下の写真は、ぼくの工房でこの1月からはじまったアートインボックス制作教室、土曜グループのようすである。
充電ドライバーでネジを締めているのは時計屋のイケブチさん。その右がイケメンのユウちゃん、そのまた右がユザワヤ講師の山口さん、むこう側にいる女性はアラサーのらるかちゃん、手前背中はコピーライターの羽賀さん、そして画面の一番左側にイラストレーターのイギシさんがいる。
土曜グループは以上6名だが、日曜グループにもおなじく6名いるのでぜんぶで12名。たいした人数ではないが、ご覧のように各自がその場で作品をつくっているので、これでいっぱいいっぱい。もうこれ以上は入らない。彼らが取り組んでいるのは「モンパルナスの灯」という作品だが完成までにはまだだいぶ時間がかかりそうである。
この日は午後7時まで、ここでこうやって仕事をして、そのあとはみんなで「三島屋」という料理屋へ移動し、うまいものを食べながらのアルコール補給。
ま、そんな、極めてゆる~い雰囲気でやっております。
近況②「雑誌『悠日』の記事」
最近宇都宮方面で発売された「悠日」という雑誌に「模型師のこだわり」というタイトルで計4ページにわたって拙作「馬具店」が紹介されました。下にその記事の全文を転載いたしますが、多分文句は言われないだろうと思う。
なお下の一文は作品がまだ未完成だった去年11月に書いたものです。
——-以下、記事より。
「馬具店のこと」
いま馬具店をつくっている。前世紀初頭米ミネソタ州に実在した馬具店だ。店の子孫にあたる方からの依頼で制作を開始し、もうそろそろフィニッシュをむかえようとしている。
実はこの仕事、最初はわからないことだらけだった。
送られてきた店内部の写真をはじめて見たとき、上段に並んでいるものが馬の首輪だということはすぐに理解した。しかしその下段にあるものがわからなかった。依頼主に問うと、ただ「調べる」とだけ回答があり、どうもはっきりしない。仕方なくわたしはそれらを馬と馬車とをつなぐためのロッドと推定し、調査を開始した。するとある日、ロス在住の弁護士氏から、そのものの正体は密集して吊ってある馬のベルトだとする説とともに数枚の証拠写真が届いた。同時に彼は、写真の店は馬具店ではなく駅馬車のストレージルームだと主張。駅馬車は常に複数の馬で引っ張るため、写真のような馬具が大量に必要だったし、山と積まれた客のトランクが何よりそれを物語っているとおっしゃった。さあたいへん。数ヵ月後、わたしはこの弁護士の薦めに従いカリフォルニア州のゴーストタウンへと飛んだ。調査のためである。さすがアメリカは広い。百年前の町がほったらかしの状態で今もそのまま残っている。メインストリートには教会や酒場とともに馬具店らしき店もちゃんとあった。さっそく採寸し、構造を見、屋根の瓦を観察するなど、アーリーな建造物を存分に調査。そして翌日はサクラメントシティの駅馬車ミュージアムへ。
ミュージアムとはいっても広さ約50坪、駅馬車一台と往時の写真や書籍が寒々ならんだワンルーム、客はひとりもいなかった。
「これは駅馬車のストレージルームですか?」
わたしは件の写真を示しながら恐る恐る中年の学芸員に話しかけた。すると彼女は「オブ・コース!」と一言である。すかさず「じゃあこれは馬のベルトですか?」と黒い物体を指さしながら問うと「イエス!」と彼女は、キッパリ断言したのだった。
———というわけで、黒いものの正体がわかるだけでも約半年かかっている。
完成したら米国からクライアントの御夫妻が作品を見に来る予定になっているのだが、彼らは祖先の店を馬具店だと信じているようである。駅馬車ルーム説を持ち出すつもりはない。写真通りのものが出来あがればそれでいいのだ。
近況③「おまけの一枚」
下はちょいワルなおまけの写真です。
2005年の冬、ニューヨークへ行ったとき、シブクラ会員のスギちゃんが撮った一枚だ。
場所はマンハッタンのロウアーイーストサイド、アベニューBという観光客がまったく行かないようなところに建つ古びたアパートの一室。おそらくは深夜の2時ごろだろう。ぼくはこのときベロベロに酔っていて、写真を撮られたことすら覚えていない。だから本当は社会の窓が少しだけ開いていて、みっともないので、そこだけをフォトショップで修正し、掲載した。全体に漂うこのワルっぽいムードがヤバイ、ですよね…。
2010年1月30日