月刊「悠+(はるか・プラス)」7月号

 毎度おなじみの月刊「はるかプラス」2011年7月号が発売になった。今号では「トルネ通りのお風呂屋さん」を紹介。
 以下本文。
 フランスにはもともと入浴の習慣がなかったそうだ。だからむかしのパリのアパルトマンに風呂はついていなかった(シャワーはついていたらしいが)。そのため町のあちこちに銭湯があって主に肉体労働者が汗を流した。といっても大きな湯船にみんなで浸かる日本式のものではなく、小さなバスタブつきの個室がズラッと並んだ、そんな銭湯だった。
 上がその写真である。撮影は1945年。看板右側のBAINとは風呂のこと。それにSがつき複数形になっている。本作はこれをもとに制作し、ぼくとしてはめずらしく写真に忠実につくった。制作2002年。縮尺12分の1。
 ——–以上7月号より。
 ベルサイユ宮殿にトイレがなかったというはなしは有名だ。だから風呂ぐらいなくったってフランス人はへっちゃらなんだろう。だが体臭が気になる。だからこの国で香水が発達したのである。
 ところでこの作品のタイトルは二転三転している。最初は文字通り「HYGIENA BAINS」だったが、そのあと「BAINS/公衆浴場」に変わり、それから「大衆浴場」にし、そしてこのたび本誌の発売に合わせて「トルネ通りのお風呂屋さん」に変えてみた。
 でもなあ、どうもまだしっくりこない…。

月刊「悠+」(はるかプラス)7月号より
発行:(株)ぎょうせい

2011年6月25日

豪華な助っ人

 デジカメがへんになりビックカメラへ持っていったら「修理が必要」と言われ、しょうがないので預けてきた。戻ってくるまで一週間かかるらしい。
 そういうわけで今週は写真が撮れません。
 そこで過去のお宝映像でも蔵だししようと、見つけたのが下の一枚。撮影は2006年11月8日。「ニコレットの居酒屋」納品の前夜、午後7時。
伊藤誠一名人と、よしだともひこ師と、小生の三人が雁首をそろえた貴重な映像だ。このとき天井の蛍光灯の位置を検討していた。そこを伊藤名人が自動シャッターで撮影、ご覧のように作品はまだまだである。ところが名人はこのあと夜中の12時まで居残り、カウンターテーブルの上に小さなLEDを4個取り付けてくれた。一方よしだ師は朝まで帰宅せず、品書きビラの貼り付けや、なべ釜の取り付けなど、早朝5時にクライアントが作品を引き取りに来るまで作業をつづけ、どうにか完成、師は結局作品の引き渡しにも立ち会ってくれた。
 このような豪華助っ人の献身的協力によって、あの人気作が誕生したのである。
 ——-いいはなしだなあ~。

左が伊藤名人、真ん中がよしだともひこ師

2011年6月18日

浜松町のミニチュアショー

 週末に浜松町でドールハウスのミニチュアショーがあります。

 タイトル:第13回東京インターナショナルミニチュアショウ
 場所  :浜松町「都立貿易センタービル」4F
 会期  :2011年6月11日(土)と12日(日)
 時間  :11日午前10時~午後5時 12日午前10時~午後4時
 入場料 :当日1日券1500円(前売り1200円)
      2日共通券2500円(前売り2000円)
      高校生以下無料
●「第一回ちっちゃかわいいもの展」を同時開催いたします。

 今回小生はほんの数点のみの出品ですが、ドールハウス大好き人間にはオススメです。お時間があればぜひお出かけください。日曜日の午後には、ぼくも会場に顔を出すつもりです。

オルガ・ピリポバさんの作品。
(このたびのショーとは関係ありません)

