石ノ森章太郎の机

 このところずっと宇都宮展がらみの話題がつづいていたが展は無事終了。ご来場いただいたみなさまには厚く御礼を申しあげます。開幕当初はうだるような暑さだったが、季節はすっかり秋へとうつろい、まことにさわやかな今日このごろである。
 実は展開催の10日ほど前に石ノ森萬画館(石巻市)から、生前石ノ森章太郎氏がマンガ原稿執筆に使っていた自宅の机(作業場)を制作してほしい旨のご依頼があった。展開催中から今に至るまで、ずっとそれにかかりきっている。
 下がその写真だが、これはトキワ荘時代のものではなく氏が大成を遂げたあと、石ノ森氏50歳のころに使っていたもの。鬼気迫る迫力、文句なく美しい。破れた座布団があまりにもシブイ。
 縮尺12分の1。
 今月末完成の予定。
 —–乞うご期待を!!

2008年9月18日

セーヌ・フルールのこと

 1996年に制作した「セーヌ・フルール」(花屋)というアートインボックス作品が、気にいらず困っていた。肝心の花がみすぼらしく全体にゴチャっとした印象だったからだ。そこで先日、いまやっている宇都宮展にあわせて、思い切って手直しすることに。まず店内部を大幅に拡張し、室内の照明を増やし、花を取り替え、フレームを大きくした。どれも長いこと念願していた改装だったが、やっと手をつけることができた。気に入っていないことの元凶、基本構造まではいじれなかったが、それでもだいぶんスッキリした。これにあわせて、アートインボックスセクションに掲載されていた以前の写真も、すべて新しいものにチェンジを完了。
 実はこのリフォームのために、うちの倶楽部のふるはしいさこさん、田島なぎささんには、たくさんの、すばらしい花々をつくっていただいた。ところが実際の作業にかかったところ、それらが作品にフィットせず(というよりは、花はできるだけ少ないほうがいいように思えて)使えなかった。おふたりには改めてお詫びを申し上げます。そのうち必ず別の作品で使いますので、どうかお許しください。
 リフォーム完了のあと、作品はただちに宇都宮展会場へと運び現在展示中。
 宇都宮展は、ギャラリー悠日にて9月17日までやってます。
 会場URL:http://www.yujitsu.com/

「セーヌ・フルール」を改装しました


2008年9月8日

宇都宮展の写真アップ完了

 大緊張でのぞんだ8月23日のラジオ生出演だったが、意外とうまくいった。
 銅メダルをめぐって争った星野ジャパンの対アメリカ戦と放送時間がかさなっていたにもかかわらず、翌日には「ラジオを聴いた」というお客様がドッと拙展会場へ。そりゃあ久米宏とくらべりゃ多少落ちるが、ど素人としては上出来の部類だったと、めずらしく家人からもほめられ、気をよくしている。(ラジオ出演に関しては前回の当欄参照のこと)。
 放送局からの帰り、会場へと立ち寄って展の様子を写真に収めた。撮った写真はすでに掲載を完了。会場はなにしろ宇都宮である。出かけられない方々にはせめて写真だけでもご覧いただきたい。(左のインデックス「展示会情報」をクリックし、開いたページ最下段にある「展示会場シーン」というポッチから入れます。)
 この宇都宮展は、ギャラリー悠日にて9月17日までやってます。
 会場URL:http://www.yujitsu.com/

本番直前に臼井佳子アナと


2008年8月31日

土曜ちゃっかり亭のこと

 毎土曜日の午後、CRT栃木放送からオンエアーされている「土曜ちゃっかり亭」という人気ラジオプログラムの8月23日(土)の回に、HAGAが生出演いたします。多分午後2時からの「今日のお客様」というコーナーに登場し、現在宇都宮で開催中の拙展を宣伝することになるのでしょうが、約一時間のロングインタビューだそうだ。自慢じゃないが、おしゃべりは大のニガ手。一体どうしたらいいんだろう。いまから心臓バクバクである。ご興味のある方はぜひダイヤルを合わせてください。

栃木放送 http://www.crt-radio.co.jp


2008年8月20日

宇都宮展のこと

 ひさしぶりに下記要項で、エキシビションを開催いたします。
 今回は規模が大きく、過去展の中でももっとも充実した内容を目指して、ただいま猛準備中。とつぜん熱湯のような忙しさにおちいってしまい、狭い家の中を駆け出して歩いている。

 タイトル: -Paris- 芳賀一洋展
 URL : http://www.yujitsu.com/
 会場: ギャラリー悠日
 住所: 栃木県宇都宮市吉野1丁目7番10号
 電話: 028-633-6285
 日程: 2008年8月17日(日)~9月17日(水)
 時間: 午前11時~午後6時(火曜休み)
 入場料:500円 ドリンク・お菓子付

 宇都宮は大谷石の産地として知られるが、ここで採掘された石を貯蔵するための古い倉庫が、東武宇都宮線・南宇都宮駅前に5~6棟並んで建っている。昭和初期に建てられたというそれらの蔵はまことにレトロ。現在はロフト風ギャラリーとして改装され、申し分のない展示環境となっている。
 少し遠方ですが、お時間があれば是非お出かけください。

