ジョンとキャロル

 ことしの8月ごろ、東京在住の米国人・ジョン・ロブソン(John Robson)氏から一通の英文メールを受け取った。
「この秋に私の母が東京を訪れます。彼女はあなたのファンです。どこかであなたの作品を見られる場所がありますか?あなたのサイトをチェックし、エキシビジヨンの項目を見ましたが、来年の1月までは展覧会がないようなのですが‥」
 当時は「ドールガーデン」での展示は予定しておらず、仕方がないので
「もしよろしければ、わたしの工房にご案内することができますが、いかがでしようか‥‥」
と、お答えした。
 結局、ジョンの母親は10月の21日に来日し、11月5日まで日本に滞在する予定となった。しかし10月24日からは京都旅行にでかけるため、できれば10月23日に工房を拝見したいと言ってきた。そうして当日の午後3時、ジョンと彼の母親キャロル(Carole)が私のおんぼろ工房にやってきた。この日は土曜日だったので運良く(か、どうかはわからぬが‥)私の工作教室が開催されていた。またこの日は、アメリカからの来客のほかにも2名の見物人がいらっしゃり、それでなくとも狭苦しい作業場には来客を含めて計10名ものおとながひしめくこととなり、ちょっとしたカルチャーショックを与えてしまったかもしれぬと考え、かなり心配になった。でも私のメイキング・パフォーマンスなどを見ることができたので、それなりに喜んでいただけたのではないか。
 びっくりしたことに、ジョンはアメリカ大使館員で、しかも米軍関係の部署のチーフをしているとのこと。あまりにもグレートすぎる肩書きに対しては、わたしの工房があんまりにもおんぼろすぎるので、最初は若干たじろいた。だがしょうがない。ひるんだ様子は極力顔に出さぬことにした。
 彼は東京に来てから3年になるそうだ。そのまえは韓国に6年間駐在していたとのことで、米大使館員のなかでは「アジア通」としてとおっているそうだ。そして今回、はじめて彼の母親・キャロルが、故郷ミシガンから東京にやってきた。
「どこで、私の名前を知ったのですか?」
と、キャロルさんに尋ねたところ、ドールハウスミニチュアマガジンで知り、東京在住の息子さんに「見たい」というメールを打ったのだそうだ。
 工房見物のあとは、来客のふたりを含めて、私の生徒や家内などとともにJR・駒込駅近くのレストランで一緒に食事をした。しかし、席について30分ほどしたときのこと、われわれはいきなりグラグラっと激しい揺れに襲われた。
 例の新潟県中越地震が発生したのだ。
 ウェーターが「調理用の火はすべて消したのでご心配なく‥」と、真っ青な顔で告げにきた。楽しいはずの国際親善の場が一瞬にしてかなり怖い場面へと変わった。地震など私は慣れっこだが、キャロルさんはさぞかし怖かっただろうと思う。なにしろミシガンでは地震は皆無なのだ。
 一通りの揺れがおさまったころ、ジョンが言った。
「もしこれとおなじものがイランで起こったならば、たちまち大災害へと発展したことだろう。土と石で出来たイランの家は間違いなくすべてが倒壊してしまったはずだ。しかし日本の家は壊れない。」
この話は、当夜同席していた私の生徒・山下健二氏に対して向けられたもので、直前に山下氏を「建築家」として紹介したばかりだったからだ。
 続けてジョンは
「これほどの地震にも耐えうる建物をつくるというのは、あなた方の技術が大変に立派だからです‥」
 山下氏の顔を見つめながら、もちろんジョンは英語でしゃべった。しかし山下氏は発言の意味が飲み込めず、どうにか理解した私からの説明を受けたあと
「サンキュー!」
と、ただひとこと、すっとんきょうな声を発した。
 この、サンキューのお陰で、場にはふたたびまた和やかな空気が戻り、駒込の飲み屋(レストラン?)での国際親善大会は、いたって明るい雰囲気のうちにおひらきとなったのだった。

 以下余談になるが、当日使った飲み屋は6月にナンシー・フローゼス(Nancy Froseth)さんご夫妻がおいでになったときにも使った「かまどか」という店で、まことにうらさびれた駒込の「アゼリア通り商店街」という通りの一角にある。(ナンシーさんは伊東屋のタイルを作った方です。)その日のわれわれは、まず銀座に立ち寄り、その後秋葉原へと移動し、そして最後に駒込にたどり着いたので、歩くのが大のニガ手というナンシーさんのご主人・ケント氏はもうふらふらの状態だった。しかし都合200メートルばかり、どうしてもこの商店街を歩かねばならぬハメにおちいり、「もう一歩も歩きたくない!」というケント氏とともに、私は、この場末感あふるる商店街の夕暮れどきをゆっくりと歩いたことがある。約20メートルほど歩いたときのこと、周囲を見渡しながら、ぼんやりと
「ファンタステック!」
と、独り言を、突然ケント氏がつぶやいた。
 彼は、銀座には、まったく興味がなさそうだった。
 秋葉原も、すぐに帰ろうとした。
 しかし駒込の、雑然とした景観を目の当たりにしたときにはじめて、心からの感動を覚えたようなのだ。それからの彼はいきなり元気になってしまい、「かまどか」も大変に気に入った様子で、店では終始ゴキゲンだった。
 外人(特に白人)に対しては、駒込のような場末も、決して悪いものでもないようだ。多分、そこに「アジア」を感じるのだと思う。

ジョンとキャロル
撮影: 山下健二


2004年11月5日