人力車のこと

 先月「人力車」をつくった。
 以前つくった伊東屋(正式題名/初代・伊藤勝太郎の店)の店頭にも一台の人力車が置いてあったが、あれは佐野匡四郎(さの・きょうしろう)という、われわれのクラフトクラブの重鎮がつくったもので、私がつくったものとしてはこれが初めて。伊東屋製作中は常に時間に追われていたため、つい佐野氏に制作をお願いしてしまったが、今回「あづまや」をつくるにあたって、どうしてもまた一台の人力車が必要となり、仕方なく今回は私がつくったというわけだ。
 ところで佐野匡四郎という方は昭和10年のお生まれというから、私よりはひとまわり以上も年長である。国立大学のご出身。工作技術の衰えはいまだに微塵もみせず、現在も毎朝きっかり9時には自宅の工作室に入り、夕方までみっちりと趣味のクラフトにはげんでいるという、なんともうらやましい境遇の持ち主である。氏は真ちゅうの板一枚から、糸鋸をつかって、すべての部品を切り出し、動力の伝達装置や、もちろん電気配線にいたるまでをオールハンドメイドによって、とうとう自走可能な模型の機関車(縮尺80分の1)にまでしあげてしまうという、アンビリーバブルな技術の持ち主である。その機関車の正確無比な仕上がりたるや正に神業で、口ではちょっと説明ができない。最近は客車にも凝っていて、ついこのあいだは7~8両編成の旧型国電(戦前型)を全車両自作してしまった。そのうえその電車は、駅のホームに着くとすべての車両のドアーがいっせいに開閉するという仕組みなのだ。もちろん自動的に、である。ドアーといったってなにしろ80分の1のサイズなのだから、幅約1センチ・高さがせいぜい2センチぐらいのもの。それらが実車とほぼおんなじような按配に、いっせいに(片側に何枚の扉がついているのかは知らないが‥)さーっと開くのである。車両の両側ともに開閉する仕組みだそうで、ホームの向きによってはドアーの開く方向が異なるそうである。そういった複雑怪奇な仕組みはすべて氏が自分で考案し、自分で図面を引き、オール・ハンドメイドによってつくっているという。鉄道模型の世界ではかなり有名な方なので、氏の作品はしょっちゅう、その手の雑誌に紹介されている。佐野氏のこととなるとおもわず熱が入ってしまい、つい説明が長引いてしまった。
 幸運にもそのような名人が身近にいるおかげで、ちょっとむずかしい作り物にでくわすとつい彼に頼んでしまうという悪い癖がある。ふるくはトキワ荘のときの「ガスメーター」(玄関横に設置)や、石ノ森正太郎氏の机の上においてある「電気スタンド」や、直径6ミリの「墨汁の缶」など、すべて佐野氏に頼んだものだった。だから伊東屋をつくるにあたって、人力車だけはどうしても氏にお願いするしかないと考え、製作開始と同時に必死で頼み込んだ。ほどなくびっくりするような品物を届けてくれた。このときに氏がつくってくれた人力車は、当サイト「Works」のなかの「ITO-YA」セクションで、たくさんの写真を見ることができる。
 そして今回、伊東屋と非常に良く似た作品「あづまや」を制作中であることは、2005年5月10日付けの、このトークスでご説明したとおりである。そして伊東屋と同様に、これも明治期を想定した作品である。しかし当初、この作品の店頭には「人力車に代わる別の何か」を配置することによって、人力車製作の苦労からは逃れようと考えていた。そのつもりで明治期に似つかわしい配置物をあれこれ模索したが、結局「人力車にまさる何か」はみつからず、仕方なく重い腰を上げ、こんどは私がつくることにしたのだった。
 下に写真を一枚掲載したが、車輪のホイール部分は直径9センチ・肉厚3ミリの真ちゅう製パイプを高速カッターで薄くスライスして製造した。車輪のスポークや車体ボディー、引き手や、幌の桟など、ほとんどすべてを真ちゅうでつくった。佐野氏の人力車も、おなじくオール真ちゅう製だったので、造りや構造は私のものとほとんどおなじである。ただ私のものは、佐野さんのものと比べると、かなり幌が低い。その幌だが、氏は薄い布地を縫って(!)つくったそうだ。私はそれに見事失敗! 小さな布地を正確に、非常に細かいミシン目で縫うことができなかったのだ。次善の策として仕方なく薄いビニールを探してきて、それをのりで桟にくっつけて、どうにか幌らしく仕上げた。
 制作に当たっての資料は、東京浅草にある㈱時代屋の人力車資料館で、ほとんどすべてを入手することができた。
 ―――時代屋 http://www.asakusa-e.com/jidaiya/jidaiya.htm
 上のサイトを開いていただければ一目瞭然。
 時代屋は、こんにちの浅草を舞台として人力車による観光サービスを提供したり、明治大正期の衣装や風俗を紹介するなど、レトロものなんでもござれの会社である。何回か足を運ぶうちにオーナーの藤原さんと親しくなり、店(人力車資料館)の壁にはってあった「人力車製作図面」のコピーをいただくことができた。これがとりわけ役に立った。またここにはさん然とかがやく「実物・人力車」も一台展示されている。しかし、あいにくそれは比較的最近つくられたものだそうで、車輪にはほば自転車に似たゴムタイヤにスポークがつかわれている。明治期のものには木でできた荷車のわだち(幌馬車のわだち)の如き形状をした車輪が使ってあったとのことで、それら木製わだちの現物も店の天井に、ちゃんと飾ってあった。
 余談になるが、「たそがれ清兵衛」という映画が大好きだ。なにからなにまでシビレたが、ただひとつ、最後にでてくる人力車だけがどうしてもいただけない。時代は明治に変わり、岸恵子扮する主人公が亡き父・清兵衛の墓前に墓参りをするというのがこの映画のラストシーンである。そのあと一台の人力車が、どういうわけかゴムタイヤで登場し、スポークの車輪をきらきらと輝かせながら、岸恵子を乗せて、銀幕のかなたへと、すたこらさっさと走り去ってゆくのである‥。
 「馬鹿野郎!!! 明治だっつーのに、なんで、車輪のスポークがキラキラと光らなきゃなんないんだ!」
 と、おもわず劇場で叫びたくなった。
 映画にはとりわけうるさい「実物・石の家」をつくったというフジテレビの美術担当プロデューサー氏によると、そもそもあのラストシーン(墓参り)は完全なる蛇足だそうで
「あのシーンのおかげでアカデミー外国映画賞を逃したんだよね‥」
と、おっしゃっていた。
 同感である。
 それら人力車に関してのうんちくや、数々の資料をご提供いただいた㈱時代屋の女将・藤原裕三子氏にはこの場を借りて、改めて御礼を申しあげたい。

