悠+(はるか・プラス)

 雑誌「悠+(はるか・プラス)」での連載3回目、6月号が発売されている。
 初回が「トキワ荘」で、次が「居酒屋」と、2回つづけて和ものだったので、今回は洋ものでいくことに。
 —–下はその記事から。
 「錠前屋のルネはレジスタンスの仲間」、
 写真は、1997年に制作した「錠前屋のルネはレジスタンスの仲間」というアートインボックス作品(縮尺12分の1)である。
 アートインボックスとは、平たい箱の中に壁や建物といったディティールを立体的につくりこんだ3D作品のこと。1996年、新宿伊勢丹で開催した拙展の折、担当者から、画廊の壁面に飾れるような立体作品をつくってほしいといわれ、つくりはじめた。ロケーションをパリと限定し、時代背景を第二次大戦直後と決め、シリーズで制作している。
 なお、本日ここに紹介した作品は、荻須高徳画伯描くところの「鍵屋(パリ)」という絵を、できるだけ原画に忠実に立体化したものである。

『悠+』(はるか・プラス)6月号
発行:㈱ぎょうせい


2010年5月29日

デザフェスの写真

 下は、HAGAブースを裏側から撮ったもの。
 右に突っ立っているのは「あづまや」。左の白い箱は「ニコレットの居酒屋」。押し寄せる群集にただひとりで対峙しているのはアラサーのらるかちゃん。ピンクのワンピースで決めてます。これを撮ったのは、プロカメラマンの神尾幸一氏、その道40年の大ベテランである。どうりでね。やっぱ、写真にパワーがあるよ。
 ま、デザフェスは、こんな状況でした。
 ご来場のみなさん、ありがとう!

デザフェスのHAGAブースの写真は、下記ホームページ
「コーヒーブレイク」というセクションでも見られます。
http://www.ne.jp/asahi/tsmc/net/


2010年5月22日

近況①「悠+(はるか・プラス)」

 雑誌・月刊「悠+(はるか・プラス)」での連載2回目、5月号が下のようにできあがり、またまた担当者が家までとどけてくれた。
 —–下はその記事から。
 「居酒屋ふう昼メシ屋」
 2006年のこと。あるテレビCMの背景として、夜は居酒屋だが昼は定食サービスもやっている、庶民的飲食店の内部造作を、ミニチュアでつくってほしいという依頼があった。
 撮影は2週間後だという。
 丸一日考えた末にOKし、怒涛の如く制作を開始した。
 2日でイスとテーブルをつくり終えると、3日目にはCM監督お気に入りの居酒屋内部の写真がとどいた。それをもとに壁や天井をつくっていると、こんどはどんぶりの柄や定食メニューについて、すなわち焼魚定食をつくってほしい、などのオーダーが次々と舞い込み、パニックに。それでもなんとか撮影日の朝、ご覧のような居酒屋ふう昼メシ屋が完成した。

