大盛況だった有楽町交通会館での「芳賀一洋&渋谷クラフトクラブ作品展」だったが、先週の土曜日、無事終了した。
ご来場いただきました皆様には厚く御礼を申し上げます。
そもそもこの展覧会は、私の工作教室にご参加いただいている生徒諸氏と、過去生徒だったことがある方々(OB諸氏)の作品発表の場として毎年一回づつ開催することを目指して、平成12年の夏に、第一回目がスタートした。だから初回から3回目までは単に「渋谷クラフトクラブ作品展」という名称で、芳賀の名前はどこにも入っていなかった。生徒さんたちが、自分たちの積み立てたお金で15坪程度のギャラリーを借りて、毎年各氏各様の作品をそこに陳列し、各人がそれぞれの親戚知人などにDMを配り、彼らが自分で客を呼んできていた。従ってそのころの芳賀は、この展とはあんまり関係がなかった。生徒諸氏が自主的にやっている催しに自分がしゃしゃり出て行くのもどうかと思い、私は、むしろできるだけ会場には出かけないようにしていたくらいだったのだ。しかしその後、生徒作品展と芳賀作品展をジョイントしてしまおうという計画に発展し、前回と今回は、拙作をまじえての大合同展となったのである。
こうなれば当然規模が大きくなる。
今回は、生徒諸氏の出品点数が25点と、そして私の作品が約20点で、計45点もの作品が広々とした会場(135㎡)に、一堂に会することとなり、お客様からみれば見るものが多く、たいへんに結構なことだと思う。その上今回は、生徒諸氏の作品の質が高かったことに加えて、(株)伊東屋さんのご好意によって、昨年納入した「伊東屋作品」(正式題名/初代・伊藤勝太郎の店)を拝借し、陳列することができたことや、鉄道模型界の名物男・伊藤誠一氏のスペシャル・レイアウト(題名/品川営林署・井戸川林道)が展示されたことなど、内容的にもかなり充実していたと思う。
一体何人の来客があったのか、カウントしたわけではないので数は不明だが、客足は決してとぎれることなく期間中ずっと続き、会場は常に混雑していた。とりわけ初日に開催したオープニングパーティーの時間帯と、最終日の午後は、会場に客が入りきらないと言っても決して過言ではないほどの大盛況ぶりだった。
私は今回の催しのため、東急ハンズで100枚の名刺を刷って初日の朝、会場のテーブルの上に置いた。そしたら2日目の夕方には、あらかた無くなってしまったので、あわてた。仕方がないので3日目の朝、今年の年賀状の残り(伊東屋作品の写真が絵柄になっているもの)を、約200枚自宅から運び、テーブルの上に置いた。
「これ、年賀状の残りですが、私の住所が書いてありますので‥」
と、急遽名刺代わりに使ったのだ。
ところが、その伊東屋の年賀状も2日でなくなってしまい、四日目の朝には、今度は去年の年賀状の残り(ニューヨークでみんなと乾杯している図柄のもの)を、やっぱり200枚ほど持参して机の上に置いた。さすがにこれまで無くなることはなかったが、それにしてもたった6日のあいだに計400枚近くのアドレスカード(名刺やハガキ)が消えてなくなったのは、過去最高だったかも知れない。
会場で客に声をかけるときには 「こちらからの案内状が届きましたでしょうか?」
と、質問することが多かった。
なにを見て、どこで情報を得て、ご来場いただいたのかを知りたいがためである。
「たまたま会場の前を通りかかって‥」と答える客、「知り合いから聞いて来ました」という人、あるいは「イエローサブマリン(模型屋)に案内が出ていましたので‥」など、反応はいろいろだが、私がもっとも驚いたのは「芳賀さんのホームページを見て駆けつけました」という人が、なんと5名以上もいらしたこと、だ。
「え、私のホームページなんて、見てるひと、いるんですか‥‥」
思わずそう聞き返してしまった。
もちろん客の全員に対してその質問をしたわけではなく、来場の理由を尋ねたのはごく一部の方々に対してだけ、である。それなのに、ホームページと答えた人が5名もいたということは、もしかすると50名や100名の方々が、このホームページを見て、有楽町にやってきたのかも知れない。しかし遠方の方々は有楽町には来れない訳であるから、それよりも更に多くの方々がこのサイトを見ているということなのか‥‥?
私は、自分の教室の生徒など、ごく限られた10名や20名の方々が、しょっちゅうこのサイトを覗いていることは承知している。しかしそんなに多くの、不特定多数の方々にまでご愛顧いただいているとは、とても信じられないのだ。でもまあ、この「トークス」も、ある程度の読者がいらっしゃるのかも知れないと考え、せいぜいまじめに取り組まねばならぬと、改めて考えてしまった一週間であった。
―――今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2005年2月14日