2003年6月18日

 またまた「トキワ荘・ネタ」で申し訳ない。
 最近、当サイト「トキワ荘」のセクションを大幅にリフォームしたために再度の登場となってしまった。写真を増やし、かなり多くの英文も追加して「トキワ荘物語」とでもいったセクションにつくりなおした。
 最近は宮崎アニメなど、世界中に日本のマンガが知れわたるようになり、「トキワ荘がそれらのルーツなのですよ‥」ということを、諸外国の方々にもかってもらいたいと考えてのことだ。そういうわけで今回改装した「トキワ荘物語」は、今のところ英語オンリーなので、下に翻訳した和文を掲載することにした。
 本編のページに配置した英文は、主に米国人に向けて書いた文章だったが、今回はそれをできるだけ忠実に日本語になおしたため(日本語としては)すこしヘンな部分もある。

 「トキワ荘」
 ――ページでは画面左側にガスメーターの写真1枚を添付。(このガスメーターは、私の工作教室のグレート・パーソン「佐野匡司郎」という御仁の作だ。)

 鉄腕アトムや怪傑ハリマオなど、子供の頃にはよくマンガを読んだ。アトムはもちろん手塚治虫だし怪傑ハリマオは石ノ森章太郎の作だ。この両者はかって「トキワ荘」と呼ばれる小さなアパート(豊島区椎名町・現南長崎にあった)に暮らしていたことがある。
 2001年、私は石ノ森章太郎氏のミュージアムに展示するための模型展示物「トキワ荘」を制作する機会を得、この年の春に制作した。それは私にとって大きな仕事だった。

 「マンガのルーツ・トキワ荘」
 ――ページでは画面左側にアパート裏側の写真1枚を添付。

 東南アジアやフランス、米国など、日本のマンガやアニメーションは、今日、世界中に知れわたっている。ポケモン、ピカチュー、ドラゴンボールなど、きっとあなたの身近にいるはずだ。それら日本のマンガのルーツがこの小さなアパートだった。
 1950年代のこと、ここには約10名のマンガ家たちが暮らしていた。その10名は、すべてがマンガ界における偉大なパイオニアとなった。今日では「巨匠」と呼ばれる方々ばっかりである。中でも手塚治虫、赤塚不二夫、藤子フジオ、水野英子、石ノ森章太郎の各氏は、依然としてわが国では非常に名高い存在だ。

 「棟上は昭和28年」
 ――ページでは画面左側にアパート正面の写真を1枚掲載。

 トキワ荘は昭和28年、天野喜乃氏によって建設された。外観は何の変哲もないただのアパートだったが、やがて日本のマンガ界にとっては「記念碑的建造物」と呼ばれるようになった。しかし残念なことに、昭和57年(1982年)に取り壊されてしまった。
 写真の二階左側が石ノ森章太郎氏の部屋で、その右隣の部屋が、赤塚不二夫氏の部屋だった。

 「玄関」
 ――ページでは画面左側に玄関の写真1枚を掲載。

 玄関は幅約一間(1820ミリ)で、入ると右に二階へ昇るための階段があり、左側が廊下になっていた。入り口の扉はいつも開いていて、カギは掛かっていなかった。
 ところで昔の日本では、たいがい入口が引き戸だったものだが、このアパートにはスイングドアーが使われていので、かなりモダンだったことがわかる。

「石ノ森章太郎の部屋」
 ――ページでは画面左側に石ノ森部屋の写真1枚掲載。

 今回の仕事は、石ノ森章太郎氏のミュージアムに納入するためのものだったので、石ノ森部屋の室内だけは完璧につくる必要があった。右の写真がその内部だ。一辺が一間半(約2.7メートル)四方という小さな部屋で、奥にはふすまが見える。中央には丸いお膳が見え、手前にはライティングディスクが見えるが、石ノ森氏はこの小さな机で数々の名作を描き上げていた。
 あいにく写真がないのでお見せすることが出来ないが、今回私は、石ノ森部屋以外にも九つの部屋の内部造作をつくった。

 「四畳半の部屋」
 ――ページでは画面右側に上から見た石ノ森部屋の写真1枚掲載。

 この写真も石ノ森部屋の内部を写したものだ。普通サイズの畳が四枚と、その半分の大きさの畳が一枚、床に敷いてある。わが国では部屋の広さを言い表すときに、いつも畳の枚数を数えて表現する。つまりこの部屋は四畳半である。それは我が国では、よくある広さであった。
 石ノ森氏は、ジャズやクラシック音楽と、読書が大好物だったので、畳の上にはたくさんの本と、LPレコードのジャケットが置いてある。それらは私の生徒「田山まゆみ」さんが作ってくれ、その数は1000点にも及んだ。

 「二階の廊下」
 ――ページでは画面左側に廊下の写真1枚掲載。

 二階には約10部屋があったが、どの部屋もみんなおんなじ大きさだった。室内にトイレや台所はなく、それらは廊下にあった。また、アパートには風呂がなかったので、彼らはいつも銭湯を利用していた。廊下はたいがいホコリっぽく、薄暗かった。
 写真の手前右側が石ノ森氏の部屋で、その向かいが水野英子氏の部屋だった。そして写真奥の左側がトイレと台所だった。

