「メキシコとの壁 ?」

 拙作「昭和初期の真岡駅」(1/80)が「消えちゃった!」という趣旨の記事を前回ここに掲載(7/19付)したところ、約2名の読者から「いや、そんなことありませんよ‥」というメールを頂戴した。
 まずは元生徒・穴熊@安達さんからいただいたメールを、当人に無断でm(__)m下に掲載する。
 「SLキューロク館と同じ側ですが、駅の建物の中の、改札口の向かい側に展示されています。こちら側は真岡鐡道の本社ビルを兼ねているので、駅というより、真岡鐵道の本社ビルに展示されている、という感じです。添付した画像は、昨日(2024年7月26日)再訪して撮影したものです。真岡駅の作品を拝見するのは、昨日で4回目ですが、やはり素敵です。今、思い返してみたのですが、最初は駅の反対側(キューロク館側ではない方)の展示だったのですね。穴熊@安達 拝」
 —–以上、原文のまま。
 注①: SLキューロクとは蒸気機関車の9600型のことです。
 注②: キューロク館は駅の東口側にあります。
 穴熊さんありがとうございます。
 わたしの記事を読んだ一週間後にわざわざ見に行ってくれたのですね。感動いたしました。いただいたメールで詳しい展示場所がわかりましたので、こんど行ってみます。

 1996年当時、真岡市の市長は菊池恒三郎という人だった。
 菊池氏は市長であると同時に(株)真岡鐵道の社長でもあり、当時ディーゼル車しか運行されていなかった真岡鐵道真岡線に、はじめてSLを走らせ、観光の目玉としたのも菊池氏だった。
 わたしはその菊池氏から直接依頼され、真岡市役所の企画課が窓口となって、1997年の春、あの模型展示物の制作をスタートした。このとき市とのあいだにはさまざまな取り決めがあった。展示場所は駅東口コンコースの真ん中であること、展示台の高さは床から何センチであること、ショーケースの天井には6本(8本だったかな ?)のスポットライトを設けること、等々、他にもいろいろあった。そして同年秋に完成した暁には市がちょっとした完成披露のパーティーを催してくれた。
 数年後、菊池氏が落選し、状況が一変。後任の市長は前任者の政策を否定することからはじめるので、わたしの作品は隅っこに追いやられ、次第にどこえ行ったのかさえわからなくなった。トランプが作ったメキシコとの壁が、バイデン氏によって壊されたのとおんなじですね。

穴熊さんの他にもうひとり、現役生徒の王さんからも、非常にわかりやすい上の写真と共に、やはり「置いてありますよ」という趣旨のメールをいただいた。写真左側の黄色い円の中に置いてあるのが拙作「昭和初期の真岡駅」です。