2008年8月17日

シスコのビショップショー

 いやあ~東京は暑い。
 サンフランシスコの、あの、さわやかな気候が熱烈に恋しい。
 あっちでは午前中みんな真冬のいでたちで街を歩いていた。そして午後、グングン気温が上昇するが、あくまでもさわやか。蒸し暑いなんてことはまるでなかった。もう北京ではオリンピックがはじまったというのに、いまだにウェストコースト気分を引きずっている、あわれなおじさんである。
 —–以下、前々回の記事のつづき。
 さて、ゴーストタウンを後にして3日後のこと。7月19日午前9時、散々道を間違えた末に、どうにかサンフランシスコ・ベイブリッジをわたり切り、車はシスコのダウンタウンへと入った。ものすごい霧である。更に道を何回も間違えて、ちょうどこの日に開催中の、トム・ビショップ・ミニチュアショー会場へと辿り着いたのは、お昼のちょっと前だった。会場はダウンタウンから南へ30キロ、バーリンゲームという町の海辺のホテル。いつのまにか霧はすっかり晴れて、あたり一面に燦燦と日がふりそそいでいる。重厚な扉を開けてホテルの中庭へ進むと、ほどなくビショップ氏の姿を発見。彼は熱帯性植物に囲まれたテーブルの前で、のんびり新聞を広げ、ブルーのアロハ姿でくつろいでいた。
 「きょうは客としてここへ来ました…」
 恐る恐る告げると、彼は「ICHIYOH…」とだけひとこと発し、メガネを外し、まるでゴーストでも見たかのようにまじまじとぼくの顔を見つめた。入場料6ドルを払って中へ。
 さっそくウェスタンブーツや馬の鞍など、なんだかんだで10万円ほどのミニチュアパーツを調達。それらはしばらく使わないので(売れてしまわぬことを祈りながら)すでにイエローサブマリンの棚にならべてしまった。また、テキサスから来たというディーラー氏に、いくつかの馬具ミニチュアをスペシャルオーダーするなど、会場ではそれなりの収穫があった。
 まあミニチュアのはなしはそのぐらいにして、きょうはサンフランシスコの坂について少しだけのべたい。
 シスコが坂の街であることはもちろん知っていた。が、まさか、あんなにスゴイとは。例えば神戸のように、一方向の斜面のうえに街があるのならば理解ができる。ところがこの街はバッコンバッコン上ったり下ったりと、まるでラクダの背中のようなのだ。そんな地形のうえにビッシリ建物が建っている。なれない者はまず平衡感覚がやられ、やがて軽い船酔いを患ったような気分になってくる。その不思議な感覚をなんとか写真で伝えたいといろいろ撮った。が、写真にするとどうもうまく伝わらない。それでも下の一枚だけは、見ていると、いまだにヘンな気分が、多少はよみがえってくる。
 —–次回は、この坂道を行く「ケーブルカー」について。

2008年8月9日

ワンフェスのこと

 夏のワンフェスに、うちの倶楽部の相澤和子さんが出場するそうだ。相澤さんのほかにも矢沢俊吾さん(アートインボックス「イザベラ」を一緒に作った人)や、千石クラスに在籍しているゴジラ作家の山脇隆さん、ミニチュアパークの木内一夫さん、ショベルヘッドの宇田川誉仁さん、絶対少年の佐藤眞人さん等々。顔なじみの方々が多数出場いたしますので、ぼくも顔を出すつもりです。 みなさんも是非お出かけ下さい。
 ——-ワンフェス(ワンダーフェスティバル・2008/夏)は8月3日、有明の東京ビッグサイトで開催されます。
 と、ここまで書いて、なにか写真がないかと探したら、いいのが一枚あった。
 下は去年の冬、ぼくが出たときのもの。
 オレンジ色のダウンベストはワンフェスの主催者、㈱海洋堂社長、宮脇修一氏である。氏が手にしているのはトキワ荘の作りかけ。たいそう褒めてくれた。そして、こういうものをレジンで複製できないか、みたいなことをおっしゃった。ところがこのときぼくは宮脇さんのことを知らなくて、ヘンなオヤジがめちゃくちゃなことを言うもんだと、ろくな対応をしなかった。
 氏が帰ったあと、わきにいた山ちゃん(山下浩氏)から
 「あの人は、海洋堂の社長ですよ…」
 と、名刺を見せられ、ドッと冷や汗が出た。
 宮脇氏の左、ワインレッドのジャケットは岡田斗司夫さん。当時は岡田さんのことも知らなかった。今では「レコーディングダイエット」の著者として有名だが、このときはまだそんなにスリムではなかった。岡田さんの後ろがイラストレーターのモリナガ・ヨウ氏。そして宮脇社長の右隣がデザイナーの横山宏氏である。
 有名人4人が固まっているのを見て、誰かが「四暗刻(スーアンコー)みたい!」と言ったのが聞こえたが、不覚にもこのときは誰も知らなかった。

2008年8月2日