石の家のこと

 三宅隆雄(みやけ・たかお)という生徒がいる。
 わたしの工作教室の面々は、私を含めてちょっと変わった御仁が多く、まともといえる人材は意外と少ないような気がする。そんな中にあって、まことにまともなキャラの持ち主である三宅氏の存在は、我が教室の中では逆に異色といえるのかもしれない。あの心温まる名作テレビドラマ「北の国から」の大ファンであるというのも、なんだかうなずけるような気がするのだ。
 そんなことからある日彼は、北の国からの番組制作者に宛ててファンレターを書いたのだそうだ。信じられないことに、彼の手紙はフジテレビのグレートプロデューサーの目にとまり、以後両者は親交を結ぶまでになった。当該番組の美術担当プロデューサー(撮影に使う家や背景や小道具などを手配する仕事)である梅田正則氏は「手紙の字がすごくよかったので、すぐに返事を書かなければと、直感的に感じました‥‥」と、後日わたしに語ってくれた。いまどきいい字を書くというのも、極めて異色だと思う。三宅氏は「筆字」も抜群にうまいのである。
 ま、そういったわけで、芳賀教室の生徒のひとりである三宅隆雄氏の紹介によって、私は「北の国から」の美術製作部門のご担当である梅田プロデュサーとの知遇を得、このたび番組の主人公・黒板五郎氏(田中邦衛)が最後に住む家――通称「石の家」――の模型展示物を制作するという大変に栄誉のある仕事を任せられることになった。石の家のほかにも「踊る大捜査線」の湾岸署や「ドクターコトー診療所」など、フジテレビが誇る名物番組に登場する建造物の数々をミニチュア化して、改めて世間にアピールする計画だそうだ。しかし芳賀の作風には「湾岸署」は向かないので、北の国からあたりが適当であろうとの判断から、今回この仕事の担当に選ばれたのだろうと思う。

 もう一年も前のことになってしまったが、今般のはなしが発生した直後に、(株)フジテレビ様からのご招待によって、梅田氏と三宅氏と私の三人が、ドラマのロケ地である北海道は富良野まで視察に出向いたことがあった。(2003年12月24日付のトークスを参照のこと。)
 一般客の場合「石の家」の現物は、はるか遠くに位置する展望ステージから遠景を眺めるしか方法がないのだが、そこはテレビ局の特別フリーパスなので我々はズカズカと建造物の内部にまで入り込み、数百枚にも及ぶ貴重な写真を撮ることができた。またその前夜にはドラマの原作者である倉本聰(くらもと・そう)氏が所有するという森林の中にある「秘密クラブ的・高級サロン」でご馳走になるなどしたが、当夜となりのカウンターでは本当に倉本先生が酒を飲んでいた。そして「石の家」視察のあとでは、主演の田中邦衛氏が撮影の合間にちょくちょく利用したという「絶景の露天温泉」に漬からせていただくなど、㈱フジテレビ様にはすっかりお世話になってしまい、お礼の言葉もない。
 ――(株)フジテレビ美術製作局の河井實之助局長ならびに美術開発部部長・梅田正則氏には、この場を借りて厚く御礼申し上げます。そしてもちろん三宅隆雄氏にも、心より御礼を申し上げる次第です。

 経緯は、ざっと以上のようなことだったのだが、こちとらとすると、大変なプレッシャーである。なにしろ梅田プロデューサーは当該建造物を制作した張本人なのだ。ひとつ一つの石ころを河原からみんなと一緒に運んできて、それらを取捨選択し「ここには、これ。あっちには、この石‥‥」という具合に、ひと一つを積んで、彼が自分で作った家だというのだから、その張本人の目の前でヘンな仕事は出来ない。
 9月の初旬のあたりから制作を開始して、年末までには完成させる予定だが、現在はポチポチと準備にかかったところ。 今年の秋は忙しくなりそうだ。
 だらけている場合ではない。

石の家の前に立つ不肖・芳賀一洋
撮影:三宅隆雄


2004年8月23日