大型で非常に強い台風が高知展搬入日の17日をめがけて四国に上陸するという予報の中、芳賀と山下の2人はその前日陸路高知へと向かった。
新幹線で岡山まで行き、そこから先は土讃線に乗り換えて高知まで行くつもりだった。だが出発の直前、土讃線も止まったという情報が入り、ならば岡山で一泊し、翌朝一番の列車で高知入りしようと考えた。
ところが我々が岡山に着いたとき台風は四国の上空にあり、速度が非常にのろいので翌朝の四国行も運休になるだろうと駅員に言われ大ピンチに陥る。もちろん飛行機も、高速バスも止まっている。新幹線で酒を飲んでいた我々はレンタカーも使えない。しかしどうしても翌朝までに会場入りせねば、予定通り展を開幕することができなくなる。
腹を決め、駅前でタクシーを拾った。
「四国へ渡りたい」
そう言うと運転手はわかりましたと答え、会社と無線でなにやらしゃべりはじめた。そしてこちらを振り向き、「お客さん、すでに瀬戸大橋が封鎖され、四国へは渡ることができないそうです…」と困った顔、万事休すである。ならホテルを探してくれと頼み、数件のホテルを当たったがどこも満室。その間も運転手はしきりに無線で何かをしゃべっている。そしてまたこちらを向いた。
「ここから80キロ西の〝しまなみ海道〟なら、まだ渡れるそうです。」
聞いたとたん「行ってくれ!」と頼み、それから約2時間、台風に向かってタクシーを飛ばし、海を渡ったのが午後10時。その晩は今治(愛媛県)で一泊し、今治からはレンタカーを使い、高知の会場着が朝10時、すでに荷物は別便で届いていたので、さっそく荷を解くと、中からは壊れた作品が出てきた。
「アレレのレ…」
実はぼくの荷を積んだ運送屋のトラックが台風の中で故障し、会場へは牽引されて到着したという。牽引するには一旦ジャッキで前輪を持ちあげねばならず、そのとき荷崩れを起こし、中身か壊れたんだと思う。イーゼル一台と木箱の一部にも損傷かあった。 それら破損品を応急修理しながらもどうにか陳列を終え、台風一過の18日、無事に展は開幕。
文字通り「嵐の搬入劇」だった。
2015年7月20日