月刊「悠+」(はるかプラス)10月号

 月刊「はるかプラス」10月号が発売になった。連載中のHagaコーナー、今月の作品は「ワンス・アポン・ア・タイム」。
 以下記事より。
 1998年春、新宿の京王プラザホテルでの拙展開催が決まった。
 このときホテルの担当者から、展に先立って大型作品数点を宣伝のためロビーに展示してほしいと言われ、さっそくつくりはじめた大型作品のうちのひとつが、この「ワンス・アポン・ア・タイム」(縮尺80分の1)である。
 まずは真鍮で火の見やぐらをつくった。それから木造の消防署をつくり、便所をつくりといった具合に10点ほどの建物を別々につくって箱にしまっておいて、最後にそれらを取り出してパッと並べたらそれでおしまい。大型ではあるが、つくるのは意外とかんたんだった。
 以上が雑誌の記事だった。
 これに少し追記する。
 そのころ、京王プラザホテルではフロントロビーの真ん中に飾りものを置いていた。1月と2月には民芸品、3月には生け花といった具合に、その時々にいろいろなものを飾った。拙展があった年には3月から5月にかけて「ワンス・アポン・ア・タイム」他一点を飾り、その横に「5月30日~6月12日まで『立体絵画の緻密な世界/芳賀一洋作品展』当ホテル・ロビーギャラリーで開催」と書いた看板を置いて拙展を宣伝した。
 当時大成建設新宿本社に勤めていた元祖湘南ボーイの佐野匡司郎氏は、現役最後の年の三月、その作品と看板を見たという。昼休みにぶらりと会社をでて、ホテルの隣のビルにある「天賞堂」(鉄道模型の店)へむかうため、京プラのロビーを通りかかったとき、偶然発見したそうだ。そして展の当日は天賞堂の帰りに来場し、その年の7月から、当時渋谷にあったぼくの工作教室へも通うようになった。
 佐野氏のほかにも、ジャズダンスのイナバちゃん、勝ち組のしんちゃん、ホスピタルの吉田さん、下落合の山ちゃん、余裕ライフの高谷さんなど、現「渋谷クラフト倶楽部」の中心メンバーたちが、このときの「ワンス・アポン・ア・タイム」と拙展を見てぼくの教室へ通うようになった。

「悠+」(はるかプラス)10月号より
発行:㈱ぎょうせい


2010年9月25日

ドールショーのこと

 ままやのまゆみちゃん、マンガ家のエリちゃん、ドールハウスのふるはしさん、フラメンコのなべちゃん。全員うちのクラブのメンバーだ。この四人が9月の12日、浜松町の都立貿易センタービルで行われた「ドールショー」に、仲良くひとつのテーブルを出すってことなので、見に行った。
 ちなみにこの四人はみなブログをもっている。
 だから会場のテーブルの前で、作品といっしょに四人ならんだ写真を撮って、あわせて彼らのブログを紹介しようと考えた。だがこれがぜんぜんうまくいかない。パチリとやったとたんにみんな器用にササッと逃げてしまい、何回やってもまともな写真が撮れないのだ。どうも顔を隠したがっているのだが、別段アダルトものじゃないんだから、そんなに隠さなくったっていいとおもうんだが…。
 というわけで、下のような情けない写真となりました。
 逃げ回る彼らの手前には、人形や、人形の背景や、ソファーや洋服やベッドといった、ドールの関連グッズがならんでいたのだが、あまりにも人物をねらいすぎたため、それらは写っていない。
 ———ま、そのへんは彼らのブログで。

 *ままやさんのブログ:http://mamayabox.blog104.fc2.com/
 *エリちゃんのブログ:http://sakaieri.blog33.fc2.com/
 *ふるはしさんのブログ:http://www.dollhouse-isako.com/blog/
 *なべちゃんのブログ:http://www.watanave.com/blog/

ドールショーにて


2010年9月18日

ゆうちゃんのツイッター

 現在アートインボックスの教室では「ブーランジェリー(パン屋)」という作品をつくっているのだが、その生徒、イケメンのゆうちゃんが、課題作の製作過程を自分のツイッターに掲載し、そきゃーが、いま内輪で大人気になっちょるばい。
 じゃけんちょこっと見ちょっとね。
 http://togetter.com/li/46217