2011年6月9日

イエサブが移転します

 老朽化のため秋葉原ラジオ会館を立て替えるというはなしを聞き、このごろ陰鬱な気分に浸っていた。このビルの7階「イエローサブマリン・スケールショップ」の中に私のショーケース「芳賀一洋のミニチュアコレクション」があり、それが無くなってしまう恐れがあるからだ。ところが数日前、スケールショップの店長氏から電話があり、彼らの移転先である「秋葉原スーパービル」(千代田区外神田1-11-5)の8階に、一緒に芳賀さんの棚も移って来てほしいといわれ、思わずヤッター!と声をあげた。
 バンザーイ!バンザーイ!!バンザーイ!!!
 ——–いまはこみ上げる喜びをただただ静かにかみ締めているところです。
 スーパービル8階での新装オープンは6月上旬が予定されていますが、はっきりとした日取りは未定とのこと。
 わかり次第またお知らせいたします。

移転準備のため現在ぼくの棚は空っぽです。

2011年5月28日

近況①「静岡ホビーショー終了」

 ご来場いただいたみなさんありがとう!
 前回お伝えした「静岡ホビーショー」(モデラーズクラブ合同作品展)は先日無事終了いたしました。
 さわやかな五月晴れに恵まれ、いわゆる自粛ムードはまったく感じられず、スゴイ人出だった。われわれがいた土日だけでも6万とも7万ともいわれる入場者数があったそうだ。有名モデラーの金子さん、テレビチャンピョンのヤマタクさん、ろうがんずの櫻井さん、テレ朝の松井キャスター、㈱ハセガワの長谷川さん、タミヤ模型の原型師さん、そして東京ソリッドモデルクラブ、名古屋三点クラブのみなさんなど、模型界のビッグスターや人生の先輩らがうじゃうじゃいて、ぼくなんかはただひたすら小さくなっていた。
 ちなみに小生、静岡を訪れたのは今回がはじめてである。
 町全体がカラッと明るく湘南風で、なおかつしっとりと京都風でもあり、どういうわけか若者がやたらと多く、そして街灯や看板やガードレールや、エレベーターや歩道やベンチといった小道具の類が、東京とはひと味違いどれもがシャレている、そんな静岡がすっかり気に入ってしまった。
 さて、これで静岡が終わり、次は6月の「インターナショナルミニチュアショー」(浜松町)に一点だけの参加をしてから、8月には「高島屋」(横浜)での展示が予定されています。
 ——-どうぞよろしく。

ホビーショー会場にて

近況②「萬画館へ」

 津波の被害に遭った宮城県石巻市の石ノ森萬画館。
 電気はまだ来ていないものの建物は大方そのままの姿で残っていた。拙作トキワ荘も無事だった。それらを確認するために5月18日現地を訪れた。
 この日お相手をしてくれた萬画館のスタッフ・大森盛太郎さんによると、地震のあとは津波の襲来に備えて、ただちに全員が高台に非難したそうだ。しかし大森さんだけは館を守るために現場に残り、直後に津波がやってきた。一階部分にどっと水が進入したが建物が流されることはなく、上階へ逃れた大森さんは危機一髪一命を取りとめることができた。それから自衛隊によって救出されるまでの五日間を、彼は停電した萬画館の中でひとりで過ごしたという。あたりは瓦礫の山で、どこへも出かけられなかったが、さいわい最上階にはカフェレストランがあり、食うものには困らなかった。もちろん大量のマンガ本もある。何かのイベントに使うためのロウソクもまとめて備蓄してあったので、その灯りで夜はひたすらマンガを読んで過ごしたそうだ。まるでロビンソー・クルーソーみたいなはなしである。
 その石ノ森萬画館は北上川の河口近くの中洲に位置し、毎年8月の「川開き」の日には目の前で「花火大会」が行われている。「復興への願いをこめて今年は特に盛大にやりたいです!」と、大森さん。
 そんな話しを聞きながら約一時間萬画館に滞在し、その後は南三陸町へと向かった。
 なお、当日の写真は同行者「サカエリ」のブログ(下)で見ることができます。
http://sakaieri.blog33.fc2.com/blog-entry-334.html

