持病の腰痛が出てしまい、けっこう苦しんでいる。そのため浅草のドールハウスショウへは行けずじまいで、関係者のみなさん、たいへん申し訳ありませんでした。お詫び申し上げます。m(_ _)m
仕方がないのでじっとパソコンの前にすわっておとなしくしている。よい機会だと思い、むかし書いた手作り本を、PCで文字起こしして、新・芳賀本として復活せんと、極力からだを動かさず、そんなことをやっている。
1995年わたしは「木造機関庫制作記」という本を書いた。これがそこそこ評判がよくて、翌年「続・木造機関庫制作記」を書いた。前者は(株)東京中央出版という会社が印刷してくれたが、後者はどこもかまってくれず、仕方がないのでまゆみちゃん(元生徒)とわたしが一冊ずつ手でつくっていた。そんな本が他にも4〜5冊ある。まずは、ふるい順からと、「続・木造機関庫制作記」からはじめた。しかし一文字起こすたびに、いちいち文章を直したくなってしまい、やたらと時間がかかり、まだ終わっていない。
内容をご存知の方もいらっしゃるだろう。
渋谷のパルコで開催された、わたしの初個展の折に知遇を得た田村豊幸という医学博士の先生が、当時の真岡市市長と友人関係にあったことから、そのことが拙作「昭和初期の真岡駅」誕生のきっかけとなった、というストーリーだ。
その本に、このところずっと取り組んでいて、すでに3分の2は終わった。だからかどうかわからぬが久しぶりに作品を見たくなった。最後に自作と対面したのは2005年のことだからもう20年も見ていない。安静にしていたせいか腰の具合もいくらかよくなった。
それで、思い切って、きのう、真岡へ出かけた。
作品は真岡駅東口のコンコースに展示してあるはずだ。
ところが、「ガーン!!!!!!」であった。作品が、な、ないのだ。
拙作「昭和初期の真岡駅」は跡形もなく消えていて、代わりに巨大な、本物のSLがピカピカに磨かれて置いてあった。以前よりもずっと天井が高かったので、コンコース全体が大改造されたようである。それにあわせて拙作が消えたのだろう。誰かに事情を聞こうとしたが、人はどこにもいなかった。