またまた合同展のはなしで、すいません。
(詳細は2003年3月6日付けのトークスを参照のこと)
先日、東京新聞にわれわれの合同展「私の劇場」の告知記事が載った。だからもう一回だけ、紹介させていただくことにする。
下は、2003年3月29日付け東京新聞の朝刊、芸術欄の記事である。
「私の劇場=3」展
――コクトーの文学世界を表現した石塚――
本展は宇野亜喜良の企画によるもので、「新鮮なオブジェとしての演劇空間」が大きなテーマである。イラストレーター、演出家、舞台演出家、フィギュア作家、人形・写真家など、多彩な顔ぶれがそろい、思い思いの劇場を演出している。
下谷二助の「人間ポンプ」は、檻の中ではいつくばった塊状の人間が、実際に口から火を吐きだす様は、インパクトがありなんとも切ない。敗戦後の小学二年生の時に田舎で見た火を噴く人間の姿が、五十年以上も下谷の胸の中でくすぶり続け、それを形にしたのがこの作品。
野村直子はエクレールという少女を主人公に設定し、来客を迎えるために羊の洋菓子職人が菓子を作ったり、ネズミと兎の頭部が歌ったりしている。丹念に作られたオブジェが、白い世界の中で、架空のストーリーを演じている。
芳賀一洋は建物の精密なマケットかと見粉うばかりの建築群と、荒れた空間を創り出し、現代日本が失ってしまった文化としての貧しさと、郷愁を見事に表現している。
コクトーの「オルフェの遺言」をテーマにした石塚公昭は、木の箱の中にコクトーや驢馬(ろば)の人形などを置き、蓋の部分には黄泉(よみ)の世界へと続く鏡の中に消えていくジャン・マレーの姿を描き、死を主題にしたコクトーの文学世界を象徴的に表現している。
他に「マクベス」の和田誠、「山羊を被った僕」の石山裕記、「牛のいる広場」の船越全二が出品しているが、中でも興味深かったのは串田和美の「私の劇場」である。開閉する舞台の緞帳(どんちょう)や団子のような観客がくっついただけの極めてお粗末な作りだが、作者や他の人がそれを被り、語りや歌を披露すると何とも魅力的な劇場へと変身するから面白い。
実人生と虚構が出会う場、哀愁と歓喜が出会う四つ辻、ユーモアとペーソス、そして見世物的なものから高尚なものまでが存在する場、それが劇場であり、私たちの生の場なのではないだろうか。ユニークな好企画であるとともに、本展そのものがひとつの大きな劇場でもある。
――(中村隆夫=美術評論家)
※ 私の劇場=3展は、港区青山5の1の25のギャラリー北村で、4月12日まで。日曜休廊。
以上、当日の新聞記事を、原文のまま掲載した。
今回の合同展で、ジャン・コクトーの人形を作って陳列した石塚公昭(いしづか・きみあき)さんの知人が、この記事を執筆した美術評論家の中村隆夫氏だそうだ。中村氏は(学校の名前は失念したが)有名美大の教授も努められているとのこと。
しかし新聞記事というものは、文章にムダがなく、簡潔で、いつも、つくづく感心してしまう。
2003年4月1日