 「ところで、制作には何日かかりました?」
 以前佐野氏にお伺いしたところ
 「毎日やって、2週間ですか‥」
 と、余裕の微笑みをたたえながら、確か、そんなふうにお答えになったと記憶する。
 やってみたら私もほぼ同様で、制作には約10日がかかった。私の場合、すでに優れた佐野製見本があったことに加えて、佐野氏と比べると塗装がザツな(というか、ほとんどやっていない)ぶん、制作日数を若干短縮することができた。したがって実質的製作日数はほぼおなじとみてよさそうだ。ただ「出来がどうか?」となると、残念ながら、もちろん佐野製のほうが格段と上、みたいである。

 このたび当サイト「プラスチックモデルス」のセクションの、オートバイがいっぱいならんでいるところの最終ページに、特別コーナーを設けて、たくさんの「芳賀製人力車」の写真を掲載したので、ぜひごらんになっていただきたい。そして「佐野製人力車」をごらんになりたい方は「ITO-YA」セクションで、じっくりと‥。ね。

 ――以下、付録。
 以上、人力車にかんしては私のクラフト教室の「アートインボックス制作教室」で課題として取り上げ、生徒のみなさんは現在制作の途上にある。すでに車輪の製造はおわり、ただ今は「板バネ」(車輪を支えるためのもの)制作の工程にさしかかっている。したがってかなり難しい工作を進行中といえる。しかしこれとは別に、かんたんなアートインボックスをつくりたいという希望が以前からあり、7月期より、ゆるゆるの(かんたんな)クラスをひとつ、新しく開始することにした。初回に取り上げる課題は「花屋」(SEINE FLEURS/セーヌ・フルール)に似たもの、を計画中である。そしてその第一回目を、2005年7月16日(土)午後1時30分からと予定しているのだが、スタートまでにはまだ少し間があるので、参加希望者は当サイト・ウェブマスターまで連絡してほしい。スペースには限りがあり、そう多くはお受けできないが、あと2名ていどなら受付可能と思うので、どうぞよろしく。

写真・神尾幸一


2005年7月1日