無事だったトキワ荘/写真:サカエリ
停電につき真っ暗です

近況③月刊「悠+(はるか・プラス)」6月号

 月刊「はるかプラス」6月号が発売になった。
今号では最新作「デカルト通り48番地」を紹介。
 以下記事より—。
 上の写真は本作のプロトタイプ、1911年にウジェーヌ・アジェが撮ったパリのパン屋だ。基本的な形状は上の写真に準じたが、違っている箇所も多い作品である。
 模型の「模」の字の意味は「似せること」「真似ること」である。したがって模型をやる以上はできるだけ本物そっくりを目指さねばならない。ところが本作ではそれをやらず、ずいぶんと本物を模さずにつくり終えてしまった。そういうことがしょっちゅうだ。だからぼくの作品には「模型」という定義があてはまらないと考えている。
 制作2010年。縮尺12分の1。題名は実物のパン屋の住所である。
 ——–以上6月号より。
 ページの右上に小さな本物の写真を置いて、その左側に大きく作品の写真を掲載し、いかに似ていないかを説明するつもりだった。だが出来上がった紙面を見ると案外似ているので困ってしまった。が、まあいいんじゃないか。
 次号では逆に写真そっくりの作品をお目にかける予定だ。

月刊「悠+」(はるかプラス)6月号より
発行:(株)ぎょうせい

2011年5月22日

静岡のホビーショー

 「タミヤ」「ハセガワ」など大手模型企業の城下町静岡では毎年大規模なホビーショーが開催されていて、最終日には全国の模型クラブが集まってテーブルを並べる「合同作品展」が開かれます。
 ある方からお誘いを受けまして、今年はうちも「芳賀一洋&渋谷クラフト倶楽部」という名前のテーブルを出すことになりました。
  ——-どうぞご来場ください。

 タイトル:第22回モデラーズクラブ合同作品展
 会場:静岡ホビーショー会場(ツインメッセ静岡)
    静岡市駿河区曲金3-1-10 電話054-285-3111
http://www.t-messe.or.jp/
 会期:2011年5月14日(土)~15日(日)
 時間:午前9時~午後5時(16日は午後4時まで)
 ブース№:97
 主催:㈱青島文化教材社・㈱ハセガワ・㈱タミヤ
 入場料:無料

2011年5月14日

近況①「遠藤大樹くんの作品」

 自由が丘教室の生徒、遠藤大樹くんが作品の写真を見せてくれた。
 「おお、いいねえ、こんどブログに掲載するよ…」
 と、見たとたんに約束してしまったが、なかなかいいでしょ。
 高さ約17センチ。ハンドルを廻すと恐竜の首が動くらしい。

遠藤大樹作「恐竜」
 http://www.creatorsbank.com/portfolio/index.php?id=endoudaiki

近況②「悠日5号」

 雑誌「悠日5号」が発売になった。
 前4号では、パリのパン屋の制作記みたいなものを書いたが、それが途中で終わっていたので、今号ではその続きを書くことに。
 以下記事より——-。

 寝覚めのうつらうつらした頭で考えた。吉祥寺に行かなければ。
 やがてそれが「そうだ、吉祥寺へ行こう!」という、はっきりとした意識に変わりパチッと目が覚めた。
 一週間前、白い琺瑯(ほうろう)の看板をネットで探して大至急買ってほしいと娘に頼んだ。だが昨夜になってもまだ「これでいいの?」などとスマートフォンの画像を見せながら寝ぼけたことを訊いてきた。
 おいおいもう12月25日なのだぞ。