『悠+』(はるか・プラス)5月号
発行:㈱ぎょうせい

近況②「雑誌『悠日』のこと

 現在、作品はすべて宇都宮の「悠日」(ゆうじつ)という倉庫に保管してある。
 そこは、倉庫であると同時にアートギャラリーであり、カフェであり、レストランであり、音楽パフォーマンスの会場であり、クラフトアートの制作教室でもあるというマルチ空間。
 その悠日さんが、こんどは「悠日」というタイトルの雑誌を出すという。
 実は、数ヶ月前にも一度この雑誌のテスト版が発売され「馬具店のこと」と題する一文を寄稿したことがあった(1月30日の小欄で紹介)そしてこのたび、正真正銘の、創刊1号が発売さることとなり、こんどは拙作「伊東屋」が紹介されている。
 ——下はその記事から。
 (ちょっと長いがその全文を掲載する)
 「伊東屋のこと」
 東京銀座伊東屋は文房具の老舗として有名だ。創業明治37年、日露戦争が勃発した年である。本店9階には広さ30坪のギャラリーがある。
 2001年8月、そこで作品展を開催した折、この店の伊藤高之社長(現会長)がお見えになり、たいそう作品をほめてくれた。
 そのときのこと、ご挨拶もそこそこに
 「御店はたいへんに歴史のある店とうかがっております。そこをアピールするため、店頭に創業店舗の模型を置いたらいかがでしょうか…」
 わたしは、単刀直入にそう切りだした。
 そして
 「三越におけるライオンのように、よいアドバルーンになると思うのです。」
 と、そこまでを言ったとき、とつぜん社長は「あっ!」と中空をにらみ、どこかへ消えてしまった。おかしいなあ、はなしの途中だったのに、と割り切れない思いでいると、2時間後、彼はもどってきた。
 「これ、つくれる?」
 社長はふるぼけた写真を手でぷるぷるふるわせながら、たずねた。
 見ると、創業店舗の写真である。随所に複雑な、ゴシックふうの造作が施された、重厚で、きらびやかな建造物だ。一見し、つくるのは、非常にむずかしそうだと感じた。
 しかし
 「もちろん、おつくりできます…」
 わたしはつとめて冷静に、ただそれだけを答えた。
 それから二年—————。
 伊東屋さんからはなんの連絡もなく、そのことはすっかり忘れていた。
 すると2003年の秋、同店意匠部の方から連絡があった。社長が創業店舗の模型展示物を、ぼくにつくらせたいと言っているそうだ。聞くと翌年が伊東屋創業百年にあたっていて、そのシンボルとして、模型がいるらしい。「だったらつくりましょう!」ということになり、つくりはじめ、製作には約100日を要した。
 なにしろ伊東屋は文具店である。
 おびただしい量の文房具が必要だ。
 そのすべてが明治のものでなければならない。
 さいわい往時の商品カタログが残っていて、それを目安にひとつずつつくることからはじめた。万年筆や、インクの瓶や、絵の具のチューブや、筆や、パレットナイフや、キャッシュレジスターといった金属っぽいものは、だいたいぼくがつくった。しかしノートやハガキといった紙ものは、わたしの工作教室の田山まゆみさんに、そして人力車は、おなじく工作教室の重鎮・佐野匡司郎氏に制作をお願いした。
 まあそんな突貫工事の末、作品は2004年の春、みごと完成し、同年秋、帝国ホテルで開催された創業百年祭会場に展示された。
 (以上、雑誌「悠日」の記事より)

4月15日、雑誌「悠日」創刊号が発売されました。

近況③「高間さんからのメール」

先月「40分の1トキワ荘におったまげただぁ」という記事を掲載したところ、さっそく作者の方から下のようなメールがとどいた。
—-以下、原文のまま。
芳賀一洋さま。はじめまして。
ご挨拶がおそくなりまして申し訳ございませんでした。福井県在住の高間信夫と申します。
たぶん、ご記憶にある名前かと存じますが、4月10日、東京都豊島区での「トキワ荘記念碑一周年イベント」で作品を展示させていただき、芳賀さまの近況報告コーナーでご紹介いただいた者です。横浜市の伊藤康治さまから、芳賀さまのHPで紹介されていると連絡を頂き、遅くなりましたがご挨拶のメールを差し上げた次第です。
この度は、事前に何の許可を得ることなく、芳賀さまの作品を模倣して展示する形となってしまい大変失礼いたしました。私は20年程前から、この1/40というスケールで住宅模型製作を趣味にしている者です。数年前から、マンガや映画、テレビに登場する主人公の住まいを製作するようになり、今回、トキワ荘の地元商店街さまからお声がかかり上京いたしました。
トキワ荘の前は、伊藤康治さまからアドバイスをいただき、映画「ALWAYS三丁目の夕日」の鈴木オートを製作し、トキワ荘の後、これまた芳賀さまの作品を参考にさせていただき石の家も「動くジオラマ作品」として製作いたしました。
トキワ荘に関しては、石ノ森萬画館に芳賀さまの作品が展示されていることは承知していたのですが、なにぶん遠い場所なので未だ作品を直に拝見したことはございません。参考となる資料も少なく、唯一参考にできる資料が芳賀さまの作品でした。私にとっては、とても足元にも及ばない素晴らしい作品でありました。
たいそう無礼なヤツとお思いでしょうが、芳賀さまをはじめ伊藤さま、その他多くの作家の方々の作品を目標に、今後も製作意欲を絶やすことなく取り組んでまいりたいと思っておりますので、これを機に、お付き合いいただければ大変光栄に存じます。
(以上、高間さんからの許可をいただいて掲載した。)
高間さん、メールをありがとう!
——下の写真は、文中にある「鈴木オート」。そのほかの高間作品は下のアドレス、Yahooフォトで見ることができます。
http://photos.yahoo.co.jp/ph/taka_maxjp/lst?.dir=&.view=t

