ホビーショー終了

 前回お伝えした「日本ホビーショー」が無事終了いたしました。
 ご来場いただいたみなさまには御礼を申しあげます。
 初日と2日目が平日で、しかもこういう社会情勢です。なんとなく低調ムードが漂っていたのですが、3日目の祭日がすごかった。結局トータルでは10万人程度が訪れたのではないでしょうか。終わってみればまあまあでした。
 ぼくのブースネームは「箱のなかのパリ」。ここで初めて拙作を見たという人が大勢いらっしゃいましたので、初めて当欄を訪れた方も多いと思います。このブログは週一ペースで更新し、時々の話題を提供しておりますので、今後ともご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。
 ちなみに次は静岡での催事に出場します。(詳細は左のインデックスより「展示会情報」をクリックし、ご覧ください。)

ホビーショー会場にて

2011年5月1日

近況①「下記ホビーショーに出場します」

 タイトル:第35回/日本ホビーショー
 会期:平成23年4月27日(水)~29日(金)
 開催時間:午前10時~午後5時
 会場:東京国際展示場(東京ビックサイト)東1・2・3ホール
 東京都江東区有明3-10-1
 03-5530-1111(代)
 入場料:1000円
http://www.hobby.or.jp/hobbyshow/2011/

 ぼくのブースナンバーは559。畳10枚ほどの広さです。この手の催事としてはわりと広いので、大小あわせて10点あまりの作品を展示する予定です。
 ———是非お出かけください。

近況②「マンガアパート・トキワ荘」

 月刊「はるかプラス」5月号が発売になった。連載中のHagaコーナー、今回は「マンガアパート・トキワ荘」を紹介。
 震災後はじめての発売号である。一体どんな作品を紹介したらよいのか、ずいぶん悩んだ末、トキワ荘の展示場所である宮城県石巻の「石ノ森萬画館」が津波に襲われたという話を交えて作品を紹介し、この施設が今後どうなるのか非常に心配していると書いた。
 ところがである。萬画館のみなさんはへこたれず、再開を目指して、元気いっぱいにがんばっているではないか。彼らのホームページを見たら、その涙ぐましい努力が伝わってきて、ついうるっときてしまった。
http://mangakan.weblogs.jp/manga/

月刊「悠+」(はるかプラス)5月号より
発行:㈱ぎょうせい

2011年4月23日

シカゴから帰って来ました

 今回のシカゴはとても寒く、したがって桜はまだ咲いていませんでした。連日ぐずついた天候だったので外を散歩することもなかったので、野生のリスも見かけませんでした。ですから前回ここに書いたことはぜんぶウソです。ごめんなさい。ところがぎっちょん。ショー自体はかなりの盛り上がりを見せたのです。
 前回2010年はアイスランドでの火山の爆発と重なってしまい、ヨーロッパからの飛行便が途絶えたため、客足はいまいちでした。その反動か、このたびの客数は前回の3割増し。初日入場待ちの行列が150メートルも続くという盛況ぶりでした。
 そして開店。
 開店と同時に“おとな買い”のおっさんが現れ、何時間もかけてせっかく並べた商品を根こそぎ買っていってしまい、一瞬のあいだにぼくのテーブルは、まるで三陸海岸のようになってしまったのです。下はそれをなんとか修復し、どうにか見られるようになったころ撮った写真です。
 これでシカゴショーが終わり、次はホビーショー(4月27日~29日)です。
 ———ああ忙しい。

2011年シカゴで
写真:遠藤大樹

2011年4月18日

ただいまシカゴです

 ただいまシカゴです。
 こちらには放射能も余震も地震もありません。滞在しているホテルの敷地にはたくさんの桜の木が植わっていて今まさに満開です。ときどき野生のリスが目の前の芝生をちょろちょろっと横切る姿を見かけます。穏やかな春の日ざしの中ここイリノイ州はゆったりとした平和につつまれています。
 それとは反対にショー会場はてんやわんやです。
 どこもかしこもミニチュアびとであふれ、のべつ幕なしにゴチャゴチャと英語ではなしかけられ、気がへんになりそうです。非常によく売れるのですが、なにしろデリケートな品物ゆえ梱包やパッキングがたいへんで、たちまち額から汗が吹き出てきます。それでもぼくのテーブルは、今回遠藤大樹くん(自由が丘教室の)に手伝ってもらい、どうにかしのいでいます。
 ばてばてですが一応元気です。
 ——-と、まあ大体はこんなところでしょう。
 (以上は出かける前に書きました)
 4月12日帰国の予定。

