金子辰也(かねこ・たつや)という方が「石の家」の石積み部分(石壁)を作ったということは2004年12月14日付の、このトークスでも一度お伝えしたことがあった。氏はテレビチャンピョンなどでもおなじみの大御所プロモデラーである。また月刊アーマーモデリング誌上において「金子辰也のJUNK BOX」というコラムを毎月執筆していて、その2005年3月号の誌上で、今般の制作にご協力くださったことの経緯や心情がつづられていた。文中わたしのことが過剰にホメ上げて記載してあり、こそばゆい限りだが、石壁部分制作に関してのことがらを作者本人が語った貴重な一文と考え、本日はそのコラムの全文をここに掲載することにした。掲載をご許可いただいたアーマーモデリング誌と金子辰也氏に対しては、こころより御礼を申し上げたい。
以下、アーマーモデリング誌・第65号「金子辰也のJUNK BOX」 第65回より。
タイトル「石の家」
■はじめに
ひょんな事から昨年秋頃より今年の正月明けまで高名な模型作家である芳賀一洋さん(ネット環境があれば、素晴らしい作品画像や日記などが掲載されている芳賀さんの下記サイトをぜひ御覧戴きたい)のお手伝いをさせて戴いていた。まあ、ミリタリー模型とは少し違うような、でも情景模型としては非常に近いような、同じような・・・。まあ、どっちでも良い事だけど少なくとも同じ模型を造り愛する人間として、人生の先輩として芳賀さんを通して今回いろいろ多くの事を感じ共感し考えさせられた。と、言う訳で今回はそんな出合いと、お手伝い製作記を。
■或日突然
で、僕が何を手伝っていたかと言うとほぼ三ヶ月あまり〈石=STONES〉と格闘していたのである。事の始まりは、共通の知人を通じての依頼であった。
その前に、そもそも僕は以前より芳賀さんの作品にはとても魅力を感じ引かれていた。エキゾチックな香りに包まれた額縁入半立体の戦後間もないパリの街角シリーズや、1/80スケールで統一され、モノトーンに色彩をコントロールされたまるで現代の枯れ山水のような情景。さびれた鉄道施設や廃屋の様な建物と情景としての構築物。そこには、我々がいつのまにか何処かに忘れてしまった闇の部分に潜む恐れや、敬い、感謝のようなモノを私は感じてしまう。そんな、芳賀さんは以前ファッション界に居た事も在り一見西欧的なダンディーでお洒落な人物だが、実はとても東洋的であり日本人的な、独特の世界観を持った希有な存在の模型作家であると思う。
僕が一方的に出会った最初は、あまり記憶が定かではないがアート系の模型誌だったかもしれない。ただ、その後決定的に衝撃だったのは現在石巻市にある故石ノ森章太郎氏の博物館に展示されているマンガ家の聖地トキワ荘1/15の模型だ。新聞に掲載されたたった一枚の完成写真だけだったけど、その空気間・存在感に衝撃を受けたことを今でも覚えている。また、その前後だったか東京銀座伊東屋のギャラリーにて個展を開かれた時にも駆け付け、数々の作品を目にしている。しかもミーハーなことにその場で著書を購入し、たまたま会場にいらした芳賀さんにサインをしてもらったりと、けっこう気持ち的には追っかけの真似事をしていた自称隠れファンである。その後、秋葉原のイエローサブマリンや銀座伊東屋に作品の一部が展示されているので本誌読者も各店を訪れた際に一度は目にしている事と思う。現在も多くのお弟子さんを育て慕われつつ作品造りをされている。最近は海外のミニチュア専門誌に何度か紹介されたり、外国からファンがわざわざ訪ねて来たりと国内での評価以上に海外での評価が高まりつつある。
で、話を戻して先ほどの続きをすると、その知人からの電話は『芳賀一洋さんと言う模型作家の方が、フジテレビより〈北の国から〉に出てくる〈石の家〉の模型製作を受けているのだけど・・・。図面が遅れていて、そろそろ納期も心配らしく。そこで、その〈石の家〉の石部分を誰か造ってくれる人を探していて・・・。で、やってくれない・・・。』と、突然の話し。もちろん私はそう言った訳で驚きながらもひとつ返事で訳も分らずオーケーを出してしまった。
■気持ちがカタチを作る
そして、それからが大変ではあったが今考えれば実に良い経験と出合いをさせてもらったものだと思う。そこで、早速その知人を通じて僕をあらためて芳賀さんに紹介してもらい憧れの御対面。その後は役得で芳賀さんの都内某所のアトリエに何度か通いながら芳賀さんの人となりに接する事となる。
まず製作方法等については僕に一任されたものの最初に始めた作業は、出来上がった縮尺1/15の何枚もの大きな図面を元に建物全体像の把握と基本構造及び石積み部分の製作方法の検討。そして平行して、頂いた現地写真から一個づつ大きさも形も違う石積みパターンを図面へ描き起こす作業であった。特に、当時スタッフ総出で河原の石を集め、ひとつづつコツコツと積み上げたこの石壁は、ドラマ原作者の倉本聰さんはじめ美術監督及びスタッフの方々の思いが強く、作業を進めながらも芳賀さんからその辺りのいきさつを聞くにつれだんだんとプレッシャーが増大していった。お陰で、当初何とかなるだろうとお気楽に考えていた石積み壁の製作については結局その後数々の試行錯誤をくり返しながら、テストや材料、方法を何度も検討し約一ヶ月半後やっと理想の素材と方法論に辿り着く。出来上がったテストピースにも芳賀さんからOKが出る。それから本番用の石の壁と石の煙突その他石・石・石を造り続け、結局三千個以上の石を正月明けの4日までに無事造り終える事が出来た。芳賀さんには当初の予定を大幅に遅れたにもかかわらず、過分なお誉めの言葉を戴き今までの緊張感と重圧が一気に報われた思いであった。その後、少しだけ合間を見つけてお手伝いに伺った正月明けの頃。アトリエでちいさな明かりの入った完成間近なこの〈石の家〉を前にしながら芳賀さんと遅くまで飲みかわした至福の夜の事は多分一生の思い出となる事だろう。
実は、今回芳賀さんのアトリエにおじゃまさせて戴く事になり、ひとつ驚いたり感心したりした事があった。それは、芳賀さんが以以前トキワ荘を作る際、習作として作られたタイニーハウス(小さな家)と言う作品があるのだがその入り口にヤカンがひとつ放り置かれているのだが、見るからに真鍮などの金属製と思われてっきり旋盤で加工されたものと思っていた。そこで、アトリエに初めて伺った時に辺りを見回したのだが旋盤らしきものは皆無。恐る恐るその事を訪ねてみたら、旋盤の事は考えたが使い方を修得する時間が惜しく、ヤスリでガリガリ削って作ってしまったとの事・・・。正直絶句。返す言葉も見つからなかったが、その時モノがカタチになる本質を教えられたような気がしてしまった。
■さいごに
重圧や苦労も多くあったが、あらためてモノ造りと言う意味で貴重な経験であった。現在、その完成した〈石の家〉は芳賀一洋氏最新作として現在お台場のフジTVにて一般公開を待っている。機会があればこれも模型のひとつの頂点として御覧頂ければ幸いである。
2005年3月23日