2003年4月22日

 今日は拙作「真岡駅」(STATION)に付いてのはなしをしたい。
 真岡は「もおか」と読む。ここには、むかし芳賀という殿様が住んでいたそうで、私がその直系の子孫だという説がある。だから真岡市は、栃木県の「芳賀群」というところに位置し、真岡線というローカル鉄道がかよっている。
 真岡駅がその中心だ。
 私がこの駅の模型展示物を作った1997年の当時、市長は菊地恒三郎(きくち・こうざぶろう)という方で、蒸気機関車が大変にお好きな方だった。だから菊地氏が市長に当選してからは、真岡線にSLを走らせることに奔走し、1994年に、それは実現した。
 昨今は、地方の村おこしの意味から、各地でSLが運行されていて、静岡県の大井川鉄道などが有名だ。だから真岡市も、観光の目玉のひとつとしてSLの誘致を試みたのだ。というのは、隣りに位置する益子(ましこ)町は、人口が少ない割りには「焼き物の町」(益子焼)として全国的に有名で、それに比べて真岡は、これといった名物がなく「ならばSLで‥」ということになったようだ。
 そうしてSLが誘致され、現在は第三セクターの「真岡鉄道㈱」によって毎週末には運行されている。しかしそれから数年がたち、やがて中心駅である真岡を新築の近代駅舎に作り変えるというはなしが持ち上がり、ふるい駅舎を取り壊さねばならぬことになった。(現在はビル型の新築駅舎が建っているが、50年の昔には拙作のようなレトロな建造物だったそうだ。)そこで、新しい駅の入り口に、旧駅舎の模型展示物を設置して、蒸気機関車が走っていた当時の様子を後世に伝えようということになった。
 ま、そんな事情から出来上がった模型展示物の題名は「旧国鉄真岡駅」(STATION)。 作品の写真は、以前より当サイトのスライドショー「ストラクチャー」の最終ページに掲示してある。(写真の横に配した英文は、本日ここに書いたことの要約だ。)幅は70センチ程度だが、長さが3メートル近くもある作品で、過去につくった私の作品としては、最も大きい。
 1997年の春、製作に着手し、同年の夏には完成した。このときの製作の手順や詳しい経緯に付いては、拙著「国鉄真岡駅制作記」に詳しいので、興味のある方は是非一度お読みになって下さい。(本は、当サイトのインフォメーションのコーナーに掲示中)そして、完成時には新聞に、写真入りの記事として以下のように紹介された。

――昔の真岡駅の風景を後世に伝えようと市は、同駅一階のコンコースに昭和初期の駅舎の模型を設置した。模型は長さ3メートル幅約1メートルで、縮尺80分の1。美術工芸師の芳賀一洋氏が約3ヶ月かけて制作。
 跨線橋が架けられた昭和20年ごろの真岡駅を再現。市のシンボルともいえるSL列車をはじめ、貨車や電柱など、昔懐かしい風景をよみがえらせた。建物は、木材や樹脂加工のプラスチックで、柱の一本一本にわたり精巧に作られ、ドラム缶の錆びた様子など、古色の雰囲気も見事に伝えている。
 同町を訪れた主婦大根田明子さん(58)は、30年前に真岡に来たので、当時の様子は知らなかった。模型とはいえ本当によく出来ている。若い人にも歴史を伝えることは良いことですね」と、熱心に見入っていた。市企画課は「真岡駅が心和む場所になるよう模型を設置した。年配の人には郷愁の心がわくのでは」と、話している。
   (下野新聞・平成9年10月9日付朝刊より)

 上の記事にもあるように、作品の実物は、現在、真岡線・真岡駅コンコース中央のガラスケースに入れて展示してある。私はもう何年も行っていないが、最近見に行った人の話によると、ケースがだいぶん汚れているとのことだ。

 我々の世代だと、真岡というと、つい連合赤軍事件のことを思い出してしまうひとがいるようだ。赤軍派が浅間山荘へ行く前に、真岡の銃砲店を襲い武器を調達したからだ。そのため当時のメディアは連日のように真岡、真岡を連発し、一躍その名を全国に轟かせたのだ。他には「真岡綿」という言葉があって、江戸時代のむかしから綿といえば真岡というような伝統的ブランドだった。だから、良質のコットンには、今でもこの言葉が使われている。しかし戦後この地で、綿はほとんど生産されなくなり、若いひとは多分知らないと思う。いかにも地方都市といった、のんびりとしたローカル色満点の土地柄だ。
 実は私は、この地のご出身で、現在は日大名誉教授という肩書きをお持ちの田村豊幸(たむら・とよゆき)という医学博士の先生と、以前より懇意にさせていただいている。(博士は数年前に「勲3等瑞宝賞」を授与されているほどの偉人である。)その田村博士より、製作者としての私を菊地市長にご紹介いただき、この大任を任せられることになったのだ。しかし当時市長だった菊地氏は、スデに数年前に退職され、現在は福田武隼(ふくだ・たけとし)という方が市長だそうだ。だが福田氏が鉄道や蒸気機関車好きかどうかは、わからない。しかし新市長が鉄道好きでなかった場合、真岡線のSLや、私の模型展示物にホコリがかかるのは仕方のないことだと思う。

上の写真は昭和45年当時の真岡駅。


2003年4月22日