以前、ケーブルカーのはなしをするといってそのままになっていたので、きょうの話題はケーブルカー。
ケーブルカーったって大都会サンフランシスコの急坂を登ったり下ったり、確か3路線もあって、まあ都電のようなもの。市民の足だ。
まずは下の写真を見てほしい。
てらっとニス塗りの美しい木製車両である。左上にちょこっと見える白い部分はダブル・ルーフ(二重天井)の二階の窓だ。床はアピトンの板ばり。吊り革も本革製だったが残念ながら写真には写っていない。明治村を走っているチンチン電車とほぼ同時期の車両と思われるが、こっちはいまも現役。ひもを引っ張ってチンチンとなつかしい音を出し、ターンテーブルは人力でまわすという本格派。
写真の中央、エンジ色のジャンバーの男が運転手だ。黒人である。彼の前方に黒い棒が一本立っているのが見えるだろうか。高さ約1.5メートル、床から突き出たこの棒は実は2本あって、もう一本は、このとき手前に倒れていたので写真には写っていない。乗車すると運転手は、まず握った棒が汗で滑らぬように、自分のバッグから細長い革の袋を取り出して鉄の棒の握りの部分にかぶせ、ひもでぐるぐる巻きに縛る。そしてみずからの手にも革手袋をはめ、棒の根元にたっぷりと油を注ぎ込む。それから渾身の力をふりしぼってギギギギギーッと棒を手前へ引っ張るのだ。するとゴットン、と車両が前へすべり出すという仕組みである。急な坂を下るときがたいへんで、ブレーキを掛けるためには両足を床に踏ん張って、向こう側に棒を倒さねばならず、そのときなぜかドスン、ドスンと床を蹴る。まるで格闘だ。
ご覧のようにこのとき車内は満員で、右側には車外ステップに乗っている人も見える。この写真のあと、途中の駅で、妊娠している女性が乗ってきてぼくの前に立った。ちょうどそのとき、真っ黒な顔の運転手がくるりとこちらをふりむき、天井に視線を向けて、突然がなり声をあげた。
「いたわってあげねばならぬレディーが乗車してまいりました。われわれは彼女に席を譲らなければなりません。それが合衆国における紳士淑女のたしなみというものです!!」
鼻の穴をぴくぴくさせながら、ものすごい迫力で、ピシャリと言い放った。が、なにしろ英語である。一瞬意味がわからずポカンとしていたら、隣のおっさん(写真手前の野球帽)がスッと席を立った。そのときはじめて、あっ、そうか、あの運転手は、ぼくにむかって怒鳴ったのだと気がついた。と、同時に、急に感動で胸を突かれた。アメリカよ、まだまだすてたものではないぞと無性に嬉しかったのだ。
と、まあ、そんなことだったが、すっかりこのケーブルカーが気に入ってしまい、帰国後たまに模型化できないかなどと物騒なことを考えることがある。中もしっかりつくればさぞかし楽しいだろう、なんて考えていると夜ねむれなくなる。
2008年10月19日