2003年2月24日

 先年の暮れ、12月の3日に発売された「週刊アスキー」対談コーナーに、不肖・芳賀一洋が登場したということは以前に一回書いた。お話しをさせていただいたのは、元TBSの女史アナ・進藤晶子さんだった。進藤さんは、もちろん美人で、しかも非常に背が高かった。もしかしたら藤原紀香さんよりも、ずっとチャーミングかもしれない。(藤原紀香さん、ごめんなさい)。
 そんな関係から対談中はろくなことがしゃべれず、あとではひどく落ち込んだ。しかし当日一緒にみえたライターの田中里津子さんが、すごくスッキリとした記事に仕上げてくださり、さすがプロだと心から感心した。だが写真は、かなりかなり見苦しいものとなった。当日は、写真のことなどあんまり考えておらず、下半身は写らないものとの勝手に判断したのが大きな災いを招いたのだ。お陰でこちとらの履いていた450円のサンダルがバッチリ写ってしまい、これが大きな汚点となった。
 まだお読みでない方もおられると考え、本日はそのときの対談の様子を紹介することにする。
 以下がその全文だが、お話しをしたのは2002年の10月の上旬だったと記憶する。

 進籐晶子の「え、それってどういうこと?」

 「いちばん最初の作品は、
  マッチ棒やコンビニ弁当のパッケージなど、身近な素材で作ったんです」

進籐 芳賀さんの作品には、鉄道や昔の駅をモチーフにした模型のシリーズ(ストラクチャーアート)と、パリのお店を表現したシリーズ(アートインボックス)がありますが、このふたつのシリーズがメインになるわけですよね。
芳賀 最初は模型のほうだけつくってたんです。そしたらおじさんたちには人気があったんですが、女性にはどうも受けが良くなくて。周りからももうちょっとパッとしたものを作ったらどうなのって言われて、作ったのがアートインボックスなんです。
進藤 そもそも、芳賀さんがこの道に入られたきっかけはなんだったんですか?
芳賀 それは、本当にたまたまですね。そのころやっていた商売が、何しろ不景気で。暇で手持ち無沙汰でね。そういうときって、頭を切り替えて気分転換してみるといいじゃないですか。もともと何かを作るのは好きだったし、そのときは他のことなんて何も考えずにただ作って。今から7年くらい前ですかね。できあがったものを見たら、自分でも「これ、いいんじゃないかな」って(笑)。だったらこういう仕事できないかと、商売やってて目が利く友人に見せてみたら、これはいけるんじゃないかって話しになったんです。
進藤 よくピンチにはチャンスなんていいますが、その最初の作品は、どんなものだったんですか。
芳賀 機関庫でした。(*芳賀・注 機関庫ではなく「小屋」でした)それもそのへんに転がってたもので作ってね。マッチ棒を柱にしたり、コンビニ弁当のパッケージをガラスに見立てたり、こういう窓枠とかもね‥‥(引出しをもってくる)。
進藤 うわぁ~ これ全部窓枠ですか?! 小さくて可愛らしいですねえ。
芳賀 この窓枠はね、洋服の値札ってあるじゃない、厚紙の。あれを切り抜いて作ったの。ほら、隅のほう、よく見ると柄が入っているでしょ。
進藤 本当! でもなぜ値札で?
芳賀 商売で洋服屋をやっていたから、店にいっぱいあったんですよ。
進藤 なるほどぉ。確かに身近にあるものですよね。
芳賀 最初は本当にただの暇つぶしでしたね。店番の子が夏休みで、かわりにレジカウンターに座ってたわけなんだけど、お盆だからお客なんてそんなにこないんですよ。週刊誌読むのも飽きちゃって、それで作ってみようかと。
進藤 その記念すべき第一作は、今も残っているんですか?
芳賀 ありますよ! かなりいい作品だったんです。クオリティーとしては、今作っているものとそんなに変わらないかもしれない(笑)。
進藤 見てみた~い(笑)。
芳賀 それで自分でもびっくりして、しかも案外気に入っちゃって、これはもしかしたらいいかもしれないなーと思って。
進藤 年を重ねるにつれて、自分がしたことに驚くなんてこと、どんどんなくなりますよね。芳賀さん、うらやましいです(笑)。
芳賀 僕も、生まれてはじめてって感じでした(笑)。