Hagaのテーブル

2011年4月9日

シカゴへ出かけます

 4月8日~10日の3日間、米シカゴで開催されるミニチュアショーに参加するため、Hagaは4月7日に成田を発ち、シカゴのショー会場へと向かいます。

 タイトル:シカゴ・インターナショナル2011
 会場:ホテル・マリオット・シカゴ・オヘア
 住所:8535 W. Higgins Rd, Chicago, IL 60631 U.S.A.
 電話:800-228-9290 or 773-693-4444
 プレビューショー&販売:4月8日午後5時半~午後9時半
 プレビューショー&販売:4月9日午前9時~午前10時
 ショー&販売:4月9日午前10時~午後5時
 ショー&販売:4月10日午前11時~午後4時
 主催:トム・ビショップ・プロダクション

 会場のホテルは空港から車で15分ほどの辺鄙なところにあり、あたりにはなんにもありません。そんな場所に世界の17カ国からやってきたミニチュアディーラーたち227チームが集合し、作品および商品の展示販売や各種のワークショップを開催いたします。
 今回うちの倶楽部からはぼくのほかにも古橋いさ子さんと正影智子さんがディーラーとして参加し、われわれを含めた日本勢の合計は8チームです。これはアメリカ、イギリス、カナダ、ドイツに次いで世界第5位のディーラー数で、ちなみに中国や韓国からは出場者はおりません。
 ——–原発問題には目もくれず、余震やプルトニウムもなんのその、いまはその準備に大わらわといったところです。

マリオット・シカゴ・オヘア

2011年4月3日

近況①「石ノ森章太郎の机」

 月刊「はるかプラス」4月号が発売になった。連載中のHagaコーナー、今号では「石ノ森章太郎の机」を紹介。
以下記事より。
 マンガ家石ノ森章太郎は1956年、18歳の年に上京、同年五月「トキワ荘」に入居し、マンガ家人生のスタートを切った。トキワ荘を代表するマンガ家のひとりである。
 そして1998年、惜しくも世を去るまでに、なんと700タイトルをこえるマンガを残した。「仮面ライダー」も1タイトル、「サイボー009」も1タイトルと数えての700だ。描くスピードは手塚治虫よりも早く「マンガの王様」と呼ばれた。
 上の写真(*注下の写真)は、もっとも油が乗っていた1980年代、練馬区桜台にあった自宅アトリエの机を、㈱石森プロから提供された資料をもとに制作したもの。
 ——–以上4月号より。
 ちなみに石ノ森章太郎は宮城県登米市中田町字石森の生まれだ。
 子供のころは片道25キロの石巻市まで、自転車でしょっちゅう出かけ、映画を見たり本を買ったりしたという。市の中心部を流れる北上川の河口に位置する中州を、彼は「マンガッタン」と呼び(マンハッタンのもじり)、いつしかそこに自分のミュージアムをつくりたいと夢見ていたそうだ。自身が描いたミュージアムのラフスケッチも残っている。その「石ノ森萬画館」を、このたびの津波が襲った。

月刊「悠+」(はるかプラス)4月号より
発行:㈱ぎょうせい

近況②「狩野章さんからのメール」

石ノ森萬画館を津波が襲ったという話しは前回も書いた。
 下がその写真である
 スタッフ全員無事だったというが、このミュージアムは北上川の中洲にあり、そこは海からたった1200メートルのところ。しかも地震発生時は営業中だったことを考えると、奇跡としか思えない。
 ところがである。2009年までここに勤めていて、ずっとぼくの担当だった方の消息がわからず、一度ツイッターで呼びかけたことがあった。そしたらである。数日前とうとう当人からメールがあった。
 ———石巻の狩野です。なんとか無事でした。が、車、携帯、水没です。人生いろいろなことがありましたがこんな経験は初めてです。ただ私は家も家族も全員無事だったので、ほかの市民よりずっと恵まれています。(中略)。津波に巻き込まれそうになって、難を逃れた運のよさで、これからもがんばっていきます——–。
 「石ノ森章太郎の机」や「80分の1トキワ荘」は狩野氏からの依頼で制作した。石巻に行った際には宿の手配から食事の世話まで、ずいぶんとお世話になったものである。
 なにはともあれ無事でよかった。