高間信夫さんの作品


2010年5月15日

近況①「ティムとの再会」

 以前、馬具店のはなしのなかで、ロサンゼルス在住の弁護士がいろいろ調べてくれた、と書いたことがあった。その弁護士氏は、送られてきたむかしの写真を詳細に調べ、そこが馬具店ではなく、駅馬車のストレージルームであろうという示唆(しさ)を与えてくれた。同時に、現地米国へ行って実際の建物を見るようすすめてくれ、二ヵ月後、わたしは彼のおすすめに従ってカリフォルニアのゴーストタウンへと飛び、これが馬具店完成へとつながる大きなステップとなった。
 ところが、その後、あいにくその弁護士氏とは音信不通になってしまい、ここ一年半ばかり、どこでどうしているのか、さっぱりわからなかった。
 そしたらである。先日シカゴのショー会場で、その弁護士、ティム・オベンスキー氏とばったり出くわし「オーマイ!」と叫び、はずかしながらわれわれはガバと抱き合った。そして、調べてもらった作品が完成したことを、はじめて彼に伝えた。
 もともと彼とは2008年に、このショーで知り合い、以後ときどきメール交換をするようになったので、ためしに馬具店のことをたずねてみると、ほかの誰よりも真剣にそのことを考えてくれ、調べてくれ、たくさんの写真を送ってくれた。それらを、彼はみなボランティアでやってくれたのである。
 下の写真、右がティム。

ティムと

近況②「ケン・ビアー氏のこと」

 アメリカのミニチュアショーに最初に参加したのは西暦2000年のシカゴだった。
 そこで、いままで見たこともないような、素朴であじわい深いミニチュアの家具をみつけて感動し、調べると、それが「シェーカー・ワークス・ウェスト」というディーラーがつくったものだとわかった。
 そして2003年、ニューヨークで開かれたショーに参加したときのこと、その初日、あらかたのディスプレーを終えて、ふと周囲に目をやると、ぼくのテーブルの数軒となりに、なんとその「シェーカー・ワークス・ウェスト」さんのテーブルがあるではないか。
 さっそく見に行くと、シーン・コナリーのようなおっさんから
 「やあICHIYOH、ぼくはあんたの作品が大好きだよ…」
 と、とつぜん声をかけられた。
 ——大感激である。
 会ったのはそのときがはじめてだったが、そのおっさんこそが「シェーカー・ワークス・ウェスト」のケン・ビアー氏だった。
 今回シカゴで、そのケン・ビアー氏と写真を撮った。
 いつか彼と一緒の写真を撮って、そのとき同時に、彼のホームページを紹介したいと、ひそかに考えていたのだが、やっと念願がかなった。
 下が彼のホームページです。
http://www.shakerworkswest.com/
 今回、ケンのテーブルからは、レトロなラジオを1台買った。
 そのラジオは、すでにイエローサブマリンの棚にならべてあります。

ケン・ビアー氏と

近況③「ルーシーさんとの写真」

 ルーシー・マロニーさんのことは過去何回かここに書いたことがある。
 シカゴのショー会場には、もちろん彼女のテーブルもあって、ディーラー名は「デザイナー・ドッグ・ミニチュア」という。
 さっそく会いに行き、下のような写真を撮った。
 前回(2008年)は、中日(土曜日)の夕方に、会場横のレストランで、彼女といっしょに食事をしたのだが、今回は、あいにく都合がつかず、また次回ということに…。

 以上でシカゴのはなしはおしまいです。
 そして次は、いよいよ普天間(ふてんま)です。
 ん、なんか、ちがうなぁ~、あ、そうだ!普天間は、ハトヤマさんで、おいらはデザフェスだった、ごめん、ごめん、次はデザフェスです、ああ、あぶない…。
 ハトヤマは、じゃない、じゃない、Hagaは、だよ、5月15日と16日の2日間、普天間飛行場で、おっと、ちがう、ちがう、東京ビッグサイトだよ、東京ビッグサイト、そこで開催される「デザインフェスタvol.31」に出場します。
 やーばい、やばい、非常にやばいぜ、こりゃあ、なんでもかんでもが、みんな普天間の方向にいっちゃうんだから、デザインフェスタをやるのは、沖縄の普天間飛行場ではなくて、東京の、ビッグサイトだからね、絶対に間違わないでね、たのむぜ、ベイビー。
 ——-詳細は左のインデックス「展示会情報」で。