 「それまで見たことがない物だから
  珍しいんだと思う」

進藤 それから本格的に活動をはじめられたんですね。
芳賀 ええ。最初は小さいのをポツポツ作ってただけだったんだけどね。でも、その次の年の4月には渋谷で展覧会やって。
進藤 あら、ずいぶん早くないですか? トントン拍子だ!!
芳賀 そのときはね(笑)。顔のきく友人がいたおかげです。
進藤 初個展ということは、作品作りは大変だったでしょうね。
芳賀 そうです、そのころは自分で全部作るしか方法がなかったし。だからかなり熱心にやりましたね。
進藤 その展覧会はどんなだったんですか?
芳賀 そのときは‥‥(うしろの引き出しから写真を出してくる)。
進藤 あちこちの引出しから続々出てきますね(笑)。
芳賀 アートインボックスのシリーズは、このときに試しにひとつ作ってみたものだったんです。
進藤 では、このシリーズはここから火がついたんですね。
芳賀 そう、ひとつだけ作って試しに並べてみたんですね。そしたら、たまたまそれが、100万円で売れちゃった(笑)。
進藤 ひぇ~っ、すっごーい!!
芳賀 僕もびっくりしちゃって。
進藤 ご本人も予想されてなかったんだ(笑)。
芳賀 それで、その年末にも個展があったんですが、模型のシリーズだけじゃ地味だからアートインボックスのほうもたくさん作ってほしいって言われて、急遽たくさん作って。
進藤 そうするとすべて、流れに乗っていくうちに気がつけば今、という感じなのかしら。
芳賀 そうですね。
進藤 ”立体絵画”っていうのは、芳賀さんが作られた言葉ですよね。
芳賀 まあ、どこかで聞いたような気がしないでもないけど(笑)。
進藤 つまり、この立体絵画の歴史は、芳賀さんからはじまった。
芳賀 う~ん、そうですね、激しい言い方をすればね(笑)。でもホント、ただみんな珍しがってくれるだけだと思うんですよね。今までこういうの見たことがなかったから。
進藤 どんどん道が開けていったその当時、ご本人としてはどんなお気持ちだったんですか。
芳賀 いや、なにかを考えるとかそういう感じじゃなかったですね。とにかくひとつの展覧会が終われば、またすぐ次がくるので、何しろ僕の作品の場合は、作るのにものすごく時間がかかるので、もう、この狭い家の中を駆けずり回ってる感じでした(笑)。ずーっと仕事して、そのままパタッと寝ちゃって、起きたら歯も磨かずにまたそのまま作り始めて。
進藤 寸暇を惜しんで。つまり、起きてる間はずっと作品を作ってらっしゃる生活だったんですか。
芳賀 そうでしたね。
進藤 今も変わらず?
芳賀 今はね、そのころよりはもうちょっとだらけてますね(笑)。

