むかしからボロいものや暗いものが好きだったせいか、パーッと明るいサクラの花は大キライだった。梅や山茶花なら十分に理解できる。だがサクラの花の、あのベタでけばけばしいピンク色の一体どこがよいのか。ずっとそう思っていた。
気が変わったのは50歳を過ぎてから。
そのころからだんだんと相撲が好きになり、水戸黄門が好きになり、ふと気がついたら、いつのまにかサクラの花も好きになっていた。
要は歳を取ったということらしい。
むかしは秋が好きだったがいまは春が好きだ。森繁の社長シリーズや寅さんなど、のんきで明るい映画をこころからよいと思えるようになったのもついこのごろのことである。
歳をとるにつれてだんだんと明るいものが好きになるようだ。
だが花見の宴会だけは、いまだにどうも好きになれない。
だいたいからしてゴザの上ではすこぶる座り心地がわるく、たいしたつまみもなく、ビールはぬるい。その上トイレは長蛇の列である。
あれの一体どこがよいのか。
かくいうわたしではあるが、そんな花見にも何回かは出かけたことがある。
下の写真は2005年、クラブ(渋谷クラフト倶楽部)のメンバーとともに武蔵野の小金井公園で撮った一枚。
近況②「誕生日のこと」
4月13日で満64歳になった。
もうれしくも、めでたくもない。
しかし世界中の200名を越えるひとたちから「おめでとう!」と言われ、困惑している。宣伝のため、ツイッターやフェイスブックといった、いわゆる「ソーシャルネットワーク」を始めたからだ。
おかげさまでフェイスブックにおける友達数が1000を超え、全員の投稿に目を通すことにいささかげんなりしてきたところへもってきて、このたびは「Happy Birthday Ichiyohsan!」の総攻撃を受けた。おめでとうといわれればありがとうと返すしかなく、言ってくれた全員に「Thank you !!」と返した。
そこまではいい。
だがメッセージを送ってくれた人たちにもそれぞれの誕生日があるわけで、こんどはこっちが相手の誕生日にあわせて、メッセージを送らねばならぬような気がしてきた。
——–おいおい、それは、相当めんどうくさいぞ…。
もともと「誕生日を祝う」風習は西洋(特にアメリカ)のもの。戦争に負けて、すべての日本人がアメリカナイズされ、そんなことをやるようになった。だからぼくは、いままで誕生日なんてだれにも公表してこなかったし、だれからも「おめでとう」なんていわれたこともなかった。それで十分だ。
自分が誕生したこと。それはめでたいことだとおもう。だが年に一度自分の誕生日がやってきて、そのたびに、めでたい(Happy)なんて思っているひとって、いるのか。
2012年4月15日