ルーシーさんと


2010年5月8日

近況①「シカゴのこと」

 4月16日からの3日間、米シカゴのホテルで開催されたミニチュアショーについて、改めて、きょうは標準語で。
 4月15日午後3時30分、シカゴ「オヘア空港」着。
 そこでひとりの日本人青年と遭遇。
 その青年、横山裕亮さん(29才)は、成田からオヘアへ到着後、直後の継続便でマイアミへ飛び、そこからさらに飛行機を乗りかえてブラジルの奥地へと向かう予定だった。しかし運悪くマイアミ行きの便に乗りおくれてしまい、次便が出る翌日までどこかで待機せねばならぬのだが、英語がわからず途方にくれているという。
 「なら今夜ぼくの部屋に泊まったら?」
 で、はなしがまとまり、青年をひろって空港からホテルへ。
 —–下が宿泊ホテル「シカゴ・マリオット・オヘア」のウェブサイト。
 http://www.marriott.com/hotels/travel/chiap-chicago-marriott-ohare/
 そんな事情から、このたびの搬入と陳列はその青年が手伝ってくれ、おかげで難なく完了。そして青年がマイアミへ去ったあとは、こんどは「さかつう」(巣鴨のホビーショップ)の坂本直樹さん(33才)がぶらりとやってきて「手伝います」という。それからの3日間、彼はじつに気の利いた気配りで接客や販売、ときには商品の説明までをこなしてくれた。横山さんといい坂本さんといい出かけるまえには予想だにしなかった若手サポート陣の登場によって、前回ここに書いたようなしんどさは、さほど感じずにすんだ。また、うちの倶楽部からは古橋いさこさんと正影智子さんのご両人が、ご夫婦でいらっしゃっていて、常にそばにいた。したがってあんまり英語を話す必要もなく、言葉で悩まされることもほとんどなかった。
 しかし肝心のショーは、時をおなじくして発生したアイスランドでの火山噴火のため、ヨーロッパからの飛行機便が途絶え、いつもの7掛け程度の客の入り。加えてドバイショックの影響か、普段じゃんじゃん買うはずのオイルマネーのやからが見あたらず、盛りあがりはいまいち。そんな中、客としてやってきた約10名のジャパニーズウーマンたちは、だいたいみなさん、ひとり100万円程度は買っているご様子だったので、ここミニチュアショーの現場に限っていえば、ジャパンマネーの威力はまだまだ健在、アキバではあんなに元気なチャイニーズたちも、ここシカゴには姿をあらわしていなかった。

会場は3つの広間とひとつの通路で構成されていた
写真は一番大きな広間

近況②「ミニチュアコレクター誌のこと」

 シカゴでは「さかつう」の坂本直樹さんがぼくのテーブルを手伝ってくれた、とさっき書いた。同時に彼はスイスイと、じつに身軽に会場を歩きまわり、しょっちゅういろいろなものを買ってきた。
 「こんどは、これ、買ってきました…」
 と、そのときは、ミニチュアコレクター誌のブースから、4~5冊の雑誌を買ってきて、わたしの横でパラパラっとめくってみせた。
 そこではじめて気がついた。
 「え、それって、オレの作品だ!」
 というわけで、米ミニチュアコレクター誌の、2010年3月号に、拙作「石ノ森章太郎の机」が掲載されているのを発見! 彼がそのときその雑誌を買ってこなければ、おそらく永遠に気がつかなかっただろう。