ゆうちゃんの作品


2010年9月11日

クラブ活動のこと

 去年終了した千石教室・昼クラスのメンバーがときどき集まって、和み会という同級会を開催している。直近では8月28日(土)に開かれ、その模様を佐野会員がレポートした。
 ——-いや~この同級会が素晴らしいんです。それぞれ皆さんが手掛けておられる途中過程の作品や、完成した作品、あるいはそれらの写真を持ち寄って制作技法などの情報交換をされておられるのです。
 この日の出席者は吉澤三喜男さん、加藤健次さん、重実博幸さん、多賀誠さん、井岸一臣さん、そして紅一点井上由理さん。それと今回初めて開催場所として事務所を提供された千石教室の世話人?山下健ちゃんでした。
 井上さんは倶楽部員にはなっておられませんが、お持ちになった制作途中の作品にビックリ仰天。かつて井岸さんの、缶づめの空きカンを利用した、芳賀先生流ストラクチャー作品に驚愕したことがありましたが、井上さんは芳賀教室で習得されたテクニックを以前から楽しんでおられ、見事に作品に応用されていました。
 そんな井上作品は下のホームページで見ることができます。
 http://miniaturehouse144.web.fc2.com/index.html
 当日、吉澤さんは、LEDの配線について説明をしておられましたが、以前鉄道模型コンベンションで拝見した吉澤作品の一つはLEDを見事に使いこなしたものでした。そして加藤さんは、現在取り組んでおられる肉屋と豆腐屋の制作初期の過程をお持ちになって説明しておられました。それらは前回の作品展で拝見した実家の炭屋や、氷屋の向かいにあった商店だそうです。重実さんは制作途中の写真を持参されました。トトロの家(1/80)です。これは今秋の作品展で拝見できるはずです——-。
 (以上、佐野レポートからの抜粋。)
 この同級会にはぼくも誘われていたが、あいにくこの日は自由が丘教室の開催日に当たっていて、出席できなかった。
 また、おなじ日には、ドールハウスの相澤親分や北海道のスギちゃんらが池袋でミニチュアのショーを開催し、更にそのまた別のグループは、千葉の藁葺き民家で「合宿」と称し一泊するなど、会員それぞれが別々のアクティビティーを楽しむという、うちの倶楽部にとってはまことに充実した一日となった。
 下は合宿翌朝の写真。
 全体に二日酔いのムードが…。

左からフラメンコのナベちゃん、時計屋のイケブチさん、コピーライターの羽賀さん
おフランスのいづみちゃん、アラサーのらるかちゃん、ジャズダンスのミコちゃん
等々力のおみつ、シブクラ会長のしんちゃん。


2010年9月4日

月刊「悠+」(はるかプラス)9月号

 月刊「はるかプラス」の9月号が発売になっている。連載中のHagaコーナー、今月の作品は「石の家」です。
 以下記事より。
 写真は倉本聰原作によるフジテレビの人気ドラマ「北の国」からに登場する石の家である。川原から石をひろい、実際にこの家を建てたという局の美術担当プロデューサーから依頼され、2004年9月に制作を開始した。
 その前年、テレビ局の案内で現地富良野を視察している。
 まずは実物石の家を見て、あとは主演田中邦衛お気に入りの温泉で湯につかった。そして夜は森林の地下深くに潜む倉本氏行きつけの秘密クラブへ。なんとそこには倉本聰が!
 そんな贅沢視察にバチでもあたったのか、つくりはじめてからは塗炭の苦しみを味わい、それでも作品は2005年1月、みごと完成した。
 —–以上が今号の記事だった。
 これに少し補足する。
 午後9時。ぼくらの乗った4WDはゆるやかな起伏の富良野の大地をすべるように進み、やがて森のでこぼこ道へと突っ込んだ。上がったと思ったらガクンと下り、右に折れ左へ曲がる。ヘッドライトに揺れる木々が次々と後方へさってゆく。そんな道をしばらく走ってから、車はちょっとした広場のようなところに出て止まった。
 案内役であるフジテレビのUプロデューサーが
 「3~40分ここで待ってて…」
 と、ドライバーに声をかけ車をおりた。うながされてぼくも車をおりる。Uさんのあとをついて月あかりのなか、足元を確かめながら20メートルほど歩く。そこに一本の蝦夷松の大木があった。そのまわりが潅木の茂みになっていて、茂みのなかに石積みの祠(ほこら)のようなものがある。ちょうどぼくらがそこまで来たとき、突如目の前のなにかが開き、ぼんやりとした光につつまれたエレベーターが出現。
 あっけにとられているぼくを尻目に、躊躇なくUさんがそれに乗り込む。
 ぼくも後につづいた。
 そのままわれわれは地下へむかって降下し、約10秒後、エレベーターの扉が開いた先はまるで六本木だった。
 30坪ほどのクールな空間に軽快なモダンジャズが流れ、着飾った男女20名あまりが、わいわいがやがや群れていた。その後方にビカッと黒光りのするバーカウンターが。
 倉本聰はその一番奥の椅子でグラスを傾けていた。

「悠+」(はるかプラス)9月号より
発行:㈱ぎょうせい


2010年8月28日

コングラッチュレーションズ!!!

