今年の春、文具店「伊東屋」のミニチュア作品をつくったというはなしは再三にわたってこのコーナーでお伝えしてきた。しかし作品の写真については長らくお待たせしていた。しかしつい最近、「Works」のコーナーにたくさんの写真をアップすることができたので、あとでぜひチェックしてほしい。しかしスライドショーでの説明はいまのところ英語オンリーなので、下にその和訳を掲載することにした。日本語とすればちょっとヘンなのだが、ご勘弁いただきたい。
Special Model ITO-YA
2004年、私は古い文房具店をつくった
「2004年の伊東屋」
伊東屋は、わが国ではたいへんに良く知られた文房具店である。この店の原稿用紙は非常に優れているので、日本における偉大な作家たちからも長く愛されてきた。
開店は1904年、今からちょうど100年前(1904年)で場所は銀座だった。銀座は東京の中心で、伊東屋本店は現在にいたるまでずっと銀座にある。
「1904年の伊東屋」
この写真は開店当時の伊東屋を写したものだ。2004年に開催する同店の開店百年祭のイベントに陳列するために、この写真を模型化することを求められた私は、2003年の10月よりその準備にとりかかった。そして同年の12月20日から本格的に制作をはじめた。
「完成」
そして2004年の4月20日にはほとんど完成した。ちょうど桜の花が満開のころのことだった。
「看板」
看板の文字は:上段/店の名前(漢字で伊東屋と書いてある)。中段/和漢洋文房具、和洋諸帳簿、学校用品類、電話新橋2616番(新橋は東京の地名)。
ところで「ITO-YA」だが、”ITO”とはこの店のオーナーの姓で、”YA”とは、日本語で”店”という意味である。
「メイキング伊東屋」
当初担当者から古いモノクロの写真を一枚いただいたが、写真からは店内の様子は一切うかがい知ることができなかった。私は非常に困ったが、この店の現社長である伊藤高之(いとう・たかゆき)氏は「店内はあなたの創造力(想像力)で作ってください‥」とおっしゃり、そうするしかなかった。
「メイキング伊東屋」
なにしろ伊東屋は文具店なので、おびただしい量の文房具が必要だった。当初わたしはトムビショップ氏のミニチュアショーやインターネットなどを使って、世界中からミニチュア文具を調達するつもりだった。しかし私が求めているようなものは見つからず、結局ほとんどすべての文房具を自分で作ることになった。いくつかのショーケースや、万年筆やインク瓶、絵の具のチューブや画筆、パレットナイフに画材カバン、金銭登録機にいたるまで、すべて木や金属で自作した。
「人力車」
当時は非常に忙しかったので、人力車の製作は私の生徒・佐野匡司郎(さの・きょうしろう)氏にお任せしたが、彼は真鍮でそれを作ってくれた。また別の生徒・田山まゆみさんにはノートや絵葉書といった「紙もの」を大量につくっていただいた。そして店の入り口に貼ってあるタイルは、米国のナンシー・フローゼスさんに特注した。彼女は「トム・ビショップショー」のディーラーのひとりである。
「色」
制作においてもっとも難しかったのは色である。特に看板の字の色が難しかった。最初私は濃いグリーンのオイルステインで着色し、あとでほんの少しの赤を加えた。以上はオイルステインでの着色だったが、更にその上に、今度は油絵の具で、少量のゴールド(金)を加えて仕上げた。色は、ディティールよりも遥かに重要だとおもう。それと、全体のかたち(フレームやベースなど)も非常に重要である。
「ミュージック」
ひとつ仕掛けがある。ショーケースの後ろに小さなスピーカーを2個取りつけてあるので、店の内部から音楽が流れてくる仕組みなのだ。聞こえてくるのは古い日本の曲だが、お聞かせすることができないのが残念である。
「伊東屋ギャラリーにて」
2004年の4月に作品は完成したが、社長(伊東屋の伊藤高之社長)が気に入るかどうかが心配だった。幸いたいへん気に入ってくださり、さっそく作品は「あの時代の文房具」というイベント会場の入り口に展示されることになった。このイベントは伊東屋百年祭の催しのひとつで、2004年の6月に伊東屋ギャラリーで開催された。そして作品は現在、伊東屋の社長室に飾られている。
「最終ページ」
以上が伊東屋作品についてのはなしだった。
そのあと、この作品の製作技法を、生徒のみなさんに指導するため、もう一つ別の文房具店(伊東屋に良く似た文房具店)を作り始めたところである。完成は2005年の年末ごろになると思うが、出来上がったらお見せするつもりだ。
以上がスライドショーのページにある英文の翻訳である。
ところで私は、自分では一切写真を撮らないし一台のカメラも持っていない。だから出来上がった作品はいつも知り合いのカメラマンに撮ってもらっている。現在5人のカメラマンがいるが、伊東屋はそのうちの3人、神尾幸一、佐藤紀幸、伊藤誠一の各氏に撮影してもらった。
以下、彼らの紹介。
神尾幸一(かみお・こういち)
神尾氏は私の友人のひとりで、プロ・カメラマンである。若いころはファッションカメラマンをやっていたこともあったそうだが、現在は物撮り(ブツドリ)が主で、普段はシチズン(時計)のカタログ写真等の撮影に多くの時間を使っている。そのせいかディティールを撮ると実にセンスが良い。
氏は吉田大朋(よしだ・だいほう)というわが国の写真界においては草分け的存在の写真家の正式な弟子の一人として師事したことがあるそうだ。現在彼は独身だが、アメリカのコーネル大学に通っているチャーミングな息子さんがひとり居て、ご子息(神尾大悟・かみおだいご君)は、ニューヨーク州の北方に位置する「Ithaca」(イサカ)という町に住んでいる。
佐藤紀幸(さとう・のりゆき)
佐藤氏もプロ・カメラマンである。若いが売れっ子で、普段は全日空やモスバーガーといった企業のコマーシャルフォトを撮っている。もう5~6年前のこと、京王プラザホテルで開催した拙展会場に偶然やってきた彼は拙作をたいへん気に入ってくれ、「ぜひ写真を撮らせてほしい」と申し出た。じゃあ、ということで撮ってもらうと、すばらしい出来栄えだったので驚いた。このときの写真「風に吹かれて」や「日本軽石興業」は、某写真コンテストにおいて見事「銀賞」を受賞したのだが、それら受賞写真のいくつかは私のパンフレットや当サイトにも使わせていただいている。www.satofoto.net
伊藤誠一(いとう・せいいち)
伊藤氏はプロではないが、ミニチュアの写真を撮らせるとスゴイ。数年前、彼はいっとき私の教室の生徒だったこともあったが、現在鉄道模型のプロモデラーである。と同時に、その分野ではちょっとした有名人でもある。そんなことから伊藤君に模型の写真を撮らせると玄人はだしの腕前なのだ。若干ラフで、多少茶色すぎる写真なのだがパワフルで、独特のオーラが感じられる写真を撮る。
上の3人には改めて御礼を申し上げます。彼らの尽力なくして伊東屋のウェブページは決して作れませんでした。
2004年9月17日