上の雑誌は下のホームページで買うことができます
www.scottpublications.com

近況③「月刊美術のこと」

 すべてのショーが終わり、成田からの帰り道、リムジンバスの車内で携帯が鳴った。出ると月刊美術編集部の下川拓郎さんだ。「例の芳賀さんが掲載された雑誌ですが、やっとできあがりましたので、いまからお届けにあがろうかと…」
 「OK、5時半には家にもどります」
 「了解」
 てなわけで、帰国の荷解きもせぬままに、またまた家の前の焼肉屋へ。まずは「お帰りなさーい!」「カンパーイ!」のあと、さっそく雑誌をめくってみた。
 「へえ~、かっこいい写真だねぇ~」
 「カメラマン王君をほめてあげてくださいよ」
 「でも文章もいいよ。電気スタンドの薄明かりのむこうで、面相筆を操りながら作家がつぶやいた、なんてフレーズ、なかなか出てこないよ」
 「ええ、わたしも12年やってますので…」
 そんな会話を聞きつけて、店のママが寄ってきた。
 「ちょっと、わたしにも見せてよ、え、これって、あそこの部屋なの、まあかっこいい! うちも本屋さんへ行って一冊買ってこようっと…」
 言いながら彼女は、わたしの手元から雑誌を取りあげて、いつのまにか店の奥のほうにいるマスター(旦那)のところへ持って行ってしまった。
 ——-な~んだよ、バカヤロー、せっかく見てたのに~。
 持っていかれてしまったのは「月刊美術」5月号、その「アトリエビュー」というページに、ぼくのアトリエのすばらしい写真が載っている。ママさん本当に買ってくださいね、そしてみなさんもね。
 ただいま全国の書店で販売中!

「月刊美術」5月号/実業之日本社発売


2010年5月1日

近況①「シカゴでの収穫」

 まんずは下の写真を見ちょっとよ。
 ごっついもんやろ。
 けんどよ、ドバイショックのあとやさかいに、今回オイルマネーの連中が来やせんで、ゼニぃの高さは前回(2008年)よりも、だいぶん低なったんよのおぉ。
 ショーの終いの日ぃに、ホテルのへやさにこもりおって、おいどんがひとりでカネ勘定をしよって、しょんぼり写真さ撮ったんじゃい。くすん…。

近況②「40分の1トキワ荘」

 東京新聞4月11日朝刊に「40分の1トキワ荘」という記事を発見し、呼吸を忘れて数秒間、真剣にその写真を見つめてしまった。福井県の高間信夫という方が趣味でつくった作品だそうだが、あまりにもぼくのものに似ていたからだ。カベに立てかけたキャタツや、ベランダの内側に散らかったゲタの位置など、まるでそっくり。
 特にベランダのゲタは、このホームページに掲載されている写真には写っていないので、まちがいなく高間さんは萬画館に展示されている15分の1トキワ荘の、ベランダの内側をのぞいたハズ。そして2階の内部は80分の1トキワ荘に非常によく似ていた。つまりこの作品の作者は、ぼくのトキワ荘の、とても熱心なファンなのだろう。ならばこの欄を読んでいる可能性があり、そこで一言。
 のぶおさんねぇ、すんごい作品でねーが、おらーぁおったまげただぁ。

東京新聞4月11日朝刊
ベランダのはじっこ方にチラッとゲタが見えるでしょ?

近況③「アーマーモデリング」

 月刊「アーマーモデリング」(大日本絵画/発行)という雑誌の「人」というコーナーに、このたびHagaの活動が紹介された。雑誌が届いてはじめてわかったが、そのコーナーは表紙をめくってすぐの1ページ目にあり、めちゃくちゃ目立つ場所だ。
 アーマーモデリング編集の千谷さん、正木さん、ありがとう!
 おらーぁなー、おめーさんらの書いたものば、どえらい気にいりおったでぇ。

アーマーモデリング/2010年5月号


2010年4月25日

おいどんはシカゴじゃい

 飛行機がぶじ着きおったなら、おいどんはいまごろシカゴのホテルでグロッキーになっちょるころじゃろう。
 ここのしんどさは、デザフェスや生徒展とは比べもんにならんのよ。
 まんずは出かける前の準備で十分へこたれた挙句に、休むまもないロングフライトじゃ。時差ぼけのまんま搬入し、陳列じゃい。肉体的へろへろなところへもってきて、のべつまくなしにヤンキーの連中が、ごちゃごちゃわけのわからん英語ではなしかけてくるさかいに、精神的ストレスもごっついもんがあるんよのう。その上ビールはうまないし、レストランにはろくな食いもんがないんときちょる。ま、そんな過酷な状況じゃい。
 はよジャパンに戻りたいのお~。
 とは言ったけんど、きょうは写真があらへんのや。そんで、しゃあないさかいに、下においどんが大好きな「チェンバース・ストリート駅」でも見せちゃろうとおもうたんよ。これ、マンハッタンのど真ん中の駅なんよ。ウォール・ストリートのすぐ近所やけんど、かっこええやろ。ま、シカゴとは、あんまりカンケーあらへんけどな。

チェンバース・ストリート駅


2010年4月17日