 「水野部屋から見た石ノ森部屋」
 ――ページでは画面左側に水野部屋の窓から内部を覗いた写真を1枚掲載。

 この眺めは水野部屋の窓の外から内部を覗き、廊下の方向を見たものだ。しかし彼女の部屋の入口と石ノ森部屋の入口の両方が開いているために、石ノ森部屋の内部までが見通すことができる。ほんの少しだけ石ノ森部屋のステレオが見えるが、これは彼ご愛用の品で、非常に大切にしていた。彼はベートーベンやモーツァルト、マイルス・デビスやソニーロリンズといった音楽を、いつもボリューム一杯に鳴らしながら仕事をしていた。

 「田山まゆみ」
 ――ページでは画面左側に田山まゆみさんの写真1枚を掲載。

 2001年の五月後半になると、おおかたトキワ荘は出来上がっていた。大きな作品がひとつ、私の作業場にデーンとそびえていた。たくさんの方々がお見えになった。このアパートのオーナーだった天野ご夫妻や朝日・読売新聞、雑誌社や、友人や、私の生徒などがほとんど毎日のように見にきた。写真の中で作品を真剣に覗き込んでいる若い女性は、私の教室の生徒「田山まゆみ」さんだ。彼女がこの作品のために千点にも及ぶミニチュア・パーツ(書籍類)をつくってくれた。作品の後ろにほんの少しだけ見えるのは、彼女のご主人だ。
 この写真から間もなく、5月の末日に、この巨大な作品は私の作業場から去っていった。

 「小学館にて」
 ――ページでは画面左側に小学館での写真1枚を掲載。

 小学館は大手の出版社である。その本社ビルは、よく「藤子フジオによって建てられた」などと言われる。それほど彼らは藤子フジオのマンガ(オバQやドラエモン)を大量に販売したのだ。その藤子フジオも、かってはトキワ荘の住人だった。だから作品の完成後いったん小学館のロビーで展示されることになった。
 写真の中で、私のとなりの女性がマンガ家の水野英子先生だ。彼女もかってはこのアパートに暮らしていたことがある。当時彼女はまだ18才だったが、すでにマンガ家としてはよく知られた存在だった。そんな彼女が、ある日偶然私のエキシビジョン会場を訪れ、作品を気に入ってくれた。それから数年がたち、彼女が私を、この仕事の製作者として推薦してくれたため、このような作品を作る機会を得ることができた。

 「萬画館にて」
 ――ページでは左側に「萬画館」内部の写真1枚掲載。

 石ノ森章太郎は、わが国では偉大なマンガ家として知られている。1998年に惜しくも世を去ったが、生涯に700タイトル以上のマンガを残した。
 彼の死後、西暦2001年の夏に、氏のふるさと(宮城県登米市中田町石森)にほど近い石巻市が「石ノ森萬画館」という巨大なミュージアムを作った。左の写真はその内部である。私の作品は「トキワ荘の青春」というコーナーに展示してある。

 「実物の玄関」
 ――ページでは画面左側に汚れたドアーの写真1枚を掲載。

 トキワ荘の実物写真は少ない。左の写真はそのうちの一枚だ。このアパート玄関の、実物のドアーの写真である。
 昭和57年(1982年)のこと、まもなくこのアパートが取り壊されることを知った水野英子氏は、長男「春暁」(はるあき)さんを連れてここにやってきた。そして彼女はこれら36枚ものカラー写真を撮ったが、それは正に取り壊される寸前のことだった。従って写真はどれも非常に貴重なものである。

 「階段」
 ――ページでは画面下段に写真3枚掲載。

 玄関の中に少年がいるが、水野英子氏の長男春暁さんである。別の写真では階段が見えるが、階段の上に小さな部屋が見える。それはトイレである。

 「石ノ森部屋」
 ――ページでは画面下段に写真3枚掲載。

 写真には本物の石ノ森部屋(左の写真)や、散らかった廊下や、建物の外側が写っている。

 「台所」
 ――ページでは画面左側に台所の写真を1枚掲載。

 二階には台所がひとつしかなかったので共同で使っていた。石ノ森氏がここに来た当時、彼はまだ18才(石ノ森氏と水野氏は同年)だったので炊事洗濯はできなかった。だから、たまに彼の母親が国からやってきて彼を助けた。そんなとき彼女は、この台所で洗濯し、料理を作った。写真の奥に流しが見えるが、当時彼らは貧乏で、ときには風呂銭にも困ることがよくあった。だから夏場になると、この流しを使って体を洗ったそうだ。
 「青春のトキワ荘」という映画があって、映画にはこの流しも登場していた。しかし、残念ながら「ジャパニーズ・オンリー」なので、みなさんの国では見ることができない。
――映画は、市川準の監督作品で、昭和30年代のムードがじわ~っと漂ってくるような、実に良い映画だった。ただトキワ荘の玄関や階段など、実物とは若干違った形のセットを組んで撮影されている。(レンタルビデオ屋にあります。)

――以上です。ぜひ「スライド・ショー」の写真とあわせてご覧になって下さい。「非常に面白かった」というメールが、米国からも届いております。
 また拙著「トキワ荘制作記」(メイキング・モデル・オブ・ザ・トキワ荘)では、この作品の制作過程における苦労話や、トキワ荘にまつわる物語や、裏話の類も、盛りだくさん執筆いたしましたので、あわせてお読みになってください。当サイト「インフォメーション」のコーナーに掲示してあります。

トキワ荘で仕事中の石ノ森章太郎
昭和31年ごろ
写真提供・石森プロ


2003年6月18日