津波が去ったあとの萬画館
営業再開は容易ではなさそうだ

近況③「イエローサブマリンのこと」

 名前からわかるように秋葉原の「ラジオ会館」はふるい。築50年になるそうだ。現行の耐震基準を満たしていないことから建て替えのはなしが持ち上がっていた。そこに今回の地震である。7階の「イエローサブマリン」にあるぼくの棚が倒れて、木っ端微塵になっていたとしても不思議ではなかった。
 突然ユサユサッと揺れが来て、商品がドドッと床に落下し、ガッシャーンとガラスケースが倒れた。総毛立ったスタッフらは我先にその場から逃げた。クライストチャーチのつぶれたビルの映像が脳裏をよぎった。そんな中ひとりの店員がぼくの棚へと走り、暴れるガラスケースをしっかりと押さえてくれたのだそうだ。おかげでぼくの棚(ガラスケース)は倒れなかった。ケースの中の商品はめちゃくちゃに散乱してしまったが、ほとんど壊れてはいなかった。
 震災後ビルはしばらくのあいだ閉館。あちこちメンテナンスを施してから営業を再開し、再開後見に行ってはじめてそのはなしを聞いた。
 当人に礼を述べると
 「確かに最初は押さえていたのですが、そのうちたまらなくなって手を離し、ぼくもけっきょく最後には逃げ出してしまいました…」と、いかにも模型好きそうなその店員・吉田健一さんはすまなそうにそう答えた。
 ———うう、うっ、ううぅぅぅ(泣)である。
 この日は片付けと同時にシカゴへ持っていくための品物を大量に抜いたので、ぼくの棚は今スカスカである。

津波が去ったあとのような…

2011年3月26日

わたしは大丈夫です

 このたびの震災のあと、多くの方々から「大丈夫でしたか」という見舞いのメールをいただいた。さいわいわたしは大丈夫です。そのときは、いつものように自宅の作業場で仕事をしている最中だったが、なんの怪我もなく、被害といったら天井の梁の上に並べていた塗料の類がパラパラッと床に落下しただけ。平屋の一階にいたせいかさほどの恐怖も感じなかった。
 その後東北東海岸の惨状が明らかになるにつれ、宮城県石巻市のミュージアム「萬画館」に展示中のトキワ荘のことが心配になった。だがこの時点では調べようがなかった。同時にイエローサブマリンのガラスケースが心配になり、秋葉原のラジオ会館へと向かった。するとシャッターが閉まっていて、当分のあいだ営業を見合わせるという張り紙が。中に入れないのでビルの外から店に電話したら誰も出ない。
 ガーンである。
 仕方なく秋葉原から戻ると「あなたのことを非常に心配している」という趣旨のメールが、海外から複数とどいていた。今回の災害が世界をも驚かせている事実を改めて実感。
 その翌日こんどは逆にイエサブから電話があった。店はメチャクチャだそう。だがぼくの棚にはさほどの被害はないという。ほっと一安心。すぐにでも見に行きたかったが、それは少し待ってくれと言われた。
 そして震災4日目の朝、石巻の萬画館から電話があった。トキワ荘は難をのがれたそうだ。津波がやってきて、波のしぶきが建物の屋根をも濡らしたが、浸水は一階までで、二階にあったトキワ荘に被害はなく、スタッフも全員無事とのこと。
 「それはよかった。あんまり長くしゃべっていると回線が混雑するので。」
 と、手みじかに電話を切った。
 ま、わたしはそんなところだ。
 ———このたびの災害で被災され、不自由な非難生活を送っている方々に心よりお見舞いを申し上げます。そして犠牲になった多くの方々のご冥福をお祈りいたします。

3月12日/秋葉原ラジオ会館で

2011年3月20日