自由が丘教室の生徒、遠藤大樹くんが作品の写真を見せてくれた。
「おお、いいねえ、こんどブログに掲載するよ…」
と、見たとたんに約束してしまったが、なかなかいいでしょ。
高さ約17センチ。ハンドルを廻すと恐竜の首が動くらしい。
近況②「悠日5号」
雑誌「悠日5号」が発売になった。
前4号では、パリのパン屋の制作記みたいなものを書いたが、それが途中で終わっていたので、今号ではその続きを書くことに。
以下記事より——-。
寝覚めのうつらうつらした頭で考えた。吉祥寺に行かなければ。
やがてそれが「そうだ、吉祥寺へ行こう!」という、はっきりとした意識に変わりパチッと目が覚めた。
一週間前、白い琺瑯(ほうろう)の看板をネットで探して大至急買ってほしいと娘に頼んだ。だが昨夜になってもまだ「これでいいの?」などとスマートフォンの画像を見せながら寝ぼけたことを訊いてきた。
おいおいもう12月25日なのだぞ。
「パリのパン屋の制作記」
前号では店舗ファサードを水色に塗ったら大成功、みたいなところで終わっていたパリのパン屋の制作記。きようはそのはなしのつづきを書いている。
ファサードの着色が終わったら、そのあとは店の看板を書くという大仕事があった。
作品を正面から見たときに看板はなんといっても目立つ。この作品の場合BOULANGERIE(パン屋)と書かねばならぬが、最初はそれを立体文字にするつもりだった。厚さ1ミリほどのイラストボードをアルファベット状に切り抜いて貼り付けるという方法だ。手で書くよりも角が出て、シャープに仕上がる。
しかしだんだんとそのシャープさが、この作品には邪魔に思えてきて、むしろよぼよぼっとした線による、装飾的・絵画的文字のほうがよいような気がしてきた。するとやっぱり手書きだろうが、どんな書体がよいのか。それをみつけるだけでも数日かかるかも知れず、不安になった。
そもそもこの作品はその年の年末までに仕上げて、年明けの「はがいちよう展」会場に陳列すると悠日オーナー氏に約束していた。
もう時間がないのだ。
まあとにかく手元にあった「ビクトリアン・ディスプレイ・アルファベット」というロゴ体の本を開いてみた。するとどういう偶然か、その1ページ目に、正にピッタリの書体が掲載されているではないか。見たとたんこれだと直感し、書体探しはあっというまにケリがついた。書体が決まればあとは書くだけ。
結局わたしは同一書体による二枚の看板を書いた(上の写真)。そのどっちがよいのか、悩みに悩みんだ末、最終的にうす味のほうを選んだ。
「ひさしのこと」
こうして看板が終わり、次はその上にひさしを取り付けねばならない。作品全体の色調からすると、ところどころが赤く錆びた水色のひさしがよさそうだ。これが最後の仕事である。安易な妥協はしたくなかった。
しばし考え、はじめっからそれらしい色の鉄製の古い看板をみつけて、ひさし状に加工し、取り付けることを思いついた。そこで娘を呼び、琺瑯の看板をネットで探してほしいと頼んだのが、一週間前のことだった。
ところがよくよく考えると、この日はもう12月25日である。今すぐそれを入手しなければとてもまにあわない。ネットで買った品物が果たして今年中に届くのか。
そんなことを心配しつつ眠りについたその翌朝、目覚めたとたんに決めていた。吉祥寺に行って必ずそれを自分で見つけると。
「吉祥寺へ」
琺瑯看板のような昭和のレトログッズは、なぜか中央線沿線で見つかるものと信じていた。中央線といえば吉祥寺だ。
朝10時、駅に到着し、まずは交番で町案内の場所を尋ねた。たどり着いた案内所でこう言われた。吉祥寺は家賃が高いので、琺瑯看板のような安価なアンティークを扱う店はありません。
いきなりガーンである。目覚めの決意はかんたんに打ち砕かれ、仕方なくその場を辞して、お隣の西荻窪へと向かった。
西荻には大小20軒ほどのアンティークショップがあって、片っ端から見て廻った。どの店も駅から遠く、5軒ものぞくとへとへとになったが求める品は見つからなかった。
やがて正午になり、ぼくは西荻にも見切りをつけて、こんどは高円寺へと向かう。
そして午後3時。「高円寺ビンテージ・ショップめぐり」という地図を片手に、そのときは、地図中Dと記された店からEの店へと路地裏を歩いていた。やわな足はすでに限界に達し、ときどきもつれてくねくねした。もうダメだ、そろそろ帰ろうと思った矢先、ふと自分の足元を見ると、ちょうど良い大きさの琺瑯の鉄の板が、なんと道に落ちているのだ。一瞬わが目を疑ったが、間違いなくそれはドンピシャリの品である。
おお、神さま!
これは奇跡か、それともマジックか。
一日中探していたその品物は、木造の塀の根元に無造作にゴロンと落ちていて、見方によれば塀の住人の所有物と見えなくもなかった。だが明らかに路上にあり、ちょうど良く錆びていて、なおかつ塗装がしてあって、中央から右が白、左が水色といった具合に塗り分けられ、どちらの色でも使えますよと言っているように見えた。胸がわくわくし、心臓がドキドキした。
きょろきょろっとあたりを見廻して、ぼくはゆっくりとそれを拾い上げた。
この瞬間、求めていた最後のピースが手に入り、作品は限りなく完成に近づいた。
結局その鉄板は泥がついたまま片手でぶらさげて電車で持ち帰り、ただちに作品のひさしとして仕上げ、その翌々日、本作は完全に完成した。
題名は「デカルト通り48番地」、作品の元となったパリのパン屋の住所である。
2011年5月8日