去年の暮れ、クイック・ジャパン誌・51号に、私の知人である編集者・小島素治(こじまもとはる)氏に関する事柄が掲載されていて、このサイトからの引用も多いので、是非ご覧になって下さいとお伝えした。(2003年11月19日付けトークスを参照のこと。)さっき、その続編号・クイック・ジャパン誌・第52号(大田出版/刊)が届き、いま目を通したところである。今回は、写真家・浅井慎平氏による回想トークがメインだが、あいかわらず私の話しも多く取り上げられている。記事のタイトルは「Get back, SUB/あるリトルマガジンの魂に捧ぐ」というものなので、ぜひ雑誌を買って、お読みになって下さい。
去年の夏、かかる雑誌の編集者から電話があり、小島素治氏についてお伺いしたいと言われ、近所の喫茶店で約2時間いろいろとお話し、彼が現在大阪の病院に収容されていることを伝えた。それから約1ヵ月後に、彼らは大阪まで出向き、氏との面会を果たした。そのへんのいきさつが今号の内容だ。記事をお読みになればわかるが、小島氏は私に対して実に頻繁に手紙を書いてよこした。しかし彼ら編集者が大阪に出向いた直後からパッタリと便りが途絶え、いったいどうしたのかと気をもんでいた。なにしろ非情に手紙好きのひとである。もしかしたら取材の内容が当人の気にさわり、彼等を差し向けた私に対して怒っているのでは、と考えたりもした。
「なにか当人の気に触ることでも言ったのではないか?」
とうとう私は、取材を敢行したライター氏に対して若干の苦言を呈した。すると彼らは「調べてみます」と答え、帰ってきた返事を聞き、私は絶句した。
「手紙が届かない理由が、やっとわかりました。2003年の10月5日に、小島氏は亡くなったそうなのです‥」
この雑誌のライターである北沢夏音(きたざわ・なつお)氏は、上の重大ニュースを携えて、拙展(渋谷クラフトクラブ&芳賀一洋展)の会場に駆けつけてくれたのだった。
――改めて合掌。
そして、今号の紙面には闘病中の氏の写真が使われていたが、一瞥し、わたしは胸が一杯になってしまった。やせ細り、それは、あまりにも変わり果てた姿だったからだ。
2004年1月21日