「天上大風」(てんじょうたいふう)という名前の月刊誌が、この春創刊され、創刊号が先月(3月)26日に、全国で一斉に発売になった。初版が確か35万部(もしかすると45万部だったかも)印刷すると聞いたので、たいへんな数だと思う。表題の「天上台風」とは、むかし良寛和尚が、子供の凧にそんな字を書いたんだそうだ。ゆったりとした大きな風とでもいった意味があるのだろう、団塊の世代をターゲットに㈱立風書房が発刊した。
中に「壺中の天地」という新・連載企画のコーナーがあって、その第一回目として拙作「トキワ荘」を取り上げていただいた。本日は紙面より、そのときの記事を紹介することにする。
――模型「トキワ荘」――
この木造モルタル仕上げのアパートの15分の1模型の作者は「立体画家」芳賀一洋さんだ。モデルは、1952年から82年まで、東京都豊島区椎名町(現南長崎)にあった「トキワ荘」。
マンガファンならばここがすごい場所であったことはだれでも知っている。なぜなら、「鉄腕アトム」「ブラックジャック」の手塚治虫、「オバケのQ太郎」「ドラえもん」の藤子不二雄、「おそ松くん」「天才バカボン」の赤塚不二夫、「サイボーグ009」の石ノ森章太郎ら、ぼくら元漫画少年にとっての英雄たち、「星のたてごと」で漫画少女をときめかせた水野英子らが若くて無名だった時代に、ここに同じ頃、住んでいたからだ。
「トキワ荘」が保存されていれば、見に行きたい。そういうファンの要求に応えてつくられたが、展示されているのは、宮城県石巻市の石ノ森章太郎のミュージアム「石ノ森萬画館」東京のファンにはすこし遠い。
そこで本誌に紹介するが、芳賀一洋さんの執念がどれほどのものかというと、たとえば22ミリ角の瓦の原型を、まず真鍮(しんちゅう)でつくり、それからシリコンの型をつくってレジンを流し込む。そうやってつくった瓦を3000枚、1枚1枚と貼っていったのである‥‥‥。
瓦もそうだが、外壁のモルタル壁(ベニヤに漆喰の粉を水で練って塗り、やすりをかけた)にも、窓にはめこまれた古びた木枠のガラス(塩ビ・フィルムを使用)障子にも、試行錯誤をくりかえしてきたという。徹底してリアルさを追及している。
窓から部屋の中を覗くと本箱に納められた本や「漫画少年」などの雑誌の背文字も読める。表紙の絵も再現されている。一冊づつページを開くこともできる。当時、その部屋にどんな本が置いてあったのかも調査して再現してある。
ちゃぶ台も座布団も、アルミの傘の電気スタンドも、石ノ森氏愛用のピースの缶も、2ミリのフタがちゃんと開く「開明墨汁」の缶も、火鉢も、鋳物のガスコンロも、あらゆるものがマニエリスム的な克明さでつくられている。
覗いていると、ここには若き日の手塚や藤子や石ノ森や赤塚や水野がいまもまだ寝起きしていて、自信に胸膨らませ、青春の野心に燃えて、制作に没頭したり、愛したり、憎んだり、議論したり、取っ組み合いのケンカをしたりしているように思えてくる。
この窓の中には、もうひとつの世界、アナザー・ワールドが、確かに存在している。
そう、こんな世界を古代中国の詩人は空想の中に思い描いたのだろう‥‥壺の中に入ってみたら、大廈高楼が立ち並び、登桜して酒をいくら酌んでもつきることがない‥‥壺は「トキワ荘」‥‥酌んでもつきることがないのは眩いばかりに煌めいていた青春‥‥手塚治虫25歳、藤子不二雄20歳と21歳、赤塚不二夫21歳、石ノ森章太郎18歳、水野英子19歳‥‥少しずつ時間はずれているのだが。
以上、原文のままを掲載した。
記事をお書きになったのは、倉持公一(くらもち・こういち)とおっしゃるフリーのライターの方だ。真っ白なあごひげをたくわえ、銀座の「トラヤ」で買ったというフランス製の粋な帽子をかぶった熟年紳士。約半日、私の工房で取材をされて、上のような丹念な文章をつくってくれた。
お伺いしたところ、マンガには非常に詳しく、ごく最近までは、世間で発行されているマンガ誌(少年マンガ誌も含めて)のすべてを購入し、それをぜんぶお読みになっていたそうだ。
「仕事ですから‥‥」
と、かるくおっしゃったが、並大抵のことではない。
それと、現在放映中のあらゆるトレンディードラマの類も、すべて録画して、その全部を見ているそうだ。優雅な風貌に似あわず「プロ魂ここにあり」とでもいった人物のようである。
ま、そんなわけで「天上大風」という雑誌を買って下さいね。椎名誠さんの表紙で、まだいっくらでも書店にあるはずです。
2003年4月8日