2003年2月18日

 去年の11月ごろ、当サイト「walks」のコーナーには、新たに「TOKIWA-SOU」、「Plastic models」、「Accessories」の、3つの項目を新設した。それぞれの項目にはそれぞれの写真を掲載し、また、既存のコーナーにも新作を掲示したり、ページを追加したりと、新しい写真をかなり増やしている。まだチェックしていない方もおられるかと思い、本日は、まずそのリストから‥。

  ①Art In A Box の項目に新作「LE CALVET」を追加(2ページにて)
  ②Art In A Box の項目に新作「HYGIENA BAINS」を追加(2ページにて)
  ③Art In A Box の項目に旧作「La Charrette de Pierre」を追加
  ④Art In A Box の項目に旧作「Isabella」を追加
  ⑤Structures の項目に旧作「A Dull Windless Day」を追加
  ⑥Structures の項目に旧作「Snow in the Morning Light」を追加
  ⑦作品「Nihon Karuishi Kogyo Co.,Ltd」を、計2ページに追加
  ⑧作品「Blowing in the Wind」を、計2ページに追加
  ⑨作品「STATION」を、計2ページに追加
  ⑩「TOKIWA-SOU」の項目にメイキングシーンを追加(2ページにて)

 そして少し前には、当サイトのフロントページを多少変更した。以前は英文のみの掲示だったが、日本語のキーをクリックした場合には、ほんの少々の和文があらわれるようにしたのだ。
 その方がわかりやすいと考えたからだ。
 しかしどんな一文を掲載したらよいのかについてはずいぶんと考え、揚げ句につくったのが下の一文だった。だが、いかんせん長すぎると考え、結局最後の部分のみを掲載することにした。まあ、そんなわけで、ボツにしちゃった前段をも含めて、ここではその全文を掲載することにする。

――私は、いわゆる団塊の世代と呼ばれているグループの一員だ。学生時代はかなり落ちこぼれていた。やっと入った大学はすぐにやめ、一時はイラストレーターなんてことをやったこともある。
 そのあとは、ポリウレタンフォームの製造業に従事したが、これも28歳の年に挫折して、屋台のラーメンを引いた。しかしあんまりにも寒いので長くは続かず、半年でやめた。その後、今度は銀行から金を借りてファッションブティックの店をはじめた。当時はバブル全盛の時代だったので、銀行はいくらでも金を貸した。そうして7~8店舗の店を広げたまではよかったが、やがて大不況が訪れ、これもやっぱり挫折した。
 当時48歳の私は困り果てた。
 もうこの年齢となると、他に転職のあてはなかったからだ。悩みに悩んでいたある日のこと、ほんの気分転換のつもりで非常に小さな模型の小屋をつくってみた。するとどういう訳か非常に良い出来で、自分でも驚いた。そしてふと気が付くと、ある種の造形作家への道を歩み始めている自分を発見したのだった――

 以上がトータルな文章だった。しかしいま読むと、やっぱり後半だけの掲載で正解だったような気がする。いずれにしても最初は、非常に小さな模型の小屋を作ったのだ。そして、そのことについては、ある雑誌にも短い一文を掲載したことがある。ついでなので本日は、そっちの一文も掲載することにする。以下は1999年の春、SMH誌(ホビージャパン刊)第14号に掲載した記事である。

――だいたいからして、不景気だ不景気だって毎日騒ぐから、ますます不景気になるんで、テレビも新聞も報道しなけりゃあ、誰もそんなことわからないんだから、こんなに深刻にはならなかったと思うんだよな。
 オジさんだって、以前は洋服屋だったから大変だったよ。だんだん売れなくなってきて、そのうち取引先への支払いもできなくなるし、銀行からはニラまれるしで、もう散々。そいでしょうがないから5~6軒あった店をみ~んなタタンじまって、アタマにハチマキをしめて、いまは真夜中に模型を作ってるってわけだ。そうじゃなかったら今ごろ背広着てハローワークに並んでいて、絶対まだ失業中だったと思うよ。なにしろ50を過ぎているんだから‥‥。
 あれは3年前の夏だった。
 店のギャルたちに夏休みを取らせなきゃなんないってんで、4~5日の間、オジさんが店番をすることになったんだよ。
 景気がよけりゃあ、店の外に「ただいま夏休み中!」なんてカンバンを出しとけば、そいでいいんだけど、ちょっとでも売り上げがほしいもんだから、そーゆーセコいことをやったのよね。だけど、これがよかったんだね。
 その前の晩のこと。
 資金繰りのことを考えてたら眠れなくなっちゃって、ふと大昔に買ってあったモケイの雑誌をめくっちまったのが、運のツキ。
 「よし、これ、あした店で読もう!」
 なんて‥‥。
 夏休み中の店番は、とにかくヒマなんだよ。
 そいでオジさんは、イヤイヤ店番をしながらもその雑誌を読んだんだ。そしたら急になにかを作りたくなっちゃって、そばにあった洋服の値札とかマッチの棒とかで、ちょっとしたモケイの小屋を作ってみたんだよ。そしたらそれが、いきなりカッコよく出来ちゃって「オレって天才なのかな~」なんて、ビックリしちゃったの。なにかの加減で、ふとF1を運転してみたら、どういうわけかものすごく速く走れちゃって「あっ、これじゃあシューマッハよりも速い!」って、自分で自分にビックリしちゃったみたいなもんだよ、そのときはね‥‥。
 本当にわからないもんだと思ったね。誰だって当人が気づいていない能力って、どっかにあるんじゃないのかなぁ~。
 と、いうわけで、夏休みにイヤイヤ店番をしたおかげで、オジさんはモケイの作家になっちゃったのね。そうこうするうちに真岡(栃木県)の市役所から「むかしの真岡駅を作ってほしい‥」なんて、メジャーな注文も舞い込むようになり、だんだんと忙しくなっちゃったの‥‥。
 まあ、このへんの事情については拙著「模型のはなし①しぶ~い木造機関庫をつくる」(電子書籍/お問い合わせは10daysbook: http://www.10daysbook.com/)って本に詳しいから、真剣にそっちも読んでほしいんだよな。この本には「マル秘」製作技法も満載だから「SMH」の読者なら絶対役に立つよ。
 あと、それからね、渋谷のパルコ・PART-2の6階に「毎日新聞カルチャーシティ」ってのがあってね、そこで「楽しい工作教室」ってのもやってんから、ヒマなひとはぜひ一度遊びに来てほしいのね。見学は無料だし、生徒にはちゃんと「SMH」のファンもいるんだから――

 以上が、SMH誌14号の記事だった。
 文中「あれは3年前の夏だった‥‥」とあるが、今から考えればもう7年も前のことになってしまった。

上がSMH誌14号
左が私のページで右が山田卓司さんですが
山田卓司ってひと、知ってますか?


2003年2月18日