、そう多くはお受けできないが、あと2名ていどなら受付可能と思うので、どうぞよろしく。

写真・神尾幸一


2005年7月1日

ドールハウスショーのこと

6月11日と12日、東京浜松町の都立貿易センターに於いてドールハウスのミニチュアショーが開かれる。私の作品も数点出品する予定なので、是非ご来場のほどをお願いしたい。

第7回 東京インターナショナルミニチュアショウ
浜松町 都立産業貿易センター5F
東京都港区海岸1-7-8
◆6月11日(土)10:00~17:00
◆6月12日(日)11:00~16:00
(ワークショップ 10日)予定
入場料
前売券(税込):1日券¥1200 2日共通券¥2000
当日券(税込):1日券¥1500
ドールショウ共通券1日のみ\1700
高校生以下(学生証持参のこと)?障害者手帳持参者 無料
主催:日本ドールハウス協会&トム・ビショップ
協賛:特定非営利活動法人 日本テディベア協会
日本ビスクドール協会 米国大使館商務部 (株)川合木工所
◆ミニチュアショウの入場券の半券にて、同時開催中のテディベアショウに優待割引で入場できます。
◆前売券ご希望のお客様は、お近くのコンビニでお買い求め下さい
●チケットぴあ ●コンビニ発売中 Pコード604-222
<お問い合わせ> 日本ドールハウス協会
〒112-0002 東京都文京区小石川1-27-9 渡辺ビル2階

 このショウは今回で7回目だそうだが、私は過去6回(今回を含めて)出場している。ショーの初日は毎回土曜日と決まっているのだが、あいにく土曜日は私の工作教室があるためいつも初日には顔を出せない。かわりに二日目(日曜日・6月12日)は一日中会場につめる予定なので、見かけたらぜひ声をかけてほしい。
 どうぞよろしく。

2005年5月30日

東屋(あづまや)のこと

 現在このウェブサイトの表紙に使っている写真は、去年の春、伊東屋を作っていたときのものだ。この写真のあと、作品は2004年5月には完成し、当サイト「ワークス」のセクションでたくさんの完成写真を見ることができる。そしてそのあと実はもうひとつ、これと非常によく似た作品を作り始めている。本編(伊東屋)制作のために調達したパーツがいくらか余っていたことに加えて、せっかく覚えたいくつかの新技術を一回ぽっきりで封印してしまうのはもったいないと思ったからだ。そんな事情から再び作ることにしたのだが、もう一回作るのならばと、今回は私の工作教室の課題として取り上げることにし、「スモール伊東屋」(本編よりは一回り小さいという意味)みたいなものを目指している。しかしなにぶんひとつ一つの作り方を説明しながら、しかも生徒さんたちの制作進度とあわせながらの仕事なので、どうしてもスピードが遅くなる。はじめたのは去年の夏のことだったが、それでも最近やっとかたちになってきた。下の写真を見てほしい。もちろんまだまだ未完成だが、オリジナル(伊東屋)と非常によく似ていると感じられることだろう。そして本編を製作中だったころの写真(表紙写真)と比べると一歩完成に近づいていることをご確認いだきたい。
 あまりにも本編(伊東屋)に似ているために、このたびのスモールバージョン製作に先立っては、趣旨を説明して、伊東屋の伊藤高之社長には「似たものをもうひとつ作ってもよろしいでしょうか?」と問い合わせて許可を得た。そして(言われたわけではないが)「伊東屋」という名前は使わないこととし、いまのところ「東屋」(あづまや)という屋号を考えている。
 おかげさまで一番やっかいな室内(店内)は大方終了し、そろそろ全体形状に取り掛かろうというところまできている。これからがおもしろいところなので私はやる気満々。やっと興に乗ってきた。ただこの作品は、生徒さんたちにとっては少々むずかしいので、一体何人の方々が完成までこぎつけることができるのかと心配している。
 いずれにしても年末までには間違いなく完成する予定だ。できるだけ小さな作品に仕上げて、完成した暁にはアメリカまで持って行き、あっちのミニチュアファンにもお見せしようかと考えているところである。

東屋(あづまや)


2005年5月10日

作品展終了のこと

 昨年の10月28日から伊豆高原ドールガーデンで開催していた「セピア色の風景・芳賀一洋/立体絵画の世界」が先日(4月30日に)無事終了した。期間中ご来場いただいた方々には厚く御礼申し上げたい。
 5月8日、撤収のためトラックで伊豆高原まで出向き、作品を回収してきたわけであるが、当日の写真が一枚ほしいと思い、お世話になった担当者に、一緒に写真を撮りましょうよ‥と持ちかけた。
 すると
「え~!わたし‥写真は、ニガ手なの‥」
と言ったきり、彼女は突然どこかに消えてしまったのだった。あれ?っと、少しメゲていると、しばらくすると猫のかたちをした仮面を携えて戻ってきた。そんなわけで、下の写真で仮面をかぶっているヤングレディーが、このミュージアムの学芸員吉岡由起子さんである。仮面の吉岡さんをはじめ、鮎川寿枝館長にもすっかりお世話になってしまった。改めて御礼を申し上げたい。

撮影・杉山武司
ドールガーデンのカフェテラスにて


2005年5月9日

お花見のこと

 去る4月10日(日)、われわれクラフトクラブの有志10余名は中央線武蔵小金井駅近郊に位置する桜の名所「小金井公園」まで繰り出してひとときのお花見を楽しんだ。当日はさわやかな好天に恵まれ、公園全体を埋め尽くした何百何千というシートの上では家族連れやカップルたちがまことに平和で健康的な宴を繰り広げていた。
 午前11時、私の乗ったバスが公園西門前に到着すると、若手クラブ員のひとりである渡邉格(わたなべいたる)氏が迎えにきていた。それから門をくぐり、歩いて5分ほどのところに陣取った青いシートまで案内してくれた。聞くと場所取り班は午前9時前には公園に到着し、しかるべき地べたをゲットしたとのこと。シートの上ではすでに数名の有志が意外と上品に酒を飲んでいて、ドンちゃん騒ぎをしている風でもなかったので一安心。あいにく私は所用があったため午後4時まで同席し帰宅したが、ほかの皆さんはその後近所の居酒屋に場所を変え午後10時まで飲み続けたという。
 ――以下参加メンバー。

 小川美樹
 稲葉美智子
 佐野匡司郎
 牧野幸文
 砂田麻美
 中村幸司
 三宅孝雄
 渡邉格
 坂井恵理
 迎宇宙
 高谷俊昭
 坂田真一
 芳賀一洋

 実をいうと私は若いころ、桜というものをあんまり好きではなかった。あのけばけばしいピンク色を下品だと感じ、どうしてもなじめなかった。それは特攻隊のイメージとも重なった。あるいは桜吹雪舞い落ちる三波春夫の歌謡舞台や、地方の商店街の軒先などに連なっている造花とも重なって、それら桜の花にまつわるイメージは概してやぼったくて古臭くて安っぽくて、どうも好きにはなれなかったのだ。そういう御仁も案外多いのではなかろうか。ところが50才を過ぎたころのこと、あるうららかに晴れわたった春の日を突然に、とてつもなくいとおしいものに感じた一瞬があって、そのとき以降急に気が変わり、桜に対する嫌悪感がいっぺんに吹き飛んでしまった。まあ年のせいだろうと思う。ちょうどそのころを境にして若いころには見向きもしなかった水戸黄門の如き時代劇もすんなり受け入れられるようになったので、これはいわゆるお年寄りの仲間入りを果たしたということなのかと、静かに愁(うれい)ている今日この頃である。

撮影:渡邉 格


2005年4月16日