 「トキワ荘の模型の依頼、
  実は最初、断ったんです」

進藤 芳賀さんは、あの石ノ森章太郎氏や手塚治虫氏が住んでいた”トキワ荘”の模型制作も手がけられましたよね。
芳賀 そうですね。それは石ノ森章太郎氏のミュージアム”石ノ森萬画館”に展示するための作品だったんですが(再び引出しから写真を出してくる)
進藤 うわーっ。これ、”トキワ荘”を上から撮った写真ですね。覗き見しているみたいで‥‥楽しい(笑)。もしかしたらこういう感覚も、みなさんに興味を湧かせるポイントのひとつなのかも(笑)。
芳賀 これがアパートの裏から見たところ。表と裏があって、真ん中に廊下があって。こっちが石ノ森章太郎さんの部屋ですよね。
進藤 それにしてもリアルですねえ。
芳賀 屋根にのってる、この瓦はね、こうやって作るんですよ(瓦を作るための型を披露)。
進藤 あ、なるほど。お千菓子作りと同じ手法なんですね。なんだか和菓子職人にもなれちゃいそうですねえ(笑)。
芳賀 あはは。そもそもはね、水野英子さんっていう、トキワ荘に住んでらした少女漫画家の先生が、僕の展覧会場を偶然通りかかって、すごく作品を気に入ってくれてね。
進藤 それがご縁で、ですか。
芳賀 ええ、それでミュージアムを作る話しがあったとき、水野先生のところに監修してくださいって話しがいったみたいで、水野先生が僕を製作者として紹介してくれて。でも最初はね、自分の作りたいような図面じゃなかったもんで、実はお断りしたんですよ。でもその後、僕が考えているようなもの作っていいってことになって、それならやりましょうとお引き受けしたんです。だって最初は模型っていっても、かなり説明的な模型を考えていたみたいなんですよ。ホラよく、ニュースで殺人事件の現場を説明するときに使うようなのあるでしょ。
進藤 位置関係を伝えるための、極めてシンプルな模型ですよね。
芳賀 上から見てここが手塚治虫の部屋とわかるように、屋根がなくて天井がパッカリ開いてて。でもそういうのは僕作ったことがないから(笑)。自分が作りたいようなトキワ荘だったら、一度作ってみたいと思っているんですけどって言ったら、結局作らせてもらえることになって。
進藤 人が実際に住んでそうな雰囲気がする作品として、作らせてくれたんですね。ほんと、部屋の中にマンガの原稿があったりして生活感ありますよね。
芳賀 部屋に積んであった本とかは、助っ人が製作してくれて(笑)。紙ものを作るのがとてもうまい女性でね。作ってくれた本1000冊。タイトルとか大きさとか、厚み、色なんかが全部違っているんですよ。他にもガスメーターとか墨汁の缶とかの金属ものが得意な方とか、いろんな助っ人が助けてくれました。もう僕、電話をかけまくりでねぇ(笑)。
進藤 それは芳賀さんの人柄に違いない。
芳賀 いやいや、そんなことはないんですが。そうそう最近はね、グラウンドゼロを作ってくれっていう話しもありましたよ。
進藤 もちろん、ニューヨークの、ですよね。
芳賀 断りましたけどね。僕の作品って廃墟みたいな作風でしょ。だから、これを作るのはあなたしかいないって。でもとにかくもとが巨大なものだから、もし200分の1のサイズで作ったとしても、大きすぎてニューヨークまで運べないし。仮に3年かかって作ったって、それが世の中のためになるんだったらいいですけどね。
進藤 グラウンドゼロということだから、崩壊した現場を模型にするということですね。
芳賀 そう。倒れた惨状をってこと。だけど焼け野原を作ったからといっても、作品として作るのなら、さらに隣りの倒壊しかかったビルも2つ3つあるなかでの風景ってことになってしまうし。
進藤 それはたしかに超大作になってしまうし、それ以上に、製作者としては複雑な心境ですよね。
芳賀 だからとても手におえないと。