 2003年、ニューヨークで雑誌のエディターからインタビューを受けたときのことを以前ここに書いたことがあった(2010年3月15日付)。
 以下はその付け足しみたいなはなし。
 このインタビューはその年の春、突然申し込まれた。しかしわざわざそのためだけに渡米するのもなんなので、同年9月にニューヨークで開かれることになっていたミニチュアのショーに、急遽飛び入り参加することとし、インタビューはその前日に受けた。
 そして翌日、ショー会場はマンハッタンのど真ん中、タイムススクェアーに聳える高層ホテルの一室である。だからこのときのショーには力が入った。そのような場所に自作を展示するなんてこの先二度とあるまいと考え、小型作品数点に加え大型アートインボックスも4点持参し、イーゼルに乗せて陳列した。それが功を奏したのか、某ミニチュアミュージアムのキュレーターに気に入られ、拙作1点が現地ミュージアムに展示されることとなった。またある中年のご婦人が何回もぼくのブースへやってきて、ことのほか作品をほめてくれた。それがナンシー・フローセスさんだった。彼女とはここで出会い、その数年後、盗っ人リバーの馬具店の制作を依頼されることになったのである。
 —–以上まで、本当はこのはなし、馬具店ネタとして作品を納入する前に書くつもりだった。が、ずるずるしているうちに、とうとうきょうになった。

 《追記》
 いま、大型アートインボックス4点をイーゼルに乗せて展示したと書いた。しかしそれだけの荷を現地まで運ぶのはたいへんなことだった。でっかい箱が12個もあったのだ。だからこのときは8名の仲間を募って成田を発ち、全員で手分けしてそれらの荷を運んだ。
 ジャズダンスのイナバちゃん。その友人であるマキちゃん。コミックライターのエリちゃん。ヤングウーマンのかおりちゃん。&ヨーコちゃん。イケメンのトモタロウ。三井ホームの池田婦人、&池田ジュニアの、計8名のみなさんが手伝ってくれた。
 それから7年経ったことしの夏。
 仲間のひとりに祝儀があり、ひさしぶりに当時のメンバー数人と会った。今月1日池袋で撮られた下の写真には、ぼくを含めて4人のニューヨークメンバーが写っている。
 「コングラッチュレーションズ!!!」

中央がかおりちゃん。その右がヨーコちゃん。
右から二番目がイケメンのトモタロウ。そして一番左がぼくです。


2010年8月21日

不思議な部屋

 このあいだアパートの二階から火が出たとき、駆けつけた消防隊員は真っ先にすべての部屋のドアを開けた。カギがかかっていた部屋はぶっ壊してでも開け、逃げ遅れたひとがいないかを調べた。
 写真は、そうして開けられてしまったドアーのひとつ。
 ここは一階なので、さいわい炎はまわっていない。
 この一室の住人であるMさんは26歳で沖縄から上京し、すぐにこの部屋に入居した、知的でもの静かな青年だった。それから30猶予年。彼はずっとここに住み、いつしかこのぼろアパートの壁や柱と同化してしまったかのような、目立たぬ存在となった。しかし、どういうわけか年々ゴミを溜め込み、そのため最近ではゴミと天井とのちょっとした隙間で暮らしていたらしい。そして廊下に人がいないのを見計らって、こっそりとドアを開け、ひょいと飛び降りるようにして外出していたそうである。そうやって部屋から出てくるMさんと、ばったり出くわしたことがあるというむかいの部屋の住人は
 「そりゃあ、最初はびっくりしましたよ、でもそのうち慣れちゃいました」
 と言って、ワッハッハッハーッ、と豪快に笑った。
 だがどうやって部屋に入るのか、よくわからない。もしかしたらキャタツのようなものを使ったのか。
 不思議な部屋である。

驚きの表情を浮かべる隣の部屋の住人


2010年8月13日