「パリのパン屋の制作記」

 前号では店舗ファサードを水色に塗ったら大成功、みたいなところで終わっていたパリのパン屋の制作記。きようはそのはなしのつづきを書いている。
 ファサードの着色が終わったら、そのあとは店の看板を書くという大仕事があった。
 作品を正面から見たときに看板はなんといっても目立つ。この作品の場合BOULANGERIE(パン屋)と書かねばならぬが、最初はそれを立体文字にするつもりだった。厚さ1ミリほどのイラストボードをアルファベット状に切り抜いて貼り付けるという方法だ。手で書くよりも角が出て、シャープに仕上がる。
 しかしだんだんとそのシャープさが、この作品には邪魔に思えてきて、むしろよぼよぼっとした線による、装飾的・絵画的文字のほうがよいような気がしてきた。するとやっぱり手書きだろうが、どんな書体がよいのか。それをみつけるだけでも数日かかるかも知れず、不安になった。
 そもそもこの作品はその年の年末までに仕上げて、年明けの「はがいちよう展」会場に陳列すると悠日オーナー氏に約束していた。
 もう時間がないのだ。
 まあとにかく手元にあった「ビクトリアン・ディスプレイ・アルファベット」というロゴ体の本を開いてみた。するとどういう偶然か、その1ページ目に、正にピッタリの書体が掲載されているではないか。見たとたんこれだと直感し、書体探しはあっというまにケリがついた。書体が決まればあとは書くだけ。
 結局わたしは同一書体による二枚の看板を書いた(上の写真)。そのどっちがよいのか、悩みに悩みんだ末、最終的にうす味のほうを選んだ。

「ひさしのこと」

 こうして看板が終わり、次はその上にひさしを取り付けねばならない。作品全体の色調からすると、ところどころが赤く錆びた水色のひさしがよさそうだ。これが最後の仕事である。安易な妥協はしたくなかった。
 しばし考え、はじめっからそれらしい色の鉄製の古い看板をみつけて、ひさし状に加工し、取り付けることを思いついた。そこで娘を呼び、琺瑯の看板をネットで探してほしいと頼んだのが、一週間前のことだった。
 ところがよくよく考えると、この日はもう12月25日である。今すぐそれを入手しなければとてもまにあわない。ネットで買った品物が果たして今年中に届くのか。
 そんなことを心配しつつ眠りについたその翌朝、目覚めたとたんに決めていた。吉祥寺に行って必ずそれを自分で見つけると。

「吉祥寺へ」

 琺瑯看板のような昭和のレトログッズは、なぜか中央線沿線で見つかるものと信じていた。中央線といえば吉祥寺だ。
 朝10時、駅に到着し、まずは交番で町案内の場所を尋ねた。たどり着いた案内所でこう言われた。吉祥寺は家賃が高いので、琺瑯看板のような安価なアンティークを扱う店はありません。
 いきなりガーンである。目覚めの決意はかんたんに打ち砕かれ、仕方なくその場を辞して、お隣の西荻窪へと向かった。
 西荻には大小20軒ほどのアンティークショップがあって、片っ端から見て廻った。どの店も駅から遠く、5軒ものぞくとへとへとになったが求める品は見つからなかった。
 やがて正午になり、ぼくは西荻にも見切りをつけて、こんどは高円寺へと向かう。
 そして午後3時。「高円寺ビンテージ・ショップめぐり」という地図を片手に、そのときは、地図中Dと記された店からEの店へと路地裏を歩いていた。やわな足はすでに限界に達し、ときどきもつれてくねくねした。もうダメだ、そろそろ帰ろうと思った矢先、ふと自分の足元を見ると、ちょうど良い大きさの琺瑯の鉄の板が、なんと道に落ちているのだ。一瞬わが目を疑ったが、間違いなくそれはドンピシャリの品である。
 おお、神さま!
 これは奇跡か、それともマジックか。
 一日中探していたその品物は、木造の塀の根元に無造作にゴロンと落ちていて、見方によれば塀の住人の所有物と見えなくもなかった。だが明らかに路上にあり、ちょうど良く錆びていて、なおかつ塗装がしてあって、中央から右が白、左が水色といった具合に塗り分けられ、どちらの色でも使えますよと言っているように見えた。胸がわくわくし、心臓がドキドキした。
 きょろきょろっとあたりを見廻して、ぼくはゆっくりとそれを拾い上げた。
 この瞬間、求めていた最後のピースが手に入り、作品は限りなく完成に近づいた。

 結局その鉄板は泥がついたまま片手でぶらさげて電車で持ち帰り、ただちに作品のひさしとして仕上げ、その翌々日、本作は完全に完成した。
 題名は「デカルト通り48番地」、作品の元となったパリのパン屋の住所である。

雑誌「悠日5号」より
ギャラリー悠日/刊

2011年5月8日