 「模型の中で布や水を表現するのは
  結構難しいんです」

進藤 パリの作品は、今までにどのくらい作られたんですか。
芳賀 まあ、30作品くらいですかね。
進藤 必ずこういうふうに、というのはあるんですか?
芳賀 いろいろあるけど。まあ、やっぱり商店じゃないと面白くないっていうのはありますね。あと、ボロボロで汚い感じが喜ばれるみたいだね。壁がボロッとしてたりとか。
進藤 年季がはいっている感じですか。そう言われると、みんな老舗っぽい(笑)。わざと古く見せるのは難しいんでしょうね。
芳賀 難しいといえばすごく難しいし、めんどうくさいって言いだすとすごくめんどくさい作業なんです(笑)。
進藤 私といたしましては、ディティールにも惹き付けられますね。ショーウィンドーに並べられた品物のうえに、ひょいと帽子がかかっている作品とか。あれ、私、好きなんです。
芳賀 あの店は”チャーリー”っていって、あのチャップリンからきてるんです。チャップリンを好きな年配の方って、結構多いんですよ。それで、前に2つくらい売れたことがあったんで、味をしめて作品の中にチャップリンのポスター貼ってみたりして(笑)。
進藤 お客さんへのサービスだったんですね(笑)。そういう、物語が見えてくるようなところに、人はくすぐられるのかもしれませんね。人物を登場させないのも、芳賀作品の特徴のひとつでしょうか?
芳賀 やっぱり人物は動かないとちょっとヘンじゃないかと思っちゃうんで。あと、布ものも難しいですね。布はね、たとえば80分の1という縮尺で作ってたとしたら、どんなに厚みの薄い布を探したとしても、80分の1の薄さの布って存在しないでしょ。そうすると別のもので代用したりしなきゃいけなくなるんです。
進藤 なるほど。素材そのものもミニチュアサイズで存在しないと。
芳賀 そうそう、ヘンなんだよね。あと、水も難しい。模型では、固まると透明になるものを流し込んで池みたいなものを作る場合もあるんだけど、固まるときにちょっと収縮して端と中心で高さが違ってきたりするから、どうもねえ。それとか、展示してたらホコリがたまったりしちゃうじゃないですか。水面がまったいらっていうのもなんだかヘンだし。
進藤 ご本人としては、布や水は難関だとされていても、全体的なリアルさは高く評価されていて。そのポイントというと。
芳賀 だいたい、素材そのものを使うのがいいんですよね。金属の部分は金属で作るし、壁は壁材で作る。絵の具で着色したりっていうのは、なるべくしないようにしていますね。たとえば、この屋根の部分とかは本当に錆びている金属の板を使っています。こういうのは道で落ちているのを拾ってくるんですよ(笑)。
進藤 思わぬところに素材が(笑)。
芳賀 この間も八百屋の前で一斗缶でゴミ燃やしているのを見つけて。それがね、すごいいい色に錆びてたの。
進藤 アハハ! 一斗缶にひと目惚れしちゃったんですか(笑)。
芳賀 それでさっそくバイクに乗って、きれいな缶、しかも上の部分をちゃんと切り抜いたものをもっていって「おばさん、すいません、これと取り替えてもらえませんか」って。
進藤 アッハハ! いいですね~。
芳賀 帰るとき振り返って見たら「あの人なんだったんだろう?」って、かなり不思議そうな顔してましたよ(笑)。いきなりだったですしね。
進藤 でも、お互いにありがたいですものね。いつもセンサーをはりめぐらせて、物色しながら歩いていらっしゃるんですね(笑)。
芳賀 散歩行っても結構いろいろ拾ってくるんです。あ、いいのが落ちてる! って(笑)。この間も教室の生徒がね、わざわざ遊びに来てくれて、「いい感じで錆びたのが見つかりました!」って。
進藤 うれしいおみやげ(笑)。
芳賀 ああ、これはよく錆びてる!って(笑)。だってもう、都会では錆びたものってないんですよ、最近は。ありそうで、なかなかない。
進藤 錆びたものを見つけるたびに、芳賀さんのことを思い出しそう。お届けにあがらなきゃ!って(笑)。
芳賀 ぜひ持ってきてください(笑)。
進藤 これから作ってみたいもの、挑戦したいことはなんでしょう?
芳賀 いろいろあるなあ。ただ、僕はあんまり豊なものは作りたくないんですよ。だから夏目漱石の家とかそういうのじゃなくて、個人の、庶民の家のようなものを作りたい。
進藤 生活のにおいがするような。
芳賀 そうそう。あとは労働現場ね。今は廃墟のようになっているけれど、昔はここでお父さんたちが働いていたんだよ、みたいなものですね。

「追伸 From 晶子」

「ウチ、わかりにくいんじゃないかと思って‥‥」と、ご自宅前で我々取材スタッフを待ち受けてくださった芳賀一洋さん。隣接するアトリエの出入り口は、捨てずに保管していた扉を、ご自身で取り付けられたのだとか。お仕事場も、模型も、芳賀さんにとってはさしたる違いはないのでしょうね。話題が変わるたびにクルリと後ろを振り返り、ギッシリ詰まった書棚から作品の写真や材料をご披露くださり、お話しがおわるや否やさっさとお方付け。その手さばきたるや、作品同様、見事なことこの上なし、なのでした。

サンダルがバッドでした。


2003年2月24日