またひとつ年が改まったので、トキワ荘の模型を作ったのは、もうおととしのことになってしまった。現物は宮城県石巻市の「石ノ森萬画館」(故・石ノ森章太郎氏のミュージアム)に置いてある。私はまだ行ってないが、わざわざ見物に出かける人もいて、帰ってから「置き場所が良くなかった」などとよく報告を受ける。本作の監修をお願いした漫画家の水野英子先生や、そのグループの方々も展示の方法が良くないと言って、館側にクレームをつけたそうだ。
これには少し訳がある。
最初萬画館側は、壁がボール紙で出来ていて、屋根がなく、石ノ森章太郎氏の部屋の内部や、赤塚不二夫・手塚治虫氏など、各室の様子を上から眺められるような、小さなトキワ荘を設置する計画で図面を書いた。やがて建設工事が始まって、数ヶ月がたったころ、私のところにその制作依頼が来た。
そこで私が
「もっとちゃんとした模型でなければお受けできない」
などと面倒なことを言ったために、あんな大きなトキワ荘になってしまった。しかもこの時点では、展示のための方法や、そのためのスペースもすっかり決まってたところへ、そこに無理やり私がでっかい模型を割り込ませてしまったので、置き場所が若干ヘンになったのは、しょうがないことだと思う。
ま、この辺のいきさつについては、拙著「メイキング・モデル・オブ・ザ・トキワ荘」に詳しいので、きょうは、これ以上書かないことにするが、お陰でこのときには、まあまあの模型を作ることができた。まあまあと書いたのは、それでもまだ十分とは考えなかったから。
と、いうのは、展示スペースに余裕がなかったため、地面を非常に小さく作らざる得なかった。従って庭に立っていた洗濯物を干すための柱や、玄関脇の樹木など、重要ないくつかの物品を省略せざる得なかった。また、このアパートには、先ほど上に挙げた諸氏の他にも、藤子不二雄・寺田ヒロオ・鈴木伸一・長谷邦夫・森安直哉・よこたとくお・水野英子氏など、後のマンガ界をしょって立つリーダーたちが、ほぼ同時期にお住まいになっていたのだが、マトモな室内造作を作ったのは石ノ森章太郎氏の部屋だけである。名物だった共同炊事場や、共同便所も作れなかった。
私は、もちろん全部の方々の室内造作物も、すべて史実のとおりに、詳細に作りたかったし、持っている力を全部出し切ってでも、完全完璧なトキワ荘を、将来、是非一度作ってみたいと思っている。しかしそこまでの仕事となると、残念ながら、まず依頼されることはないだろう。
予算の問題があるからだ。
ここではなしが急に大げさになるが、あのミケランジェロが、シスチナ礼拝堂の天井壁画を描いたときには、たったの一人で、四年かかったそうだ。描かせた法王(依頼主は、確かローマ法王だった)は、一体彼にいくらのギャラを払ったのか?しかもその前段階として先に礼拝堂を作らにゃならん訳だから、ハンパな国の国家予算に匹敵するほどのカネをかけて、超一流の造形物を作ろうとした法王がいた。
そのように、ひとりの人間が何年もかかってつくりあげるような造形作品を、21世紀の現代で、誰かにたのもうとするひとが、どこかにいるだろうか。
完全完璧なトキワ荘を作ろうとするならばおそらく数年はかかるだろう。
しかしこんにちの社会では、作ってもそれに見合うだけの経済的効果が見込めなければカネを出す人がいない。トキワ荘に限らず、先年取り壊された同潤会アパートについても、模型として残したらどうかと、たまに提案されることがある。だがそれを、私が自分で作っても、保管の方法や、展示場所の見当がつかない。だからそういったものは区なり市なり、行政からの依頼がなければ作れない類いの作品だ。だが行政は、税の使途については常に監視を受ける身なので、造形作品や展示物といった必要性が薄く、かつ意見のわかれそうな物品に対しては、おそらく非常に慎重な姿勢であろう。
私は、このごろよく考える。今日の作家が、現代のハイテク技術や新素材を駆使して、しかも十分な予算と歳月を費やせば、かなりのものが出来ると思う。ひょっとするとミケランジェロに匹敵するような造形物でも作れると思うのだが、だが現代では、そんな仕事を発注する人がまずいない。従って本当にスゴイ造形作品や美術品の類いは、すべて博物館か、ただ遺跡の中にだけ存在している。法隆寺の仏像や、奈良の大仏や、日光の東照宮など、名だたる文化遺跡に出かければ本当に素晴らしいものたちがゴロゴロしているが、それらは朝廷だったり、幕府だったり、あるいは大名や法王といった、独断で、どんなものでも作ることの出来る権力者たちが作らせたものばっかりだ。
彼らは
「カネは、いくらでも払う。ただし最高のものを作れ!」
おそらくはそんな文言で、多くの作家に、最高の作品をつくらせたのだろう。
私はきょう、西暦2003年の年頭にあたって「民主主義は良い造形作品を残さない」という、大げさなテーマについてのはなしをしている。
残念ながら民主主義の社会では、スゴイ建造物も、絢爛たる美術品も、びっくりするような造形作品も、不要なのだ。それらは、例えばキムジョンイルのような独裁者が、自分の力を誇示するために作らせたり、あるいは単に特権階級の贅沢品だったりと、われわれの社会には到底馴染まない無用の長物だ。
現代の依頼主は
「出来るだけ早く、安く、簡単に作ってほしい」
たいがいはそんな風にわれわれに何かを注文する。
しかし、われわれは
「いやぁ、多少時間がかかっても、もっとちゃんとしたものを作りましょうよ‥‥」
なんて、逆に依頼主をムリに説得し、やっとこ大きな「トキワ荘」がつくれたりする。が、元々そんなものはほしくなかった依頼主が、置き場所に困っちゃった、なんてこともあるだろう。石巻のトキワ荘はややそんな風でもある。
造形物も造形作家も、民主主義という名の現代ではあんまり人気がない。
2003年1月6日